第六話(作:紫生サラ)
異世界エレメンティア・第六話
しずかとしのんは異世界からやってきた神龍の双樹と宿で朝食をとったあと、双樹がエレメンティアの様子を見てみたいと言ったので今日は別行動をとることにした。
しのんの話によれば、このエレメンティアにも龍族は存在し、それほど珍しい存在ではないらしく龍の姿になって飛び回っても問題はないらしい。
双樹が純白の翼を羽ばたかせ、エレメンティアの散策に出かけるのを見送るとしのんとしずかは地龍の回廊へと向かうことにした。
朝のひんやりと落ち着いた空気を感じながら、まだ人通りの少ない石畳の道を歩いていく。
早くから開ける店はエレメンティアでも地上でもそれほど変わりはなく、花屋やパン屋と言った商店はすでに開店し、華やかで見た事もない植物やパンの焼ける薫りが漂ってくる。今日は休日のため、学生の姿は見えないが、普通の日であれば、魔法学院に登校する学生の姿を目にすることができる。
こうして町を歩くと、シュウザーブが回廊に立てこもっていることも嘘のようだ。
「ああ! 姐さん! シエルの姐さん!」
先ほどまで眠っていた頭が、柔らかな日差しの中で再び微睡み始めようとした時、しずか達にいきなり声が向けられた。
しずかはその声のする方向に振り向いたが、そこにはオープンカフェがあるだけだった。まだ時間も早いのか、席にお客の姿はない。
「ねぇ、今、呼ばれなかった?」
名前こそ違うが声は明らかにしずか達に向けられたものだ。
「しのん」という名ははしずかが付けた名前であるから、この黒猫にしのん以前の名前があってもおかしくはない。
「……さあ、気のせいじゃない?」
しずかの問いにしのんは振り向きもしないで歩いて行こうとする。
「シエル姐さん! オイラですよ! ルタンですよ!」
「えっ? えっ?」
しずかは思わず周囲を見渡す。
開店はしているけれどまだお客のいないオープンカフェ、花壇に勢いよく弧を描いて水を出す噴水と開店準備をしている露店商。
しかし、こちらに話しかけてきている人の姿を見ることができない。しずかは姿の見えないルタンの声に一人キョロキョロと挙動不審の人のようにあたりを見回していた。
「しずか、無視して。関わると厄介な奴よ」
「ええ……?」
そう言ってスタスタと歩いていくしのんのあとをしずかがついて行こうとすると、一人一匹の前に白く小さな影が飛び出した。
「もう、待ってくださいよ! 姐さん、つれないじゃないですか!」
……えっ?
出て来たのは白いねずみだった。毛並はまるでブラシでもいれたらかのようにキレイに整い、黒い蝶ネクタイをしている。
「どちら様かしら?」
「へへ、御冗談をシエル姐さん。このルタンのことをお忘れではないでしょう?」
そう言って、ねずみのルタンは自分のトレードマークであろう黒の蝶ネクタイを小さな手でつまんでみせる。
「ああ、忘れていたわ。そう言えば、そんな名前のねずみもいたわね。私たち、先を急ぐの。道をあけてもらえる?」
知り合い? ねずみと猫が?
しかもその関係はあまり良好というわけではなさそうだ。
しのんの方が嫌っているみたいだけど……。としずかは二匹の様子を見ながら、おずおずと「えっと、しのん、知り合い?」と聞いてみた。すると、しのんは凛とした声で「いいえ」ときっぱり言った。その棘のある「いいえ」は本当の「いいえ」でないということはしずかにもすぐ理解できた。
何より、しのんのしっぽが不機嫌に揺れている。
「行きましょう、しずか」
「おっ? お嬢さんが、地龍の回廊を通って戻って来た人ですね? さすが姐さんが選んだ人だ、かなりの力の持ち主とお見受けいたしました!」
「ど、どうも……」
しずかはねずみにいきなり調子のいい口調で褒められ、何となくペコっと頭を下げてお礼を言った。
「しずか、相手にしなくていいわ。さあ、行くわよ」
「待ってくだせぇ! 少し話を聞いてくださいませんか? お願いしますよ姐さん!」
ねずみのルタンは猫のしのんの前で何度もペコリペコリと頭を下げる。しのんが右を向けば右に回り込み、左を向けば左に回り込む、なかなかにすばしっこく、可愛らしい。
その愛くるしい姿にしずかは思わず「ねぇ、しのん、話だけでも聞いてあげたら」としのんに提案した。
「しずか……」
「さすがお嬢さん! お優しい! ささっ、ここでは何ですから是非こちらで! お茶でも飲みながらゆっくりと! あそこのカフェのバター入りカカオティーは最高ですから!」
バター入り、カカオティー……なんだか味が想像できない上に、とっても太りそう……。
「シエル姐さん、バター入りカカオティー好きでしたよね?」
「バター入りカカオティーは好きだけど、ねずみの顔を見ながら飲むとまずく感じるの。それから私の名前はしのんよ、シエルではないわ」
「へへ、なるほど、ではしのん姐さんにしずかお嬢さん、どうぞこちらへ」
「私達、急いでいるんだけど、ここじゃダメなの?」
嫌悪感を隠そうとともしないしのんに、それを少しも気にもとめないルタンの姿は普通の猫とねずみのイメージと少し違い、しずかは何だか可笑しくなった。
「へへ、実は会ってほしい人がいるんでさぁ、何、姐さん方にも関わる話ですよ、決して損はさせませんから!」
そう言ってルタンはちょこちょことしのんとしずかの前を歩き、まだお客の入っていないカフェに入っていく。
どうやらそこはホテルの一角で、食堂とカフェが一体となっている場所のようだった。
「マスター、このお二人に上等のバター入りカカオティーを。バター多めで」
テーブルに駆け上がるルタンが指を鳴らし、景気のいい声を上げる。
「あ、私、バター抜きがいいんですけど」
「おや、バターはお嫌いで?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、片方はバター抜きで」
何だかずいぶん調子のいいねずみね……しのんの知り合いって感じだけど……?
