1.
『ライフハック』という言葉がある。
知っておくと便利な、ちょっとした生活お役立ちアイディアの事だ。
* * *
『邪道レシピ』という言葉がある。
ある料理にアレンジを加えて、風変わりな、でも意外に旨い、そんな変種料理を作り出そうという試みだ。
問題は、もともとある正統なレシピに対して、じゃっかん失礼なアレンジをしてしまうという点にある。だから『邪道』レシピなんだ。
* * *
中学三年生の冬の話だ。
十二月初旬の放課後、学校から我が家へ向かう住宅街の路地を歩きながら、僕は、並んで歩いているウエシマに「ちょっとしたライフハックを教えてやるよ」と言った。
僕の家とウエシマの家は同じ路地に面していた。
学校側から見て我が家からさらに百メートル離れた所にウエシマの家があった。
家が近所だったからウエシマと僕は幼稚園の頃から良く一緒に遊んだ。いわゆる『幼馴染』だ。
小学生になり学年が上がり、やがて僕とウエシマは別々の友人グループに入り、以前ほど親しく遊ぶ事もなくなった。
それでも家が近所だし、学校から帰るルートも同じだから、偶然下校のタイミングが合って一緒に帰ることも多かった。
「ライフハックねぇ」ウエシマが興味なさそうに呟いた。
「何だよ、そんな詰まんなそうな顔すんなよ」と僕。
「前から思ってたけど、ライフハックとか自慢げに語るの好きだよな、お前」
「そんなことないよ……そんなことない、だろ?」
「いや、ある」そう言ったあと、ウエシマは僕を見てニヤッと笑った。「でもまあ、聞いてやるよ……話してみろよ。フジロウご自慢のライフハックとやらを、さ」
フジロウというのは僕の名だ。
せっかく人生をちょっとだけ豊かにする秘密のレシピを伝授してやろうと言ってるのに、教えてもらう立場のウエシマの方が恩着せがましい態度というのは納得が行かなかった。けど、そうは言っても、自分が思い付いたアイディアを誰かに伝えたい自慢したい『すげーっ』って言われたい……そう思ってしまうのが人の性というものだ。
僕は「良いか、このレシピは『邪道系』だからな。誰にも言うなよ」とウエシマに言った。
「レシピ? つまり、お前が今から言おうとしている『ライフハック』とやらは、料理の作り方なのか?」
「うん」
「俺、料理とかやらないしなぁ」
「えっ? お前、中三にもなって料理しないの? 全然?」
「しない。ぜんぶ母ちゃん任せ」
「何だよ。情けないな」
「いいから、そのライフハックだか秘密のレシピだかを言ってみろよ」
「邪道レシピだ。念を押すけど、これは正統派じゃないからな。誰にも言うなよ……とくにイタリア人には言うなよ。こんなことを言ったなんてバレたら、カラビニエリに暗殺されちゃうからな」
「カラニ……なんだって?」
「カラビニエリ。イタリア治安軍」
「ってことは、その邪道レシピってのは、イタリアがらみなの?」
「うん。スパゲッティがらみ」
「言ってみろよ」
「言うぞ……一度しか言わないからな。良く聞いとけよ……言うぞ……」
「いいから、さっさと言えよ」
「スパゲッティのソースにサッと一振りカレー粉をかけると味に深みが出る」
「……」
「いや、ホントなんだって」
「それだけ?」
「それだけ。強いて付け加えるなら、かけすぎない事。もろカレー味のパスタソースになっちゃうから。それじゃ流石に別の料理だから。ほんの一振り、ほのかに香るか香らないかって所で止めておくのがミソだ」
「はあ……大げさな前振りの割には、なんかイマイチ冴えないライフハックだな」
「そりゃ、お前が日常的に料理をしないからだ。毎日料理をしてる人……例えば、お前の母ちゃんだったら、この秘伝レシピの真価を分かってくれるはずだ」
「俺の母ちゃんより先に、自分の母親に教えてやれよ」
「もう教えた」
「へええ……で、喜んでくれたのか?」
「今いちピンと来てないみたいだった……僕ん家は共働きだし、父さんも母さんもあんまり料理しないし」
そんな事を話しながら、僕とウエシマは住宅街の角を曲がり、僕らの家がある路地に出た。
少女が立っていた。
家の前に……正確に言うと、僕の家の玄関の斜め前にある電柱の下のゴミ集積場所の前に、その少女は立っていた。