夜会での一幕
エリアリアが両親と共に、国王エリアスと面会をした日から、一週間ほど後の事……王宮で最も広い大広間では、国王主催の大規模な夜会が開かれようとしていた。
大広間は階段状に6つに分かれ、一番奥に主催者である国王と王族。次の段に公爵家、その次に侯爵家。さらに伯爵家、子爵家、男爵家と、待機位置が決まっている。
入場は夜会の正式な開始時刻に間に合うように、それでいて身分が下の者ほど早く、上の者は遅れてくるのが慣例だ。
そして現在は、ほとんどの参加者が入場し、夜会が正式に始まる前の待機中といったところ。とはいえ実際には、既に参加者は各々で歓談を始め、生き馬の目を抜くような貴族のやり取りは始まっているのだが……今日の夜会は、それだけではなかった。
この日の主役は、今年学園に入学した貴族家の“子供達”。
彼らは将来、国を背負って立つ人物になることを期待され、祝福され、そして見定められるために、自覚の有無は問わずにこの場に集められている。
また、子供達の周囲にいるのは、夜会に不慣れな息子や娘のことを純粋に心配する親だけではない。子供が不作法のないように目を光らせる親や、子供の将来の結婚相手を探す親などもいて、独特の緊張感が漂っている。
仮にこの場に、地球の日本出身のリョウマがいれば“とんでもなくギスギスした授業参観”とでも表現するだろう。
そんな会場に、また1組。今年入学の子供と親が訪れた。
来場を知らせる鐘の音が鳴り響き、会場にいる者の注意を引く。
一拍置いて、出入り口に立つ職員が声を張り上げる。
「ジャミール公爵家当主、ラインハルト・ジャミール様! ならびに奥方、エリーゼ・ジャミール様! 御令嬢、エリアリア・ジャミール様! ご入場!」
3人は大広間の構造上、先に入場していた大勢の視線に晒されることになる。
だが、そんな視線を意に介せず、優雅な立ち居振る舞いを見せた。
また、この日の彼らの衣装には、それぞれ大粒の真珠を用いたアクセサリーが付いている。
それらも彼らの立居振る舞いと共に注目を集め、会場に集まる貴族達やその子女達の間にざわめきが広がる。
「さすがはジャミール公爵家の方々だ、我々とは格が違う」
「エリアリア嬢も今年入学したばかりのはず。いやはや、なんと堂々としたことか」
「あれがジャミール公爵なの? すごくかっこいい……お父様と大違い」
「エリーゼ様の深紅のドレスに、エリアリアお嬢様の鮮やかな青を基調としたドレス、どちらも素晴らしいわ。そしてあのアクセサリー」
「ラインハルト様は胸元にブローチ、奥方と令嬢の2人は耳飾りに、あんな大粒の真珠をいくつも使うなんて……流石は公爵家ね」
「生地や糸の品質は当然として、デザインは露出も少なくて、派手でもない。それだけにアクセサリーがよく目立つし、全体的に品がよく見えるわ。やっぱり派手さを競うだけの成金下級貴族とは違うわね」
「お父様。あのアクセサリー、私も欲しいわ」
「あ、あれをか? 真珠は1粒でも値が張るのだぞ……」
「あれほど綺麗な真珠なら、女性なら誰でも興味を持ちますわ。ねぇ、あなた?」
「帰ったら宝飾店の人間を呼びなさい。金を積めばいくらでも手に入るだろう」
「そんな、あなたはあの真珠の価値がわかってないの?」
「あんなもの、ただの宝石だろう。店に注文すれば手に入れられるさ」
人波を割ってできた道を 優雅に進む親子の後ろには、多数の声が生まれては消える。
この日の夜会は立食形式。移動も自由とされているが、ここで3人に声をかける者はいない。
夜会のマナー、暗黙の了解というものがあり、基本的に自分より上の身分の相手へ、下の者から話しかけることは非礼とされているからだ。声をかけるのならば、相手と繋がりのある誰かに仲介を頼むか、相手からの声かけがあるのを待つ。呼び止める、などというのはもってのほかである。
こうして妨げる者もなく、悠々と用意された位置へと着いたラインハルト達は、他と同じく夜会が始まるまでの時間を利用して、付き合いのある家の者に挨拶を行う。同格である公爵家から、侯爵家。そして、伯爵家へ……
「歓談中に失礼、そこにいるのはバルナルド伯爵だろうか?」
「これは公爵閣下。私のような者にお声がけをいただけるとは、光栄です」
「まあ、そう固くならずに。貴方には一度お礼をしなくてはと思っていたところなんだ」
「お礼、ですかな?」
突然声をかけられ、さらにお礼という言葉に対して記憶を遡ってはみたが、心当たりがない。そんな伯爵に対し、ラインハルトはさらに続ける。
「ああ、貴方のご友人にもお礼を、と思ったのだが……今日はサンドリック伯爵は来ていないのかな?」