「ねぇ、しのん、この……えっと、この方は?」
「ねずみよ」
「へへ、姐さん、お嬢さんにもちゃんと紹介してくださいよ。姐さんの相棒、時またぎのルタンだってね」
「相棒? 時またぎ?」
しずかが首をかしげると、しのんはテーブルの上で香箱に座り、嘆息する。
「ええ、エレメンティアの猫は異世界を渡るけど、ねずみは時をまたぐの、つまり時間を超えるのよ。ねずみらしいでしょ?」
ねずみらしい……? そうかなぁ?
不機嫌そうに説明するしのんの言葉にしずかは疑問を感じたが、それ以上追求できなかった。
「異世界を行き来するエキスパートのしのん姐さんの相棒と言えば、オイラ、ルタンってわけですよ」
「相棒ってことは何かしていたの?」
「とても簡単なことよ。考えてもみて、時を渡る種族なんかいたら、過去に遡って悪さをしようって奴が出て来ると思わない?」
確かに映画と漫画とか、小説みたいなタイムトラベルするお話の中では過去を変えて未来を変えてしまう話が出て来るが、そういったことが可能ということなのだろうか?
もしそうだとしたら、
「じゃあ、ルタンさんは悪者ってこと?」
「いやいやお嬢さん、それは違いますぜ。オイラは、姐さんと一緒に悪い時またぎを取り締まっていた側なんでさ。オイラと姐さんは、最強タッグだって言われたんすよ、悪いねずみを、それはもうバッタバッタ倒していたんですから」
ルタンは得意気に胸を小さな胸を張り、少し長めの前歯を鳴らして笑う。
「そ、そうなんだ……」
「で? そんなどうでもいい昔話をしに来たの?」
「い、いえ、たぶんもうすぐ起きて来ると思うんですけどね」
しのんに睨まれ、ルタンはシュンと小さくなる。そこへちょうどよくバター入りカカオティーが運ばれ、しのんの前に置かれた。
カカオティーはコーヒーのような紅茶のような不思議な風味の飲み物だ。甘い香りがするが味は甘くなく、少しの苦みとスッキリとしたあと味が印象的だ。
そこに無塩バターを溶かしこんだバター入りカカオティーの香りに、少し気持ちを緩めたのかしのんのしっぽは穏やかに揺れた。
「私たちに会わせたい人物っていうのは、どんな人物なの?」
「へえ、実は姐さんと別れたあとトウの国で働かせてもらっていまして」
「トウの国?」
エレメンティアにはアシの国の他にもいくつもの国が存在する。その一つがアシの国東部に隣接する小国トウの国である。
国土や資源が少ないかわりに技術力、科学力に特に秀でた国なのだ、としのんがしずかに説明をしていると、カフェの入口に人影が見えた。
「あ、フローラさん! 待ってましたよ! こっちですこっち!」
「ああ、ルタン……おはよう」
現れたのはしずかよりも年上の小柄な女性。長い髪に女性的な曲線がやけに強調された日本人ではあまり見ないような体形にしずかも思わず魅入ってしまう。
しかし、当の本人はしずかの視線をそれほど気にしていないのか、頭を掻きながら疲れた様子で席に腰かける。
「昨日も夜遅かったんですか?」
「まあ、ちょっと困ったことが起きてしまってね。……ところでそちらは?」
「はい、こちらは以前オイラとコンビだった、しのん姐さん。こちらはあの地龍の回廊から帰った、しずか嬢……」
ルタンの言葉にフローラの顔色がかわる。
「あなたがあの地龍の回廊から帰ったって言う人なの!? 確かにそう言われてみれば」
フローラは自分の左手首にしていた腕時計のようなものとしずかを交互に見比べながら何度かうなづく。
「なるほど、やはり地上人の精神力が特別って話は本当みたいね」
「あの……」
「ごめんなさい。申し遅れたけど、私はトウの国で時空連結関連の研究をしている研究員エル・フローラよ」
「時空連結関連?」
しずかが頭の上にいくつも「?」マークを浮かべている横で驚いたようにしのんのしっぽと耳がピョンと跳ね上げる。
「ルタン、時空連結計画に関わっていたの?」
「へへ、まあ、姐さんとの仕事でのことが認められてスカウトされまして」
「そうなんです」とルタンが頭を掻く。
「あの時空連結って?」
しずかはわけがわからずフローラに説明を求めるとフローラは姿勢を正し、静かにこう切り出した。
「あなたもすでに知っているとは思うけど、このアシの国は天龍の回廊と地龍の回廊があるわ」
「はい」
「この二つの回廊はエレメンティアで最大のものよ。アシ以外にも異世界とエレメンティア、エレメンティアと地上を繋ぐ道は各国に不安定ながらも存在している。でも、これだけ大規模で安定性を保った道、しかも両方に繋がる道を持っているのはアシの国だけ。他の国には特定の時にだけ地上世界に続く道が出現したり、猫でも通れないような異世界に続く狭い道が開いている程度なの。ちなみに私の国、トウにはどちらに行く道も存在しないわ」
フローラによれば、全く道が存在しない国というのはエレメンティア中探しても、トウの国しかないのだという。
「アシの国としては当然あるものでも、トウの国にはない。たとええ使っていないものだとしても、なければそれがほしくなるのが人間というものでしょう? そして無いならばそれを人間の手で作ろう、というのが時空連結計画よ」
「でも、確か、世界を繋ぐ通路が不安定なために実用化はまだされていないはずよね?」
しのんが言うとフローラは肩をすくめる。
「ええ、通路はできたんだけど、とても不安定……本物の回廊のような働きをするにはまだ至っていない」
「かなりいいところまで来ていると思っているんですけどね。どうしても最後のところでうまくいないってんで、許可をもらって天地の回廊を調査させてもらおうとしていたらこの騒ぎですよ」
ルタンはオーバーに肩を落とし、首を振ってみせた。
「なるほどね、で? 私たちに用って言うのは?」
