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エレオノーラの未練(前編)

本日、3話同時投稿。

この話は2話目です。

 落ち葉が多くて話もしやすい、木材置き場に場所を移して杖の確認。とはいえ熊手の使い心地なんて、数回使ってみれば確認できる。こんなことにわざわざ手伝いをお願いする必要なんてない。


「タケバヤシ様、私は何をお手伝いしましょうか」

「エレオノーラさんにお願いしたいのは、術のための負の感情の用意でして……簡単に言うと愚痴に付き合っていただけないかと。終わった話を蒸し返して申し訳ないですが、昨夜のように。

 こう言ってはなんですけど、昨夜のことで僕としては、エレオノーラさんは他の人より素直に、愚痴を共有しやすそうな相手だと思いました。 もちろん他の皆さんも話せば聞いてくれると思いますし、信頼していますが……」

「……仰りたいことは分かる気がします。私とは方向性こそ違えど、タケバヤシ様からは面倒な方々を相手にしていた経験を感じました。信用云々よりも、そもそも愚痴を吐くという行為もある程度の慣れが必要だと感じます」

「わかります。普段から一緒にお酒を飲んで愚痴を言い合うような相手がいて、関係ができていればスルッと言えるのかもしれませんが、それがないと中々……一般的に聞いていて気分の良いものではないと思いますから、なるべく外に出さないように抑えてしまいます」


 たまに無意識に漏れていることはあるかもしれないけれど、意識的に言葉にするとなると難易度が違う。


 愚痴を吐くことによる情報漏洩や人間関係のリスク。下手な相手だと“愚痴とかそういうの良くないよ、もっとポジティブにいかないと”とか“これはこうだろ!”とか、否定や説教が始まる面倒臭さ。


 この世界で出会った皆さんは愚痴を言えばしっかり聞いてくださると思うけど、それを理解した上で言うのは甘えというか、卑怯というか、上手く言えない忌避感。そういうのを考えると、そもそも愚痴を吐かないという結論に至ってしまうのが正直な気持ちだ。


「私も同じです。学生時代も、軍にいた頃も、機会が一度もなかったというわけではありませんでした。しかし、いざその時になると躊躇してしまい、話が進む内に機会を逃すことが多く……」

「それも経験があります。機会を逃すだけならまだしも、自分のところで会話が止まると地獄ですよね」

「後日、同席していた人に“お高くとまっているつまらない奴だ”と陰口を言われていることを知るまでが一連の流れでした……そういえば昔から疑問だったのですが、あのような方々はなぜもう少し密かにできないのでしょうか?

 気にしても仕方ありませんが、陰口なのに妙に堂々と話しているところを見ると心から不思議に思っていました」

「あー……一応声を抑えて隠れているつもりなのかもしれませんが、話題にされている側からしたら筒抜けだったりしますよね。同じ部屋の隅からこっちを見ながらクスクス笑っていたりしますし 」


 姿は丸出し、視線は突き刺さる、あと声も普通に聞こえている。わざと聞かせて嫌がらせをしているのかと思えば、急に目が合って慌てて目を逸らしたりして、本当に聞こえていないと思って行動しているみたいだったり。


「集団心理というやつですかね? 仲間もそう言っているから平気。陰口がどんどん広がっていったら、皆が言っている。ただ急に目が合うとその時点で、発言者が自分だと分かってしまう。その瞬間は僕対集団ではなく、僕とその子の1対1になってしまうと感じるから、慌てて関係ないふりをする、とか 」

「理屈としては理解できますが……子供とはいえ貴族の子女。学園には人目につかない場所はもちろん、密談用のカフェまであるのですから、場所を移すくらいの気は回せないものかと」

「それはそう。って、密談用のカフェ? 王都の学校ってそんな施設があるんですか?」

「正確に言えば、学園に併設されているカフェに予約制の個室があり、そこを学生が密談に使っています。学園は単なる学び舎ではなく“社交の練習場”でもありますので、生徒同士での学内政治が盛んです。

 特に4年次からは学園内の催しの際に運営に参加が求められますし、生徒間の派閥もあります。貴族家出身の生徒にとって1~3年の内は準備期間であり、4年からが学生生活の本番だと言われていますね」

