嵐の前の静けさ
朝の日課を終えたら、その足で出勤。
洗濯屋の前でユーダムさんと合流したところ……今朝の彼は目が死んでいた。
「おはようございます。何かありましたか?」
「いつも通り、いや、いつも通りだからこそというか……店長さんのその魔法に対して違和感を覚えなくなりつつある自分に困惑してる」
ああ、なるほど。
この水を集めてその上に船を浮かべての移動。しかも道の掃除や除雪もしながら一時間以上維持するとなると、やはり一般的な魔法使いでは魔力的にも技術的にもかなりキツイのだろう。
それを平然と行っている俺を見て、スルーしかけたと。
彼もだんだんと慣れてきているようだ。
それなら問題はないだろうから、さっさと船を片付けて仕事に向かう。
今朝の仕事場は、うちの店から目と鼻の先。街の東に位置する“住宅街”で、人力による除雪作業だ。早朝からスライム魔法を駆使していたが、大雪は街全体に降っているので、除雪作業を必要としている場所はそれこそ街中にある。
「いまさらだけど、どうせ雪かきをするなら、船を片付けずにそのまま行けばよくない?」
「確かにやることは手作業か魔法かの違いですが、小船とはいえ狭い道には入りにくくなりますし、街中の隅々までやると流石に魔力が持ちません。
魔力回復ポーションをがぶ飲みするのも良くないですし、あの方法での除雪は、基本的に人通りの少ない早朝、ある程度大きな通り、人手がどうしても足りていない場所に限定、ということにしてます。
ある程度明るくなれば、ギルドの依頼を受けた冒険者や役所の手配した人員。あとは街の方々も自主的に作業を始めてくれるので、無理をする必要もないですから」
「それもそうか。っていうか、魔力切れは普通にするんだね。早朝からそんなことして平気そうにしてるから、船が何かの魔法道具か、魔石を魔力の供給源として隠し持ってるか、何かしらの魔力の供給方法がある可能性も考えてたんだけど」
「まさか、そこまでの手間はかけてませんよ」
「だよねぇ、見た感じ全然そんな雰囲気なかったし。……いや、そういう仕掛けやポーションで小細工をしている、って言われた方が普通は納得できるはずなんだよなぁ……」
ユーダムさんは葛藤している……別に“仕掛けがない”とは言ってないんだけどね。
ちなみに、除雪作業は事故が起こりやすい。
軒下では屋根に積もった雪が滑り落ちてきて怪我をする、あるいは雪の重みで動けなくなる。
高所での作業中、落下はもちろん、雪の溜まった場所に落ちて埋まり、抜け出せなくなる。
そういった事故の事例が沢山あるので、注意や準備はもちろん、必ず複数人で作業することが大切だ。
と、そんな話をしているうちにもう到着だ。
「このあたりから始めましょうか」
「ああ、了解」
まだ除雪のされていない住宅街の通りで作業を開始する。
まずはユーダムさんが慣れた様子で、排水用の側溝の蓋を開けていく。
そこに俺が、
「今日もお願いね」
空間魔法で取り出したフィルタースライムに側溝の両端を封鎖してもらい、同じく取り出した水瓶から、“スウェッジスライム”と“スラッジスライム”を投入。
この2種は毒属性の魔力を好むアクアスライムが汚水を、マッドスライムが汚泥を餌として進化したスライムで、スカベンジャースライムのように悪臭放出スキルを持つ。その他は進化前のアクアスライムとマッドスライムと大差ない。
人に話すと“アイススライムはアクアスライムが寒くて凍っただけじゃないか?”と思われるように、この二種類も“汚れただけじゃないか?”と、本当に進化なのかと疑問を抱かれる不憫なスライム達だ。
彼らは寒波が来る前に、ドブ掃除の仕事をやりまくった成果でもあり、ドブ掃除に役立つスライムでもある。
なにせ汚水と汚泥を主食とするのだから、側溝に入れておけば勝手に食事=掃除をしてくれるのだ。ちゃんとした場所を用意して整備すれば、下水道や大規模な汚水処理にも役立つだろう。他にも——
「店長さん? どうかした?」
「あっ、いえ、大丈夫です!」
いけない、スライムの活用法のことに没頭しかけていた。今は仕事だ。
気持ちを切り替えて、側溝に以前神々相手にプレゼンをした“黒色粉末”をスティッキーの硬化液板に混ぜ込んだ“吸光発熱板”を、側溝の幅に合わせた銅管の上に取り付けた、通称“太陽熱温水器”を複数設置。
