寄り道
本日、3話同時投稿。
この話は3話目です。
「何やってんだ!」
ギムルの街の某所……人知れず作られた部屋に、野太い男の怒鳴り声が響く。
「あんなガキ連れてきてどうする気だ! 追っ手がかかったらどうする!?」
「仕方ないだろ。外には警備隊や冒険者がうろうろしてるし、空には監視みたいな従魔が飛び回ってるんだ。ゾロゾロ走って逃げてたら、すぐに怪しまれて捕まっちまう」
「だからって、ガキに見られて、ガキの声を聞いた大人を袋叩きにして、慌ててガキを連れたまま逃げたなんて。目立たないように馬車を盗んだ意味がないだろうが!」
「あぁ? じゃあテメェは俺らが捕まってりゃいいってことか?」
窓がなく、広くもない。閉塞感の強い部屋の中に、険悪な空気が漂う。
そんな中、にらみ合いを続ける2人の男に声をかける者がいた。
「やめろ、鬱陶しい」
「頭、でもこいつは」
「お前の言うことは正しい。だが、俺らがこんな穴倉にいる理由を思い出してみろ」
「……街の連中と、新しく送り込まれた連中から身を隠すためです」
「そうだ、あの連中は信用ならねぇ。諾々と従っていたら、使うだけ使われて、用済みになったら始末されるだけだろう。街の連中に捕まった場合のことは、分かりきってる。
そいつがどっちかに捕まって、ここの情報が漏れたら、それこそ終わりだ。違うか?」
「それは……はい」
「今、俺らで争っても無駄だ。堪えろ。
お前もお前で、取り返しのつかないことになりかけた、そこは理解しとけよ。次はないぞ」
「ウス……」
頭と呼ばれたひげ面の男が間に入り、争いは収まった。
その様子を間近で見ていた他の仲間も、無意識に詰めていた息を吐く。
彼らがいる部屋には窓がなく、縦長。横幅は大人が両手を横に伸ばせるかどうか、という閉鎖空間だ。そこに13人もの男達が集まって、さらに諍いが起きていれば息苦しくもなるだろう。
「頭、あのガキはどうします? とりあえず便所に置いてますが……」
「帰すわけにもいかねぇし、ガキでも売り払えば多少は金になるだろう。ほとぼりが冷めるまでは、連れて来たお前が適当に世話しとけ。間違っても逃がすなよ? 逃げようとしたり、あまり騒ぐようなら殺していい。逃げるにも金は要るが、小金より見つからないことの方が大事だ」
「ウス」
「気になるのは追手だが……外の様子はどうだ?」
「従魔に警戒させていますが、今のところ異常は――」
頭の問いに答えた男の言葉が、途中で途切れる。
それにより、室内の視線が全てその男に集まる。
「どうした」
「リョウマ・タケバヤシが近くに、塀の外にいます」
「んだとぉ!?」
「警戒させてるんじゃなかったのかよ!」
「騒ぐな! おい、詳しく話せ。追手か?」
「いえ……追手ではなさそうです。おそらく、通りすがりかと」
「通りすがり?」
「それが、ドブ掃除をしているみたいで。持っているのも武器ではなくて掃除道具です」
それを聞いた男達は顔を見合わせ、次に鼻で笑った。
「脅かすなよ」
「まったくだ。この状況だと洒落にならんぞ」
そんな軽口も出てくるが、唯一、頭だけは硬い表情のまま。
さらにその顔からはじっとりとした汗がにじみ出ていた。
「お前ら、全員荷物を持て。ガキも連れて来い」
「頭?」
「早くしろ!」
「ど、どうしたんですか、急に」
「こんな時にドブ掃除なんておかしいだろうが! くそっ、寒気が止まらねぇ。こういう時は間違いなくヤバいんだ、さっさとここから逃げるぞ!」
「逃げるったってどこに」
「どこだっていい! このままここにいるよりは――ッ!?」
頭が逃走を指示する中、室内に異変が起こる。
「うおっ!?」
「臭ぇ!?」
「げっ、便所が溢れて――」
「どけ!」
細長い部屋の突き当たり、便所の扉の隙間から流れ込む汚水に戸惑う男達。その間を、青ざめた頭が分け入り、便所の扉に手をかけた。しかし、その扉は開かない。
「クソッ! テメェらぼさっとすんな! 襲撃だ!」
頭がそう声を張り上げるが、
「ぐわっ!?」
「な、なんだ!?」
「地揺れだ!」
その声は何かを削るような音に加え、部屋全体を激しい振動が襲ったことによる部下の悲鳴にかき消された。かと思えば次の瞬間、部屋の壁に大きな亀裂が走り、隙間から噴出した砂が荒れ狂う。
「ぐっ!」
目を開けることもままならない突然の砂嵐は、数秒間で過ぎ去った。体を打ち付ける砂の感触が消え、代わりに清々しい外気を感じた頭が薄く目を開ける。
