三文芝居
本日、5話同時投稿。
この話は2話目です。
「ここは……会社の最寄り駅か」
これは幻覚。だが、今まさに閉じて注意を引いた扉は見慣れた駅に変わっている。待ち合わせでもしているのか、電話で揉めている男の声に、排気ガスの混ざった空気の臭い……視覚、聴覚、嗅覚から感じる情報は現実のものと区別がつかない。
「モタモタしていられないな……」
「主任!」
「っ!?」
気合いを入れ直すや否や、右から聞こえる馴染みのある声。反射的に体と刀を向けるが、その手にあったのは使い古したビジネスバッグ。さらにそれを掴む手、いや全身が転生前の“竹林竜馬”の体に戻っていた。
「お待たせしました。……何やってるんですか?」
「田淵、君」
少なくともこの目に見えている範囲では、目の前の人物は襲ってくる様子がない。スーツを着た小太りの男が、記憶にあるそのままの声で不思議そうにこちらを見ている。
「なんだかよく分かりませんけど、とにかく合流できたことですし、行きましょう」
「……どこに」
「どこって、退職記念の打ち上げに決まってるじゃないですか!」
「退、職?」
「とりあえず行きましょう。話は歩きながらでもできますから」
こいつは何を言っているのかと思ったが……攻撃のような気配はない。とりあえず後をついて行ってみる。
「いやー、それにしても……仕事以外で昼間から外を歩くのも久しぶりで、変な感じがしますね」
「……そうか? いや、そうかもしれない……」
確かに、転生して間もない頃はそう感じた。
「主任は一足先に辞めちゃいましたから、もう慣れましたか。てか、主任がいなくなってからはマジで大変だったんですよ」
「大変?」
「いや、だってうちの会社潰れたじゃないですか」
「潰れた、のか?」
「今日で後片付けも終わり、綺麗さっぱり終わりました。だから皆で打ち上げって話になったんです。せっかくだから主任も呼んでパーっとやろうってね。
そうだ、ちょっと早いですけど、再就職おめでとうございます!」
「再就職……」
「電話で言ってたじゃないですか、クリーニング屋でしたっけ? 業種は前と全然違うけど残業はないし、一緒に働いている人たちも前の会社の連中、たとえば課長とかとは雲泥の差だって」
ああ、それは確かにそうだ。課長と洗濯屋の皆さんじゃ比較にもならない。
「そういえば課長、入院したって知ってました?」
「いや、知らないが」
「主任が抜けた後は大騒ぎでしたから。これまで主任に押し付けていた分の仕事が全部残っていて、最初はお前らが手分けしてやれ! って散々わめいていましたけど、段々どうにもならなくなって、少し手をつけたらすぐに音を上げてぶっ倒れちゃいました。
ちなみにそれだけ仕事が忙しくなった分、倒れる前は今まで以上に不機嫌でしたけど、僕らに八つ当たりをするとそれだけ仕事が進まないので、コネ入社組の人に当たるようになっていましたね。
彼ら、相変わらずロクに働かないで不満ばっかり言っていましたし、これまでコネのおかげで課長の理不尽の対象にならなかったんで、舐めてかかっていましたから。急に課長がブチ切れて八つ当たりを始めたら、すぐに音を上げて逃げちゃいました」
「……それは、少し申し訳なく思う」
俺が受け持っていた仕事は、確かに残った皆で手分けしてやるしかなかっただろうな……と思って口をついた言葉。しかし、田淵君は首を横に振る。
「申し訳なく思う必要ないですよ。課長もコネ入社組も、仕事を主任にぶん投げて自分は知らん顔してたツケが回ってきただけですから。そんな無茶な仕事を1人にやらせていた方が問題でしょ。……まあ、それは僕や会社の皆もそうなんですけど。
……皆、主任に謝りたいって言ってましたよ。サービス残業が常態化したブラック企業でしたけど、どうにか仕事が回っていたのは主任のおかげだって」
「そんなことを言われていたのか?」
「そうですよ。っていうか、前から皆分かってましたよ。主任が滅茶苦茶な体力に任せて、自分の分だけじゃなくて他の人のフォローもしてたのは。それで皆、助かったと思ってたんです。いなくなってようやく気付いたって訳じゃないです。
ただ……皆、それに慣れて、いつの間にか“主任なら大丈夫だろう”って信頼すると同時に甘えちゃってたんですよね。だから皆も主任に申し訳ないって、だから今日の打ち上げにも呼ぼうって話になったんですよ?」
「そうか……認めてくれていたのかなぁ……」
「認めてましたよ、皆。そうじゃなかったら、あんな会社で長く働き続けられないです。主任がサポートしてくれていなかったら、とっくの昔に心か体、あるいは両方壊して辞めてると思いますもん」
そんな話をしていると、目的地についたようだ。少し細い道に入ったところにある、慣れ親しんだ店構え。先程いた会社の最寄り駅から次の駅までの途中にあった店で、立地はあまりよくないけれど、遅くまで営業していて飯が美味かった。家に帰れない日も多かったので、よく利用していた店だ。
カラカラと音を立てる扉に入っていく田淵君に続いて、のれんをくぐる。