「……聞いていたよりも、だいぶ面倒臭そうですね。失礼ですが」

「実際に面倒ですよ。貴族の家に生まれた者であれば仕方のないことではありますが、穏やかな会話の下でも常に相手を牽制し優位に立とうとする人ばかりです。

 特に私のような男爵家の者は貴族の中だと身分が下ですから、待遇はあまり良くありません。同じ立場の生徒の数も多いので、少しでも上位の家の者に気に入られて良い立場に立とうとする人達も多く、足の引っ張り合いも日常的に行われます。

 学費もかかりますし、授業の難易度もそれなりに高くなりますから、平民の生徒は3年生までに退学する生徒が多いですね。平民で4年以上在学しているのはよほど裕福な家の子か、いずれかの分野で優秀な成績を収めて奨学金を貰っている者ばかりです」


 ……前に学園に行かないかと誘われた事があるけれど、改めて行かなくて良かったと心から思う。


「教えてくれてありがとうございます。あと話の腰を折って申し訳ない。でも今、エレオノーラさんも僕に愚痴っぽいことを言えていましたよね?」

「確かに、一方的に愚痴を聞かせるよりも、互いに言い合う方が多少なりとも気が楽でした」

「そう! まさにそれが言いたかった!」


 言語化してくださってスッキリした。本当にそれだ。俺の勝手な気分の問題だけど、俺が愚痴を吐いたら同じくらいの愚痴を返してもらえると、少しだけ気が楽になる。もちろん言いたくない事もあるだろうし、強制はしない。


 ……とはいえ、エレオノーラさんの立場では断りにくいだろう。こういう時にコミュニケーション能力の不足を感じるが、


「昨夜もお伝えした通り、過去の事は私の中で整理が付いております。私もあまり話の上手い方ではありませんが、それでよろしければ」

「ありがとうございます。ご協力に感謝します」


 幸い、彼女は特に辛そうな様子はなく承諾してくれたので、その辺に置いてあった丸太を1つ取り、椅子の代わりに使うことにする。


「では引き続き……提案したのは僕ですので、まずはこちらから他の人には言いにくいことを1つ。

 愚痴を吐くことに慣れていないという話に近いのですが、エレオノーラさんは今の生活、またはギムルの街に来てから、どことなく居心地が悪いな……と思うことはありませんか? ちなみに僕は少しだけあります」


 もちろん今の仕事の内容や待遇、周囲の人に不満はない。皆さんにはとても親切にしていただいていますし、とても厚遇されている。嘘偽りなく、今の生活が幸せだということは本気で言い切れる。


 ……ただ、違和感を覚えることが時々ある。落ち着ける空間にいるのに、なんだか落ち着かない。その程度の些細な不快感があるのだと伝えると、エレオノーラさんは迷ったように空を見てから、俺に向き直った。


「この件についても同意します。私も今の生活には満足していますが、タケバヤシ様が仰ったような感覚は私も感じています。親切に対して不満があるわけでは絶対にありませんし、親切にしてくださる方々に対して、その親切が不快だとは口が裂けても言えず……」

「よかった、と言っていいかは微妙なところですが、そうですよね。僕も言えませんでした」

「推察するに、タケバヤシ様が危険な樹海への里帰りを今後も続けるのは、その不快感からですか?」

「一因ではあると思っています。コルミの事もありますから、それだけではありませんが」


 危険な場所ではあるけれど、前回の里帰りで開放感を覚えたのも事実。奥地に行けば人がいないから人間関係も干渉も、誰かに気を遣う必要がない。生死も含めて全てが自由であり、純然たる自己責任の世界。あの気楽さが気に入ったのも事実なので、否定はしない。


「同じことの繰り返しになりますが、現状が嫌なわけではありません。むしろ大好きですが、どうも慣れないんですよね……我ながら贅沢な悩みです」

「本当にその通りですが、仕方がない部分もあるかと。

 私の話ですが、好きでもない相手と結婚させられ冷遇された挙句、その家族の不祥事で共に処刑される瀬戸際から一転して自由になったのですから。生活の落差に戸惑っている部分はあるかと 。

 その……今の生活は人との距離が近いと言いますか、必要最低限の人付き合いに慣れてしまっていたといいましょうか……好意的な視線というものがあまり身近でなかったので」

「ぐうの音も出ない、いや本当に。これに関しては少しずつ慣れていくしかないでしょうね」

「自分の中の懸念を、どうにか解消できればとも思いますが――」


 エレオノーラさんの言葉が途切れる。目を向けると、先ほどよりも明らかに表情が暗くなっている。きっと自分で口にした言葉に、何か思うところがあるのだろう。


 先ほどよりも長い沈黙が流れたけれど、これまでの愚痴の言い合いで多少打ち解けてくれたのか、彼女は自身の胸中をゆっくりと語り始める。それによると彼女の懸念は、実家と家族のことだった。


