カルムの心配(前編)
Side カルム・ノーラッド
良い香りと共に目が覚める。
シェルマさんが準備をしてくれている朝食だ。
……今日の朝はこれまでにない香りがする。
これはこれで良い香りだけれど、なんだろう?
もう半年以上。毎朝続き、慣れた朝の穏やかな時間。
朝食のメニューを予想しながら身支度を整え、寮の食堂へ向かうと、
「あっ、おはようございます」
何故か店長が朝食の準備の手伝いをしていた。
「おはようございます、店長。今日はやけに早いですね」
店長は北鉱山の管理もしているため、普段はそちらから店に通う。
だから通常、この時間にここにいることはない。
一体どうしたのかと聞いてみると、
「実は昨日、帰る前にセルジュさんのお店を訪ねたのですが、ちょっと話に熱が入ってしまいまして。話の流れで商業ギルドへ向かって、ギルドマスターと面会してそこでもまた熱が入って。気づいたらかなり遅い時間になっていたので、ギルドマスターがご厚意でギルドの仮眠室に泊めてくださったんです」
「それでこんなに」
早いはずだ。家まで帰っていないのだから。
それでちゃんと休めたのならいいのだけれど、それとは別に気になることが1つ、
「セルジュ様とギルドマスターまで交えて、一体何の話をしていたんですか?」
「そうでした。洗濯屋の業務に影響はないと思いますが、カルムさんにも聞いて頂きたかったんです。実は――」
「おはようございまーす!」
おや? ジェーンさん、他の皆さんも来たようだ。
「あれっ!? 店長!?」
「あら~? 本当に店長さんがいますね~?」
「おはようございます。店長」
「おはようございます。お邪魔してます。あ、カルムさん。続きはお食事の時にでも」
「かしこまりました」
店長はここでシェルマさんの手伝いをしていたようで、朝食の準備に戻っていった。
……旅から帰って早々、夜遅くの話し合いに、早朝からの朝食準備の手伝いと、ちゃんと休んでいるのでしょうか……
そう考えている間にも次々と従業員の皆さんが食堂にやってくる。
そして間もなく、朝食の時間になり……
「――というわけなんですよ」
店長はとんでもない話をなんでもないことのように語ってくれた。
「つまり、店長は他にも、他業種に手を出すと?」
「僕にとっては“シュルス大樹海へ帰る”という目標達成のための準備であり、自分が知識や技術を蓄えるための、自分への投資なのですが、結果的にそうなりそうですね」
店長の言いたいことはわかる。たとえば“旅の準備”。
空間魔法を使える店長は、そうでない人よりもはるかに多くの荷物を運ぶことができるし、夜は安全に眠ることもできる。ただし冒険者の仕事では補給もままならず、自らの力しか頼りにできない状況が多々あると聞く。
そして実際に店長は、国で5本の指に入ると言われる危険区域に向かおうとしているのだ。魔力を温存しなければならない状況、あるいは魔法が使えない状況も考えられる。
そういった状況に陥って、魔法が使えなければ何もできないのでは話にならない。またそんな状況でも可能な限り、ゆっくりと心と体を休められるようにするために、野営の道具や持っていく保存食のことも考え、より良いものを持って行きたいと思うのは当然のことだろう。
自分だってギムルに呼ばれた際には道中の旅で野営をしたり、さほど美味しくもない保存食を食べたりと、到着直後はかなり疲労していた覚えがある。
冒険者でもなんでもない、護衛に守られた状態でも、慣れていない人間にとっては旅をする、それだけでも大きな負担となりえると身をもって知った。
日常的に旅や野営を繰り返す冒険者なら、さらに金銭に余裕があるなら、より良いものを求めるのも自然なことだと思う。
しかし、だからといって、“保存食作りの研究”から自分で始める冒険者がいるだろうか?
……違った、目の前にいるこの人以外にいるのだろうか?
しかも店長がやりたいことは保存食だけではなく、とにかく多岐にわたるらしい。
昨夜はその“多岐”がどれほどになるか?
実行するとしたらまずどこに連絡し、根回しをしておくべきか?
必要な資金はどれほどになるか?
