水場と漁業の神(前編)
「――ってことで、わかったぁ?」
「はい。今後、絶対にとは申せませんが」
「それでいいよぉ。生活の都合もあるだろうしねぇ……あれ? そういえば何でこんな話をしてたんだっけ?」
「え……確かセーレリプタ様が俺に会いたかったのはどうしてかと」
「あー! そうだった。それで君が面白かったから? って聞くから、そうじゃない、むしろつまらないのは何でかって話になったんだっけ!」
「はい」
「そうだそうだ。で、君を呼んだ理由はねぇ、君が気になっていたからさ。面白いって意味じゃないけどね」
だんだんわかってきた。この神様は俺に対して面白くない、つまらないを連発するけど、別に悪気はないらしい。ただ心で思ったことが、そのまま口から出ている感じだ。
「では、どういうところが?」
「なんて言おうかぁ……この世界に新しい人が来たって話はガイン達から連絡されてたんだけど、君が今いる村に来て、チラッと見た時に思ったんだ。“この子、僕にちょっと似てるかもぉ?”って」
「俺とセーレリプタ様がですか?」
「セーレでいいよぉ、どうせ誰も聞いちゃいないんだし」
「……じゃあセーレ、俺と似てるってどんなところが?」
「そうだねぇ………………………………どんなところだと思う?」
しっかりタメてそれか。めんどくさいタイプだなぁ……似てるところ……どこだろう? この短時間でわかったことで、俺との共通点……
「引きこもりがち?」
「それ見た目で言ってるよねぇ? 事実だけどぉ」
「わりと無神経で一言多い?」
「否定はしないけどぉ……正確じゃないかなぁ」
「……根暗?」
「君も初対面なのに結構言うよねぇ……まぁ、全部ハズレてもいないけどぉ。でも正解は、もっと根本的な部分だよぉ」
根本的な部分?
「人間には“自分自身のことなのに、自分でも理解できない”、そんな部分があるみたいだし、理解するのは難しいかなぁ? こうして会話をしていても、表層に現れる部分と現れない部分っていうか、判断基準? 人格の根底? ん~、言葉で説明するのって難しいなぁ。そもそも僕ってこんなに人と話したことないしぃ……」
自分で理解できない自分は無意識とか、そういう概念だと思うけど……
「とにかく人でも神でも、色々考えたり感じたりする。その基本になる部分だと思ってくれればいいよ」
「では、なんとなくで理解しました。その根本的な部分が俺達は似ていると?」
「そうだね。あくまでも“似ている”ってだけだけどぉ……ちなみに僕の考え方を一言で言うと“弱肉強食”になるかな。君にもあるでしょ? そんなところ」
「あるでしょって言われても。そうなんでしょうか?」
「わからないかな? じゃあ、ちょっとお話しようか」
見えない椅子に深く腰掛けたような状態から、うつ伏せに体勢を変更し、決定事項のようにどんどん話を進められてしまう。会話のキャッチボールがいまいち上手くいかない。
「あっ、もしかして僕、喋りすぎかなぁ?」
「そんなこと……心を読まれましたか。でも勢いに少し戸惑っただけですよ」
「よかったぁ。さっきも言ったけど、僕って滅多に人と、っていうか同じ神ともあまり話さないからねぇ」
よく喋るけど距離感がわからないのか、言いたいことを言いまくるというか。なんにしても口下手じゃないコミュ症って感じだな。珍しくはない。
「理解があって助かるよぉ。じゃあ話に戻るけど、君は今日、スライムの研究を手伝ってくれた子に対して、進化したパールスライムのことを秘密にしただろう? それはなんでかな?」
組んだ手の上に頭を置いて首をかしげる彼は、知らなければ女の子と勘違いされそうだ。
微妙にやりにくさを感じながら、素直に答える。
「正確な価値はわからなかったけど、とにかく高価になりそうだったから。ニキ君はまだ子供だし、何も知らなければ情報が漏れる心配もないし、安全かと思って」
「うん。その予想は正しいと思うよぉ。この世界における真珠の価値は、君が考えている以上に高いからねぇ。特に君のいるリフォール王国では、まだ採取できない宝石だから、売りに出せば余計に高値がつくだろうねぇ……
当然のように出所や入手ルートを探る人間もでてくるだろうし、それらを自分のものにしようと企む人間は後を絶たないだろう。もちろん合法で穏便な手段だけじゃなく、非合法で非道な手段も厭わない人間も……
君なら知り合いに信用のおける商人もいるし、強い権力を持つ公爵家の後ろ盾もある。襲われたとしても、ほとんどの相手なら自分の力だけで対処できるだろう。だけどそのニキっていう少年にはそのどれもが欠けている。個人で動く泥棒みたいな小悪党なら村人でも守れるかもしれないけど、闇ギルドや貴族に狙われたらひとたまりもないねぇ」
笑顔を絶やすことなく、当然のように残酷な可能性を語るセーレ。
「君はよくわかってるね」
「このくらいは……大金が関わるものを手に入れたら、誰でも警戒するのが当たり前じゃないか? 前世の話だけど、宝くじの高額当選者は銀行から注意を受けたりもするらしいし」
「ぷっ、あははっ!」
突然声をあげて笑われた。何か変な事を言っただろうか?
