エレオノーラの未練(後編)
本日、3話同時投稿。
この話は3話目です。
エレオノーラさんが気を取り直すのは、思いのほか早かった。
「もう大丈夫です。失礼しました」
「失礼だなんて、実家に戻った時にはと言っていましたし、結婚して家を出るまでのご家族は、そんな感じではなかったのでしょう?」
「ええ……”王は上位の貴族に範を示し、上位の貴族は我々のような下位の貴族に範を示す。我々は民に範を示さねばならない”、“貴族は民のために生きる者。そのためには自ら恥をかき、耐えるべき時もある”……どちらも父が口癖のように私達に言い聞かせていた言葉です。貴族として、人として正しく生きよ、と。
かつての父はその言葉の通り、苦境の中でも誠実に問題と向き合い、少しでも状況を改善すべく奮闘していました。兄たちもそんな父の下でひたむきに、将来の領主とその補佐としての研鑽を積んで……信頼できる領主であり、家族でした」
だと思った。だってエレオノーラさんの口ぶりが、ずっと“信じていた人に裏切られた”って感じだったんだもの。久しぶりに会った家族の様子がそんなに変わっていたら、動揺して当たり前だろう。
さらに話を聞くと、そんな人たちだからこそエレオノーラさんも家族の力になるべく、学べること、得意なことは片っ端から身につけようとしていた。宮廷魔導士を目指していたのも、その一環だったそうだ。
「宮廷魔導士は単なる魔法の専門家というだけでなく、王に仕える身分でもありますから、その権威は貴族社会でも大きな影響力があります。一般の魔法使いとは桁違いの高給を得られますし、運よく大きな手柄を立てることができれば、国王陛下から報奨を賜ることができます。
また、実績に関係なく宮廷魔導士はその地位にいるというだけで、優秀な血を取り込みたいと考える貴族家からの縁談が舞い込みます。その中に4家よりも上位の家との縁談があれば……いえ、支配に抵抗できるだけの力を持つ家であれば、誰でもよかった。
ランソール男爵家に生まれた者として、私は家と領地のために全てを捧げる覚悟で、脇目もふらずに学び続けていました」
ここで、凛としていた彼女の声が若干だが弱弱しくなった。
優秀な成績を残した彼女は“力を求めるあまりに視野が狭くなっていた”と自嘲気味に語る。
彼女が宮廷魔導士になることでそれだけの可能性が生まれるということは、4家にとってそれだけ不都合であるということを、老獪で悪辣な領主達が理解できないわけがない。
推薦を手にして間もなく実家に圧力がかけられ、結婚という名目で宮廷魔導士になる道を絶たれると同時に、卒業後は実家に対する人質にもなってしまった。
「ですが私は、領地と民のためなら家族に見捨てられたとしても本望。父と兄達も理解して、抗い続けてくれるものだと信じていました。それを裏切られた気がしているのでしょうね……残される側の心境を思えば、私に家族を責める資格はないのかもしれないというのに」
無力感と共に彼女は全ての言葉を吐き出したようだ。何を話すか考えているのか、あるいは俺の反応を待っているのか、どちらにしても会話が止まる。
……当然だけど、エレオノーラさんのご家族の考えなんて部外者の俺に分かるはずもない。仮に分かったとしても、これはエレオノーラさんの心の問題でもある。正確にご家族の気持ちを代弁できたとしても、それで彼女が納得できるとは限らない。
「……エレオノーラさん、この問題に関して、僕は何とも言えません。言われた方の気持ちを考慮しない一般論や正論っぽい、上っ面だけの言葉ならいくらでも言えますが、そんなの言われても鬱陶しいだけで役に立たないでしょう」
「? そう、ですね」
「ですが、エレオノーラさんは僕の部下であり、既によく見知った人。なるべく力になりたいと僕は思います。そこで、僕ができそうな範囲での協力案をいくつか提示しておくことにします。方向性は大きく分けて、“現状維持”か“逃げる”か“戦う”かになると思います。
現状維持は言葉通り、今のままの状態を続けること。僕としては別にエレオノーラさんを急かすつもりもありませんし、追い出そうとも思いません。だから今後のことを決められるまでは好きなだけ、遠慮なくギムルに滞在して僕に力を貸してください」
そして、いつの日か何かを決める時、行動に変化を起こす時の話。
“逃げる”といっても色々だ。必ずしも逃げることが悪いというわけではない。もし彼女が実家のことは忘れて、関係のないものとして生きていくことを決めたのならば、俺はそれを応援する。
そのまま俺の下で働いてくれるなら雇用を続けるし、どこか別のところで働きたいのなら辞表は受理する。公爵家とどんな契約をしているかは知らないけれど、その場合は俺からもできる限りの口添えをしよう。