「お、お頭!」
「見りゃ分かる……何度か見たが、ふざけた魔法だな」
厚く漂う砂煙が晴れるにつれて露になるのは、壁が、建物が、その場にあったあらゆる物が、自分達を中心に破壊され、廃墟と化した隠れ家の跡地。
そして、その廃墟を作り出したリョウマの姿。その背後には、武器を構える多数の大人。さらに後方では、捕まえていたはずの少年が保護され、慌ただしく運ばれていた。
即座にナイフを抜いて戦闘態勢を整える男達。
その内の1人が迷いなく、悠然と立つリョウマへ向かう。
目的は攻撃か、それともリョウマを人質にするつもりか。
……どちらにしても、男の狙いが実現することはなかった。
「よせっ! 不用意に――」
「ぐあっ!?」
不審な動きを見せた部下を頭が止める間もなく、どこからともなく高速で飛来した“野球ボールよりふた周りほど小さな球体”がナイフを持った腕を弾いた。
さらに、宙を舞ったナイフが地に落ちるよりも早く、
「だあっ!?」
左右からこめかみと顎、背後から軸足の膝裏。合計3つの玉が3箇所を打ち抜けば、男は短い悲鳴を挙げ、足元に広がる汚水の中に崩れ落ちた。
「無駄死にしやがって」
「殺してはいないよ」
頭が吐き捨てた言葉を聞いて、リョウマが部下の死を否定した。その傍らには、今まさに部下を打った謎の球体が4つ。まるでリョウマを守るように、ポンポンと軽い音を立てて弾み、地面と空を往復している。
それは、滑り止めなどのゴム製品を生産するために活用されていた“ラテックススライム”から進化した新種、“ラバースライム”。その名の通りゴムの体を持つスライムだ。
ゴムという素材が硫黄や炭素などを加えることによって、その物性を変化させることが可能であるのと同じように、ラバースライムは自身の物性を変化させる能力を持っている。
リョウマはこの特性を利用して、ラバースライムを“ゴム弾”として運用していた。
硬度と弾性を変化させ、地面や壁を高速で跳ね回る姿は玩具のスーパーボールに近いが、それでも硬い物が勢いよく当たればそれなりに痛い。質量があれば尚更に。
武術に長けたリョウマからすれば、跳ね回るラバースライムの威力は“人間を行動不能にするには”十分。効率的に力を伝えれば、たとえ鎧兜の上からでもそれなりの衝撃を通すことも、的確に急所に当てれば一撃で倒すことも不可能ではない。
むしろ一撃の威力が高くないからこそ、仮に流れ弾が民間人に当たったとしても、魔法や矢よりは被害は少なく、小さな怪我で済む可能性が高く、街中での捕物には向いている。
そう考えて、訓練をしていたリョウマだが……敵に詳細な説明をする必要もなければ、説明されたところで誘拐犯らにとっては関係のないこと。
リョウマは悠然とした態度を崩さず、通告する。
「一度しか言わない。武器を捨てて、おとなしく投降しろ」
「はっ……甘いな。どうせ俺らは捕まりゃ終わりさ。散れ!!」
頭が一喝すると、部下の男達が方々に駆け出した。
正面にはリョウマや大人達が待ち構えているが、他の方向には人の気配すらない。囲まれていないと考えるほど楽観的ではないが、一度に別方向に散れば、誰かは逃げられるかもしれない。その1人になれるかもしれないという僅かな希望に賭けてひた走った。
そんな部下を尻目に、頭と呼ばれていた男はナイフを腰溜めに構え、全身に気を纏う。頭はリョウマの提案は蹴ったが、逃走は既に諦めていた。故に逃げることはせず、ここで命を捨てる覚悟でリョウマに当たる――つもりだった。
「っ!」
しかし、踏み出そうとした足が動かない。足からは水の抵抗とは明らかに異なる感触が伝わってくる。ふと足を見れば濁った水が複数の“人の手”の形を取り、自分の足を掴んでいるではないか。
「ちっ!」
頭は一も二もなく、全力で水の手を引き剥がし、駆けた。せめて一太刀、かすり傷でも与えられれば、一瞬でも時間を稼げればいい。勝ち目がないことは悟っていても、一人の人間として、下らぬ意地を通すため。手の内の刃を目の前の少年に突き立てる。
虚仮の一念で、自らにできる限りの強化を施し、突き進もうとする。
体を掴む手を強引に引きちぎり、進路を阻むように伸びる腕を振り払う。
水の手は人の手の形をしていても、やはり水。一本一本にそれほど強い拘束力はないものの、切り裂かれようが振り払われようが、次の瞬間には復活する。全身を絡め取られ、さらに足元は泥で滑り掬われる。
