元剣闘士と奴隷商の真意
本日、3話同時投稿。
この話は3話目です。
~Side ???~
「詐欺だぁ……」
1人目の試合が終わった後。
扉をくぐり庭から屋内へ戻った男は、気を落とした様子で呟いた。
「……なぁ、あいつ」
「彼が選んでいたのはスライムだったはずだが……まさか負けたのか?」
扉の横で順番を待っていた奴隷がその様子を見てざわめく。
呟いた男は庭の様子を極力伝えないためか、職員に促されてその場を立ち去る。
(あの様子からして敗北。もし勝っていたとしても、何かそう思えないようなことがあったのだろう。スライム……闘技場では相見えたことはないが、上位種となると強い種、厄介な種もいるのか)
その様子を静かに見ていた奴隷の1人。オックス・ロードはそこで考えるのをやめた。
気にならないと言えば嘘になるが、自分の相手はスライムではない。
よって必要のない思考はそこまでに留め、自分と戦う少年を思い浮かべる。
(貴族が1人。商人が2人。もう一人は一見商人のようで只者でない気配を秘めていた。そしてそれぞれがそれなりの風格を纏う大人達に混ざっていた、唯一の子供。何より、5人の中で1番気配が読めなかった)
剣闘士は強さこそ全てと思われがちだが、本当に上を目指すならば腕前だけでは足りない。剣闘士は人気商売であり、その試合は賭けの対象にもなっている。故に人気が試合の数や報酬に大きく影響を与える仕事だ。
観客を魅了できない、人気のない剣闘士はいくら強くとも二流止まり。強さと人気を兼ね備え、初めて一流と呼ばれるのが剣闘士の世界。
そんな世界で頂点に近い位置まで上り詰めたオックスには、剣の腕前の他にもう1つ長年の鍛錬で培われた力があった。それは奇しくも自らを商品として売る奴隷商会の長、モールトンと同じ“人を見る目”。
剣闘士として無数の試合を経験し、人気を得て多くの貴族や商人との関わりも増えた結果。
彼は試合相手の足運びや剣の振り、一挙手一投足から相手の人となりを感じ始めた。
自らを鍛え、剣の道をひたすらに邁進した末に得た“感覚”。
それは相手の心と体の動きを察知し、自らの技を一段上へと引き上げる結果に繋がる。
(齢30を超えて、感覚を研ぎ澄ませた結果双剣術はレベル5に至った)
オックス・ロードの一番の誇りは片手を失った今もなお変わらず“剣の腕前”。
その次は何かと問われれば、修練で培われたその感覚を挙げるだろう。
それだけの自信をこの“感覚”に持っていたが、彼の感覚は竜馬のことを掴み損ねていた。
(何者か……見かけは明らかに子供だが、気配は周囲の大人に溶け込んでいた。まるで近しい年頃のように、対等に。そして何より……強い。隣にいた異国の男も実力者だろうが、それ以上に……考えたところで分かりそうもないな。元より私にできるのは剣を振り、力を見せる。相手が誰であろうと同じことだ)
奴隷が1人2人と庭へ入り、落胆した様子で立ち去る。
それを横目に2本1対の愛剣を鞘ごと握り締め、集中力を高めるオックス・ロード。
やがて9人目が戻ってくると彼は静かに立ち上がり、愛剣を腰の左右に提げた。
「……念のために聞く。本当に真剣を使ってもいいと?」
「そう会頭から聞いている。お客様本人からも許可を取ったと」
「あの男の趣味ではないだろうな?」
「疑う気持ちも分からなくはない。実際提案したのも会頭らしいが、今回は本当だ。1つ前の試合後にもう一度、対戦相手本人に確認した。慣れない得物より慣れた得物の方が良いだろうとのことだ」
「……ならば良し。配慮に感謝する」
軽く頭を下げた後、オックスは現役の頃を思い出した。
心には試合のことのみ。力強く地面を踏みしめ、堂々と庭へと出ていく。
「お待たせしました」
前の試合後からそのままなのだろう。
彼を出迎えたのは、試合開始位置に立ったままの竜馬。
(やはり、一筋縄ではいかない相手のようだ)
その立ち姿はとても4連戦の後には見えない、余裕に満ちている。
竜馬は最初に一言、対戦相手に自分を選択した理由を問う。
「だれが相手でも同じこと。私はこの剣で戦うのみ。私は剣士としてただ自分の力を示す」
簡潔な答えは“これ以上の言葉は無用”と“全ては剣と結果で語る”。
2つの意味が強くこめられ、何よりオックスは竜馬の正面、既に開始位置まで歩いていた。
「では、合図を」
竜馬はそれをすんなりと受け入れ、 腰に携えたスライム刀を引き抜く。
同時にオックスは雰囲気の変化を鋭く感じ取る。
(間合いの内に敵がいれば、抜き放つと同時に斬られるな)
ただ鞘から刀を抜く。それだけの動きからオックスは竜馬への認識を上方修正。
自らも残された右手で左の剣を抜く。
その剣は磨かれた石のように光沢のない灰色で、分厚く見るからに頑丈。
形状は鉈や包丁に近く、竜馬は前世の知識から“スクラマサクス”という刀剣を思い出す。
そして両者は当然のように気功の力を纏い、全身を強化。
「始めっ!」
(先手必勝!)
