とある乙女ゲームについての考察
短編とだいたい同じ話。
巷で流行りの乙ゲー転生が自分事になってしまったらしいと気付いたのは、留学先で空気読まないヒロイン嬢のアタックを受けた後だった。
そうそれまでは今世の私の生育環境の常識基準では、私はごく平穏に暮らしていたのだ。歩くより早くドラゴンの背に揺られ、玩具代わりに長筒や弓を与えられ、絵本の読み聞かせ代わりに魔法詠唱の口伝などなど。これであなたも立派な竜殺しといった今世の常識と、幼児に何させてんじゃあ!といった前世の一般的な日本人の常識のギャップに苦しむこともなく。
ああ自己紹介がまだでしたね。
私は「聖なる乙女は薔薇の下に」の隠しキャラの、ちょっぴり危険でミステリアスエロな異国の皇太子、サーシャと申します。
通称「聖薔薇」は剣と魔術のファンタジー的な世界観の下、とある学校を舞台に、いじめや難しい課題など困難を攻略対象たちと乗り越え、彼らの悩みを解決し、彼らと恋人関係や結婚に至るという、ままある内容の恋愛シュミレーションゲームだ。
困難と悩みの比率はそれぞれだが、攻略対象は6名。はーど、のーまる、いーじー、の難易度の共通シナリオから5名+サーシャの個別シナリオへ派生させていくシステムだ。
サーシャは、“はーど”クリア後の“はーど”で講義か散歩中にランダムエンカだった。確率絞りやがって、鬼め。
まあ課題は置いといて、いじめの話をしよう。いじめといったら悪役令嬢。テンプレだ。ヒロインの自作乙ざまあなんていう脱テンプレのテンプレ化まで起きているテンプレだ。
このゲームにおいて乙ゲー転生物でよくいる婚約者持ちの人間は2名。看板キャラで正統派王子さまキャラなシャルル・フィリップ王子殿下と私サーシャだけである。他の攻略対象に婚約者はいないし、彼らの恋人の有無までは知らないが、シャルル・フィリップ王子の婚約者も私の婚約者もテンプレ悪役令嬢としては出てこない。シナリオ上で存在は確認出来るが、攻略対象の回想でしか出てこない。
しかしヒロイン嬢はいじめられる。
誰に?女子学生全員から。
そしてプレイ中に感じていたささやかな疑問。モブキャラや背景にしたってヒロイン嬢の他に女子学生がちょっと少なくない?専攻する学科によってはヒロイン嬢が紅一点になってしまっている。また自分の婚約者や恋人に手を出された訳でもないのに、あの一致団結した女子学生たちからの過激ないじめの原因は何だ?
疑問は今世の常識と私の留学の目的によって秒で氷解した。
まず今世の常識からいこう。ゲームの舞台である聖マリー学院。ゲームの中では国一番の学校、歴史ある名門などと表現されていたが、これ文字通りの最高学府のことである。つまり前世でいうところの大学だ。
ここら辺でもう女性史に詳しい方など勘づかれたことだとは思う。大学、アカデミックな高等教育機関、象牙の塔。まあ何でもいいが、聖マリー学院の一部は、知性は男のもの、女に学問などいらんといったガッチガチの保守的思考の持ち主たちの牙城のひとつである。
そこで恋愛ゲー。
「結婚しないつもりか!?」「あなた学院で学んでいるんですって?」「男漁りをしに来たのか?売れ残りめ」などなど。女性の知的向上心をわがままと取る世間の風潮にも負けず、学問を志し、大学の女性への門戸開放という未だ狭き門を抜けてきた女傑たちを、女子学生は風紀を乱すという偏見を事実にしにいったヒロイン嬢は見事に全員敵に回した訳である。納得。
なお私の留学の目的のひとつに聖マリー学院における革新的事例を調査し、既存の大学の女性への門戸開放か女子大の新設かを検討し報告するというものがある。
ここで今世になってむしろどうやってヒロイン嬢はゲームでサーシャを落としたんだ!?