どれだけ力を振り絞ろうと、その場から逃れることはできなかった。
「くそっ!?」
「離せコラァ!」
水の手が襲うのは頭だけではない。逃げようとしていた部下達も全力の抵抗を見せるが……時すでに遅し。気付けば元隠れ家とその周囲は、湧き上がる汚水の沼と化し、なおも範囲を広げている。
無数の手が湧き出る沼……それは汚水の濁りと発する悪臭も相まって、さながら罪人を奈落へと引きずり込む悪霊のよう。むき出しの道までは近い者で10メートルもない。本来なら“わずかな距離”だが、誘拐犯達にとっては、大河の対岸の如く遠くに見えた。
「くっ……」
抵抗空しく、部下の声が、1つ、また1つと消えていく。
周囲に満ちる沼が全て敵という、打開策のない状況。
全てが沼に沈むまでは、そう長い時間ではなかった。
「……化物め……」
最後まで奮闘した頭が沼に沈む。
沼の上には悠然と佇み、無数の腕を従えるリョウマだけが残った……
■ ■ ■
「しぶとかったな……皆さん、あれ?」
誘拐犯の鎮圧を確認して、俺の魔法を合図に集まってくれた方々に声をかける。そのつもりで振り向くと、ほとんどの人が離れた位置にいた。
「ユーダムさん、あれ何やってるんですか?」
「店長さんの魔法から避難してる。僕は店長さんの魔法の精度を知ってるけど、よく知らない人からしたら、巻き込まれかねないと思ってもしょうがない威力だったから。あと、泥の魔法がものすごく怖いし臭い。護衛ってことになってなかったら、僕も正直近づきたくない」
「あー、なるほど。“捕まえる”ということを意識していたからですかね? 別に不気味にしようという意図はなかったんですが……」
「終わったことだしいいんじゃない? それより“捕まえた”んだよね? 沈んだように見えたけど、殺してない?」
それについては大丈夫だ。
「一応、空気は与えてます。必要なら完全に鼻と口を塞げますが、今は水圧で動けなくしているだけです」
「なら、さっさと捕まえてしまった方がいいね。制圧完了ー!」
ユーダムさんが声を張り上げると、後方に控えている方々が走ってきた。
「少しずつ泥を取り除いていくので、確保をお願いします」
「わ、分かった。しかし、酷い臭いだな……」
「まぁ、汚水と汚泥ですからね。それよりあの子は? 命に別状がないことは確認しましたが」
「無事だよ。縛られてはいたけど怪我もなかったし、もう病院に搬送したから」
「そうですか、よかった……」
「では、私もこれで」
俺に一礼して、警備隊から派遣された分隊の方々が駆けていく。
あとは少しずつ汚水と汚泥を元の排水路に戻して、捕まえた連中を警備隊に引き渡して終わりだな……
「っと、大丈夫っすか? 兄貴」
「ふらついてますよ」
「ああ、少し気が抜けただけだから。大したことはないよ。それより手伝いありがとう」
「礼を言われるほどじゃないっしょ」
「俺ら、ほとんど突っ立ってただけだしなぁ」
そう言って笑う若手不良冒険者集団。彼らも誘拐犯の居場所を確かめるのを手伝ってくれた。汚水と汚泥を食べる2種のスライムと、町中に張り巡らされた排水路を心当たりの確認に使ったので、慣れた手伝いがあるのは有難かった。
しかし……流石に少し負荷がかかったな……事前に集めていた情報である程度候補が絞り込めて、またそれが当たっていてよかった。
「それにしても、まさかこんな貸し倉庫を隠れ家にしているとはね。しかも見た感じだと、内部を改造して壁と壁の間に隠し部屋を作ってたみたいだし」
「いつからかは分かりませんが、敵は随分と時間をかけて工作をしていたんでしょう。こんな改造をしている以上、この貸し倉庫の関係者にも協力者がいそうですし……まぁ、そのあたりは警備隊の仕事ですから、お任せしましょう」
そんな話をしているうちに、誘拐犯の捕縛が終わったようだ。
移送用の馬車に詰め込まれる男達を尻目に、警備隊の責任者の方に挨拶をする。
「それでは、僕はこれで失礼します。もしこの貸し倉庫のことで何か訴えや賠償請求があれば、僕と警備会社に連絡をください。緊急事態とはいえ、派手にやった自覚はありますから」
「上に伝えておこう。それから……誘拐犯逮捕にご協力、ありがとうございました」
警備隊の責任者が居住まいを正し、敬礼。それに気付いた他の隊員の方も、何を思ったか若手達やユーダムさんまで敬礼をしてくれたので一礼を返したら、帰宅のために空間魔法を使用。
北門から街を出て、さらに空間魔法で帰宅した。




