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    ■ 始まりの朝 ■




 たとえば突然、今日で世界が終わります、なんて言われたらどうしますか?


 HRである現在、教壇に立つ教師がおもむろにそんなことを言った。なんの脈絡もないそれに私はつい首を傾げてしまったけれど、どういうわけかその質問にはクラス中が盛り上がり、もしも話に花を咲かせてざわめきは一気にヒートアップする。

真潮(ましお)はどうする?」

 隣からの言葉にそちらを見れば、同級生にも関わらずどこか余裕のある男と視線がぶつかる。

 彼、和泉八潮(いずみやしお)は私の幼馴染みであり、名前が似ていることで昔からよく間違えられた。当然顔はまったく似ていないのだけど、珍しくも苗字が偶然同じ「和泉」だということもあり、一字違いの名前なために八潮が真潮と呼ばれたり、真潮が八潮と呼ばれたりするのだ。

「……何が?」

「今日、世界が終わるとしたら、だよ」

 どこか意味深に語られたその言葉には再度、ことりと首を傾げてしまう。

「さあ、どうだろ……生まれて十七年、ずっと平和に生きてきたからなあ……想像もつかないし、その時になってみないと分からないよ」

「……そっか。そうだよね」

「? どうしたの? 何か、悲しい?」

「どうしてそう思うの?」

 眼鏡の奥の静かな瞳が、あやしい色を宿して私を見つめる。

 八潮は昔から「ミステリアス」という印象を周囲に与えている。何を考えているかも分からず、彼を知ろうとすることは雲をつかもうとすることと同じだとまで言われているほどだ。

 さらにどこか不思議な雰囲気を醸しているために、八潮を前にすると誰もが身体を強ばらせる。私は幼馴染みだからか、そんな風に感じたことはないけれど。

「……もう生まれた時から一緒だもん。八潮のことなら分かるよ」

 ざわめく教室内の声をバックに、私の言葉はきちんと八潮に届いたのだろうか。

 彼はただ寂しげな笑みを浮かべ、小さく息を吐くだけだった。

「……うん。そうだね。そうだ。僕たちはずっと一緒だった。真潮が助けてくれたから……」

「?」

 何を言っているのかはよく分からないけれど、今日の八潮はいつもと違っていることだけは理解ができた。


 彼のことを今まで「ミステリアスで不思議だ」と思ったことのない私でさえ、周囲と同じように八潮のことをそう思ってしまう程だ。すぐ近くに居るのに、ずっと遠くに居るような。それこそ本当に「雲をつかむ」感覚に近いような。


「真潮、僕もね、こうなってしまった時は驚いたんだ。だって僕は真潮と話せて、真潮と並んで歩けてる。ずっと望んだ、僕の姿だった」

「……八潮、何言ってるの?」

 不思議に思っていると、一つ、手を打つ音が聞こえた。

 教壇に立つ教師が放ったその音に、ざわめいていた教室は一気に静まり返る。クラス中の目が教壇に集まり、もちろん私と八潮も例外なくそちらに目を向けた。

 七三で固められたその髪は短く整えられ、口紅は常にマッドな紅。アイシャドウには黒を置いているその教師は目を不気味に半月型に歪めると、口の端をニイッと釣り上げた。

「というわけで、そろそろ死んでもらいましょう」

 ――たとえば突然、今日で世界が終わるとしたら――。

 その問いが再び私の頭に過ぎった瞬間、教室の廊下側の窓が弾ける音が響いた。それに身を伏せる間も無く、私は八潮に抱きかかえられて、近くの窓から校舎の外に飛び降りた。




    ■ 真潮の選択 ■




  流れる光景に目がついていかない。今理解できることと言えば、自分が八潮に抱きかかえられてどこかを走っているということだ。

 八潮の首元にしっかりと腕を回し、振り落とされないように注意する。

 しばらく走るとスピードが徐々に落ちていき、周りの景色も見え始めた。どうやら八潮は自宅に帰ってきていたらしい。彼とは幼い頃からずっとお隣さんなため、八潮の家を認識するのは一瞬である。

 ――何も言わないまま八潮は窓から二階の自室へ侵入すると、私を椅子へそっと下ろす。

「……八潮、ねえ、さっき、加賀橋先生が……」

 間違いなく、死んでもらうと言っていた。

 加賀橋先生は、少しセンスが独特な英語の教師だ。すごく感性が豊かで、知識も豊富で、多面から物事を考えられるような人だったから、みんなが加賀橋先生を「独特だけど頼りがいがある」と評価していた。それはもちろん私もそうで、何かがあれば加賀橋先生にお話に付き合ってもらう、なんてこともよくあった。いつも優しく笑っていて、すごく真剣に話を聞いてくれていたのに。

