街に戻って
翌朝
俺は実験場の視察を終えて、ギムルに戻ってきた。草原に立って左には慣れ親しんだ街、右には建設が大分進んだ新たな街。その間を行き来する人の動きを眺めていると、帰ってきたという実感が湧く。
……おっと、いつまでもこうしてはいられない。
「お待たせしました~、到着でーす」
「ほんの数分だろ。待っていた内に入らねぇよ」
「空間魔法ってやっぱり便利ですよね。私も覚えられればいいんですけど」
セバスさんとローゼンベルグ様は公爵家に向かうために実験場で別れたので、今回は俺が他の皆さんを空間魔法で連れてきた。人数が多かったので、一度ディメンションホームに入ってもらったので、気分は送迎バスの運転手さんだ。
「そういえば、中で問題はありませんでしたか? 従魔達もいましたが」
「特になにもなかったよ。そもそもそんなに長時間いたわけじゃないけど、オーナーさんの従魔は大人しいからね」
「そうにゃ。あと、樹海の魔獣の子が可愛かったにゃ」
「ああ、あの子は人懐っこかったねぇ」
ミーヤさんたちが言っているあの子とは、シュルス大樹海で保護したキャノンボールライノスの子供、リノのこと。
あの子は俺が樹海から帰ってくる際、ディメンションホームに入れて連れ帰ってきていたのだけれど、ギムルのテイマーギルドで支部長を務めるテイラーさんに飼育方法を相談したところ、
『申し訳ないが、キャノンボールライノスに関する情報はほとんどないんだ。基本的に樹海の奥から出てこない魔獣だから、生きたまま捕獲をして樹海の外まで連れてくるのがそもそも困難だからね……迷い出た個体が過去にいなかったわけではないから、ゼロとまではいかないけれど、詳しいことは僕も調べてみないと分からない。
だからひとまず今言えることは“まずディメンションホームの中で環境に慣れさせる”のが良いと思うよ。急な環境の変化は人にとっても、魔獣にとっても不安を感じさせやすく、不調の原因になるからね。
外に出してあげたり、いろいろなところに連れて行ったりしてあげたいと思うかもしれないけど、それは君がこの子を移動させるために使うディメンションホームを“安全な場所だ”としっかり認識してからにすることを薦めるよ』
……というありがたいアドバイスをいただいたので、気分転換や必要最小限の用事を除いて、ディメンションホームの中で過ごしてもらっていた。
思い返すと、これまで俺が契約してきた魔獣は環境適応力が高いスライム、渡り鳥の性質を持つリムールバード、どんな環境でもしぶとく生き延びるゴブリンと、環境の変化に強い魔獣が多い。時間をかけて適応を待つという、忘れかけていた必要性に気づかされた。
以前、クレバーチキンと契約した時は多少考えた気もするけど……あいつら冬は寒い! 夏は暑い! と不満があればガンガン文句を言って改善を要求してきたからな……
最終的に気温が一定なディメンションホームの中が一番快適だと判断したらしく、今では日がな一日専用スペースで食うか寝るか、優雅にボードゲームに興じる引きこもり生活を送っている。あれはあれで図太いというか、ある意味で適応力が高い……今度、またコハクを労わっておこう。
それはともかくとして、
「初対面のミーヤさん達にも物怖じしないなら、少しずつ外に出してもいいタイミングかもしれませんね」
「走ろうと思えば走り回れなくはにゃいだろうけど他の魔獣もいるから、あの子の元気さを考えるとちょっと狭い気がするから、それがいいと思うにゃ」
「テイマーギルドとも相談しながら試してみます」
「んじゃ、そろそろ行こうぜ。こんなところで立ち話していても仕方ねぇだろ」
言いながら、既にギムルの門に向かって歩き始めているジェフさんを追って、俺達も街に向かう。街に入ってからはまず冒険者ギルドに向かい、皆さんの護衛依頼の達成報告を済ませた後は、そのまま解散ということになった。
そしてギルド前に残ったのは、俺、ユーダムさん、エレオノーラさんの3人。
「さて、これからどうする? 街に戻ってからの事は、特に何も決めてなかったけど」
「差し支えなければ、カルム様に帰還報告と業務引き継ぎの続きをお願いしたいのですが、それはあちらの都合もありますから……タケバヤシ様はどうされますか?」
