作品の価値理論
作品を自分の子供と表現する人間を私は少々見かけることがある
自分で作り、自己を投影した偶像
それが作品であるから、子供なのだろう
さればこそ、推敲を重ね子供を磨き世に送り出せる程まで成長させるのだろう。
たぶん、私はそういった人種とは一生合いまみえることは無いのだろうと思う。
親から磨かれるのが子供ではない、それが私の根底にこびり付いて取れることのない随だからだ。
私にとっての作品とは
子供ではなく、言うならば内蔵である。
体を割って取り出した私そのもの、それが作品で、決して自己から割けるものでは無いと思っている。
曲がった価値観、稚拙な言語、残虐な趣向、死にこだわりを持つ作中の世界
その全てが私だ。子供ではない私自身で普通の人間ならば他人に見せないはずの内側、つまりは内蔵だ。
だから、私は内蔵を見せびらかす
極度の変人と言えるのだろう。
社会からの評価はそれで結構だ。
若しかしたら、私を刺したら文字が溢れるのかも知れないな