「あなたたちは、地龍の回廊を使って異世界に飛び、仲間を集めようって考えている」
「……」
「確かに地龍の回廊を使えば、どこにいくかはわからないけど異世界へ行くことができる。そして猫族の力があれば、少なくてもエレメンティアに戻って来ることもできる」
「ええ、そうね。猫族のしっぽとヒゲは羅針盤のようなもの。異世界へ行っても、エレメンティアへの方向を知ることができる」
「今のところどれくらいの協力者を得ることができた?」
「今は、白い竜の男の子で双樹って子が一人」
「なるほど、龍族は確かに強力な戦力になるわ。エレメンティアのマイペースな龍族に交渉して協力を仰ぐよりも効率的かもしれないわね」
フローラはそう認めたうえで「でも……」と言葉を続ける。
「シュウザーブの魔法生物軍団の規模を考えれば全然足りないでしょうね」
「……?」
「姐さんはこちらに戻って来たばかりなんで知らないかもしれないですが、アシの国の魔法騎士団筋の話によればュウザーブはかなりの戦力を持っているようですよ。天龍の回廊へ侵入にも八方位の魔法塔による魔法陣を作る念の入りようですぜ」
「八方位!?」
「通常四方位魔法陣で充分に力を分散させ、魔法効率を上げて術者を強化することができる。それを二重に用意しているわ。しかもその各地の塔一つ一つに大規模な魔法生物軍を配置し防衛に当たらせている。もちろん騎士団も動いているみたいだけど、状況はよくない。エレメンティアには長く戦争がなかったし、魔法騎士団と言っても戦闘は素人同然だもの」
「つまり、私たちが思っていたよりも多くの協力者が必要ってこと?」
「そういうこと。地龍の回廊を使って誰かに協力を求めるとか、スカウトしてくるのはいい案だけど、問題もいくつかある」
フローラはピッと右手の指を三本立て見せると
「まず一つ目、今のやり方では時間的な制約が大きいということ」
一日一つの異世界に行き、協力者を得ても十分な戦力が整うまでに時間がかかってしまうという。さらに、双樹のようにある程度自由の身である協力者はいいが、そうでない場合はどうすればいいのか?
「二番目は、数の問題」
今の状況からすれば協力者は大量にいる。多くの戦力を得るために多くの異世界で多くの協力者を募らなくていけない。
「まあ、大きな問題点はこの二点よね」
あれ、さっきは三本指を立てていたと思っていたのに……? としずかが思っていると、しのんが「三つ目は?」と聞いた。するとフローラは「うーん、今のところ二つかな?」と立てていた三本目の指を折り、二本に修正する。
どうやら勢いで三つあると言いたかったらしい。
「なるほど、予想よりも大規模な戦いを想定しているのね。時間的な制約を解決するのは、つまりあなたの存在だと言いたいのね。ルタン」
「お察しの通り! さすが姐さん! もちろんオイラを連れて行ってくれるでしょう?」
「イヤよ」
「そんなっ!」
「……と、言いたいところだけど、そうも言っていられる状況でもないみたいね。この戦いの間だけは、またあなたと組むことにするわ」
「姐さん! 嬉しいです! このルタン、全眷属ともども姐さんについていきます!」
白ねずみは両手を上げて喜びの声を上げる。
「それで? 時間はルタンがいるからいいとして、数の問題はどうするの?」
「確かに、双樹くんは何だか悩んでいる感じで、しばらくここに居てもいいって言っていたから構わないかもしれないけど、仕事をしている人とか、何か使命を抱えた人なんかは何日も自分の世界を離れることができないよね」
「ええ、そうよ。そこでトウの国の科学技術の出番ってわけ」
そう言ってフローラは自信満々に一つのアイテムをテーブルの上に置いた。
「……缶?」
見た目はラベルの張られていない桃缶である。ただ封はされておらず中身は空っぽだ。
「これがトウの国が開発した時空連結器よ」
「これが?」
どうみても開けちゃった缶詰の缶だよ……としずかは思わず口に出そうになり慌てて口を押える。
「さっき言っていたまだ不安定なものでしょう?」
しのんが缶を覗き込んでいる。まるで缶の中のおやつを探す猫のようで、なんだか可愛い。
「これ単独での運用は難しいわ。飛び込んでしまったらどこの異世界に行くのかわからない。さしずめ小型地龍の回廊ってところ」
「これでどう数の問題を解決しようって言うの?」
「まあ慌てないで。しずかはかなりの力を持っているみたいね」
「そ、そうかな?」
「ええ、私のカウンターが振り切っているもの、間違いないわ」
フローラは先ほど左腕にしていた腕時計のようなものをしずかに見せる。デジタル時計のような文字盤の中に文字が浮かんで点滅を繰り返しているがその文字がなんと書いてあるのか、しずかには読めなかった。
「しのん、あれ、なんて書いてあるの?」
「そうね、エラーってところかしら? 計測不能の意味じゃないかしら?」
「あなたぐらいの力があれば、大量の招待状を作ることができるわ」
「招待状?」
「そう、エレメンティアと他の世界を繋ぐ招待状をね」
2
招待状にはルールがある。
一、その世界で招待状を託された者は、渡された招待状を破ることで一時的にエレメンティアに来ることができる。
二、招待状の発行者しずかの要請意志によって招待状が発光。託された者は、自分の意志でエレメンティアに来るかどうかを選択することができる。また、同世界に招待状保持者がいる場合、発行者との意思疎通ができる。
三、招待状を切った場合、その半券を元の世界に残しておくことで、それがアンカーとなる。招待状所持者はそれをもとにして自分の世界に帰ることができる。
四、招待状の効力は近接異世界で最大二十四時間。異世界の距離が遠くなるほどエレメンティアへの滞在時間は短くなる。
