番外編3 ラインハルトとポルコ
ある寒い日の夜……煌びやかな建物が整然と立ち並ぶ王都の貴族街。その中にあって他よりも小さくやや見劣りのする屋敷を、そしてその屋敷の主であり、かつて親しくしていた男を、公爵家当主のラインハルトは訪ねていた。
「ようこそ。ジャミール公爵閣下。毎年、社交の場では顔を合わせていましたが、こうして私的に顔を合わせるのは久しぶりですな」
「そうだね。しかし、学生時代はよく話をした。今日は昔のように“ポルコ先輩”と呼ばせてもらいたい。先輩もよければ昔のように」
「そうで……いや、そうか」
それからしばらく、応接室には2人のよそよそしい会話が響く。
「そういえば、僕らが初めて顔を合わせた時もこんな感じでしたね」
「確かに。あの時はまさかあんなところに人が来るとは。それも学園で話題の貴公子が来るのだから驚いた」
「僕は下手な相手と関係をもつことはできませんでしたからね。父の迷惑になってしまう」
「お父上の、いや、“神獣の契約者”という存在が持つ影響力は国王陛下ですら無視できるものではないからな。親の指示を受けて近づいてくる者も多かっただろう。仕方のないことだと思うが」
「それはそうだとしてもね……聞いてください先輩。実は今日ここに来る前、久しぶりに娘と会ってきたんですけどね? どんな生活をしているか気になって、友達を連れてくるように言ったら4人も連れてきて。皆良い子達だったんですよ」
「良い事ではないか。何故そんなに不満そうなんだ」
「時間になったので、ここに来ることを伝えたら、娘が言ったんです。“お父様、学生時代にお友達がいらしたの?”って」
「それは災難だったな……娘には事情を話していないのか?」
「一応の注意はしていますよ。しかし、娘には私と同じ思いはして欲しくない、という思いもあるので、どうもね……それに娘はいささか同年代の貴族との付き合いが少なく……その分、純粋で真っ直ぐに成長してくれたので親としては嬉しいですが」
「こう言ってはなんだが、後々後悔することのないようにな」
「もちろん必要とあれば手や口を出すつもりでいますが、自ら経験することも大切でしょう。それに娘は僕が6年かけて手に入れた友人を、1年も経たずに5人も得ていたようですから、彼女らと彼が娘を支えてくれることを願います」
「彼女らと、彼か……その彼とはもしや」
「ええ、リョウマ君です。先日は先輩のところでお世話になったと聞いて、今日はそのお礼にも来たんですよ」
「私は別に大した事はしていない。むしろ世話になったのは私の方だ。できる限りの礼はしたが――」
「それも聞きました。随分な物を報酬として頂いたと」
ここで先手を打つようなラインハルトの言葉に、ポルコは内心で身構えてしまう。
「ふむ、何か不満があっただろうか? 申し訳ないが、私にはあれ以上の返礼はできないのだが」
「いいえ。彼も僕も、報酬に不満があったわけではありません。むしろ彼は過分なものをいただいたと恐縮していたくらいです。
……やはり、落ち着きませんか?」
相手の内心を察し、問いかけるラインハルト。
それに対してポルコはゆっくりと、だが素直に答えた。
「……本音を言うとな……学生時代のように身分を持ち込まず、1人の後輩として私を立ててくれるのも、そのように話したいと言ってくれることを嬉しいと思う気持ちはある。
あるにはある、が……その言葉を素直に受け取るには、いささか歳をとり過ぎたようだ」
「分かりますよ。お互いに、領主として、貴族としてのしがらみがありますからね。それに僕も、昔のように話したいという言葉に嘘はありませんが、それだけというわけでもない。
……このまま腹の探りあいをしても仕方がないと思うので、先に貴族としての話を済ませましょうか?」
「そうしてもらえるとありがたい」
「では、率直に言いましょう。ポルコ先輩、貴方が中心となって開いている“会合”の顔ぶれに、僕も加えていただきたい」
「会合とは大げさな。私が主催しているのは趣味の食事会だが……どういう風の吹き回しだ?」
「リョウマ君から聞きましたが、先輩は僕の領地が荒れているという話を耳にしたとか?」
「それは確かに。……まさか?」
「大変残念なことですが、いくつかの家が手を組み、裏で糸を引いているようでして」
ポルコはそっと手で目を覆う。
「どこのバカだ……その様子だと、糸を引いている連中にも目星は付いているな? そうなると目的は今ある問題解決への助力ではなく、今後のためか」
「先輩はいつも話が早くて助かります。僕は腹芸や権力闘争は好まないので、軽々しく我が家と領地に手出しをするとどうなるかを、この機会によく理解していただこうと。そして今後がないように、人脈も広げておきたいのです」
「別に私などに頼まなくとも、公爵家と関係を持ちたい家はいくらでもあるだろうに」
