樹海の流儀(前編)
大樹海に踏み込んでから数時間。道中は順調そのもので、もう遠目に冒険者の拠点と思われる場所が見えてきている。拠点の周囲は鬱蒼と茂る草が切り払われ、巨木も伐採されているようで、そこだけ明らかに見通しがいいのでよく目立つ。
そして、魔法によるものだろうか? コンクリートで塗り固められたような重厚な壁に囲まれているため中の様子はわからないけど、拠点はなかなか大きくて立派。対照的に入り口と思われる門は壁からするとかなり小さく感じる。少し大きめの店舗にあるような、両開きの扉と同じくらいだろう。
そんな拠点の周辺には、環境整備をしている様子の冒険者がちらほらと見える。
「そろそろ準備するか……」
呪いの影響は大したことないとはいえ、今は俺1人。余計な問題を避けるべく、人と接する前に対策をしておく。やることも気配を消すための“ハイド”を解除して、代わりに“ホーリースペース”を体の周りに展開するだけなので、惜しむほどの手間でもない。
ちなみに通常、呪いを解くなら光魔法の“ディスペル”だが、俺の呪いは人の手では解呪不可能。他者に与える影響も俺を起点として周囲に働きかける形になるので、対策としては解呪よりも影響を遮断、または軽減する方が効果的だそうだ。
「っ!? なんだ子供か……子供?」
「おい、見ろよ」
「なんで子供がこんなところに……」
「1人で歩いてきたのか? ここを?」
「ドワーフかエルフで、背が低いか若く見えるだけじゃないのか?」
「だとしても1人でこんなところに」
「新手の魔獣じゃないだろうな……」
ハイドを解いて近づいたので、気づかれるのは当然だろうけど……呪い対策はちゃんと効いているのだろうか? かなり警戒されているようだ。遠巻きにこちらを見てざわついているだけで、敵意を向けられているわけでもなさそうだけど、居心地はよくない。
下手に刺激もしないよう、さっさと通り抜けて門にたどりつこう。
そう考えて歩みを速めたところで、背後からラプターの群れがやってくる。
「ラプターだ!」
「また群れだ! 気をつけろ!」
「くそっ! もう何度目だ!?」
「どうなってんだこの樹海は!」
「無駄口叩くな! 迎え討つぞ!」
慌てて準備を整えている冒険者……この人達、なんか不安。闇魔法で片付けてしまおう。迫ってくるラプター達の位置を把握して、睨むように。
『ギジャアッ!?』
よし、成功。ここまでの道中で慣れたのか、無詠唱でも問題なく発動できるようになった。ラプター達はほとんどが一斉に反転。勢い余った数匹が転倒していたが、それも反転した仲間を追うように逃げている。
「……逃げた」
「あの子供がやったのか」
「状況的にそれしかないだろう。魔獣がいなくなったんだ、仕事に戻るぞ」
他よりもだいぶ落ち着いているリーダーらしき人がこちらを一瞥して、他の冒険者を仕事に戻す。
挨拶をした方がいいかとも思ったが、向こうも我関せずといった感じだし、あまり関わりたいわけでもない。仕事をしている方々の横を邪魔にならないよう通り抜けて、拠点の扉へ向かう。そしてあと数歩というところで、俺を迎え入れるように扉が開いた。
「新顔だな。早く入れ」
内開きの扉の中から現れた無骨な兵士が、片方の扉を半分ほど開けている。魔獣を警戒しているのだろう、開け方は人1人が通り抜ける最低限という感じだ。俺が素早く門の中に入ると、あちらも素早く門を閉める。
同時に、無数の視線が俺を貫くのを感じた。どうやら、外から窺い知れなかった門の内側は広い部屋になっていたようだ。
部屋には放熱樹を加工したのだろう、大きな一枚板で高そうに見えるテーブルが並べられ、その上には酒や料理が並んでいる。テーブルについている冒険者らしき、装備を身につけた多くの人々は俺を値踏みするように静まり返っているが……今のいままで酒や料理を楽しんでいたのだろう。街の門、防衛施設というより、酒場のような印象を覚える。
「一度あの角の席に行ってくれ。初回は身分証の提示と手続きをしてもらうことになっている。面倒だろうが規則なんでな」
「わかりました」
郷に入れば郷に従え。扉を開けてくれた兵士さんに従って、言われた席へと向かう。そこには扉を開けてくれた彼と同じ鎧を着た男性が座っていて、俺に気づくなり手招きをしているが……反対側の手には木製のジョッキを持っている。赤らんだ顔も合わせて、おそらく中身は酒類だろう。
「そっちに座ってくれ」
「失礼します」
「それじゃ手続きを、と言ってもいくつか質問するだけだし、楽にしてくれよ。しばらく話していれば、そのまま通過でいいから。ついでにこいつの中身も気にしないでくれ。俺は非番だしな」
俺がジョッキを見ていたからだろう、男性は薄笑いを浮かべながら弁明を口にする。というか、非番なのに仕事をしているのか?