もし昔の俺のように、人のいない場所に行きたくなったのであれば、樹海でコルミと生活してもらうのも1つの手かもしれない。コルミの中だけなら樹海でも安全だし、俺の呪術がいつ成功するかは分からないので、術の完成まで話し相手になってくれれば助かる。
もっと徹底的に存在を消したいのであれば、亡くなったことにもできなくはない。ミミックスライムにエレオノーラさんの髪を食べさせれば姿を完全に模倣してくれる。あとは核だけ抜けば、死体の偽装ができてしまう。悪用ではあるだろうけど、不可能ではない。
「っと、時間をかけて計画を練れば他にも色々やり方はあると思いますが、ひとまず逃げる方針はこんなところで。
次の戦うという選択肢は……これもエレオノーラさんの判断によって、ご実家か領地の犯罪組織か、あるいは両方ということも考えられますが。どうにかするために動く、方法を探すということになりますね。
個人的には犯罪組織の方が、僕としては対処しやすそうではあります」
「タケバヤシ様、それは危険です。後ろ盾があった頃のような権力や財力はありませんが、暴力に関してはいまだ健在。他の選択肢もない以上、あちらは報復として命を狙ってくるでしょう。それを厭うような輩ではありません」
普段冷静なエレオノーラさんが、俺の話に割り込むほど少し慌てた様子で反対した。それも当然だろう。簡単に潰せるような相手なら、きっと過去のご実家や帰宅後のエレオノーラさんが捨て身で対処していただろうし、厄介な相手だということは理解している。
だけど、
「エレオノーラさん、一般的に、暴力に訴えるのは褒められたことではないでしょう」
「? はい。急にどうされたのですか」
「前提として、自分や家族、何かを守るために力は必要です。ですから力による解決の一切合切を否定するわけではありません。
ですが、むやみやたらと力に訴えれば、問題は解決したとしても遺恨が生まれやすい。事が大きくなればなるほど消耗も犠牲も増えますし、他者から理解を得ようとするためなら逆効果ですらある。問題解決の手法としては、最終手段だと思っています。
できることならなるべく穏便に、交渉による和解で済ませたいところですが……僕はその最終手段が最も得意なのです」
こんな話を他人にするのは初めてで、前置きが長くなってしまった。でも本当に、心の底から不本意だけど、暴力に訴えてくる相手ならむしろ好都合。そうしてくれるならどんなに楽だろうかと思えてしまうのだから、我ながら呆れる。
「威張れるようなことではありませんから、ここまで言葉にしたのは初めてですが、それは置いておくとして……その犯罪組織というのは、元騎士団長のシーバー・ガルダックさんや元宮廷魔導士のレミリー・クレミスさん、もしくはSランクの冒険者であるグレンさん並の実力者を抱えていたりするのですか?」
「……いいえ、それはまずないでしょう。そこまでの実力者が1人でもいれば、その時点でその者がいる組織の一強になりますから、4つの組織が牽制しあい拮抗するような状態にはなっていません。
4つの組織にそれぞれ元騎士団長並みの実力者がいる可能性は、さらに低くなります。組織の上層部にそれなりの強者が、それなりに多く、雑兵はさらに多く、という感じでしょうか。調査ができたわけではないので、街の様子から把握できる動向からの推測ですが」
「それならやっぱり、与しやすそうだと思ってしまいますね……例えばどこか適当な組織の人間を1人か2人、殺さなくてもいいのでそれなりの怪我を負わせた場合、組織は何の反応もしませんか?」
「ありえません。あのような輩の相手は軍人時代に何度もしていますが、報復をしなければ組織としての面目が潰れる、と考えるかと」
「では、犯人が敵対する組織の人間であったとすれば?」
「それは当然――」
ここで彼女はハッとして、俺をまじまじと見る。
「ミミックスライムの擬態は一度拝見しましたが、予備知識なく初見で見抜くことはできないでしょう。それを敵対組織の人間に擬態させ、犯人として目撃させれば組織同士の抗争を引き起こす工作ができそうですね」
「はい。しかし、これはあくまでも一例です。僕はそちらの組織の詳細も知りませんし、小細工一つで全部解決するほどたやすく解決できる相手ではないでしょう。それならそれでまた別の工作をすればいい。学び始めたばかりですが、おそらく呪術も使えるでしょう」
戦闘に使う呪術として、パッと思いついたのは“心臓震盪”。胸部に衝撃を受けることで心室細動という不整脈が起こり、心臓が細かく痙攣して血液を全身に送れなくなる。つまり心臓が停止することで、これはボールが胸に当たった程度の衝撃でも発症する可能性がある。
厳密には、衝撃を受ける角度や心臓の収縮のタイミングも関係しているそうなので、普通なら狙って引き起こすことは難しいはずだ。だが、そこに呪いを織り交ぜればどうなるか?