 その加賀橋先生が、あんなことを……。

 脳裏に過ぎるのは、私たちが教室を飛び出す直前に侵入してきた、大勢の黒服の人間である。私たち一般学生には馴染みのない大きな銃を、確かに持っていた。

「……や、八潮、警察に行こう? 警察署にはお兄ちゃんが勤めてるし、私、同僚の人とも仲良しだからきっと話は通じやすいよ。加賀橋先生のこと言わなきゃ。あんなの……」

「……ダメなんだ、真潮」

 ずっと静かに立っていた八潮は、落ち着いた様子で私に視線を移すと、ゆっくりと膝をついた。

 見上げる視線はどこか儚く、けれど確かな決意を帯びて私に向かう。

「警察に行っても、真潮は殺されるだけだよ」

「? な、何言ってるの? 警察の人はそんなことしないよ?」

「真潮はね、選ばなきゃいけない」

「……なに?」

「逃げるか、死ぬか。選ばなきゃいけないんだ」

 ――冗談やめてよ。八潮って、時々面白くないこと言うよね。

 なんて、そう言いたくても言えないのは、八潮の目が本気だったからか。

「……選んで、真潮。僕はキミに従おう」

 右足が、不意に持ち上げられる。膝をついている八潮は一度(もも)にすくい上げた右足を置くと、緩慢な動きで足をさらにもち上げてローファー越しに口付けを落とす。


 もう、わけが分からない。加賀橋先生はおかしいし、八潮も何だかいつもと違う。死ぬか逃げるかを選べなんてことも言われて、理解が追いつかない。

 だってさっきまでいつも通りだった。いつも通りに起きて、八潮が迎えに来てくれて、お母さんに見送られながら二人で学校に行って、これからだっていつも通りだったはずで。


 ――どうして、そんな柔らかい目で見るの。八潮、貴方は何を知ってるの。どうして落ち着いていられるの。助けてよ。いつだって、八潮は、私の味方でしょう?


「……私、死にたくない……八潮……」

「分かった、そうしよう。すべて、真潮のためだけに」





    ■  異変  ■





 どこに行くの、と聞いても、八潮はただ優しく笑うだけだった。

 現在。私は八潮に「顔を隠して」と言われたために深くキャップ帽をかぶって、見慣れた街を歩いている。

 放課後によく訪れていた中心街だ。いつもと変わらない光景に、少し安堵した。

「……ね、ねえ八潮。何だかさっきのが夢みたい……」

「うん、だけど、顔は見せちゃいけないよ。いつ、どこから気づかれるか分からない」

 ――気づかれるって誰に? どうして私は殺されるの? そんな質問も、喉の奥に飲み込んだ。聞いても八潮が教えてくれないのは分かっている。いつもみたいに、きっと穏やかに笑って誤魔化すのだ。

 小さい頃からそうだった。八潮はいつだってそうやってどこか遠くに居て、私とは違う場所を見ている。

 諦め混じりに息を吐くと、タイミング良く携帯が鳴った。とは言っても、本来であれば学校に居る時間のため、マナーモードである。

「……八潮、八潮」

 服の裾をつんつんと引っ張って八潮に問いかけるけれど、八潮はこちらに顔を向けない。

「出ないで、真潮」

「え?」

「電話に、出ちゃいけない」

 だけど――。

 視線を落として画面を見ると、そこにあるのは見慣れた父の名前である。

「お父さんだよ? 八潮もよく知ってるでしょう?」

「ダメだよ。あの人ももう、真潮を探してるんだ」

「な、なんで?」

「さっき僕が僕の家に帰ったのは、そういうことだよ。先生に気づかれた時点で、家族ももう手遅れなんだ」

 ――だけど、お父さんやお母さんは今朝も会ったし、その時も普通だった。お母さんはいつもみたいに笑って「行ってらっしゃい」と見送ってくれて、お父さんだって今日は「次の休みには買い物に連れて行ってやるからな」と、はりきったように言ってくれた。


 手遅れってなに。みんな、加賀橋先生みたいになってるって事なの。家族まで、私を殺そうとしてる……?


 しばらくすると、着信は終わった。しかしすぐに、メールを受信する。

『どこにいる?』

 たった一文だ。それに、モヤモヤとした感情が胸を覆う。

「……ほら。真潮が学校に居ないことを知ってる。……真潮、絶対に僕以外は信じちゃいけない。僕以外に、真潮の味方は居ないんだから」

 私が、何をしたっていうの。

 じわりと涙が目に滲む。突然のことに、感情も何もついてきていない。

 どうしてこんなことになったの。


「和泉真潮さんですよね?」


 背後から声がした。振り返って見えたのは、いつもお世話になっているカラオケ店の店員だった。軽口を叩くくらいには仲良くしていたために、帽子を目深にかぶっていたところで私であると分かったのだろう。

 恐怖を感じたのは、その目が色もなく無機質に、瞬きもなく私を見下ろしていたからだ。

 それに完全な異変を認識し、とうとう涙が一筋流れ落ちた瞬間。

 私の前を歩いていた八潮が、鋭い一突きを店員に放った。


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