常識の齟齬2
夕食後、お茶を飲みつつ雑談をしていたら、突然公爵夫人がこう言ってくる。
「リョウマ君、これからどうするか、決めているの?」
「……正直、迷っています。このままか……何処かに移り住むか……」
研究も一段落というか、あの部屋を埋め尽くすようなスライムを見て頭が冷えたし、こうして人と会うと気になる事もある。調味料とか食料品が欲しくなってきた。
……だからもうそろそろこの世界を見て回ってもいいかと思う。でも、何て言えば良いんだろうか? 設定的に人嫌いで引きこもっている子供が外の世界を見て回りたい! なんて不自然だしな……よし、ここはやはり万能の言い訳、祖父母を使おう。
「……祖父母には……街で幸せに暮らせ、言われました……今の生活に不満、無いです。でも祖父母は……僕が……ここで生活する事……望んでないかもしれないと、考え始めました……」
「リョウマ君……」
部屋の空気がしんみりして、目をつぶって何かを考えたラインバッハ様がこう言った。
「ならば……儂らと共に森を出ないか?」
「え?」
え、何を言ってるんだこの人? 今日が初対面だぞ?
「これでも我が家は公爵家、君一人の衣食住を賄う事は容易い。それにのぅ、儂は君のような優秀な従魔術師が森の奥に籠っているのが勿体無いとも思うのじゃ。街は嫌かもしれんが、少しだけ、森の外に出てみんか?」
……まさかそんな誘いをしてくるとは思わなかった。周りの人も文句は無さそうに『良いよ』って視線を向けてくるし……皆、良い人過ぎて心が痛む……
「儂らは明日からふた月ほどギムルという街に行き、そして帰ってくる。ここに帰ってくる事は出来るから、この旅に、君も同行してみないかね?」
「旅……」
俺はこの世界じゃ世間知らずだからな……基礎的な知識を神様から貰っても、実際に見たわけじゃないし、実際スライムの事が外ではどうなのかを知らなかった。きっと似たような事はまだあるだろう。
……この人達はいい人そうだし、1人よりは安心か? それに、ここで行かなきゃズルズルとあともう2,3ヶ月は引き籠もりを続けるだろうな……
「そう、ですね。迷惑をかけると思いますが……同行させて頂いて……宜しいですか?」
「そうか! 来てくれるか!」
「僕自身……森の外に出る事……考え始めていましたから……」
「そうかそうか。旅の支度をせねばな。明日の昼まで出立は延ばそう。それまでに用意できるかの?」
「朝までで大丈夫です。アイテムボックスを使えば……全部持っていけます」
「あら、その年でアイテムボックスを使えるの? 凄いわね」
そうなのか? アイテムボックスは使える人も多いって聞いていたけど?
「祖母から、便利だと言われて、覚えました。使える人は多いと……聞きました」
「いやいや、初級魔法とはいえ上位属性の魔法だよ? 確かにアイテムボックスを使える人は結構多いけど、君の年で使えるのは十分凄いよ」
これもか……微妙に情報が抜けてるのか? それとも年齢を加味した情報じゃないのか? これは迂闊な事をすると不味いかもな……やっぱり俺は運が良かったかもしれない、常識の補足をしてくれる人ができて良かった……
「リョウマ様には従魔術以外の魔法の才もお有りのようですな。将来が楽しみでございます」
「本当ね、従魔術以外も、勉強したければ言ってちょうだいね? 教えてあげるから」
「リョウマさんと一緒にお勉強するのも、楽しそうですわね」
「ありがとうございます」
俺が礼を言って片付けに入ると、お嬢様やメイドさん達も手伝いを申し出てくれたので一番面倒な部屋を先に片付ける事にする。
「うぉっ、なんでぇこの部屋」
「武器や防具がいっぱいありますわね」
「これは持っていく物を選ぶにも苦労しそうですね……」
「奥にあるのは毛皮ですかい?」
「あの角のゴミのような袋は何だ?」
連れて来たのは物置に使っている部屋。ここには盗賊の持ち物など、3年間で集めた物を纏めて置いてある。武器や防具は時々手入れをするのである程度纏められているが、その他の物はほとんど重ねてあるだけだ。
「全部、アイテムボックス。片っ端から、入れていきます。角の袋は盗賊の持ち物」
「中身は?」
「さぁ……」
「さぁってお前、確かめてないのか? 盗賊を倒して戦利品を確かめないなんて、命がけでただ働きしてるようなものだぞ?」
「あまり興味が無かった」