 彼女の実家が長い間、4つの貴族家に実質的に支配され、搾取を受けていたこと。彼らは昨年の件で悪事が発覚し、それぞれ処断された。ここまでは既知の情報の確認。


 ここから本題に入り、まず伝えられたことは“実家と領地が過去の支配から解放されたわけではない”という事実。


 なんでも4つの家の搾取は様々な方法で行われており、その内の1つが鉱山開発と運営に関する人的支援への対価。4家それぞれから送り込まれた人員を通じて、資金が流出していた。


 そしてこの人員、表向きは技術者や鉱夫の管理人だが、実際はそれぞれの領地に本拠地を置く犯罪組織の構成員。早い話がヤクザやマフィアのような連中とのこと。そいつらがまだ領地に残っているのかと思ったら、続く話でさらに深刻な状況になっていた。


「それらの犯罪組織ですが、処断された領主の調査が行われた際に様々な悪事の証拠が発覚したことで、共に排除の動きがありました。

 しかし、長く領主と組んでいた組織の上層部は耳聡く、旗色が悪いと見るに素早く逃亡を選び、討伐隊の手を逃れたそうです。そして搾取のための支部があり、比較的安全が確保されていた私の実家の領地は恰好の逃亡先だったようで、それぞれの構成員が新たな本拠地を作ってしまいました。

 今のところは互いに様子見と牽制をしているだけで、犯罪行為に手を染めているわけではないようですが、このままでは遠からず抗争に発展することは目に見えています。領民が危機に晒される可能性は極めて高く、対応が必要になりますが……それをするべき領主、つまり私の父と2人の兄が問題でして」


 ここで彼女は深いため息を吐き、目元を揉み、表情に明らかな失望を浮かべて語り始めた。


「私が元夫の家から解放され、実家に帰った時、下の兄は家の将来に絶望したと書置きを残して失踪。上の兄は次期領主となる予定ですが、同様の理由で酒浸りの生活。現役領主の父は犯罪組織がまだ活発に動いていないことを良いことに、一切動こうとしません。

 ……以前は組織に貴族の後ろ盾があり、表面上は合法的な方法と身分を持っていました。組織の人員も推薦者である貴族の面目を潰さぬよう、また搾取が目的である以上は資金源となる鉱山運営に支障が出ないように、明らかな違法行為は慎んでいました。証拠を残すような真似もしません。

 ですが今は違います! 彼らの配慮や自粛は領民のためのものではなく、後ろ盾となる貴族のため、ひいては自分達の保身に必要だったからこそ。後ろ盾を失った以上、彼らは自分達の利益と面目を保つためだけに悪行を重ねるでしょう。

 そもそも上役が領地を追われて出た時点で罪人。それを匿った時点で、匿った者はその一味と見なされます。他家からの掣肘を受けることもなく、奴らを捕えるための名目も十分にあるというのにっ!」


 エレオノーラさんは話すうちに失望が怒りに変わったようで、徐々に気炎が上がっていく。

 それだけ彼女は婚前までの状況に苦慮していたのだろう。


「……尤も、仮にやる気があったとしても、実行する力もないのですが」


 俺が黙って話を聞いていると、彼女はふと我に返ったように声を落ち着かせる。


「結婚以来、初めて帰った屋敷は荒れ果てていました。門は開け放たれたままで門番すら立っておらず、屋敷の中は最低限の手入れすらできていない。使用人は執事1人を除いて屋敷を去っていました。

 いても立ってもいられずに家族を連日問いただし、素性を隠して街で聞き込みを行い”ランソール男爵家が屋敷を守る警備にも、使用人にも、領民にも見限られていた”という事実を理解しました」


 エレオノーラさんが嫁いだ後、彼女の家族は4家の支配に屈していた。そして彼らの意思を伝える代理人であり、ランソール男爵家を監視する役割も担っていた犯罪組織の構成員の言いなりになって、彼らに利益の多い鉱山運営を続けていた。