「ちょ、ちょっと、まって、近接異世界って何?」
「近接異世界って言うのは、エレメンティアに近いところにある異世界のことよ。地上人の頭の中にも浮かびやすい世界をさしているわ。おそらくだけど、今回出逢った双樹という竜の子の世界はエレメンティアに近い異世界かもしれないわね。だとすれば、地上世界の誰かがその世界のことをキャッチして物語にしているかもしれない。近接世界は多くの人の潜在意識に浮かびやすい世界でもあるの。だから、物語として誰かが発した時には、多くの共感を得ているはずよ。遠い世界はキャッチできる人もごく僅かで、それをくみ取ることができる人もごく僅か……語られることも少ないし、共感は得にくい。それもでも、たまに人々の目を開かせる可能性を持っているの」
「新しい発見が、何かを飛躍的に進歩させるようなものね。もっともそんな世界が地上でくみ取られることは稀だけどね」
「まあ、遠い近いはさほど気にしなくても平気。ただ、地龍の回廊と違って時間制加減があるってことが注意点なの」
「な、なるほど……」
「招待状を切るとエレメンティアに協力者を召喚することができるんだけど、その時の出入り口となるのが。この時空連結器よ」
「この缶から出て来るの?」
「ええ、今のところ最大容量は全長20メートルほど。それ以上の巨大なもの、例えば、戦艦とか巨大人型兵器の類は、地龍の回廊で直接来てもらうしかないわ」
「う、うん」
なんか話がとっても壮大な感じだけど、大丈夫かな……。
「肝心なのは、協力者をエレメンティアに招待する招待状を、しずかの手で発行してもらうってことよ」
「招待状を発行? どうやって?」
「もちろん、魔法を使って発行するのよ」
「異世界と異世界を繋いだ状態を維持し、ある段階で連結のきっかけにする。そんな高度な魔法をいきなりしずかにやらせようって言うの?」
しのんが驚きの声を上げる。その驚きにそれがいかに高度なことなのか、しずかは察することになった。しかし、フローラは少しも慌てず指を振ってみせる。
「地上人は普段の生活で魔法を使う人は少ないと聞いているし、それほど高度な魔法はアシ国立魔法学院の生徒でもなければ難しいでしょう。でも、しずかをサポートする優秀な魔法触媒があれば、それも可能だと思わない?」
ニヤリとフローラが笑みを浮かべる。
「私は、この事件を早く解決して研究に勤しみたいの。そのためにトウの国製の最先端魔法触媒を提供させていただくわ」
彼女は口の中で何か呪文のようなものを唱えるとポンと自分の胸の前で手を叩いた。
すると、30センチほどの長さのピンク色の棒がいきなり空中に出現する。
「……」
そのピンク色の棒は片手で握るのにちょうどよいグリップに、先端にはハート型の飾りがつけられている。。
……えっと……
「これがトウの国の最新高級モデル、ステッキ型魔法触媒、マジカルステッキよ!」
「あ、あのフローラさん……」
「魔法慣れしていないあなたでも使い方は簡単! 右手でステッキを持ったら右手を頭上、左手を下に向け、両足を揃えてから音声パスワードを唱えつつ、このステッキで空中に大きく星を描いて、その場で元気よくジャンプ! すると、しずかの魔力により招待状を生成して……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「えっ? なに?」
「いや、えっと、なんていうか、その……」
ツッコミどころ満載アイテムだけど、最新高級モデルを提供してくれるって言うのに「それ恥ずかしい」とか言えない……。
しかし、そのステッキを持ってそんな動作をするなんて御免である。
「できれば、なんですけど。別なのがいいかなぁ? なんて思ったりして」
「ステッキ型は気にいらなかった? トウの国では人気シリーズなんだけど……じゃあ、これはどう?」
フローラはまた呪文を唱えると胸の前で二回手を叩いた。すると、今度はとてもシンプルな長さ30センチほどの刺し棒のようなものが現れる。
よかった、ピンクでもなければ、ハートもついていないし、さっきよりもマシかも。
「ステッキ型魔法触媒は魔法効率がとってもいいんだけど、このマジカルシリーズは少し劣ってしまうの。そのため呪文と動作が少し複雑化されるわ」
「はい」
「使い方は、まずアイテムに魔力を流し込む。これはあなたの意識を集中するだけだからすぐにできると思うわ」
「うんうん」
よかった。まともなアイテムっぽいよ。
「使い方は、まず右手で持って胸の前で手を交差させ、魔力を流し込む……」
フローラが説明をしながらアイテムに魔力を流し込むと棒の先端からキラキラと光る細長い布のようなものが三メートルほどシュルリと伸びる。
「……!?」
「そして、任意の音声パスワードを口にしながら、左足から三歩前に進んでターンして左、右の順で二回ジャンプして反対側に跳ぶ。直地地点から八歩で円を描き、足元に魔法陣を描きながら、このリボンをらせん状に回し続けることで魔力を増幅……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
「えっ? 何?」
「どうしたの、しずか?」
説明を止めたしずかにフローラ及びねずみと猫が不思議そうな顔をする。
「しのん、私の言いたい事わかるわよね?」
しずかはしのんに助けを求めるように目を向けと、聡明な金色の目をした黒猫は悟ったように頷いた。
「ええ、もちろんわかるわ。あんなに動くとなると、足元に私がいたら邪魔になってしまうってことよね。大丈夫よ、あなたがあれをやる時にはちゃんと離れていてあげるから」
ちがーう! むしろあれをやる時に一人にしないで!
