魔獣の正体
本日、5話同時投稿。
この話は5話目です。
『ハッ、ハッ、ハ……』
必要のない吐息は荒く、存在しない心臓が破裂しそうなほどに脈打つ。老人の姿は崩れ去り、人の形をした黒いもやと化した魔獣の首をはねる寸前で刃が止まっていた。
刃の先には刀の鍔、柄を握るリョウマの手は痛々しく焼け爛れ、繋がる腕には獣の噛み跡で骨がむき出し。胴には肩口から脇腹まで引き裂く三本の爪跡が刻まれ、頭は鈍器で殴られ潰れている。その他にも大小様々、無数の傷跡と大量の出血が、リョウマを死体に変えていた。
『なん、で』
自分の首が繋がっている事が信じられないと戸惑いながら、魔獣は問う。
「痛ってぇ……死ぬかと思った」
死体と化したリョウマが、呻くような独り言と共に動き、刀を引く。ここで、ひとまず命は助かったことを理解した魔獣が脱力すると、リョウマの致命傷が溶けるように、無事な肉体へと変わる。
「あ、痛みが消えた。やっぱり幻覚……ここで実際に亡くなった人の死因、死に際の記憶か」
『何故だ』
「なんでなんでって、そればっかりだな……まぁ、これでようやくまともに話ができるか」
『話……? ……お前は、神から私を殺すように命じられたのではないのか?』
再び問いかける魔獣を、リョウマは警戒しながらも表情に疑問を浮かべる。また、それを本心だと感じ取った魔獣はさらに困惑した。数秒、見つめ合う形で沈黙が流れ、可能性に思い至ったリョウマが口を開く。
「あー……色々言いたいことはあるけど、まず1つ。神々からの依頼については、俺の記憶を読んで判断したんだろう。でも俺はお前を、厳密にはお前の“能力”を“どうにかしてくれ”と頼まれたのであってお前を殺してくれなんて頼まれていない」
『なっ、だが、神は私を排除すると』
「それは神々がやるならの話じゃないか? 力が強すぎて、手加減しても樹海まで巻き込んで消し飛ばすって言っていたし。だから俺に依頼して、被害を最小限にしようとしたんだろう。
俺も選択肢の1つとして、他に手がなければ排除も考えていた。でも、問答無用で殺そうとは思ってない。死者の魂を解放して、今後もその力を使わないでくれるなら、命までは取らなくてもいい」
『だ、だったら何故、お前は私を殺しに来た!? お前が本気であったことは分かっているのだぞ!?』
ここまでの殺意と、今の言葉。人の心を読む能力を有するが故に、魔獣はそのどちらにも嘘がない事を理解してしまった。それが余計に困惑を深め、思わず叫ぶように問いただす。だが、リョウマの答えは非常にあっさりとしたもの。
「“制圧していつでも排除できる”という確信がないと、まず交渉の場に立てないと思ったからだ。幻覚を見た後はシンプルにムカついていたのもあるけど」
その言葉を補足するように、リョウマは続けた。
まず突入前の時点で、魔獣と言葉が通じるかは不明。仮に言葉が通じたとしても、会話にならないことは人間同士でもざらにある。相性が悪ければ軍隊でも敵わない魔獣を相手にするならば、まずは全力で当たる。捕獲をする余裕があれば、契約して交渉を始めるつもりであった。
また、神々が排除もやむなしと考えるような重要案件で“根拠も対策もないけど、本人がもう使わないって言っているから許してやって!”などと報告されようものなら、神々も首を縦には振らないだろう。依頼を受けた側としても無責任であり、いざという時に後始末ができる事を確認しておく必要がある。
そうでなければ、特に慎重派のフェルノベリアと、初対面のメルトリーゼは納得しないだろう……と。
『だから、本気で殺しに来たというのか……なら、アンデッドは討伐するというのは?』
「アンデッドは全部討伐、協力が得られるなら解放してもらうつもりだけど……長い年月をかけて、住人が発する魔力が蓄積して生まれた付喪神。分類としては“妖精”だろ?」
そう言って、リョウマは確認のために魔獣鑑定の魔法を使う。
──
家妖精(付喪神)
スキル 擬態Lv10 再生Lv7 幻術Lv10 死霊術Lv6 遺体安置Lv9 並列思考Lv5 魔力吸収Lv6 魂縛Lv※※
──
「妖精は大自然の魔力を元に生まれる存在と、物体に染み付いた人間の魔力から生まれる存在があり、お前は後者の方。尤も、魔力が蓄積する段階で樹海に呑まれた影響で、大自然の魔力も大いに混ざったから前者でもあるというか、中間みたいな感じらしいが……とにかくお前はアンデッドじゃなくて妖精。そんでもって本体はこの屋敷だと聞いている」
『そこまで知った上で、私の中に入ってきたのか。人間でいえば腹の中に飛び込むようなものだというのに』
呆れ半分、観念半分の魔獣の言葉を聞いて、リョウマは僅かに眉をよせる。
「正体が暴かれたついでに、その年寄りの声もやめたらどうだ? たぶんだけど、中身は子供だろ」
