初雪の朝
朝、肌寒さで目覚めて外に出ると、そこは銀世界だった――
「って、どこかの名作の書き出しみたいなこと言ってる場合じゃないや」
ここは俺の家であり、ギムルの街から北に数時間進んだところにある廃鉱山。
当然ながら俺以外に人間はいない。
よって外に降り積もった雪を取り除いてくれる人などいないのだ。
本日の積雪は見た感じ、5~6cm。
昔、出張で訪れた北海道のような豪雪地帯ではないけれど、十分歩行の邪魔にはなる。
「こりゃ早く用意しないと、約束に遅れる……せっかくだし、アレ使ってみるか」
こういう状況のためではないけれど、用意していたものが使えるかもしれないと思い立ち、急いで出かける準備を整える。
そして30分後――
「と、とりあえず成功……」
俺はギムルの街の北門に近い森の中で、転んでいた。
「行ったことのある場所限定だけど、これなら楽に“長距離転移”が使える。転移直後には注意が必要だけど、雪が降っていても転移そのものに問題はないな」
今回行ったのは、以前から色々思うことがあって増やしている、ストーンスライムやウィードスライムの活用法の1つ。そしてある意味では先日のサンドスライムと砂魔法のような、スライムと魔法の組み合わせ。
……と言っても、具体的にやったことは、ストーンスライム1匹と当分の餌用の石を森の中に置いておいたというだけなんだけども……
まず、空間魔法の転移には初級の“テレポート”、中級の“ワープ”。俺はまだ使えないが、上級の“ゲート”という魔法がある。
しかし以前、空間魔法の達人であるセバスさんは言っていた。これらは本質的には“同じ魔法”なのだと。ただ転移する距離と消費する魔力量に違いがあるだけで、同じ要領で使えるのだと。
そしてセバスさんの指導の下、テレポートまでしか使えなかった俺は、中級のワープを習得した。
そうなると当然、考えるのは上級のゲートも習得できないか? ということ。
しかし、肉眼では見えない場所まで転移する、というのは想像以上に難しかった。
以前の俺が転移できていた範囲は、テレポートで大体ほんの数メートルから数十メートル。ワープでも視界の限界ギリギリまで。無意識のうちに視界に頼りすぎていたのかもしれないが、俺は見えない場所には転移できなかった。
テレポートの要領で魔力を多く注ぎ込み、指定した方向に転移するだけならできる気がしたけれど、それは危険だと判断してやめた。昔のゲームみたいに“いしのなかにいる”的なことになったら困るし、最悪死ぬだろう。
そこで考案したのが、今回使った“事前に配置したスライムの元へ”転移する方法。
従魔とは契約の効果により、ある程度離れていても意思疎通ができるし、意思疎通が不可能でも方向と距離は感じられるので、その感覚を頼りに転移すればいいと考えたわけだ。
イメージ的には、ゲームのマップから特定の場所に瞬間移動する機能が近いだろうか?
とにかくこれで一気に街の近くまで転移することができたし、通勤時間も大幅に短縮できた。
今後、更なる応用も考えられるし、朝から有意義だった。
そんなことを喜びつつ、北門へ向かう。
転移のおかげで時間があったので、予定を少々変更して洗濯屋へ寄り道。
すると道中で雪かきを始める人々の姿をあちこちで見かけたように、うちの店もまだ営業時間のだいぶ前にもかかわらず、従業員の皆さんが店の前に揃っていた。
「おはようございまーす!」
近づきながら声をかけると、返事が一斉に返ってくる。
さらにその直後、
「店長、こんな朝早くにどうして」
カルムさんが驚いたように聞いてくるので、ここにいる理由を答える。
「初雪が降ったから様子を見に来たんですよ。雪が降った時の対応は事前に話し合っていたので、お任せしても大丈夫とは思いましたが、本来の予定まで時間があったので、関係各所を見て回ろうかと」
「いえ、そういうことではなく。この雪の中、北鉱山をいつ出たら今この時間にここにいるのかを聞きたいのですが」
あ、そうか。長距離転移のことを言わないと、朝のすごく早い時間に家を出たと思うか。
カルムさんの疑問を理解して、再度説明。
「ああ、よかった。てっきりまた無理かなにかしたのかと」
「いや、店長さんの歳で上級魔法って、結構無茶な部類に入ると思うけど……」
うちに来てまだ日の浅いユーダムさんだけ困惑した顔をしていることに、懐かしさを感じる。従業員の皆さんは俺の行動に慣れたようで、もう些細なことは気にしないでくれるからね。
「おはよー!」
「ようリョウマ!」
おっと、お隣さんの一家だ。
「おはようございます! 皆さんも雪かきですか」
「こまめにやっておかないと危ないし、お客さんの入りも悪くなるからね!」
「うちの子達は大喜びみたいだけど、毎年大変なんだよ……」
肉屋のジークさんと花屋のポリーヌさんご夫婦は、話しながら近づく足を止め、後ろへ目を向ける。そこでは彼らの息子と娘である、リックとレニが新雪に触れてはしゃいでいた。
「ううっ! はぁ、寒いねぇ……」
「あ、ジークさん。それならちょうどいい魔法が……『サンライト』!」
イメージを固めて魔法名を唱えると、数メートル頭上に光の玉が現れる。
そして光に照らされた体が、即座にじんわりと温まる感覚。
久しぶりに使ったけど、上手くいった。
「おお、ちょっと暖かいねぇ」
「光と火属性を組み合わせて、日光をイメージした魔法です」
光源を生むだけなら光だけで使える“ライト”もあるけれど、そちらはLEDのように熱を伴わない。以前そこに疑問を持って、日光の暖かさの再現に挑戦して生まれた魔法。