等々、ひたすら相談に相談を重ねていたらしい。
さらには公爵家や商業ギルド以外のギルドにも、ギルドマスター宛の手紙を書いたとか、3日後に行われるギルドマスター同士の会合にも店長は参加する事になったとか……相変わらずとんでもない事をさらりと仰る人だ。
「ねぇ副店長さん? 今の話、どっからどこまでが本当なのかな? 僕にはちょっと信じられないような内容だったんだけど」
「店長は全部本気で仰っていますね。全部です」
他の人は多少驚きつつも、店長のことだからと納得もしているようだけど、唯一新人のユーダムさんだけは信じられないと確認を取りにきた。
それも当然。いや、それが当然だ。
昨日の話も、まず突然ギルドに押しかけてギルドマスターに面会を求めたところで、普通は会ってもらえない。ましてや夜遅くまで話し込むなんて、多忙な業務の中でそれだけの時間を割いてもらえることも普通ではまずありえない。
前者はまだセルジュ様のような大商人なら、ギルドの方から便宜を図ることはある。もしくはよほどの緊急事態なら、そういうこともあるだろう。だけど大抵はひとまず下の者が用件を聞いて確認を取り、詳しいことはまた日を改めて、という流れになるはずだ。
普通はありえないほどの待遇。
しかし、現在の労働者の過剰流入による問題の数々を考えると、ある程度納得できる答えにたどり着く。
「労働者に仕事を与えるため、ですか」
「カルムさんまで……セルジュさんからもグリシエーラさんからも言われましたよ。そんなこと僕みたいな個人で考えることじゃないでしょう、って何度も言ってるのに。これは僕の、僕の将来のための投資ですってば。その結果として、労働者の方々に少し仕事が回るだろう、ということは否定しませんが」
店長はそう言いますが、店長の“自分のため”はとても信じられません。
店長はそもそも冒険者業の保険として、生活費を安定して稼ぐためにこの店を経営していると言いますが、常々気にしているのは自分の収入ではなく、従業員とスライムの待遇や労働環境。それ故に私を含めた従業員からの満足度は高く、仕事中の士気も高いのですが……その次に気にするのはお客様のことで、自分のことは2の次3の次にしがちです。
この店に紹介された当初、セルジュ様からもその点は気をつけるようにと指示を受けましたが、たとえ指示がなくても気にはなったでしょう。
店長は“人が好すぎる”。
人としては美徳になるでしょうけど、商人としてはやや不安。
私と姉が派遣されたのは、主にその点を補い、支えるためだと思っています。
それほど人がいい店長のことです。
「準備をしなければならない事が多い、というのは事実でしょう」
「そうそう、その通りです。危険な場所に行くのだから、準備はしっかりしておかないと」
事実ではあるのでしょうけど、私にはそれが労働者に仕事を与える口実に聞こえます。
というか見た限り、同じ話を聞いている従業員の皆さんもそう考えている様子。
皆、誰も何も言いませんが、店長の言葉通りに受け止めている人はいないようです。
強いて言えば、やはり一番の新人であるユーダムさんが店長が本気なのかを疑っているようですが……仕方のないことですね。
尤も、新規事業のための資金は潤沢にあるようですし、リスクが大きすぎるならば、セルジュ様やギルドマスター達が止めるでしょう。それでいて“話を進める”と判断されたのなら、それだけの価値があり、分の悪い賭けでもないはず。
私は私の領分で、この店の経営に全力を尽くします。
そして将来は――
「あっ、そうでした店長。以前、うちの真似をして洗濯屋を開いた店を調べて欲しい、と頼まれていた件でご報告させていただきたいことが」
「そういえば旅に出る前にお願いしてましたね。聞かせてください」
「はい。結論から申し上げますと、9割以上の店は潰れていました。クリーナースライムがいないので人力で洗濯するしかなく、速さや仕上がり、値段設定でうちには勝てなかったのが大きな原因だと思いますが……驚いたことに、まだ営業を続けている店もあったんです」
「へぇ、どんなお店ですか」
「ギムルの西。職人街にあるご自宅兼元工房を店舗として、母と幼い息子と娘さん。合計3人の家族で経営しているお店です」
「儲かっているんですか?」
「いえ、まったく。どうも去年亡くなった旦那さんがかなり人望に厚い方だったようで、周囲の人々に支えられているので、何とかやっていけている、という状態のようです」
「なるほど……ここは街の東側ですから、反対側の西側にも支店ができれば、西側から来るお客様が楽になるでしょう。製鉄所を始めとして、職人街のある西からは大口のお客様も多かったと記憶しています。場所的にも悪くないですし、元々そちらの方々と信頼関係ができている方に協力していただけたら、心強いですね。