「えっと、フローラさん、あの……私思うんですけど……もっと動きがない方がいいっていうか……むしろ小さな動きはいくらあってもいいっていうか……」
「でもそうすると複雑な動作になるわよ」
「いいです! それ覚えますから!」
「地上人はやっぱり変わっていますねぇ。トウの国じゃあ、魔法に慣れたって、わざわざ詠唱動作しながら使う人間がいるっていうのに」
魔法のステッキ、魔法のリボンのあと、魔法のコンパクト、魔法のバトン、魔法のタンバリンと続いたあと、しずかのアイテムは本来一つで使う魔法のブレスレットを左右につけて使うという形におちついた。
「魔法発動の手続きは、ブレスレットを三回重ね合わせる、左上、右上、左上の順番。そのあと胸の前で手を三回叩く、最初の二回は手をずらし、入れ替えて二回、最後は手を合わせて普通にパンと打つ。最後に打って手を離す時に、音声パスワードを入力で魔法展開」
「な、なるほど……」
確かにかなり複雑になっているけど、大振りな動きもステップもない。
しずかは言われた動作を何度か練習する。
「ええ、いいわね。呑み込みが早いわ。リズミカルにしないと発動しなから注意してね。ちなみに初期パスワードは〈パピルナポムポムドリリアーナ〉よ」
「え……なんですか、その呪文」
「初期パスワードよ、間違っても普段言わないような意味にない言葉に設定されているの。もちろん変更可能よ、だけど最初はそれを言わなくてもいけないけどね」
「は、はい……」
しずかはフローラに習った動作をして胸の前で手を叩くと、顔を赤くしながら初期パスワードの謎の呪文を唱えた。
すると、ブレスレットが光、ホログラフィのように空中に映像が浮かび上がる。
「へえ、トウの国の技術は凄いわね。アシでは見たことのない手続き方法だわ」
「まあね、トウでも最近導入されたものよ。しずか、そこにあなたがこれから使うパスワードを、あなたの声で入れてくれる?」
「え、あ、えっとじゃあ……」
いきなり言われたので何と入れたらいいのかわからない。ただ恥ずかしくなければそれでいいのだが。しずかは少し考えた結果、しのんを見て決心した。
「うん、〈シエル・ノクターン〉にする」
しずかの言葉を認証すると、ホログラフィはブレスレットの中に納まった。
「これで認証完了よ。触媒による動作詠唱と音声パスで招待状を発行できるわ。試しに一枚作ってみてくれる?」
「はい」
しずかはフローラに言われるまま、動作詠唱を行い胸の前で手を叩くと少し控えに「シエル・ノクターン!」と声を発した。
……。
「あれ?」
何も起きない。
手を叩いた音としずかの声。期待を寄せるフローラとねずみと猫の視線が虚しくしずかい刺さるが、招待状らしきものは出てこない。
「動作もパスも合っていたけど、声が小さかったみたいね」
フローラは冷静に分析する。
「ええ? 声の大きさも関係あるんですか!?」
「ええ、パスは長くなればなるほど小声でよくて、短いと大きな声で発しなくてはならないわ。声に宿る力も使っているからね」
「しずか嬢のパスの長さなら、少し声を張り上げないと発動しないでしょうな」
「ええっ!?」
そんなただでさえ、恥ずかしい感じなのに、これを異世界の誰かの前でやらなくてはいけないなんて気が重い。
「言葉を長くすれば、声が小さくても済むんですか? さっきフローラさんはほとんど聞こえないくらいでやっていましたよね!?」
「ええ、ちなみに私はパスに千文字ほどのワードを使っているわ」
「千!?」
「一字でも間違うと発動しないから、長くするとしても初めうちは少しだけがいいわね。今話しているぐらいの声なら、あと十数文字でもなんとかなるわよ」
「十数文字も?」
「もしくは拗音を入れるといいわ。拗音は特殊な力を持っているの。例えば「チャ」とか「シャ」とか「リュ」みたいな文字ね」
じゃあ、できるだけ短く……えっと……
しずかは頭をフル回転させると、できるだけ恥ずかしくない短い言葉を探そうとしたが考えれば考えるほど変な言葉が浮かんできてしまう。
「じゃあ、〈キュア〉にしようかしら。キュア・シエル・ノクターン」
「キュア、フランス語で〈綺麗〉とか〈回復〉の意味ね」
しのんはすぐに察したのか「いいわね」と褒めてくれた。
「では、それにしましょう。詠唱手続きをもう一度し直して、パスワードはさっきのシエル・ノクターンでOKよ。少し叫ぶ感じでね」
「う、うん」
しずかは再び詠唱動作をしてからできるだけ大きな声で「シエル・ノクターン」と唱え、パスワードの「キュア・シエル・ノクターン」に変更した。これがしずかの専用の呪文になった。
「いいわ、さっそく招待状を作ってみて」
「うん……」
再び詠唱動作。今度は普通に会話しているくらいの声の大きさでパスワードを口にする。すると、両方のブレスレットが光の帯が現れ、それが一つに繋がり形になり、金色の招待状になった。
「で、できた! って、これ、なんかおかしくないですか?」
招待状には「エレメンティア〈http://ncode.syosetu.com/n5824df/〉よりエレメンティア行・滞在時間無期限」と書かれ、裏には簡単な招待状のルールと発行者であるしずかの名前が記されていた。
「エレメンティアよりエレメンティア行、滞在時間無期限って……」
「この招待状は、発行した場所の名前が書かれるの」
「なるほど、例えば双樹くんの来た世界でもし発行した場合には〈「竜人王国と純白の竜」〈http://ncode.syosetu.com/n9436dm/〉よりエレメンティア行〉という記載になるわけね」
「まあ、そんなところね。滞在時間はその世界に距離によって自動的に割り出されるわ。最大二十四時間で最小だと一瞬ってことも考えられるわね」
「一瞬?」
「あまりに遠いとそういうこともありえるってこと。あと、あなたが招待状を破棄しようとしないかぎりこの招待状は異世界とあなたを繋ぎ続けることになる。招待状が増えるほどに魔力の消耗も増えていくから気をつけて」
「どれくらい発行できるんですか?」
「私の推測では、三千枚ほどが限界だと思う」
「三千!?」
「ええ、だから余程の事がない限り魔力の枯渇は起きないと思うけどね。できるだけ多くの協力者、仲間になってくれそうな人たちを集めて来て。私が協力できるのはここまでだから」
「えっ、フローラさんは協力してくれるんじゃないんですか?」
「本当は、一緒に地龍に回廊を巡ってデータを取りたいんだけど、こっちもトラブルを抱えていてね。調整中の時空連結器に飛び込んだ猫のような小型の生物とそのあとに飛び込んだと見られる巨大な何かの行方を追わなくてはいけないの」
「そうなんですか……」
「そのかわり何かあれば連絡をちょうだい。すぐに対応できるようにしておくから」
そう言ってフローラは笑ってみせると、そのトラブル処理の行くと言ってカフェをあとにしたのだった。
しずかとしのんはルタンを新たな仲間にして再び地龍の回廊の前に立っていた。
「じゃあ、しずか嬢、オイラのあとに続いて回廊を落ちてくだせぇ」
「私たちも時をまたぐにはルタンの前を行くわけにはいかないの。私たちはルタンのあとに続くわよ」
「わ、わかった!」
こうして、エレメンティア時間12時32分。ルタンとしのん、そしてしずかは再び異世界に旅立っていったのだった。
3
気がつくと、しずかはどこかの森に立っていた。深い森は人の手が入っていないのか人工物が見当たらず、見た事もない花や木の実がなっていた。
しずかの手にはグウグウ寝ているルタンの姿。ルタンは時をまたぐと体力を消耗して眠ってしまうらしい。
「かなり深い森ね。長い間、人里からもかなり離れているみたい」
そよそよと森の奥から流れて来る風はひんやりとして心地いい。
「気持ちのいい風ね……」
「ええ、この風、水の匂いがするわ。それに……歌?」
「歌? 歌なんか聞こえる?」
「ええ、聞こえるわ。行ってみましょう」
しのんが耳をピクピク動かし前を先導していく。森の奥に進んでいくとそこには大きく美しい湖が広がっていた。
「すごい、キレイな所……って、ええ!? 」
湖のほとりには真っ黒な龍が半身を湖につけ、上半身だけを陸に出しながら寝そべっている。確かに聞こえる歌に合わせてゆっくりと頭を揺らしていた。
凄い……っていうか、真っ黒な龍……普通だったら絶対悪者パターンじゃない?