「サンドリック伯の姿は、みていませんな。どうも最近は忙しいようで」
「ああ、確かに彼は近頃忙しいだろうね。では、ファーガットン子爵、ダニエタン子爵、アナトマ子爵はどうだろうか? 下にいないだろうか?」
「さぁ、どうでしょうな」
「そうか……いや、何分お礼をしなければいけない相手が多くてね。ところで、本当に心当たりはないのかい?」
伯爵は、当然の如く、ラインハルトの目的が言葉通りの意味での“お礼”ではないことに気づいている。しかし、それでもしらを切ろうとする伯爵に、ラインハルトは笑顔でさらなる圧をかけていく。
「おかしいな? 新しい街の建設計画が進んでいる我が領に、貴方の領地から多くの人が送られて来ていて、とても助かっているんだが、知らないと? 送られてきた人は数百人という規模なのだが、それだけ大規模な人の流出に気づかないとは」
その会話は決して大きな声ではない。しかし、ラインハルトは公爵。はるか上にいるはずの人間が、わざわざ伯爵の待機位置まで降りて来て、語りかけている。
そこまでして会話をする内容と相手が単純に気になった者、あわよくば自分も関係を持てないかと画策する者など、その一挙手一投足に密かに注目している者が、周囲には大勢いた。
結果として、
「いったい何の話をしているんだ? 数百人規模?」
「それだけの人数なら、村が1つ消えたようなものだろう。農村の出稼ぎにしても、少しばかり多いのではないか?」
「自ら公爵に協力するために送り出したなら、移動すること自体は別におかしくもないが……当の本人は知らんと言っているし、どういうことだ? 領民が逃げ出したのか?」
「領民の移動の理由よりも、問題は伯爵がその事実を知らないと言っていることだ。それだけの領民の流出になぜ気づけない? 彼はどんな領地の管理をしているんだ?」
「もし仮に、脱走だというなら、どうしてだろうか……領地の管理、経営に特別な問題を抱えているとは聞いていないが……実際はあまりよくない状況なのだろうか?」
ラインハルトとバルナルド伯爵の周囲では、聞き耳を立てていた人々が、引き続き様子を窺いながらも、推測を小声で語り始める。それも会話の断片というあまり多くない情報量から、バルナルド伯爵にとって不都合な方向に。
さらに、一部の特に耳の早い貴族の中には、事前に得ていた情報を組み合わせる者もいた。
「彼は全てを知っていて、知らないふりをしているのでしょう」
「何故ですか? そんなことをしても意味がないでしょうに」
「いいえ。知っていると答える方が不都合と考えたのでしょう、彼は」
「あら、貴女なにか知っているの?」
「ええ、先日耳にしたのですが……ほら、公爵領があまりよくない状況だという噂があったでしょう?」
「ああ……ラインハルト様はまだお若いですから、仕方ない部分もあるとは思いましたが」
「なんでもその噂は、他家によって仕組まれたものだという話ですわ。複数の家の者が共謀して、街の厄介者を集めて公爵領に捨てたとか、闇ギルドの人間を使ったという話もありましたね」
「まぁっ! でも、言われてみれば、例の噂もまるで誰かが意図的に流布しているようでしたね」
「闇ギルドを使うなんて、恐ろしいわ。でも、だから伯爵は……」
こうして貴族の間に、新たな推測が、波紋のように広がる。
そして話題の元であるバルナルド伯爵からは、さりげなく人が離れていく。
誰も、公爵家に目をつけられた人間の味方などしたくはない。
敵の味方と間違えられて、公爵家の顰蹙を買いたくない。
とにかくバルナルド伯爵と親しくして、公爵の怒りや報復に巻き込まれては困る。
徐々に見放され、孤立していく気配を悟ったバルナルド伯爵は、表面上は余裕を保ちつつも、内心では焦り、打開策を探す。
そんな状況で、
「まぁ、今日は夜会だ。この話はまたいつかにしよう」
ラインハルトの方から、この会話を終わらせた。
この事実に、伯爵の脳内には一瞬で驚きと喜び、そしてラインハルトへの嘲笑が駆け巡る。
「では失礼する」
「お声がけありがとうございました」
表面上だけでなく、内面にも余裕が生まれた伯爵は深々と頭を下げ、離れていくラインハルトを見送る。その姿は今まさに、不穏な意図を裏に隠した会話を終えたとは思えないほど、穏やかで優雅なものだった。
その後のラインハルトは、妻と娘を引き連れて、挨拶を続ける。
「ファットマ伯爵、久しいな」
「おお! お声がけありがとうございます、ジャミール公爵閣下」
「学生時代は世話になった。妻と娘を紹介したいのだが、いいかな?」
「もちろんですとも!」