ヒューズさんの言葉には一言で答えたが、理由はいくつかある。まず大抵の盗賊の持ち物はなんか汚れて臭く、大した物はあまり入ってない事。酷い時は腐った食べ物やゴミにしか見えない物ばかりの時もある。いくらかは入ってたお金も街に行かなきゃ無用の長物で……つまり手間に対して得るものがないので面倒になり、いつからかスライム達に綺麗にして貰った後はろくに確認せず物置に放り込むようになっていた。
「でしたら先に中身を検めた方が良いのでは?」
「確かに中身がゴミなら捨てていく方がいい。手分けをして収納と分別を同時に行うのはどうだ?」
アローネさんの提案とジルさんの問いかけに了解を示し、お嬢様とメイドさん2人に盗賊の荷物の分別を任せる。俺が分別に回ると作業が同時に進まないからな。
こうして片っ端から黒い穴に荷物を放り込む作業を進めたのだが、途中で話を聞いてみると一部の武器と防具、それから毛皮は売れば意外と良い値がつきそうだとのこと。さらに予想外だったのは、盗賊の荷物からこの国で使われている高額貨幣である中金貨が40枚入った袋が発見された事。中金貨40枚は知識の中ではかなりの大金なので、街に行くと決めた身にはありがたい。
ただ……スライムの件をふまえると知識の正確性が気がかりだ。念のため今度物価なんかを教えてもらった方がいいな。
そんな事を考えながら作業を続けて物置の整理を終えた後は、クリーナースライムとスカベンジャースライムを呼んで最後の仕上げを頼む。そして綺麗になった部屋の幾つかは公爵家や護衛の人達に休める部屋として提供して休んでもらう。
「いいの? まだ何かあるなら手伝うよ?」
「いえ、後、一人で良いです。食材と薬の材料だけなので」
「薬か、それは素人が下手に触るべきじゃないね。分かった、じゃあまた何か有ったら呼んでよ」
「ありがとうございます、カミルさん」
「いいっていいって。こっちこそ部屋をありがとね。壁があって休める部屋があるだけでも本当にありがたいよ」
俺はそう口々に礼を言ってから寝る用意を始めた皆さんと別れる。
さて、後はこの世界に来た時に3神から貰った基本的な物だけだし、他には……そうだ、スライムは連れて行けるんだよな? 置いていく訳には行かない。聞いておこう。今ならまだ起きているはず。
「ラインハルトさん、ラインバッハ様」
「どうしたんじゃ? リョウマ君」
「旅にスライム……連れて行っても宜しいのですか? ……全部でスライム17匹分になります」
「勿論じゃ。従魔術師が従魔を連れる事に何の問題もない」
「馬車に余裕はあるし、スペースは取れるよ」
そうか、良かった
「ありがとうございます」
俺がそう言うと笑顔で『いいんだよ』と言ってくれた。本当に良い人たちだ。日本で同じような状況を考えたとしたら、ヒッチハイクしてた奴に乗って良いと言ったら17匹のペットも乗せてくれと言われたような物だろうに……うん、俺なら絶対乗せない。1匹2匹ならともかく17匹は多すぎるわ。そもそも免許持ってなかったけど。
公爵家の方々にも感謝が尽きんな……そうだ、一応しばらく出かけるんだから挨拶しておくか。
そう思い立った俺は家の最奥部に作った修行部屋へ向かう。そこは単に広いだけの部屋だが、入って正面の壁に掘ったくぼみに神様達の像が置いてある。
この世界の宗教では偶像崇拝が禁止されておらず、神様の像を自作するのも罪ではない。一部の地域ではむしろ推奨されている所もあるそうで、敬虔な信徒には教会で買える小さな像をお手本として祈りながら毎日少しずつ製作する人もいるらしい。
だから俺も土魔法の練習がてら、神様達への感謝を込めて作った像を神棚的な感覚で訓練場に置いてよく日々の報告をしている。誰か来ても見られないように入口を土魔法で塞いで、と……よし。
石像の前で座禅を組み、数分間瞑想をしてから目を開け、言葉を出す。
「今日も1日無事に終わりそうだ。……神様だから知ってると思うが、今日来た客と一緒にちょっと出かけてくる。目的地はギムルって街らしい。……ようやくこの世界に来て初めての旅だ、これで教会に行くって約束が守れるな。
ただ、いつ帰れるか分からないからとりあえず荷物は全部持っていく……もし、ここに戻らないようなら……また新しい場所で像を作るよ。じゃあ、またな」
そう言い終わってから俺は立ち上がり、入口を開けて訓練場を後にした。というか、俺が普通に話せないのって人間相手なんだな……まぁ、神様の像相手にも話せなかったらこの前まで気づかないわけないか……緊張しているのかね?
まぁいいか……さて、これでやるべき事は終わったし、後はスライムと出かけるだけか。俺も寝よう。
こうして俺は寝室のベッドへ潜り込んだが――
街はどんな所だろうな……
まだ見ぬ街に思いを馳せたせいか、普段より少々寝付きにくかった。