しかし向こうには向こうの都合があるでしょうし、僕達だけで話していても仕方ありません。買収の目的やその後の管理体制をまとめて、一度先方にご挨拶に伺う必要があると思うのですが」
「その通りです。こればかりは代理の身で行うには荷が重く、また無礼だと感じられる方もいらっしゃいますので、店長自らお願いします。もちろん私も準備に協力しますし、同行して細かい契約などについてもサポートしますので」
「分かりました。買収の手順や作法について、一通り教えていただけますか? なにぶん経験がないもので」
「ご安心ください。心得ています。とりあえず食事を済ませてしまいましょう」
こうして食事を終えた後、私達はすぐに店舗の執務室へと移動。
買収についての説明と必要な資料作りや先方への連絡はもちろん、溜まっていた書類仕事も併せて、1日かけて全て終わらせました。
……別に1日で終わらせなければならないほど逼迫した仕事はなかったのですが……これはまた何か、1人で仕事を抱え込もうとしていそうですね。
セルジュ様との話もあるのでしょうけど、店長が予想を超えてくるのはいつものこと。物事を良い方向に進めるために思考を巡らせて、余計なことではなくても、結果的に自分の仕事を増やすような人ですからね……まったく。これは明日にでも
「副店長」
「えっ!? ああ、ユーダムさんですか。驚いた……」
「ノックはしたんだけど、何か考え事かい? あと、あの店長さんは帰ったの? シェルマさんに頼まれて、2人のお茶とお菓子を持ってきたんだけど」
「ええ、仕事が終わったので。今日こそは家に帰るんだと言っていましたよ」
「そっか。じゃあこのお茶とお菓子、余る方を貰っていいかな?」
「どうぞ、残してももったいないですし」
「ありがとう」
そう言った次の瞬間には飲み食いを始めている。
彼の言動は軽薄な印象を受けますが、不思議と不快さは感じさせません。
「ところで、仕事が終わったって本当?」
「ええ、本当ですが。何か?」
「普通あのくらいの子に書類仕事とかできないっしょ。少なくとも僕があのくらいの頃だったら絶対無理だって。勉強で椅子に座ってるのも辛かったし」
「ああ、そういう意味で」
……そういえば、店長はどこで書類仕事を習ったんでしょうか?
私も書類仕事のやり方を教えて欲しいと言われて教えたことはありますが、それはギルドに提出する公文書などで“こちらの様式に”慣れていないという印象はありましたが、書類仕事そのものには慣れどころかベテランの風格すら感じます。
「私も店長くらいの頃から書類仕事を学び始めましたし、人によっては可能なのでは?」
私の場合は将来のための手伝いと言う感じで、まさに半人前かそれ以下の仕事量だったと思いますが、これまでに色々とやっている店長ならと納得です。
「特定の分野にずば抜けた才能を持つ子供がいるのは知ってるよ。でも僕が見た感じ、店長はそれとは違う感じがするんだよねぇ……なんていうか、子供っぽくない」
突然真顔になり、わざとらしく、どうだ? と聞くような態度にはクスリと笑ってしまった。
「それは否定できませんね」
「だろう? まぁ、それは別にいいんだけど、ちょっと気になることがあるんだ」
「気になること? 何でしょう?」
「僕の気のせいならいいんだけどさ、なんかあの店長さん、ずっとピリピリしてないかい?」
「ピリピリ、ですか?」
「うん。特に最初に会った時。すっごい張り詰めた感じがしててさ。ここの店長さんは穏やかな人だ、って聞いてたこともあって、同一人物とは思わなかったんだよね。今日は今日で、張り詰めてるのを隠して、無理やり明るく振舞ってるような……そんな感じ?」
なるほど……
「心当たりがある?」
「張り詰めている、無理に明るく振舞っているとは思いませんでしたが……いつもより仕事に集中なさっていたというか、急いで仕事を終わらせていたようには感じましたね。今後は忙しくなる事が予想されることもあるのでしょうけど」
「あ、それも僕からするとよく分からないんだよね……店長さんってモーガン商会の会頭さんの所に行ったんだろう? 放火されたってことで無事の確認に行ったみたいだけど、そこからどうして新事業の話になるのかとか」
「確かに慣れないと、いえ、慣れていても変に思うかもしれませんが、店長は時々思考が飛躍するというか、過程を飛ばすようなことも珍しくないですよ」
「天才肌ってやつなのかな? でもそれだと会話が大変じゃないかい?」