いや待て、攻略対象たちというか、ぶっちゃけ友好国の王族であるシャルル・フィリップ王子の安否は?という疑問から調べたヒロイン嬢他、攻略対象たちについて聞いてほしい。
ヒロイン嬢ことデフォルト名マリー・ジャンヌ嬢は伯爵令嬢。父を亡くし困窮。母親の後押しで女学校へ。そこから推薦を貰い、女性へ門戸を開放した聖マリー学院へ進学。何というかビミョーに苦学生かつ凄まじい才媛である。
なおノーマルエンドとして学院卒業後に女学校教師からのこの世界の史上初の女子大の女学長とか、ルートによっては女性閣僚とか、なんか恋愛エンドじゃない方が国のため女性のためになってね?という攻略対象の相手には勿体ない女性だったりする。
性格としては明るく真面目で前向き、ちょっとドジという光属性。全体的にプレーンなプレイヤーキャラだ。
今世の調査で発覚したのが、土地持ち貴族の次男の末で宮中伯だった父を亡くし困窮とか。女性の学問熱の高まりにより、ただの淑女、つまり手紙のやり取りが出来、家計簿が理解出来る程度の読み書き計算とピアノやハープの軽い演奏、簡単な水彩画や刺繍、初歩的な外国語といった教養だけでは女家庭教師の職すら危ういという先見の明があった母親によって、父親の死後、フィニシングスクールからガヴァネス養成校へ転学、どちらも女学校と呼べないでもないが……とか。叔父の死によって巨額の遺産が転がり込んだとか。
ゲームでは端折られていた黒い背景がつらつらと出てきやがった。ついでに過半数の攻略対象が落ちた大きな理由が出た。金と血筋だ。
グランドツアー的な感じで軽く覗きに来た貴族子息や学問ガチ勢の裕福な女子学生など一部例外を除き、学院に居るのは手に職を付け自活するべく学んでいる貴族の次男三男や貧乏貴族、裕福な商家の子息が主だった層だ。領地持ちで財産持ちかつ由緒正しい貴族の長男などまずいない。彼らは領地で経営するのや宮廷で顔を売るのに忙しい。
つまり貧乏名ばかり土地持ち公爵家の長男クロードおかん系苦労性氏にとって叔父の遺産からなる持参金は魅力的だったし、それなりに成功しているが上流階級相手の商売にも進出したい商会の子息トマ腹黒メガネ氏にとっては、一応名家出身であるヒロイン嬢の血筋とヒロイン嬢母の人脈は魅力的だったという事だろう。
父が将軍な伯爵家の三男フレデリック細マッチョ氏や法服貴族な子爵家の次男ルネ・ルイおっとり系お兄さん氏もだいたい同上。
ついでに土地の分割相続と男系男子が全員爵位を名乗れるこの国のシステム上、爵位の格と財力、権威は比例しないことを告げておこう。分割しようもなくなったり、土地を手放した貴族、もひとつ爵位を買ったり、職に付随して授爵した貴族などもいるため、さらに複雑だったりする、のもまぁいい。
生臭さ漂ってはいるが、まあ、うん、分からないでもないといったところだろうか?
シャルル・フィリップ王子と私の話に移る前に貴賤婚というワードをご存知だろうか。あ、知らない?端的に言うと悲報!シンデレラは王子と結婚出来ない制だ。王族は王族としか結婚出来ない。貴族は貴族としか結婚できない。結婚しようとすると王侯貴族側の人間の継承権や相続権、王族としての年金などが飛んで行ったり、時と場合により正式に結婚出来たとしても妃にはなれない、夫婦として公の場に出られない、子には夫の家名を名乗る権利も継承権も財産の相続権もないとないない尽くしだ。そのため公妾制や愛人が出て来る訳だが。
商会の子息トマ氏を除き、格や派閥などの問題をまるっきり無視すれば同じ国の貴族同士の婚姻ということで問題なし。貴族の娘というプライドを無視すれば、トマ氏もまあ問題なし。
この国では、そして私の国でも貴賤結婚制が採用されているため、国王の次男にあたるシャルル・フィリップ王子殿下や皇太子な私は確定でアウトだ。
またここで身分だけでなく婚約者の存在もさらなる問題を発生させてくる。
王族は王族としか結婚しない都合上、この婚約者は自国の親戚か他国の王侯かである。そしてシャルル・フィリップ王子の婚約者も私の婚約者も他国の王侯である。
女性問題からの外交問題勃発。
ゲームでは出てこないハッピーエンド後のカタストロフィである。遊びならいい。愛人関係も婚約者にはお気の毒だがまあいい。結婚は駄目だ。婚約破棄からうっかりすると戦争まっしぐらである。
約束された地位と財産とシナリオ描写によればそれなりにいい関係を築いている婚約者と国家間同盟を捨てて、ヒロイン嬢に走らせた愛の力のヤバさがご理解いただけるだろうか。