『……何故わかった』
顔は輪郭しかなくなっているが、愕然としていることが声色と雰囲気からでも分かる。
「いや、戦っていてなんとなく。劣勢になって冷静さを失い始めたあたりからだんだんと子供の声も漏れていた気がするし、今思えば何故何故言っていたのも、小さい子供がなんでなんでって聞くやつかと」
『そう……』
呟いて、魔獣の姿が変わる。体の形は変わらず人のシルエットだが、大人サイズだったものが3〜4歳のサイズまで縮む。それと合わせて、ゆらめいていた輪郭がはっきりとした。例えるならば、黒い子供のマネキンのような姿だ。
「それが本当の姿、でいいのか?」
『この大きさが一番しっくりくる。本物の人間の姿はない』
「本体は屋敷なわけだしな……まぁいいか。とりあえず俺の目的と方針は話したが、さっきのスキルで言うと“魂縛”か? 死者の魂を解放して、今後その力を使わないのなら、命は取らない。このまま速やかに立ち去ると約束するが、どうだ?」
リョウマの問いかけに対し、魔獣は子供が初めて見るものに近づくように、おずおずと質問を返す。
『本当に、殺さない?』
「死者の魂を解放してくれるならな。個人的に、見せられた幻覚の内容にはムカついたけど、だからって必要もなく子供を殺そうとは思わん。必要とはいえ他人の家に押し入ったようなものだから、反撃されても仕方ない。
幻覚もお前に対する怒りというより、前世の連中に対する怒りだしな……わざわざ見せられたことは不快ではあったけど」
そう言いながらリョウマが視線を部屋に向けると、風の刃の傷跡がいたるところに残っている。
「ここはお前にとって最重要区画。スライムで言えば核に相当する、腹の中どころか心臓部であると同時に、能力を最大限発揮できる空間だろう? 最後のはだいぶキツかったけど耐えられたし、即座に行動不能になるようなものでもなかった。
次があれば、もっと早くここまで来られる」
『……その時に、もっと強くなっていたら?』
「その時は、それも含めて俺の責任だな。自爆覚悟で仕留めに来るさ」
『死ぬのが怖くないの?』
驚いたように問われて、リョウマは天井を仰ぎ見る。
「怖いというか、俺はそもそも一度死んでいるからな……」
『あっ』
「どちらかといえば今こうして生きている方が奇跡だし、死んだら本来あるべき姿に戻るだけって気もするから、あんまりピンと来ないと言うのが正しいか? 前世で気づいたら死んでいて、さっき見た記憶やここの住人達みたいに死が迫るって感覚がなかったのもあるかもしれないけど、あまり意識しないな。
意識したところで、例えば魔獣に襲われて死にそうな状況で怯えて動けなくなったらそれこそ死ぬだろ? 親父にも死にそうなときほど動いて相手を殺せと教えられたし……何度思い返しても現代人とは思えないな……武術の心得としても、子供に教えることかっつの」
途中からは父親と幼少期の指導についての疑問に変わっていたが、少なくともリョウマと敵対すれば、再び躊躇なく攻め込んでくることを魔獣は理解した。そして、仮にリョウマを撃退したとしても、その場合は神から抗いようのない力で排除される事になるだろう。
リョウマに勝つか負けるかは、結局のところ死までの猶予が伸びるか否かの問題。魔獣が本当に生き延びることを考えるならば、魂の解放と能力の封印を約束する他に選択肢はない。それを理解してなお、魔獣は返答に詰まっていた。
「やり方を知らないとか、何か解放できない理由があるのか? こちらからの要求は伝えたけど、そっちにもそっちの理由があるんだろうし、何か条件があるなら聞くつもりだ。勿論互いに譲れないことはあるだろうけど、とりあえず話してみないか?」
『……寂しい』
それから、魔獣はぽつぽつと語り始めた。
気づいたら、自我が芽生えていたこと。
その時には既に、屋敷の住人は死に絶えていたこと。
村が樹海に飲み込まれる前からの記憶だけが残っていたこと。
『昔は……みんな笑っていた。お金はなかったけど、それでも幸せそうで……でも、どんどん変わっていった。村も、人も、全部……』
樹海の開拓が始まってからは、最初の拠点で聞いたように好景気が訪れた。しかし、状況が悪くなってからは人々の関係も悪くなった。余裕が失われ、人々の顔から笑顔が消え、些細なことで争いが起こり、刃傷沙汰にまで発展することが珍しくなくなる。
村が滅びるまでの経緯を聞きながら、リョウマは思考をめぐらせた。
(人の魔力から生まれた妖精の性質は、元となった物品の所有者の性格や環境の影響を受ける。幸せな家庭で大事にされれば、人を見守り幸福を呼び込む守り神のような存在になる。逆に粗末に扱われれば、人を憎んで傷つけるような存在になるらしい。