「最初は少し、勢いに圧倒されたこともあります。でも1つずつ、改めて“どうしてそうなったのか”を聞けば、ちゃんと順を追って話をしてくれますから、それほどでもないですね。研究職の方にはありがちな癖ですし……あまり大声では言えませんが、昔の職場のお客様にいた研究職の方よりは、聞けば丁寧に答えていただけるだけはるかにマシです」
「ああー、いるよね。一方的にまくし立てた挙句、何故理解できないのか? って感じの人。それを考えたらだいぶ親切か」
おや? 随分と身に染みているような……
「ユーダムさん、そういう方がお知り合いにいるんですか?」
「え? ははっ、腕試しにいろいろな所を旅してきたからね。いろんな人との出会いもあったのさ。そういう人って悪い奴じゃないんだけど、困るんだよね」
僕達はどちらからともなく笑い合った。
「でもそういえば……」
「ん? なんだい?」
「いえ、先ほどの“店長がピリピリしている”という話、あと“子供らしくない”って話もしたでしょう? それと関係があるのか分かりませんが……店長って、“問題”があるとすぐ“解決”を考えるような節があるんですよね」
「どういうことだい?」
「なんというか、こう、子供みたいに泣いたりしないというか、切り替えが早いと言いますか……改めて説明しようとすると難しいですね」
どう伝えるかを考えている間、ユーダムさんは急かすことなくじっと待ってくれる。
本当に、普段は軽い感じの人なのに、こういう細かいところで真面目さを感じさせる人だ。
「そうですね……例えば、先ほどの“放火された商会に知人の無事を確認に行って、どうして新事業の話になるのか”という話ですが、“商人”としての利益を考えると、ある意味自然なのではないでしょうか?」
「というと?」
「身も蓋もないことを言ってしまうと、いくら心配の言葉をかけられたところで、それは銅貨1枚の得にもなりません」
「本当に身も蓋もないね!」
もちろん、そうやって心配していただけるのは商人として、人としてありがたいことです。
「ですが放火によって受けた損害は商品から建物、対応のための閉店期間中に得られたはずの売り上げ、再犯防止のための警備体制強化と多岐に渡ります。
それら諸々の出費に対して、人員の無事や警備体制のことを延々と語られても大した意味はありません。ましてや商会側が既に問題への対応を済ませているなら尚更。最終的な問題は資金的な負担の1点に集中すると言ってもいいでしょう。
そういう“実利的な面だけ”を見れば、万の言葉より一度の儲け話の方が、経営者としてはありがたい」
本人から聞いた限り、資金源は店長がお爺様とお婆様から受け継いだ膨大な遺産。
そして新事業の計画には、モーガン商会と共同のスライム製品工場も含まれていました。
つまり、店長から、モーガン商会への資金提供が行われるということも含まれているのでは?
セルジュ様は1回の放火騒ぎ程度で傾くような経営をする人ではありませんが、それはまた別問題。予定外の出費があった所に、損失を補える資金提供があれば、それはそれで助かるはず。
さらに付け加えると、出資を受ける=借金という形になっても、店長は下手な乗っ取りなど考える人ではありません。借りる相手としては善良と考えていい。人気商品を増産するための工場を建てるのであれば、先々の利益にも繋げられるでしょう。
「なるほどね。問題にぶち当たった時に、子供は泣いたりする。だけど泣いてるばかりじゃ何も変わらない。だから即座に解決策を考え始める。そんな感じで、店長は現実的で合理的な考え方をする。そういう一面もあるってことかな?」
どうやら理解していただけたようです。
「なにかとスライムを話に絡めてきたり、どこで得たのか分からない知識を持っていたり。変わった人ではありますが、問題に即座に対応しようとする姿勢や、仕事に対して真面目なところは見ていて心強いですね。たとえ姿が子供であっても。足りない部分は私や他の人が補えばいいわけですし」
「信頼してるんだね」
「何かにつけて仕事を抱え込む癖があるので、そこは心配ですが」
「あはは、その気持ちは僕にはわからないなぁ。僕は仕事は必要最低限にしたい人間だからね。……って、そうだ。面白い話を聞かせてくれてありがとね。それじゃ僕は仕事に戻るから」
「あっ、はい、よろしくお願いします」
と、僕が言う間に彼は素早く空になった自分の茶器やお菓子の皿を回収し、執務室から去っていった。
「お菓子はちゃっかり、綺麗に食べていきましたね」
しかし、ユーダムさんの店長がピリピリしていたという話……気になりますね。
彼は意外とよく人を見ていますし、人の心の機微にも敏感なようです。
私も少し気になっていたところもあります。店長の様子はもっと気にしておきましょう。