「急ぎの用事がなければ、樹海に行くための準備をしようかと考えています。コルミを1人にする期間はなるべく短くしてあげたいですし、空間魔法で楽に行き来ができるようになったとはいえ、事前準備は必要ですからね。
尤も、保存食や虫除けの補充はゴブリン達に手伝ってもらうので、一日ゆっくり休んでもらって明日から。今日のところは僕も休みにして、散歩がてら今回のお線香やミサンガの製造を引き受けてくれそうな人のところを回ってみようかな~と考えています」
そう答えると、当たり前のようにエレオノーラさんが同行を申し出て、ユーダムさんも後に続く。断る理由も特になかったので、2人を伴ってのんびり街を歩くことにした。まず向かうのは、スラム街の近くにある路地だ。
「確かこのあたりに……あ、いました」
「おやおや? 旦那じゃないですかい。美男美女を連れてこんなところまで、何か御用で?」
路地の日陰に座り込んでいた人影を見つけたと同時に、向こうも俺達に気づいたようだ。胡散臭い笑顔を浮かべて声をかけてきた。相変わらず体に襤褸を纏った小柄な男性。昨年末から時々付き合いのある、鼠人族の情報屋さんだ。
「エレオノーラさんは初対面ですし、ユーダムさんにもちゃんと紹介はしていませんでしたね? この方はギムルの街の事に詳しくて、顔の広い方です。色々と相談に乗ってくれますよ」
「色んなところでお恵みを貰ってるってだけですが、俺の知る限りでお教えしますぜ? 旦那の紹介もありますし、お嫌でなければ声をかけてくだせぇ。この辺にいなけりゃ、この辺の連中を捕まえて“ボロネズミを探している”と言えば伝わりますんで」
「承知しました、私はエレオノーラと申します」
「僕はユーダムです。以後よろしく」
簡単な紹介をした後は率直に、線香とそれを作る人手を雇おうと考えていることを説明。すると、彼はあっさりと1つの案を出してきた。
「そういうことであれば、煙突掃除人に声をかけるってのはいかがですかい?」
「煙突掃除人?」
「ええ、旦那が気にしているのは作業をする連中の健康でしょう? そのためにすり潰した細かい木の粉を吸わないように注意して仕事ができる奴が欲しい。ついでに粉から線香を作らせる子供の面倒が見られるなら、なお助かる。
まず煙突掃除をやってる連中の間じゃ“灰や煤を吸うと病気になる”ってのは常識ですし、吸わないように注意して仕事をするのが当たり前になってるんで、旦那の懸念は理解しやすいと思いやす。
そんでもって、連中は仕事の都合上、狭いところに入れる子供の手があると助かるってんで、子供に手伝わせながら仕事を教えてやってる奴も多い。だから子供の面倒にも慣れている奴が多いですぜ。
あとは連中の仕事は基本的に春から秋の間。暖炉を使う冬場は仕事がほとんどなくなっちまうんで、だから冬場なら特に働きたがる奴は多く集まると思いやす」
「丁度良い人材に聞こえますが、どうでしょう?」
「我々が求める条件には合っていますね」
「能力面が十分なら、あとは実際に個人と面接をして、その結果次第かな」
2人も文句ないようなので、まずはギムルで煙突掃除をしている方々に打診してみる事にしよう。
「即決ですかい? だったら俺が、声をかけて回っときましょうか?」
「あー……僕はまたしばらく樹海に行って留守にしますし、仕事をしてもらう場所の用意とか準備もあるので“僕がそういう計画をしている”という感じで、軽く伝えておいていただけますか? 本格的に募集をかけるのはまた別の機会にということで」
「分かりやした。旦那の気前の良さは皆に知れ渡っているんでね。旦那が声をかければいつでも人は集まると思いやすぜ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですね。
それじゃ……これは今回のお礼です。余りもので申し訳ないですが、足りますか?」
アイテムボックスから白酒を詰めた一升瓶を2本、今朝の朝食のパンの残りと一緒に取り出して手渡す。相談に連絡もお願いするので、もっと多く渡した方がいいかと思ったが、男性は顔をほころばせた。