これで側溝内に放り込んだ雪を溶かして溜め、さらに雪を溶かすに十分な程度に水温を上げ、雪を捨てる“融雪槽”と呼ばれる装置の代わりとすることで、除雪作業の効率を大きく引き上げることができる。
……ただこの装置、板が光を受けて発熱し、その熱を銅の管から側溝内の水に伝えて温めるとてもシンプルな構造で、個人的にはまだまだ未完成。日本で使われている、ちゃんとした太陽熱温水器ほどではなくとも、もう少し工夫できると思う。
だが今回は、試作品を用意して商業ギルドのグリシエーラさん達と協議した結果、
・発熱板の発熱量が大きく、使用には十分。光魔法を併用すればさらに効率的。
・作業員、特に冒険者は魔法使いでなくとも、明かり用に光魔法の初歩である『ライト』だけは習得している人がそれなりにいる。
・シンプルな構造であるが故に、街の職人でも銅管部分は製作可能=大量生産が可能。
・大量生産して、街中に配備することで、作業員全体の作業効率を上昇させよう。
・今は完成度よりも、積雪対策が優先。
このような話になり、最終的に改良はせず、商業ギルドが職人達へ銅管の大量生産を依頼。そして俺が発熱板を作れるだけ作って商業ギルドに貸与。2つを組み合わせた温水器を商業ギルドが管理して、作業員に使ってもらうという形で話がまとまった。
発熱板が貸与なのは、街のために必要とはいえ、まだ実験段階の道具であり、今のところ販売は考えていないためだ。将来的に、というか、ラインハルトさん達の許可が取れたら、改良した温水器を作って、銭湯でも作ってみようかと思っている。
現状のシンプルな温水器でも、銅管部分は真夏日の車のボンネットより熱くなる。温水器自体の改良・効率化に、大型のかまどを組み合わせれば不可能ではないだろう。商売として継続できるかは実験と見積もりをしないとわからないけど……
「それっ!」
温水器の設置後は、単純な肉体労働。普通に雪かきをするだけだ。
単純作業なら、考えながらでも体は動く。
空間魔法で取り出した、硬化液板をプラスチックがわりに作った“ブルドーザーの先端がついたような道具”で一気に雪を側溝へ押し込む。後は側溝内の温水器と水とスライム達が溶かしてくれる。
一定以上の水はフィルタースライムが濾過して側溝の先に流してくれるので、水が溢れ出すこともない。サクサクと快適に作業が進んでいく。
「あら、おはよう」
「ああ、お婆ちゃんおはよう」
作業をしていると、ユーダムさんがお家から出てきたお婆さんに声をかけられていた。
「もう家の前は雪かきしてくれてたのかい、ありがとねぇ……それじゃ私は雪おろしでもしようかね」
「お婆ちゃん、屋根に登るの? それなら危ないから僕がやるよ」
「ええっ、家の前もやってもらったのに、悪いよ。それに私は足腰はそれなりにしっかりしてるんだから」
「いいからいいから。店長さん!」
「はい、お話は聞こえていました。私有地に勝手に立ち入るわけにはいかないので、これまでは道路の除雪だけでしたが、おばあさんが良ければ、雪おろしも喜んでやらせてもらいますよ。屋根の雪下ろし用の道具も準備しています」
雪下ろし用というか、雪対策の道具類に関しては、前世の大雪で酷い目にあった経験から、一時期ネットや動画サイトで調べまくっていたので、それらを思い出せる限り再現してみた。
個人的に雪下ろしで特に使い勝手がいいと思うのは、長い棒の先に雪を切る金具と防水布を取り付け、切り出した雪の塊を布の上で滑らせて、効率的に雪おろしのできる道具である。
「それに今は緊急時だからね。証拠として一筆書いてもらえれば、僕らは事後報告でもギルドから報酬を受け取れるんだ。そのために役所から補助金が出ているし、依頼主、今回の場合お婆ちゃんの負担はないからお得だよ」
「そうなのかい?」
「そうそう、だから遠慮せず雪おろしは僕らに任せてよ」
「それじゃあ……お願いしようかねぇ」
ということでお婆さんの家の雪おろしをすることになったが、その準備中、
「あのお婆ちゃん、お年寄り扱いされるの嫌みたいだね。ちょっと気をつけとこうか」
お婆さんに聞こえないように、こっそりと伝えられた一言。
もしやユーダムさんはそれを瞬時に把握して補助金の話に持っていったのか?