「歌はあの龍の方から聞こえてくるみたいね」
しのんは恐がる様子もなく龍の方に歩いていってしまう。。
ちょ、ちょっと、大丈夫かな? 双樹くんとはだいぶ違うよ? 黒いし、大きいし、水に浸かっているし……。
しずかがおそるおそる近づいていくと、今まで聞こえていた歌がピタリと止まり、大きな龍の顔がしずかの方にゆっくりと振り向いた。
「あっ……」
金色の目をした黒い竜とまともに目と目が合った。
「ふわぁ!」
「うええぇ!?」
黒い龍がいきなり声を上げたので、しずかは驚きのあまり尻もちをついてしまった。
ヌゥゥゥと龍の体が起き上がり、しずかはあっという間に龍の影に飲まれてしまった。
つ、潰される!?
そう思った瞬間、龍は叫んだ。
「わあ! お客さんだ! お客さん! ようこそ、名もない湖へ!」
……へっ?
黒い龍は目を細めるとしずかに頭をペコリ下げてお辞儀する。
「旅の方ですか? どうぞくつろいでいってください。喉は渇いていませんか? この湖の水は自由に飲んでいただいて構いませんよ」
龍は色や大きさのわりに可愛らしい声をしていた。
「あなたを歓迎します」
また別の穏やかな声が聞こえた。
よく見れば大きな黒い龍の頭には小さな黒い猫がちょこんと座り、龍がお辞儀するのに合わせてお辞儀しているではないか。
「ど、どうも……」
「さっきの歌はあなた? 素敵な歌ね」
しのんは一歩前に出ると、龍の上にいた黒猫に話しかけた。猫は龍の頭から降りて来るとまたペコリとお辞儀する。
「ありがとう、素敵な声の猫さん。この歌は僕の友達がよく歌っていた歌なんだ」
「そう、きっといいお友達なのね」
「うん、彼女の歌はみんなを夢中にしていたよ。あの山の向こうに住んでいるから、今は会えないけどね」
黒猫はその山の方に鼻を向けたので、しずかも思わず視線を向ける。その山はこの場所から見ても高く険しい山だった。猫があの山を越えてきたというのが信じられないくらいに。
「あなたは、あの山の向こうからやってきたの?」
「そうだよ。僕はずっと旅をして、ついこの間、ここにやって来たんだ。龍さんと友だちになるためにね」
「そう」
「ところで、君たちはどうしてここに?」
しずかとしのんは顔を見合わせる。
(協力者って……彼ら?)
(ええ、そうね。この黒い龍さんの大きさならギリギリ招待状で来ることができるし、何よりあの猫さん只者ではないかも)
(……?)
しずかはしのんに言われて初めて黒猫の特徴に気がついた。
えっ……?
あの猫さん、目が見えていない?
目が見えないのに、山を越えた? それにまるで、私たちのことが見えているような感じで話をしている?