「ありがてぇ、こんだけ貰えりゃ十分でさぁ」
「よかった。またよろしくお願いします」
「こっちこそ、これからも御贔屓に」
男性は仕事を任せて報酬を支払うと、すぐに路地の奥へ消えていく。必要以上の会話を長々と続けないのも、情報屋らしいといえばらしいのかもしれない。
「さて、これでひとまず線香については一歩前進しました」
「他に呪術の道具として作りたいのは、縄とミサンガだったね。そっちはまた別の心当たりがあるのかい?」
「縄については、ジェフさんから“スラムの子供達向けの依頼ではない”と聞いていたので、奴隷を探そうかと思っています。以前、モールトン奴隷商会では奴隷を一時的に、購入と比較して安価で借りることも可能だと聞いたので、農村出身の人がいれば一番かと。
ただそっちは先方の都合もありますから、今度樹海から帰ってきた後にします」
「かしこまりました。後ほど先触れの手紙を用意いたします」
エレオノーラさんはこちらが仕事を指示せずとも、自分で仕事を見つけて進めてくれる。しかも余計なことをするわけではない、本物の有能だなぁ……
「よろしくお願いします。残るミサンガですが、こっちは教会に併設されている孤児院の子供達に頼もうかと。あちらでも年長の子は、自分達で作った小物を売っていたりするみたいですし、ミサンガなら幼い子供でも作れると思いますから。
現段階ではそこまで大量に必要な物でもないですから、子供たちの負担にならない範囲で作ってもらえればいいかなと。もし足りないようなら、スラムの子供達にも依頼すればいいですしね」
まずここに来たのも、訪ねるなら朝の忙しい時間帯を避けた方が迷惑でないと思ったからだったりする。そろそろ教会も一段落した頃だと思うので、次は教会に行ってみよう。
こうして教会に向かい、手の空いていたシスターのベルさんに話を持ちかけたところ、なんと二つ返事で了承された。
「皆様からの寄付で助けていただいていますので、ありがたいことに我々は大きな支障なく子供達を養うことができています。
しかし、彼らはいずれここを出る日が来る。その時に僅かでも子供達自身が稼いだお金があれば……新しい生活を始めるための資金があるのとないのとでは、その後の苦労と不安が違うでしょう」
寄付金の用途は厳密に定められており、孤児院を出る子供達に支度金を与えることはできない。だから子供達は在籍中に寄付で養ってもらいながら、小物を作って将来に向けての備えをする。卒業間近には仕事も探し、自分で貯めたお金を持って独り立ちをするのだそうだ。
そのような事情があるため、ある程度信頼のおける取引先で、難しいわけでも危険が伴う仕事というわけでもない俺の提案は、子供達に心から愛を注ぐ1人の人間として本当にありがたい話だったようで、ベルさんはしきりに頭を下げていた。
その後は子供達が作ったミサンガをいくらで買い取るか? という話になったが、そこでは交渉や調整が得意なユーダムさんが活躍してくれたので、互いに納得のできる金額に落ち着いたと思う。
「ユーダムさんがいてくれて助かりました」
「私も、ヴェルドゥーレ様の交渉術には脱帽です」
「今回は契約締結が前提で話が進んでいたし、揉める要素がほとんどなかったからだよ。精々、ミサンガを呪具にすると売値が跳ね上がる事を知っているオーナーさんは、あまり安い値段で買い叩いて子供達から搾取するような真似はしたくない。でもベルさんは、簡単に稼ぎ過ぎてしまうと子供達の教育に良くないと考えた。
齟齬とも言えないくらい些細な事だったじゃない」
「だとしても、ですよ。僕がかつて交渉の場で、どれだけ修羅場を見てきたことか……殺人事件に発展しなかったのが奇跡です」
「何それ、一体どんな交渉があったのさ」
「フフフ……それよりそろそろお昼ですし、どこかで軽く食べましょうか」
「露骨に話を変えたね。まぁいいけど。そういえば洗濯屋さんの常連さんに聞いたんだけど、ここから少し行った所に新しくできたお店があるらしいよ。値段はちょっと高めだけど美味しいって評判だけど、行ってみる?」
「いいですね!」
「お供します」
こうして俺達は気の向くままに、街の中心部へと足を向けるのだった。