「よかった。エリア、彼が私の学生時代の先輩でもあった、ファットマ伯爵だよ」
「ポルコ・ファットマと申します。お見知りおきを、お嬢様」
「エリアリア・ジャミールと申します 。こちらこそよろしくお願いします。お父様からお話は聞いていますわ」
ラインハルトの先輩であるポルコ・ファットマと合流。
「お母様、あちらに」
「あら? そうね、行きましょうか」
「失礼、ウィルダン伯爵とクリフォード男爵、並びにご家族とお見受けする」
さらにエリアリアの友人である、ミシェルとリエラの両親とも合流。
「公爵閣下! 私のような者に、お声がけありがとうございます」
「男爵、そうかしこまらずに。お2人のお嬢様には、私の娘が世話になっていると聞いている」
「こちらこそ、閣下のお嬢様には娘の、このリエラが学園でお世話になっているそうで」
「私の娘、ミシェルもです。変わり者の娘なので、心配していましたが、お嬢様のおかげで学園に馴染めているようで安心していたのです」
「いやいや、こちらこそ助かっている。優秀な子供達だと聞いているし、これからも末永く娘と良い関係でいられることを願っている。もちろん、親である我々も」
「「光栄です」」
親同士の会話が一通り終わると、形式的にそれぞれの家族の紹介を済ませ、しばし談笑。
そうしているうちに、夜会の正式な開始時刻が訪れた。
大広間の片隅に用意された鐘を、係員が数回鳴らし、夜会の開始を告げる。
同時に、公爵家を含め、挨拶回りをしていた貴族達がそれぞれの待機位置へ戻る。
この参加者の移動が終わったことを、鐘の傍で確認した係員が跪き、顔を伏せる。
それを合図として、来場者も王族の席を向いて同じ行動をとった。
大広間、最上段の端。
分厚いカーテンで隠されていた扉から、国王と王妃が腕を組み、粛々と入場。
2人がそれぞれに用意された席に座ると、
「面を上げよ」
王の号令に従い、来場者は跪いたまま顔だけを上げた。
「皆の者、我は今年も無事にこの日を迎えられたこと、そしてこの国の未来と言っても過言ではない、若人達の顔を見られることを心より嬉しく思う。
さて、長い挨拶は若人達には退屈であろうし、我も好まぬ。今宵は料理と飲み物、他者との交流を存分に楽しむがいい。……各々、杯を持て!」
ここで来場者に、飲み物のグラスが配られ始めた。
しばし飲み物が会場の全体に行き渡るのを待って、国王は告げる。
「国と若人達の未来に! 乾杯!」
杯を掲げる王に合わせ、来場者はグラスを掲げ、その中身を飲み干す。
こうして今宵の夜会が正式に始まる。
……そう、ここからが始まりなのだ。
「行くよ、エリア」
「はい、お父様」
公爵家の3人は、大広間を行き交う給仕の係員にグラスを返却。その足で、国王陛下と王妃殿下への挨拶に向かった。当然ながら、その一挙手一投足も来場者の注目を集め……目端の利かない者でも気づく。王妃の首に、真珠のネックレスがあることを。公爵家の3人が全員真珠のアクセサリーを身につけていることは、もはや周知の事実。
会場で真珠に興味を持っていた女性、そして女性にねだられた男達は、もしやと考えた。その答えは、“王妃からの礼”という事実によって肯定された。ジャミール公爵には今後、真珠を欲する貴族が擦り寄っていくことだろう。そして、ただでさえ大きな影響力はさらに拡大する。
それを望まず、不快に思う貴族達もいる。たとえば先ほどラインハルトに声をかけられた、バルナルド伯爵。彼は公爵家と王家が親密だと明確に分かるやり取りから目をそらした瞬間、偶然にも自分の知る2人組の姿を捉えた。
それは、ラインハルトとの会話で名前の挙がった、ファーガットン子爵とダニエタン子爵。自分と同じく、自領から人を送ったはずの2人が、顔を青くして何かを話し合っている。おそらく、考えていることは同じなのだろう。
伯爵はそう考えて、2人に声をかけた。
「ファーガットン子爵、ダニエタン子爵」
「ば、バルナルド伯爵!」
「お声がけ、ありがとうございます……」
「今は挨拶などいらん。それよりお前達、考えているのは例の件だろう?」
「は? あ、いえ、無関係ということはありませんが」
歯切れの悪いダニエタン子爵に苛立つが、夜会で騒ぎ立てるわけにもいかない。
声を抑えて問いただすと、代わりに答えたのはファーガットン子爵。
「それが、ここに来てから皆が我々の悪評を話題にしているのです」
「何? 我々というのは」
「伯爵が仰った“例の件”に関係する、我々です……」
この話を聞いた伯爵は、周囲の会話に耳をそばだてる。
「ねぇ、あなたご存じかしら? ファーガットン子爵の浮気のお話」