「確かにそうですが、僕も貴族なら誰でもいいというわけではない。昔から抜け目がなく、今でも“食事会”で顔繋ぎを続けているポルコ先輩に協力していただければ心強い」
「……」
「無論、対価は用意しています。部下の方に荷物を預けているので」
「持ってこさせよう」
ポルコが机に置かれた鈴を鳴らすと、執事のピグーが入室。
そして用を聞くなり、直ちに大中小3つの箱を持ってきた。
「まずはこちらを見てください」
ラインハルトが最初に差し出したのは長方形の薄い箱。
「首飾りか何か……!!」
箱の形から当たりをつけたポルコ。
その予想は間違いでこそなかったが、箱の中に納められた品は想像をはるかに超えていた。
「真珠!? それも、大きさの揃った粒が端から端まで」
海を持たないこの国では1粒でも貴重な真珠を、首に巻けるほど贅沢に連ねたネックレス。
手に入れようと思えば、どれほどの財貨と引き換えなければならないか、ポルコには想像もできなかった。
「まさに眼福の極み。それしか言葉が出ない……」
ポルコはそっと箱を返し、そして問う。
「こんな品を私に見せてどうする。これは私の身には余る品だ。まさかこれが対価などとは言うまいな?」
「先輩が欲しいと言うなら同じものを用意できますが、これは後日、知人に渡すつもりでいます。去年結婚したばかりで、贈り物に悩んでいる男がいるのでね」
「これほどの物。いや、去年結婚したお前の知人……なるほど、相手は国王陛下だな。そしてお前は対価に真珠の販売の許可でも貰うのだろう。
真珠を欲している貴族は多い。どういうルートで手に入れたかは知らないが、これほどの品を“望めば用意できる”というのなら。さらに陛下のお墨付きを賜れば、財力はもちろん他家への影響力も大きくなる。
そんなジャミール公爵家との繋ぎができる者、そこに私が入れば、いくらかの発言力や影響力も得られるか……ドラゴンの威を駆るなんとやらと同じで、相応に敵も作りそうだが」
「ある程度は覚悟していただきますが、ジャミール公爵家が後ろ盾になりましょう。そもそも僕は先輩に“ただの緩衝材”ではなく、共に支え合う“仲間”になって欲しいと考えています。というのも、先ほど見せた真珠の入手ルートですが、先輩も無関係ではないのです」
「何?」
「こちらを見ていただきたい」
そう言いながらラインハルトが開けた箱には、貝殻が入っていた。
その表面はよく磨かれて、隠された美しい真珠層が輝いている。
「これは、この輝き、だがこの形はまさか」
「リョウマ君が先輩の領地で見つけてきました。そちらではごく一般的に食されている貝だそうですね」
「ではやはり、これは“スナガクレ”なのか」
「先輩は彼に温泉の掃除を頼んだとか。そのときに作った薬剤を用いて、貝殻を磨いたそうです」
「あれか! そうか、この貝は内側にはこのような輝きを隠していたのだな」
「彼から聞いたところ、この貝殻と真珠は同じものでできているそうで……先輩にはこの貝を食用という名目で供給していただきたい」
「わざわざ欲するということは、この貝がその真珠の“原料”というわけか」
「細かいことを言うと別のもの、例えばリョウマ君が掃除をしたという温泉の塊のような汚れでも、少し手を加えれば代用は可能だそうです。ただし先々までの安定した供給を考えるなら、やはりその貝殻が一番望ましいということで」
「……少しは隠そうとは思わんのか?」
「腹を割って話したいというのもありますし、無意味なことをする必要もないでしょう。協力していただけますよね? 先輩」
さも当然のようにラインハルトが言い放つと、ポルコは呆れか諦めか。椅子に全体重を預けて天井を仰ぎ見る。
「これは話に乗っておくが吉。というよりも断らせる気があるのか?」
「先輩が本気で断ると仰るなら、それでも構いません。そもそもこの貝の件は、リョウマ君が私から先輩に伝えて欲しいと言ってきたので」
「何?」
「先輩の領地で取れた貝のことですし、伝えておいた方がいいだろうと思ったそうです。しかし下手な伝え方をすると警戒されたり、迷惑になるかもしれない、と。先輩の事情を深くは知らず、しかし村などの様子や伝え聞いた話から“デリケートな問題を抱えている”ことを薄々察した、という感じでしたね。それで僕に頼んできました。
誤解しないでいただきたいのは、彼は完全に善意で伝えておこうと考えていました。だから僕もこの情報を使って先輩に何かを強要しよう、とは思っていません。そんなことをして彼に嫌われでもしたら、それこそ痛手になりますからね」
「なるほど。ただの子供とは思っていなかったが、見抜かれていたとは」
「僕や妻も最初は正直、彼は世間知らずで騙されやすい子だと思っていて、心配もしていたんですよ。でもこれがなかなか、妙に鋭いところがあるようで」
胸に抱えていたわだかまりも解けつつあったのだろう。
そんな話をするラインハルトの様子を見て、
「ラインハルト。まさか彼は、お前の庶子か」
「ッ! ゴホッ、グッ」