「実は私たちはこことは違う別の世界からやってきたんだけど……」
龍の頭から降りて来た黒猫にしのんが事情を説明する。しずかはがその横で様子を見ていると、黒い龍はいそいそとどこかから果物をとって来てしずかの前に置いた。
「よかったらどうぞ。今の季節はこの赤い実が美味しんですよ」
「あ、ありがとう」
黒い龍が持ってきてくれたのは瑞々しい林檎だった。ニコニコと龍が薦めてくるので、しずかはそのままシャリとかじった。
甘さと酸味のバランスが絶妙だ。少々野性味の強い匂いがするが、新鮮な林檎にのどが潤った。
「どうですか?」
「あ、とってもおいしいです!」
「よかった口に合ったみたいで」
龍は嬉しそうに笑う。
なんか、私の龍のイメージとちょっと違う感じがする。いい龍さんなんだろうな。
「あの猫さんとは仲がいいんですね」
「猫さん? うん、猫さんの旅のお話とかとても面白いんですよ」
「そうなんだ」
「もちろん、旅の話だけでなく、猫さんがそばにいてくれるだけで寂しくないしね」
黒い龍は目を細める。
「ふうん、なるほど……なんだか、すごく困っているみたいだね」
「突拍子もない話で信用できないかしら?」
「いいや、そんなことはないよ。うん、君からは嘘をついた時の匂いがしない。言っていることは信じられないようなことだけど、たぶん本当のことだと思う」
黒猫に言われ、しのんは驚いたように自分の匂いを嗅いだが特別な匂いはしなかった。むしろこの森の匂いが鼻の奥に入って来て余計にわからなかった。
「龍さん、僕は彼らを助けになりたいと思うんだ。龍さんにもお願いできる?」
「困っているのだったら放っておけないよ。もちろん、僕にできることは何でもしたいんだけど……」
「だけど?」
しのんが首をかしげる。
「僕はここを離れるわけにはいかないんだ。離れるにしても、せいぜい半日の半分くらい。何日も離れることはできないんだよ」
「うん、それなら大丈夫よ。しずか、招待状を作りましょう」
「うん!」
しのんに言われ、しずかは食べかけていた二個目の林檎を置いて立ち上がり、「キュア・シエル・ノクターン!」と唱えると、ブレスレットから招待状を作られた。招待状には〈「猫の瞳」〈http://ncode.syosetu.com/n5397cj/〉よりエレメンティア行・滞在時間一時間〉と書かれている。どうやらここはエレメンティアからかなり離れた世界のようだ。
「この招待状が光ったら半分に切ってほしいの。半分は龍さんと猫さんで持って、半分はこの湖に置いておいてね。龍さんが困らないほどの時間で行って帰ってこられるから」
「へえ、不思議な感じだ。いきなり何かが現れた。じゃあ、僕らはこれを預からせてもらうよ」
「うん、これが光って千切ったら君たちのいう場所に行けるんだね」
「そういうことね」
「わあ、何だか面白そうだねぇ。行くときはこの赤い実をたくさん持っていくからね」
「う、うん」
しずかとしのんは龍と黒猫に別れを告げ、眠っていたルタンを起こして、一路エレメンティアを目指した。
「うまくいったんですね! さすが姐さん方」
回廊で先頭を行くルタンが言った。
「全く、相変わらずの燃費の悪さね。ずっと寝ているなんて」
「そうおっしゃらないでくださいよ。今回は連続で時をまたぐんですから、しっかり休養を取らないといけないでさぁ」
「ねえ、時をまたぐって言ってるけど、いつ、時をまたいでいるの?」
エレメンティアに帰って来ると、しのんは時計を指しながら「しずか、私たちが出発した時間を覚えている?」と尋ねた。
「確か、12時30分過ぎくらいよね」
「今は?」
「今? あれ? 12時32分!? ってことは2分しか経っていない?」
「正確には12時32分に出発しているのよ、つまり、エレメンティア側から見れば、私たちは地龍の回廊に入ってすぐに出てきたように見えているはず」
「つまり、時をまたいでいた、ということ?」
「ええ、そしてこれによって一日の内で何度も異世界に行くことができるってわけ」
「す、すごい能力じゃない!」
「そうでしょう? だから少しぐらい寝てしまっても勘弁してくださいよ」
しずかたちはその日のうちにいくつもの世界を渡った。
ある世界ではアイリスというお姫さまと侍女のマリアンナという二人に招待状を渡し、また別の世界では星の降る湖に行く途中だという月野さんという女性に招待状を渡した。
また別の世界に行った時には、やけにゆっくり話をする不思議な能力を持った日倉という女の子に渡すことができた。
招待状を配りながら、しずかは少し疑問に思った。
「シュウザーブと戦うことが一応の目的だけど、何だか戦う感じの人ってあんまり会っていない気がするけど、大丈夫かな?」
もちろんシュウザーブと戦いを避ける方がベストではあることには違いないし、しずかもそれを望んでいる。だが、フローラの話を聞く限り、そこにいくまでには多かれ少なかれ戦いは避けられないだろう。少なくとも、シュウザーブも覚悟がなければ危険な魔法生物を配下としないはずだから。
「しずか、戦いは兵士や戦士だけで行うものではないわ。作戦を立てる者、交渉をする者、武器を作る者、色々な要素が必要よ。全く戦力にならないような者がそれまで誰も見つけることができなかったことに着目したことによって戦況を変えてしまうこともある。どんな協力者であっても、全く役に立たないなんてことないわ」
「やっぱりしのん姐さんの言葉は重みがありますねぇ、さすがは紅蓮の……」
「その耳を食いちぎられたくなかったら余計なことは言わないことよ」
しのんにすごまれ、ルタンは慌てて口をつぐむ。
紅蓮の……なんなんだろう……?
そんな疑問を持った瞬間、ルタンがいきなり声を上げた。
「次の世界に出ます!」
ルタンの声がした瞬間、視界が開けた。
「う、うわあぁぁ!?」
運が悪いことに開いた異世界への扉は地上ではなかった。青い空、白い雲、すぐに下には青々と生い茂る背の高い木。温かい陽射しに、優しい風。回廊通過と同時に眠り始めるルタンを空中でキャッチしながら、しずかは泣きそうな顔でしのんを見た。
しのんは猫の特有の絶妙な身体能力ですでに空中で体勢を整え、着地の準備をしていた。
「あら、しずか、そのまま落ちると腰を打つわよ」
「いや、私、猫じゃな、へぶ……」
反論し終わらない内にしずかは生い茂る枝の中に突入した。しずかの落下の勢いは枝が犠牲になって緩やかになっていくがしずかの落下が止まることはない。
ど、どこかで引っかかってぇ!
願いも虚しく折れていく木々の枝に、しずかはダイエットを先延ばしにしていたことを後悔し、朝食を控えめにすればよかったと泣きそうになった。
「落ち着いて、魔法を使うのよ! 触媒を持っているんだから浮遊ぐらいイメージで行けるわ」
「そ、そんないきなり言われても!」
しのんの声は聞こえているが、落下の勢いと朝食でトーストではなくクロワッサンを選んでしまったことの後悔が今頃になって頭の中を占めていた。
ああ、三つも食べたから、二つにしておけば……
走馬灯のように展開される朝食の光景。朝の明かりと食堂から漂う香ばしいパンの香り。窓際のテーブルに白いお皿に乗ったサラダと紅茶、果物とヨーグルト、パンは五種類の中から好きに選んで食べ放題だった。
……食べ放題だったんだもん! だから三つも……。
その時はとなりにあったアップルパイに手を出さなかった自分に誇りを感じたが、今、その誇りは折れる枝と同じように次々に砕け散っていた。
「しずか!」
しのんの声が聞こえる。
もう地面!