「そうだ、借金といえば、ダニエタン子爵は大変だそうですわね」
「私の息子が徴税官をしているのですが、ルフレッド男爵が脱税をしているようで」
「ああ、聞きましたよ。セルジール子爵、地元では金と権力にあかせて好き放題だとか」
「サンドリック伯爵はご領地に、随分と懇意にしている商会があるそうですね」
「ジェロック男爵は毎晩のように女性のいるお店で遊び歩いているとか」
次から次へと、聞こえてくるのは同じ計画に参加した者達の悪評。もちろん、自分の悪評も含まれている。しかも恥ずかしさから隠していた些細な秘密から、裏で行なっていた悪事に関することまで、詳細に話題にしているではないか。
「これは、どういうことだ、あの男から何も聞いてないのか」
「我々は何も、ただ、何者かが吹聴しているのは間違いないようです」
「しかし、それにしても話題の出所が多く……これではまるで、皆が競い合っているようじゃないか」
ファーガットン子爵の呟きを耳にした伯爵は、違和感の正体に気づいて愕然とした。
確かに、周囲の貴族達が競い合うように、自分達の悪評を広めているのはおかしい。
だがそれ以上に、貴族達があけすけに会話をしているのが異常だった。
貴族同士の会話は、裏の読みあいが常。下手な言質を取られぬように、曖昧な言い回しを多用する。
無論、その匙加減は時と場合、相手との関係によっても変わってくる。
しかし、他家の評判を下げるようなことを、このような公の場で不用意に口にすれば、その家の者に侮辱と受け取られる可能性もある。仮に侮辱ではなく事実だったとしても、禍根を残す可能性が高い。
そんなことを、このような場で、ここまで明確に口にすることは、貴族同士の会話では“ほとんど”ない。
……ただし、例外もある。
そしてこの場の雰囲気は、その例外が起きた場合の雰囲気に近い。
そこに思い至った伯爵の顔から、一気に血の気が引いた。
なぜならその例外となる時は、貴族としての終わりと同義。
どこかの家の不祥事が発覚し、処分を受けたことが話題に上った時だ。
そこでは悪評も侮辱も黙認される。
度を越えていたとしても、よほどでなければ軽い注意ですむ。
なぜなら、不祥事を起こしたのは事実であり、処分を受けるような者が悪いのだから。
そして何よりも、貴族としての体面を汚した者には、もう何もできない。
たとえ命があろうと、名誉を重んじる貴族社会では、相手にされなくなってしまう。
その時点で、貴族としては“終わった”も同然なのだから。
「ッ!!!」
自分達がそのような、終わった人間として扱われている。
周囲から感じる視線が、いつも集めている視線とは異なっている。
否、そうなるように、ジャミール公爵が仕向けたのだ。
自分達の気づかぬうちに、どうやってか外堀を埋めていたのだ。
そう認識した伯爵の手足が震えだした、そのときだ。
国王が口にした言葉で、大広間が沸いた。
伯爵の耳には、国王の言葉は届いていなかった。
しかし、周囲にいる貴族達がすぐさま話題にするので、否が応でも耳に入る。
“国王陛下が、ジャミール公爵の献上した真珠にお墨付きを与えた”
それはすなわち、公爵の扱う真珠の価値がさらに高まったということ。
お墨付きを受けた真珠を欲する貴族達が擦り寄る、ということ。
公爵家の影響力が、さらに強くなるということ。
それは、今の伯爵にとって絶望でしかなかった。
この状況をいかに切り抜けるか、保身に走ることを考える。
しかし、助かる道が見つからない。
それこそ恥も外聞もなく、地に頭をこすり付けて許しを請うくらいだ。
これといった策は浮かばず、理由にもならない言い訳ばかりが脳内を駆け巡る。
伯爵はもはや呆然、といった出で立ちで、いつの間にか下を向いていた顔を上げる。
この時、偶然にも挨拶を終えたラインハルトと、伯爵の目が合った。
「あ、ぁぁあぁ……」
伯爵の目に映ったのは、笑顔のラインハルト。
2人の間に会話は一切なかった。しかし、それで伯爵は理解した。
先程、自分を追及しなかったのは、詰めが甘いからではないのだと。
もはや追及する意味もない。それほどに、既に自分は詰んでいるのだと。
それから先、夜会の間、伯爵は屍のようだった。
誰とも会話することなく、また、誰かに声をかけられることもなかった。
後日、伯爵や他の貴族家の不祥事が正式に、次々と表沙汰になり、取り潰しや降爵処分になったという話題が貴族達の間で囁かれることになるが……貴族達は特に驚くこともなく、さほど時間もかけずに話題にも上らなくなった……
目には目を、噂には噂を。
有象無象はここで退場です。