たまたま紅茶で喉を潤していた時。
ポルコの思わぬ一言で、ラインハルトは咽せ返る。
「失礼。ですがどうしてそういう質問を?」
「いや、お前が成長する子供を見て喜ばしいがどこか悲しいような、複雑そうな顔をしていたからだが」
「そんな顔をしていましたか? 僕は」
「自覚はなかったのか」
「自覚だけでなく、彼が僕の庶子という事実もありませんよ」
「確かに顔は全く似てないが、性格は少し」
「冗談はやめて、話を戻しますよ」
「昔に戻った気持ちでというなら……分かった、分かったから笑顔で睨むな。で、どこまで話しただろうか?」
「貝の話がリョウマ君から頼まれたことで、彼は意外と鋭いという話です。
もしこの貝のことが公になれば、水面下で行われているラトイン湖の利権争いが確実に激化するでしょう」
「まったくだな。好機と見れば即座に利だけを奪い取りに来ようとする者が多くて困る」
「先輩のお父様が道を整備したこともあるでしょう。あの土地は湖の周囲を除くと、人族にとっては住みづらい環境でしたが、今は昔と比べてだいぶ、今後はさらに改善が見込めます。それだけ魅力的な土地にもなりつつあるはず」
「公爵家の後ろ盾が得られるというのは正直、渡りに船だ。食事会への参加はもちろん、私に可能な範囲で有力貴族の紹介も、全面的な協力を約束しよう」
こうして2人はどちらからともなく、手を取り合う。
「ところで、最後の箱には何が入っているんだ?」
「真珠とは別の、似たような話ですよ。お互いに得ができそうな話があるので、ご協力いただけますか?」
「前の2つで散々驚かされたが、まだあるのか。無意味なことをする必要はない、だろう? 要点を話してくれ」
「では率直に。鮮度や味を落とさず、食品の保存期間を延ばす新技術に興味はありませんか?」
「あるに決まっているだろう。我が領地の名産は鮮度が重要な魚だぞ」
「その技術が現在研究中で、この中身はその過程で試作された冷凍の魔法道具と実験器具です」
「冷凍すれば素材の味は落ちる。それが当たり前のはずだが、可能にしたのか?」
「従来のものと比べれば違いは明らか。僕としては現時点でも十分使えると思います」
「一体どういう仕組みで?」
「一般的な魔法道具で出せる冷気よりもはるかに低い温度で、急速に凍結させることが重要だそうで。そのために精製したとても強い酒、“工業用アルコール”というものを使います。
その原料として、聞いたところによるとファットマ領には“白酒”なる素人でも簡単に作れる地酒があるとか」
「確かにある。まともに飲めるものを作るにはそれなりの手間と作り手の腕が必要だが、飲むためでなく、強い酒を作る材料にするなら味は関係ないな。材料もその辺に自生しているし、必要なら栽培も難しくはない。そういう意味でも私の領地に適しているということか」
一通り納得と理解を示したポルコは最後に1つ問いかけた、
「ラインハルト。この件についても先ほどから既視感というのか、1人の少年の顔が頭に浮かぶのだが」
「ご推察の通り、これもリョウマ君の研究です」
「あの子は一体何者なんだ。次から次へと」
「協力者になっていただく先輩には話しておいた方がいいですね……彼はかの有名な賢者・メーリアと武神・ティガルの忘れ形見です。血の繋がりはなく、養子だそうですが」
「……吟遊詩人が“麦茶の賢者”という渾名をつけていたが、意外と的を射ていたのかもしれんな」
納得したと笑顔を見せるポルコ。
だが次の瞬間、その表情は一転して真面目なものになり、
「この際だから言わせて貰うが、あの少年は少々危ういかもしれんぞ」
「……先輩もそう思いますか」
ポルコの指摘を受けたラインハルトの表情も引き締まる。
「前々からそういう傾向はありましたが、今回の件で確信しました。彼はいささか献身的過ぎる」
「聞いていると思うが、私も依頼をした。想定以上で文句のない仕事をしてくれたが、その後の報酬に無頓着でな」
「それは表層に現れる一端に過ぎません」
「何?」
「彼が抱えている問題は、もっと人間としての根幹にある。そう思いました」
「そう思わせる何かがあった、ということか」
「はい。しかし僕は、いえ、我が家は今後も彼を支えていきたいと考えています。貴族としても、個人としても」
その強い意思を感じさせる瞳を目にして、ポルコは再び笑顔を見せる。
「お前のそういうところは昔から変わっていないな」
「そ、そうでしょうか?」
「変わってないとも……よし! ではその辺も含めて、今日はたっぷりと話し合うとしよう。美味いものを食い、酒を飲みながら、仕事や子育ての悩みと愚痴を聞きあう。それも友であり先輩の務めだろう」
「先輩……感謝します」
「なに、今後は互いに協力していくのだから、遠慮することはない。昔のように、な」
ポルコは再び鈴を鳴らし、ピグーに夕食の用意を急ぐように指示を出す。
そしてさらに2人は語り合い、旧交を温めるのであった。