俺の得意とする白兵戦、格闘術を絡めて、相手の胸を殴ることを発動条件(儀式)とすれば、衝撃と合わせて心臓を止める呪術が生み出せるのでは? 同じ要領で考えると“脳震盪”や“内臓破裂”もできそう。呪術を用いれば発症のタイミングまで操れるかもしれない。
他にも、たとえば相手が甲冑を着ていた場合。骨がもろくなる“骨粗鬆症”をイメージできれば、打撃の瞬間に骨の強度を落とせるかもしれない。そうなれば武器で打ち込んだ際の衝撃で戦闘不能に落とす事ができる可能性もある。
ローゼンベルグ様が呪術を教えてくれたのは、戦闘のためではないと理解している。しかし、戦闘技術に呪術を組み合わせれば……それが完成すれば、恐ろしいほどの効果を発揮するだろう。
「戦闘技術と組み合わせなくても、呪術単体で使うなら“不幸の手紙”――いや、これはダメか……影響を及ぼす範囲がどんどん拡大するかもしれないし、下手をしたら犯罪組織だけじゃなくて領地全体が、いや最悪国が滅びるかも」
「なんて物騒なっ!? ……失礼しました、そんなことが可能なのですか?」
「おそらく? 試してみないと分かりませんが、軽々しく試すわけにも行きませんから、詳細も語らず封印しておきますけど……感覚を言語化すると、できる気がするというより、できない気がしない、と言った方が正確かもしれません。僕はよっぽど呪術に向いているのでしょう」
たった1週間で理解したとは言えないけれど、呪術って連想ゲームみたいなんだよな……他の魔法と比べて暴走のリスクが高いけど、目的に関連するものを連想できれば勝利。負の感情で魔力を増幅して、ごり押しで術を成立させることができてしまう。
特に戦闘に利用できそうな呪術は所謂、ゲームのデバフや状態異常もイメージの助けになる。骨粗鬆症の呪術なら、防御力低下と考えれば分かりやすい。しかも攻撃の時、一瞬だけ効果を発揮すればいいので、魔力の費用対効果も良さそう……って、今は別にそこまで考えなくていい。
「少し話が逸れましたが、別にこれを実際に、今すぐやろうと言っているわけではありません。ただ、僕がやろうと思えばそれくらいはできる。エレオノーラさんは既に大事な部下ですから、いつか必要になれば力を貸せると言いたかったのです。
武力、財力、権力……権力は僕も公爵家にお願いして貸していただける範囲ですが、財力と武力はそれなり以上のものを持っていると自負していますからね」
「……承知いたしました。お気遣いありがとうございます。いつか私の心が決まり、助力が欲しいと感じた時には、お願いいたします。その時にはなるべく穏便な方法を取れますよう、私の方でも考えますので」
そういった彼女の顔からは当初の暗い表情が消え、うっすらとした笑みが浮かんでいた。思えば今日は泣いたり困惑したり焦ったりと、だいぶ表情が変化していた気がするので、そのせいかもしれない。
と、話が一段落したところで肌寒さを感じた。
「風が強くなってきましたね……キリもいいですし、今日の愚痴大会はこの辺にしておきますか? 夜風に当たりすぎも良くないですし」
「そうですね……気づけばまた、私ばかり話してしまいました。呪術のための用意という事でしたのに」
「いえいえ、目で見えるものではないので分かりにくいかもしれませんが、十分役に立ちましたよ。僕の話はまた次の機会ということで――っと、そうだ。エレオノーラさんに渡したいものがあったんでした」
アイテムボックスから、用意していた袋を取り出して渡す。
「これは何でしょうか?」
「本当は明日渡すつもりで用意していたんですが、エレオノーラさんに時間があればやっておいて欲しい仕事です。
中には“ミサンガ”という飾り紐を編むための道具と材料、作り方の指示書が入っています。紐も縄に近いと言えば近いですし、呪術を身につけるならこちらの方が便利だと思って」
ミサンガには“自然に切れるまで身につけ続けたら願い事が叶う”なんて話を聞いた覚えがあるし、俺が小学生の頃には学校で流行していたから、作るのもそれほど難しくはない。優先度の低い仕事として渡しておけば、エレオノーラさんの暇潰しにもなるだろう。
「特にノルマや期日はないので、暇な時に作り溜めていてくれればいいので、お願いできますか?」
「かしこまりました」
それから俺達は宿舎に戻り、俺はそのまま部屋で寝ることにした。
今日はエレオノーラさんの悩みの一端も聞けたし、愚痴大会もたまには悪くない。