これだけでも天気のいい日の日差しを浴びる程度には暖かくなるが、さらに防風や断熱の結界魔法を組み合わせると、光の熱でそこそこ広い空間を暖めることができるので、冬場の森では暖房の代わりとして重宝していた。
「休憩用に何箇所か設置しておきますから、皆さん適度に温まってくださいね。体を冷やすとよくありませんから」
本当はもっと暖房に適した“ハロゲンヒーター”という魔法もあるが、こちらは下手をすると火傷や火事を起こす可能性があるので、やめておく。
森の中でもよほど冷えの厳しい日でなければ、サンライトか焚き火で十分だったし、大丈夫だろう。
あとは、そうだ。防寒対策に作った手作りカイロがあったから、配っておこう。
「試作品なので、どうぞご遠慮なく。あとで使用感とか聞かせていただけると助かります」
「ありがとうございます~」
「手先、足先が冷えるんだよね。暖めるのに便利そう」
反応を見る限り、手作りカイロは女性陣に好評のようだ。
フィーナさん、ジェーンさん、マリアさんの出稼ぎ3人娘に、料理人のシェルマさん。
そしてリーリンさんも集まって、どこに入れておくのが一番いいかを話している。
一方、男性陣はあまりこだわりはないようで、受け取ってすぐ懐に入れていた。
「他にも色々と使えそうなものがないか、たくさん試作していますし、スライムの研究成果や応用も考えられることはまだまだあります。ですので困っていたらいつでも声をかけてくださいね。僕としても実験や試用をしてもらえれば助かるので」
多少の雪なら塩を撒いておけば、ある程度は積もるのを防止できる。しかし今後を考えると、錬金術で塩化カルシウムなどの凍結防止剤や融雪剤を作っておくべきか? 塩害に注意が必要になるが、街中なら大丈夫か? でも排水が周囲の環境にどの程度の影響を及ぼすかが分からないな。
それなら、アルコールの方が安全だろうか? 車のフロントガラスなどの凍結防止剤などの主成分として使われていたし、霜や薄い氷なら十分に溶かせるはず。原料にはドランクスライムの吐くアルコールや失敗作のお酒が使える。
再凍結の心配がない気温なら、シンプルにお湯や水をかけて溶かしてもいい。火と水の魔法を組み合わせれば熱湯は作れるし、風も加えて熱い蒸気を吹きかけることもできるだろう。
いや、魔法を使うなら氷属性で積雪の凝固点を低下させて溶かす方が効率的か? 逆に雪を氷の塊にして地面から剥がし、塊のまま除去するという手もあり?
確か北海道には、井戸水や川の水を使った融雪装置が設置されているところもあった。あれらを参考に何か道具を作るか、街の排水溝をそのように使えるように改造……はできないが、一時的にならスライム達に協力してもらえばそれらしく使えるかも。つい先日進化したスライムもいるし。
最近はスライムの進化についての条件がわかって来たというか、スライムを進化させるコツが分かってきた。
仕事は暇が多くなり、ゴブリンを飼い始めて実験の並行作業もできるようになった。
おかげでその分だけ色々できるし、研究もどんどん進む。
「店長……楽しそうだけど、時間、大丈夫か? 他にもどこか、見て回る予定だったのでは?」
「はっ!」
そうだ、他のところも見て回るなら、確かにドルチェさんの言う通りだ。
手伝いもできず申し訳ないが、ここで失礼させていただこう。
その旨を伝えて、立ち去ろうとすると、
「主殿」
店の守りを任せている、オックスさんが声を掛けてきた。隣にはフェイさんもいる。
「私は剣を振るしか能がない。が、何かできることがあれば声を掛けてくれ。私は一応、主殿の奴隷なのだ。主殿が私をそのように扱わないのは分かっているが、再び剣を振れるようにしてくれた恩もある」
「無理するな、はもう皆から言われたと思うから……店主がいなくても店は我々で回るようにする。でも、本当にいなくなられては困る。店主は店に必要のない人ではないからネ。なにかあったら我々を呼ぶ、いいネ?」
そう言った2人の後ろで、頷いている従業員の皆さん……
元々そのつもりだったけど、洗濯屋のことは安心して皆さんに任せられる。
それ以外となると、
「ありがとうございます。では、また今度、訓練の相手や試作品の試用実験をお願いします」
信頼できる従業員の皆に見送られ、今度こそ次の目的地を目指す。
街中の関係各所を見て回って、だいぶ日の昇ってきた頃。
こんどは冒険者ギルドへ向かう。
「ふぅ……」
警備会社やゴミ処理場、建築現場など色々と寄り道をしてきたが、その先々で知り合った方々からの応援や声を掛けていただいた。
やはり、というか、なんというか……以前から子供が経営している店は珍しかったのだろう。
洗濯屋のお客様、特に主婦の方々の間では、俺はそれなりに有名だったらしい。
しかし、ファットマ領から帰ってきてからの俺は派手に動いて色々やった。
それに伴って、ギムルの街での知名度が跳ね上がっているようだ。
最近は全く知らない人からも声をかけられるようになってきている。
特に多いのが“排水溝掃除をしているところを見た”という声で、感謝の言葉をいただいたり、見張りつつ一緒に作業をしていた不良冒険者に絡まれてないか? とか、いじめられてないか? とか、心配していただいたり。常々思うが、ありがたい。
だけど、不良冒険者に関しては杞憂といっていいだろう。
なぜかというと――
「おはようございます」
『!!』
「せ、整列ーッ!!!」
『おはようございます! 兄貴!』
「あ、ああ……兄貴ではないんだけど……」
彼らとの関係は、気づいたら変なことになっていた。
つーかこれだと、俺がヤクザみたいじゃないか……