「いらっしゃい! ご予約の方ですね、奥へどうぞ」
こちらの顔を当然のように知っているバイトの女の子が、すぐに奥の座敷へと通してくれる。いつ頃からかは忘れたけど、この子は最低でも8年は働き続けてたっけ……同じバイト先で8年ってだいぶ長いよな。
「主任、ここですよ。早く早く」
田淵君に急かされながら、座敷に上がる。襖が開かれると、そこではかつての同僚達が既に打ち上げを始めている。
「おっ! 来た来た!」
「田淵さんと主任! お疲れ様です!」
「お先に始めちゃってま〜す!」
「ちょっ、お前もう酔ったのか? 会社から解放されたわけだし、気持ちは分かるけど」
「私、お水貰ってきます!」
「ほら、2人も立ってないでこっちに来なさい」
「! 馬場さん?」
座敷の隅から声をかけてきたのは、定年間近だった馬場さんか……
「……お久しぶりです」
「久しぶり、だね……」
気まずい沈黙が流れ、2人で部屋の隅に移動したところで、馬場さんが意を決したように口を開く。
「なんだか変な感じだね。会社で毎日のように顔を合わせていたし、呑みの席も数えきれないほどあったはずなんだが、しばらく時間が開いたからだろうか?」
「それは、あると思います」
「元気にしていたかい?」
「はい、元気にやっています。それだけが取り得でしたし、今は周りの人にも恵まれまして」
「そうかい、それはよかった」
困った。馬場さんは元々営業部で長く活躍していたけれど、上の方で諍いがあったらしく、開発部に異動してきた人だ。俺の入社と異動のタイミング、あとは職務経験の差で部下になっていたけれど、俺よりはるかに年上。真面目だし仕事はできる人なので信頼はしていたけど、仕事の関係以上に親しかったというわけでもない。
「竹林君には謝らないとと思っていたんだ」
「仕事のことですか? それなら田淵君から聞きました」
「それもある、けどそれだけじゃない。私が君の部下になってから間もない頃の話だよ。あの頃の私は、お世辞にも態度がいいとは言えなかっただろう。君には不快な思いを沢山させたはずだ」
「それは……」
俺と彼が出会った当時は“年下の上司と年上の部下”という関係はまだ社内でも珍しかったと思う。転生直前の頃ならともかく、配属当初の彼は相当周囲の偏見や嘲笑にも晒されたはず。そのことを踏まえて言葉を選ぶ。
「正直に言えば、いきなり年上の部下を持つことになって戸惑いましたし、どう扱えばいいのか悩みました。不快に思うことも、なかったと言えば嘘になります」
「……」
「ですが、時間が経つに連れてそれもなくなりました。開発部の仕事も、最初は未経験者相応でしたが、指示にはちゃんと従い、覚えることは覚えてくれたでしょう。……仕事に対しての責任感や、社会人としての行動は馬場さんから学んだことが多かったと思っています。
比較対象がおかしいかもしれませんが、課長やコネ入社組の子達と比べれば、些細なことだと思っています」
「そうか……確かに彼らと比べれば、大体の事は許せるかもしれないね」
その言葉の後、“ありがとう”と言われた気がした。それを確認する間もなく、ワッと座敷の中央が盛り上がる。
「主任! 飛び入り参加の特別ゲストの登場ですよ!」
「特別ゲスト?」
「実は主任の退職後に、会社に電話があったんです。主任と連絡が取れない、長く会ってないから会いたいって人から」
「そうか」
「きっと主任も驚きますよ!」
いったい誰だろうか? そそくさと座敷の入口に向かい、襖に手をかける田淵君を目で追う。彼はこちらを一度、チラリと確認してから一気に襖を開く。
「!!」
そこにいた2人の姿には、動揺を禁じ得なかった。幻覚だと分かっていても目が離せず、体が硬直していることを感じる。
「……母さんと、親父?」
俺の口から漏れた言葉に、母さんが微笑み、親父は気まずげに顔を逸らした。そして母だけがこちらにそっと歩いてくる。
「竜馬、久しぶり。あなたったら全然帰ってこないし、連絡もしてこないんだもの。それに連絡先も変えていたのなら、ちゃんと教えておきなさい。あなたの会社に連絡することになったじゃない」
ご迷惑をおかけしました、と田淵君や他の参加者にも頭を下げる母を呆然と眺めていると、再びこちらに目が向いた。
「まったく、せっかく会えたのに黙ったままなんて。そういうところは親子よね……ほら、あなたもこっちに来なさいな」
「ああ……」
母の手招きで親父が近づいてくる。作刀にしか興味のない無愛想な男が、散々迷った上でここに来たと分かるような態度でゆっくりと。
「……お前には、苦労をかけた」
「お父さんね、これまでのことを謝りたいって。昔は色々あったし、避けたくなるのは無理もないけど、また一緒に暮らしたいの」
母の、俺を説得するような言葉が頭の中に染み渡る。心を強く引き寄せられ、他の音が消えてしまう。両手がそっと俺の手を取ろうと伸びてきて、
「だから、また3人で——」
続く言葉が完成する前に、母の脳天に刀を振り下ろした。