……話を聞く限り、こいつは良い環境にあった方の時間が長くて、人を見守る方の妖精。だけど、完全に生まれる前にはその住人がいなくなっていた。それが“寂しい”という言葉に繋がるわけか。魂縛とかいうスキルを得たのも、それが理由として大きそうだ)
その推測を裏付けるように、魔獣はさらに語った。
記憶を思い出して暇を潰し、たまに生き残りがいないかと屋敷の窓から周囲を眺めた。村の生き残りが見つかることはなかったが、代わりに見つけたのがアンデッドや魂。魔獣が取り込む以前から、神の御許に行けずに村の中をさまよっていた霊がいた。
しかし、それも徐々に薄れて消えていく。行かないでほしい。できれば一緒にいてほしい。
そう思っていたら、いつの間にか能力を手にしていたのだという。
「ああ……その願いと魔力が合わさって、無意識に死霊術とか魂を縛り付ける呪いみたいになったわけか。レミリー姉さんも“魔法は概念、魔力の消耗さえどうにかできれば、理論上は何だってできる”みたいなこと言ってたしな……
神々の言っていた自然の魔力を取り込んで使う能力が“魔力吸収”だろうし、周囲が豊富な魔力を生み出す樹海であることを考えると、色々と上手いこと噛み合った結果がこうなったっぽいな」
『わからない……でも、一人は嫌……』
泣きそうな声で訴える魔獣に、リョウマはしばし考えて提案する。
「それなら、俺の従魔になるか?」
『従魔?』
「俺は今後もちょくちょく樹海に来ようと思っている。素材採取に実験、あとはバカンス目的で便利だからな。そういう時に泊まれる拠点があると助かるし、俺は従魔術と空間魔法を組み合わせて、従魔のいる所に転移ができる。他の人間よりは気軽に顔を出すことができるはずだ。
それに従魔のゴブリンの一部を、ここで生活させてもらえると助かる。今のところはまだ問題ないけど、このままのペースで増えていくと近隣住民の方が不安に思われるかもしれないからな。周囲の人を気にする必要のない場所があれば安心だ。
あとは……公爵家に頼めば、自分からここに移住したがる変わり者も見つかるかもしれない。どうだ?」
『……考えたことがない。ここにはもう、誰も来なかったから……来ないと思っていた』
「普通の人にとって辛い環境なのは認める。だけど俺には関係ない。急に押しかけてこう言うのもなんだけど、割と好条件だと思うんだが」
それから魔獣は黙り込み、数分かけて答えを出した。
『皆を、解放する』
「そうか!」
『解放するけど、まずスライムの中?にいる皆を返してほしい。解放も復活も、魂が屋敷の中にいる状態でないとできない。それから解放するまでに時間がほしい魂がある』
「スライムの方は呼べばすぐに。時間は……あと100年とか言われると困るが、少しくらいなら待てると思う。細部はまた詰めるとして、解放については合意ということで従魔契約しておくか。そうしておけば意思もある程度伝わるし」
『なら、こっち』
魔獣はそっと手を伸ばし、自分が背にしていた机の前にリョウマを誘う。
「ずっと背にしていたから察してはいたが、この机がこの部屋の中でも特に重要な部分か」
『そう。喜ぶ人も笑う人も、怒る人も泣く人も、この屋敷の主になった人が使っていた机。この部屋は会議室でもあったから』
「コルミ村の歴史と、住人の魔力がより多く染み付いたわけか。ならいくぞ『従魔契約』!」
契約の魔法を発動すると、リョウマは自分の魔力が受け入れられる感覚を覚える。
(事前に合意があるからか? 問題はなさそうだ)
そのまま魔力が繋がる感触で、契約は完了。
「何か体に異常はあるか?」
『んー……ない』
「なら、ひとまずはこれでよし。あとは名前か」
『名前!? くれるの!?』
「いつまでもお前とか魔獣って呼ぶわけにもいかないだろ。今後も付き合いを続けるなら猶更。センスはないからあまり期待されても困るが……」
マネキンの頭に輝いた目が見えた気がして、困ったリョウマは部屋を見回す。そして目を止めたのは、今契約の対象としたばかりの机だった。
「“コルミ”はどうだ?」
「コルミ、村の名前と同じ?」
「コルミ村の歴史と人を見守り続けてきた屋敷から生まれた妖精で、ある意味最後の生き残りだからな。嫌なら断ってもらってもいいんだけど——」
「嫌じゃない! コルミはコルミ!」
「——うぉっ!?」
突然の万歳から、部屋を猛スピードで駆けまわり始めるコルミ。契約の効果で喜びの感情が伝わってくると同時に、部屋のいたるところから家鳴りが発生して騒がしくなる。そこだけ見れば完全に幽霊屋敷の心霊現象だが、
「喜んでいるみたいだし、いいか……後味の悪い仕事にならなくて良かった」
魔獣改めコルミの様子と、神々の依頼の山場を無事に越えたことに、リョウマは密かに胸をなでおろしていた。