「くっ!」
地面にクレーターができたらどうしよう! そう思い、覚悟を決めた時、しずかの体はふわと包み込まれ宙を舞った。
「えっ?」
「大丈夫? 困っていたみたいだからついつい手を出しちゃったよ」
しずかを抱き抱えていた彼女はそう言ってしずかを優しく地面に立たせた。
隣に並んでみるとしずかと年齢は同じくらいだが、しずかよりも少し身長が低く華奢に見える。腕も腰も細いが、独特のしなやかさがあり、抱えられるとまるでしっかりとした樹木に身をまかせているかのようだった。
小さな顔のわりに大きな瞳、黒髪の中からピョコンと猫耳が立っている。
「え、猫……?」
「人間がこの森にいるなんて珍しいな。私は山猫族の剣士ルシャラだ」
「わ、私は、東堂しずか……助けてくれてありがとうね」
「しずか大丈夫だった!?」
「あ、しのん! うん、平気だったよ、こちらのルシャラさんに助けてもらって」
「よかった。ありがとう、ルシャラさん。私はしのんよ。私からもお礼を言わせてもらうわ」
「も、もしかして、あなた、猫?」
「ええ、そうよ」
しのんの姿にルシャラは目を輝かせる。
「すごいすごい! 猫だ! 本物の猫をこの目で見ることできるなんて! うわぁ、カッコいいなぁ!」
猫が猫を見て感動している……。
しずかは不思議な気持ちになった。しずかだけではなく、しのんもルシャラの勢いに押されて戸惑っているようだ。
「ああ、せっかくだから、ローラにも教えてあげたいなぁ」
「ローラ?」
「ああ、白狼族の友だちなんだ。今日会う約束をしていてさ。そうだ、一緒に来てもらってもいいかな? 是非紹介させてよ」
「もちろんいいけど」
「うわぁ、本当! じゃあ、案内するね!」
「う、うん」
何だかすごく明るい子だな。
コロコロとよく表情が変わる。見ていて飽きない子だとしずかは思った。
一応腰に剣は下げているので、剣士だと言うのは本当だろう。ただ、助けてもらってはいるが全然強そうには見えない。
もしかしたら新米剣士なのかも。
道中ルシャラはしのんを見た興奮を説明してくれた。
彼女のいる獣人の国には多くの獣人が住んでいる。兎の獣人、熊の獣人、虎の獣人と言った具合だ。しかし、獣人の中には山猫族や砂猫族はいても猫族はいない。狼族はいても犬族はいないのだ。獣人の中で、猫と犬は伝説的なの存在なのだそうだ。
「あ、ローラ!」
案内をするルシャラがローラの姿を見つけると元気よくしっぽを立てながら大きく手を振った。
その約束の場所にはしずかよりも頭一つ分ほど身長の高い銀髪の少女が立っていた。野性的なルシャラは対照的に白を基調としてドレスのような服を着るローラには大きな狼耳と太くて立派な尻尾が生えている。服に隠れていない腕や足の太さはルシャラとは違いずいぶんと逞しい。
「ルシャラ、遅いじゃないか。って、そっちは人間?」
しずかの姿に露骨に警戒心を露わにするローラにすぐにルシャラが手を振って応える。
「彼女はしずかだよ、うんとね、いい人間みたい」
「なんだその紹介の仕方は……そもそもいい人間かどうかは……」
「それよりも! ほら、こちらしのんさん! 猫だぞ!」
「どうも」
ルシャラの紹介の仕方に、さすがにしのんも途惑いを隠せない。
「ね、猫? ええっ!? で、でも確かに、あの絵と同じだ」
「すごいでしょ? すごいでしょ? しのんさんカッコいでしょ?」
「ということは犬もいるのか?」
「いえ、犬はいないわ」
しのんが応える。その返答にがっくりと肩を落とすローラ。
「そっか、でも、こうして猫がいるってことは獣人の国を救った伝説も嘘じゃないのかもな」
「伝説?」
「そう、異界からやってきた小さな黒猫と大きな犬が獣人の国を助けたって言う伝説さ」
「私たちも異界から来たのよ」
「それ本当!? 詳しく話を聞かせてよ!」
しのんとしずかは山猫族の剣士ルシャラと白狼族の剣士ローラにエレメンティアの事情を話し、協力者を探しているという話をした。
二人の顔は先ほどの明るい表情からいつの間にか真剣な面持ちになっていた。
「なるほど、異界の国の危機か」
「……実はこの獣人の国でもついこの間まで内乱があってね。今は平和なんだけど、まだ混乱もしているんだ」
少し沈黙があったあと、ルシャラたちの方からしずかたちに協力を申し出てくれた。
「でも今、大変な時なのに、いいの?」
「うん、しのんさんみたいな猫がいるってことは、昔、獣人の国を異界の猫と犬に助けてもらっているはずなんだ。だから恩返しもしたいしね」
「義理堅いのね」
「それに違う世界ってのも興味があるし。しずかの着ている服とか、変わってるし、可愛いもんな」
しずかは自分が着ている学校の制服を褒められ複雑な気持ちになった。
「しずか、二人に招待状を出しましょう」
「うん」
しずかは慣れた様子で詠唱動作をすると「キュア・シエル・ノクターン」と唱えた。それに呼応してブレスレットから招待状が作られる。
「おお!」
「なんだ、それ? すごい! キュア、なんとかで、紙がピュンって!」
どうやらしずかの招待状を作る光景がルシャラとローラにはツボだったらしく、二人は目を輝かせた。
「もしよかったら、これが光った時に半分に切ってくれる?」
「ああ、もちろんだ。必ず行くよ」
こうして獣人の国でも招待状を預け、再会を約束して、しずかたちはエレメンティアへと帰っていったのだった。
つづく。