「お休みのところすみません」
「謝られるほどのこっちゃないさ。ここは街の入り口で、酒場で、何かがあった時のために戦える奴が集まる待機所でもある。衛兵も冒険者も、仕事も休みも関係なく入り浸ってるのが普通なんだよ。だからこういう……言っちゃ悪いが形だけの手続きは居合わせた非番の奴が適当に処理することになっているんだ。新顔が来ることがそもそも少ないしな。
あ、なんなら何か食うか? 奢りはしないが、ここは金さえ出せば肉でも酒でも、大抵のものは飲み食いできるぞ。他にも武器や防具の修理や購入、大抵のものなら調達できる」
ここの勤務形態や衛兵さんの態度はそういうものだとして、周りを見る限り彼の言葉は本当のようだ。危険な樹海の中なのに、食料に困った様子はない。むしろ、街の一般的な水準の料理店や居酒屋と比べたら、こちらの方が少し良い物を食べているかもしれない。
「意外か?」
「そうですね。食料に限らず物資の調達は難しいと思っていました」
「奥に行けば行くほど想像通りになるが、ここは交易拠点でもあるんだ。外に一番近いから、冒険者が集めた樹海の素材を目当てに、商業ギルドやドラグーンギルドが定期的に人を送ってくる。その時一緒に仕入れをしているから、ここでは飲み食いに困ることはないのさ。もちろん輸送の分だけ割高にはなるが……坊主なら気にする必要ないだろ」
俺に目を向けてにやりと笑い、ジョッキを呷る彼。その飲みっぷりも含めて衛兵らしさをあまり感じないが、
「差し支えなければ、どこでそう判断したかを聞いても?」
「雰囲気とか態度とか色々含めてだが、一番は服の汚れが少なすぎることだな」
外から一番近いとはいえ、ここに来るまでそれなりに歩く。この樹海の中で雨に降られながら、何度も魔獣に襲われながら。だからここに来る冒険者は、準備をしていてもそれなりに汚れているのが普通なのだそうだ。
「ほんの少しの泥と返り血、それ以外は濡れてすらいない。ってことは魔獣に襲われて撃退するだけの力はあるが、そもそも交戦を避けてここまで来たんじゃないか? 走って逃げることも、藪に入って隠れるようなやり方もせず、淡々と道を歩いてきた感じだと思うが、どうだ?」
「おっしゃる通りです」
「ここに長くいれば、このくらいは当然ってもんよ」
そう言って横を見た彼の視線を追うと、酒場で飲んでいた冒険者達の内、数人が笑いながら軽くジョッキを掲げてきた。なんだか歓迎されているみたいだし、こちらも会釈を返す。
「樹海の探索は泥と血にまみれて当たり前。下調べや準備を入念にしたとしても、何かしらの問題が発生することはままあるし、ここに長くいる奴ほどそれが身に染みている。だから、そんな綺麗な恰好のまま樹海を抜けてくる奴は目を引くし、有望だと判断できるのさ。そして、そういう奴は歓迎される。
反対に……今来たなら、外にいた連中を見ただろ? あいつらも坊主と同じ新顔だが、ありゃダメだな。ここまでたどり着けた時点で腕が悪いわけじゃないが、樹海に対応できてない」
聞けば、彼らはやっとのことでこの拠点にたどり着いたが、自力では帰れなくなり、物資を運んでくる人に頼んで連れ帰ってもらおうとしているそうだ。
ただし、頼まれる方も物資運搬の仕事で来ている。持って帰れば金になる物が大量にあるのに、限りある収納スペースを無償で解放はできない。だから報酬と補填分のお金を稼ぐために、樹海のベテランの監督の下で外の草刈りと伐採をしているのだとか。
「新顔だとそういう奴らも珍しくないし、ここの維持には必要なことだが、はっきり言って実入りは悪いな。外の一般市民なら4人家族が1週間暮らせるくらいの額を日当として受け取れるが、ここだと生活費もかかるし小銭稼ぎにしかならない。
実力があって外を自由に動けるなら、個人的には植物採取がおススメだ。この近くだけでも貴重な薬草が多く生えているし、俺達には珍しくもないそこらの植物でも、植物学者にとっては貴重だとかで高値がつく場合もある。
あとはそうだな……あまり金にはならないが、土産にするなら放熱樹の種が手軽だぞ。そこらを歩いてればそれなりの頻度で種か実が落ちているし、魔獣を狩って捌けば腹の中からでてくるからな」
お酒のせいか饒舌で、聞いていないことまで教えてくれるが……放熱樹の種って、本当にいいのだろうか?