 領地運営の要である鉱山の運営は4つの組織が権利を分け合い、何か問題があれば談合によって解決される。そこに領主が口を挟む隙はなく、唯々諾々と彼らに従って体裁を整えるだけの飾りに甘んじた結果、ランソール男爵家への信頼はほとんど失われていたそうだ。


「かつての忠臣も大半が屋敷を去り、警備隊は治安維持で精一杯の状態では、残り(かす)といえど犯罪組織4つの撲滅が現実的でないのは確かです。ランソール男爵家の独力では(・・・・)絶対に」

「独力では。今のご実家は、ジャミール公爵家の監督下にあるのですよね? 既に考慮の上とは思いますが、協力を依頼することは」

「タケバヤシ様がそうお考えになるのは当然です。私もそう考えました。しかし父と兄は“支援の要請は行わない”の一点張り。領主からの正式な申し入れがない以上、他領が迷惑を被る何か(・・)でもない限り、公爵家といえど勝手な手出しはできません。

 領地はその地を治める領主が管理し、問題が起きれば領主が解決する。それが領主の権利であり責任。領内に罪人が入り込んだのであれば、その地の領主が兵を率いて排除することが大前提です」

「先日の技術盗用の件でも似た話がありましたね」

「この国は過去の戦争で多くの国を取り込み拡大した経緯があり、地方によって独自の文化・風習が残る場所も多くあります。それらを下に見て、または己の利益のために蔑ろにした権力者の例も同じく。

 横暴が繰り返されるにつれて、それを防ぐための法や慣習が生まれ、徐々に領地の独立性が担保されるようになり……現代において領地とは国の中にある“小さな国”、領主は“国王”という扱いに近いと言っていいでしょう」

「慣習を破れば公爵家が汚名を被ることになる。そこまでして手助けをする理由が公爵家にはない。難しい問題ですね」


 とにかく領地内では(・・・・・)領主が絶対権力者であり、上位の権力者であっても、おいそれとその地の領主を無視して手は出せない。特に上位の貴族であればあるほど周囲に範を示す必要があるため、直接干渉は難しくなる。


 でもこれは、言ってしまえば領主の方からラインハルトさんにお願いに行けば解決できる話でもある。貴族的なしがらみはあるだろうけど、解決の手段・方向性としてはさほど難しい話ではない。それでも解決策を取ろうとすらしないから、エレオノーラさんも怒っているのだろう。


 あとこの感じだと、


「これは僕の想像ですが、公爵家に救援を要請しない理由について、まともな説明もなかったりしますか?」

「本当によくお分かりになりますね……全くもってその通り。今は時期ではないだとか、予算がないなど、のらりくらりと曖昧な答えでごまかそうとするのみ。細かく追及していくと、最後には声を荒らげて勘当を言い渡されました」

「そこまでですか」

「ええ……その場にいらしたジャミール公爵閣下と奥様の執り成しで、勘当そのものは取り下げられましたが、公爵家に支援を願う事だけは頑なに拒否されました」


 聞けば彼女は昨年末の件について設けられた話し合いの場に乗り込み、非礼で罰を受けることは覚悟の上で、ラインハルトさんと父親に直談判をしたらしい。男爵令嬢が公爵相手に、しかも自分の家に落ち度がある状況でそれをやるのは、相当な覚悟だと言える。


 だが、それでも彼女の言葉が父親の心を変えることはなかった。一方、公爵夫妻はその行動と覚悟に胸を打たれて、勘当の取り消しとエレオノーラさんの保護に動いてくださった。これが、彼女が元夫から解放されて、公爵家に保護されるまでの経緯だったそうだ。


「領地において領主の権限が強くなれば、領地に対する領主の責任が重くなるのが当然。先ほども申しました通り、領地と領民を守るのは領主であり、そのための力が必要不可欠。責任を全うできぬ者に領主の資格なし。他家を頼るような状況にあることそのものが、領主としては重大な瑕疵と言えます。

 領内の問題を解決できないのであれば、潔く身を引いて解決できる力ある者に明け渡すべきだ、というのが一般的な貴族の認識と言って差し支えないでしょう。私も……いっそのこと父は処刑されていた方が、領民にとっては良かったのではないか? という思いが消えません」


 涙は流れていない。しかし目は潤んでいるのだろう。彼女は自然と天を仰いで、その目元には月明かりが輝いている。


 しばらく黙って、落ち着くのを待とう……

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