やや強引に話を持っていったけど、お婆さんも気分を害してはいないようだ。
それに以前、除雪作業中に無茶な要求をしてくる人がいたときも、彼は軽く対処していた。
ユーダムさんは言動こそ少々軽い感じだけれど、基本的に親切でいい人だし、感情の機微に聡いというか、人との距離感の取り方が上手いのかな? 一緒に行動していると、そう感じることが多い。
「ところで店長さん、最近何かあった?」
「何か、とは?」
「なんとなく、店長さんが前みたいにピリピリし始めてるかな、って思ったから」
……本当に、よく気づく人だ。顔や態度に出したつもりはないのに。
「僕もなんとなくですし、前のようなことをするつもりもないですが、どうも嫌な空気を感じるような……そんな気がするんですよね」
「そっか……僕は最近は穏やかなくらいだと思ってたよ。一緒にいて妙な視線も感じないし、何よりこの雪だからね。敵側が何か企んでいたとしても、この雪は向こうも予想外の邪魔なんじゃないかと」
「それは確かにそうかもしれません、ただ……僕が相手の立場なら、態勢さえ整えばすぐにでも仕掛けるかな、と」
自分の中にある漠然とした感覚を、言語化しようと試みる。
「えっと、確かにここ最近はとても穏やかな日々です。でも、それが逆に気持ちが悪いというか……嵐の前の静けさのような……そもそも敵の目的は公爵家への嫌がらせ、端的に言えば私怨か何かからの行動ですよね? なのに直接公爵家の人を狙わず、街を荒らして公爵家の評判を下げるように動いている。
襲撃など、直接手を出せば嫌がらせの範疇を超えますし、足がつきやすいということもあるかもしれませんが、それ以上に気になるのは相手が、少なくともこの計画を指示している人間は、荒れた街のことを考えていない。いや、“目的を達するためなら、無関係な人を巻き込むことに躊躇がない”ように思えるんです」
「……うん、街の人にとっては迷惑じゃ済まないよね。実際、僕がこの街に来た頃はもっと雰囲気悪かったし、泥棒被害とかも増えてたらしいし、無関係な人を平気で巻き込むってのは間違ってないね」
「そうなんです。そんな相手が、目的を達しないまま諦めるでしょうか? 僕にはそうは思えません。
それに、ギムルでの敵の活動の影響は、今のところ抑えられていますし、王都ではラインハルトさん達が動いていると聞いています。これは敵からすれば、計画は上手くいかず、さらに自分の尻尾を掴まれかねない状況まで追い込まれていると言っていいでしょう。
“窮鼠猫を噛む”と言いますし、追い込まれた敵がなりふり構わず、捨て身で何かを仕掛けてくる可能性はある……いえ、かなり高い気がします」
なぜなら、相手のことを考え、相手の立場になって考えるほど、そう思うから。
「大雪は敵にとっても予想外で、邪魔になったかもしれません。しかしこちらもほぼ予想外、突然の大雪で対応に追われている状況でもあります。もう後がないのなら、一か八か、最後の勝負に出る……かも? 確証はないですが」
そう伝えると、ユーダムさんは納得した様子。
「こちらが油断を見せれば隙を突いてくることは考えられるものね。分かった、僕も警戒を強めておくよ」
「ありがとうございます。何事もなければ、なにもなかった、でいいので備えだけは万全にしておきましょう。関係各所にも緊急時の対応マニュアルの再確認は要請していますし……とりあえず今はそれくらいですね。
ユーダムさんが仰るように、今が比較的穏やかなのは事実ですし、穏やかなうちはのんびりしていていいでしょう。……でないとまた、それこそ前みたいになりそうですし……」
俺としても、あれは黒歴史というか、あの状態に戻りたいとは思わない。
しかし確証のない、なんとなくの話にも、彼は真剣に応じてくれるのでありがたい。もちろん他の協力者の皆さんもそうだが……彼らがいるから、俺は今こうしてのんびりと、あの時のように焦らずにいられるのだろう。