「ん? どうした?」
「放熱樹は周囲を浸食するとも聞いていたので、本当にいいのかと」
種が持ち出し禁止でないことは聞いていた、というか、逆に禁止するような注意点が調べた限り出てこなかった。下調べはそれなりのお金を払って冒険者ギルドに資料を用意してもらったので、間違いはないはず。
だから問題はないと思っていたけど、前世では外来生物法だったかな? 詳しくはないが、侵略的な性質を持つ特定の植物を勝手に採取して移動させると罰則があったことも知ってはいるので、改めて薦められると少し気になってしまう。
「ああ、少し勘違いしているな。放熱樹が侵食するのは、この樹海とその周辺に限った話だ。あの樹は“ある程度温かくて魔力の豊富な土地でしか育たない”らしくて、樹海から離れた場所ではまず発芽できない。
もし仮に発芽したとしても大きくは成長できないし、トレントのように近づいたら攻撃してくることもない。そんなの、ただの木だろ? 木質は硬めだが、やろうと思えば簡単に伐採できる。他所の土地なら邪魔をしてくる魔獣も、ラプターみたいな頻度で襲ってくる事は滅多にないだろうからな」
確かに普通の植物でも、発芽や生育に適した温度や条件はある。放熱樹の性質と樹が生み出す環境、生息する魔獣が全部合わせるととんでもなく厄介になるが、樹海の外で、樹だけならどうとでもなると判断されているのかな?
「国や各ギルドのお偉いさんはそう判断している。実際にここ10年くらいは、定期的に苗木を刈り取るだけで侵食も食い止められてるしな。無理に樹海を開拓しようとせず、現状維持に専念すれば問題ないのさ。
規制どころか、貴族から依頼された商人が種をかき集めて持っていくこともたまにあるくらいだぞ」
植物愛好家だったり、単に他人が持っていない珍しいものが欲しいだけだったり、そういう気質の貴族の中には大金をかけて育てようとする人が時々いるそうだ。放熱樹は樹海の固有種のようだし、そういうこともあるのだろう。
尤も、そういう貴族の末路は採算が合わずに途中で辞めてしまうか、逆に損切りができず追加資金を投入して損失をさらに大きくするかの2択らしいが……一番資金を圧迫するのは成長を促すための魔法薬だというので、俺なら外でも育てられそうな気がする。
ちょうどゴミ処理場を始めた影響で、スカベンジャーの肥料が生産過多になっている。自分達用の食糧生産に使ったり、スライムに与えて処理したりして消費しているけど、とても追いついていない。
残りは廃鉱山の坑道を使って保管しているので、まだ困るほどの状況ではないけれど……法的に問題ないのなら、肥料の処分も兼ねて放熱樹を育ててみてもいいかもしれない。もちろん繁殖には気をつけた上で。
「まっ、そんなわけだから、小難しいことは気にせず、稼げる奴は稼げるだけ稼げってことだな。
さて、そろそろ手続きをしとくか。ギルドカードを出してくれ。あと一応、ここにきた目的も教えてくれ」
思い出したようにジョッキを置き、テーブルに投げ置かれていた小さなメモ帳を手に取る男性。書かれた内容は何かに役立てられるのか、管理されるかも怪しいが、困ることでもないので素直に答えておく。
「ギルドカードはこちらに、目的はコルミ村まで行くことです」
「あいよ、リョウマ・タケバヤシ。目的はコルミ村。……どこだ? 樹海に呑まれた村だとは思うが、聞いたことないぞ」
「具体的な位置は――」
「コルミ村と言ったか? 随分と懐かしい名前だ」
説明しようとしたところ、背後から突然声がかかる。後ろを見れば、両手にジョッキを3つずつ、合計6つも持った老爺が立っていた。