「ごめんごめん、君は自覚がないのかな? それとも気づいていて知らないふりをしているのかな?」
「? もう少しわかりやすく説明してもらいたいんだけど」
「ああ、うん。そうだね……まずね、君は“当たり前”って言ったけど、その当たり前を当たり前のように行うのは意外と難しいんだよ? 例えば人間社会では礼儀として、人と会ったら挨拶をするのが“当たり前”。年上は敬うのが“当たり前”だよね? でもそういうのが当たり前にできなくて怒られる人って結構多いんじゃない?」
「……確かに。俺も会社でよく言われた覚えがあるし、後輩に言った覚えもある」
「そうだよね。大切なことだけど、人は当たり前のことを意外とおろそかにしがちなのさ。さっきの宝くじの話だって、それで失敗する人が沢山いたからこそ、銀行が注意するようになったんだろう? まぁ、注意を受けても失敗する人間は失敗するだろうけど」
確かに……だけど、それでもまだ微妙に腑に落ちない。
元は俺に弱肉強食を信条とするところがある。という話ではなかったか?
「別に話はそれていないよ。要は警戒心の話さ。君は大金を入手する可能性から自然とそれを奪いに来る人間を警戒した。警戒心というのは弱肉強食の世界においてとても大切なことだよ。警戒心のない生き物は、過酷な自然の中では生き残れないだろう。すぐに殺されてしまうからね。
あと、君のお店では元暗殺者を2人雇っているよね? 君は雇う前にそれに気づいたでしょぉ? 武器を隠し持っていたから、何か違和感を覚えた……理由なんてどうでもいいけど、それを隠して気づかせないのも暗殺者には必須の技能。一般人に簡単に気づかれるようじゃ三流以下だ。君が雇ってる2人はそんなに無能なのかな? 違うよね。つまりはそれだけ君が常々、無意識に他人を警戒していたってことさ」
……
「弱肉強食、それは野生の世界。獣のすることで自分達とは関係ない、なんて人間は思っているかもしれないけど、僕から見れば人間だって獣と同じさ。同じ世界に生きているんだし、やり方が少し違うだけでね。
たとえば……」
最後の呟きがやけに大きく聞こえた、次の瞬間。
「君は色々な物を作ったり、へんな事を知っていたりするよね? それはなんでかな?」
「!」
唐突かつ関係のない話にも思える質問。
だがそれを聞いた瞬間、心臓が跳ね上がったような気がした。
「色々な仕事を経験したからな……それに気になることがあったら調べる方だったし、向こうにはネットっていう便利なものがあったから」
「ということは、職を転々としたんだよね」
「若干語弊がある気がするけど、間違ってはいない」
「ならその都度、それまでの職場は辞めたんだよね?」
「そうだけど」
なんだろうか? ただ当たり前のことを質問されているだけなのに、不安? それとも焦り? 言葉にできない感情が湧き上がってくる。
「君はたくさんの職場を辞めてきた。その理由は答えて言ったらきりがないだろうから、こう聞くよ。君は全ての職場で円満退社してきたのかな?」
「それは」
謎の感情が膨れ上がる。
「そんなわけないよね。人間は仕事を辞めるのにもそれなりの理由が必要だと聞いているもの」
確かに、すべての職場を円満に退社できたわけではない。
「色々あったんだねぇ」
ある時は同僚や上司との人間関係が悪くなり、追い出されるように。
ある時は身に覚えのない容疑をかけられ。
ある時は一方的に罵倒されて理由もわからず。
ある時は雇い主の都合で。
ある時は会社の倒産。
ある時は――
彼の声を聴くたびに、頭の中で過去の光景が浮かんでは消えていく。
それはまるで濁流に飲み込まれるようで、気持ちが悪い。
「う……っ!」
「ごめんねぇ。嫌なことをたくさん思い出させてしまったみたいで」
気分の悪さをこらえていたら、いつのまにかセーレリプタ様がすぐ近くにいて、正面から抱きしめられた。そして子供をあやすような声が耳元で囁かれる。
「でも、それが君の一部なんだ。君は肉体的な意味では強くても、社会的には弱者側の人間。そして君が経験してきたことは、間違いなく君の魂に刻み込まれてしまっている。
それを……この世界に来てから何年だっけ? ああ、森に3年で今4年目か。たった4年だよ。たった4年、気ままに快適に暮らしたからって忘れられるものじゃない」
不思議と今度は声が聞こえるたびに、気分が落ち着いていく。
「一度心を病んでしまった人間の治療には、どれくらいの時間がかかると思う? もちろん状態や人によるだろうけど、一生付き合っていく人間もいるんだ。3年も休めば十分だろう、甘えるな、なんて考え方には配慮が足りないね。たとえそれが自分自身に対してでも。……君はもっと自分を大切にすべきさ。
君はこの世界で4年、楽しく生活して前世の悩みはきっぱり忘れたつもりだったんだろう? そう思いたくなる気持ちもわからなくはない。実際に君は以前よりも、生活も心も楽に感じていたんだろう……けどそれは小康状態にあるだけ。こうして少しつつけば簡単に抉り出せてしまう。
そもそも小さなきっかけで前世のことを思い出したりは日頃からしていたみたいだしね」
前世を思い出した、たったそれだけでさっきの不快感が? 何か変だ……でも心地よい……
「……本当は、心の底では君にもわかってるはずさ。思い出してごらん? 君は、最初にガイン達に願ったんだよね? “人から離れて暮らしたい”と。“自然の中で自由に生きたい”と。他ならぬ“君自身”が」
「それは――」
……確かにそうだ。間違いない。
「それが答えさ。君はあのまま、人間から離れて暮らしていればよかったんだ。そうすれば君は本当の意味で、自由でいられたのに……ガイン達が中途半端な環境に送り込むから、君は心が癒えきらないうちに人間社会に戻されてしまった」
「! 待ってくれ!」
「……ああ、別にあの公爵家の人間達を悪く言うつもりはないよ。彼らは見ず知らずの、縁もゆかりもない子供を保護して世話を焼いた。人間としては善良の一言に尽きる。それはわかってるさ。
でも、君は結局、彼らから離れた」
「ッ!!」
あの不快感の再来。より強く、より重く、反論したいのに言葉が出ない。会話になっていない。にもかかわらず、どんどん話は進んでいく。
「それに君は、人間の仲間を作らないね? 行く先々で出会う人間と縁を結んでは仲良くしているけれど、常に一緒に冒険する仲間は従魔だけ。君の実力なら、外見は気にせず仲間にしたいって人はいくらでも見つかるはずなのに。なんならもう顔見知りの冒険者に話を持ちかけてもいいはずなのに。店を構えて拠点の街を作っても、修行を理由に行ったり来たり。
……無意識だろうから教えてあげるよ」
“君は心から他人を求めている、でも他人と親しくなるのが怖いのさ”