オックスが一気に距離を詰め、豪腕から縦一閃。
対する竜馬は打ち込みに合わせて刀を振るい、確実に受け流す。
二人はけたたましい金属音と共に、どちらからともなく距離を空けた。
「……」
この時、竜馬は驚嘆していた。
目の前の巨体にそぐわない速さ、そして何よりも打ち込まれた一振りの異様な重さに。
また同時にその威力が本人の腕力と気による強化のみならず、武器自体の重さもあると見抜いた事で、それほどに重い剣を軽々、本来は2本同時に操る技量を、そしてそこに至るまでの鍛錬とかけた年月を想像し、内心で称賛する。
それはオックスも同じく、
(得物に傷一つ無し。気を使えるうえに技で完璧に流されたな)
オックスの剣は“重岩鋼”と呼ばれるこの世界特有の鉱物を精錬した金属。その特徴は岩のような色合いに加え、鉄以上の強度と鉛を超える比重。
膂力に優れた牛人族の男が肉体を鍛えぬき、更に気で強化した状態で扱うことを前提として特別に作られたその剣は、常人ならば構えるだけでも一苦労する重量を誇り、ひとたび振るわれれば重さが圧倒的な破壊力へと変わる。
下手な受け方をしていれば、今頃は武器が使い物にならないはず。
彼は自らの長い経験から直前のやり取りを瞬時に見極めた。
(他の者の態度にも納得だ。与えられた情報を疑わなかった者はさぞ絶望的な気持ちだったろう。あの男の入れ知恵か? まったく底意地の悪い)
……誰かの普段の行いから一部誤解があるものの、竜馬の腕を認めたことには変わりない。
そして彼は、
(1本ではどう足掻いても勝利は掴めん……)
自らの状態と相手の力量を冷静に判断し、一歩前へ踏み出した。
「……オオオッ!」
雄叫びを上げながら、一足飛びに距離を詰める。
片手を失った。勝てないと判断した。
だからどうだと言うのか。負けを認める理由になるのか。
不利な状況も、格上相手も、幾度となく経験した。
それでも自分はその度に死力を尽くして抗い、勝ち残ってきた。
「ッ!」
言葉にならない獣じみた咆哮。
その内に凝縮された彼の生き様とでも言うべき意思。
己の全てを剛剣と共に叩きつけ、結果として彼は自ら格上と認めた竜馬を一歩後退させるに至る。
「ハァッ!!」
「っ!」
間髪容れずに手放された剣が竜馬を追って飛来。竜馬が寸前にまで迫った剣を払いのける間に、オックスは右の腰から2本目の剣を抜き放つ。一撃必殺と称するに相応しい剣を、2本用いて行う連撃こそが自分の本領だと証明するかのように……竜馬を2本の剣が襲った。
「リョウマ君!」
交錯は一瞬。
ラインハルトの声が僅かに遅れ、商人の2人は反応もできない中、
「大丈夫。店主は避けました」
僅かに安堵が含まれたフェイの声が響き、2人の体が一瞬離れたかと思いきや、激しい切り合いに発展する。
「……今は何が? いえ、それ以前に剣が……」
「1本浮いとる!?」
セルジュとピオロの言葉通り。オックスの左手首の先に見えない手があるかのように、剣が一定の距離を保ちながら追従していた。
「おそらくは“念力”。魔力を使って物体を動かす無属性魔法だね。それを無詠唱で使って失った左手の代わりにしているんだろう。
さっきのは剣を投げて払い落とさせて隙を作り、もう1本の剣で攻撃。それだけでなく払い落とされた剣を拾い、下から切り上げたんだ。魔法なら本物の手と違って、距離はある程度無視できるからね」
「店主は飛んできた剣を弾いてから、前に出て攻撃した。それで右手の剣と相手の動きを抑えて、下からの左は体を逸らして避けた。相手は左手ない。使える剣は1本。店主もそう思てたはずなのに、あの一瞬でよく避けたネ」
2人が解説をしている間にも激しい試合が続く。
実在する右と魔法を用いた左。2本の剣によって生まれた風が竜馬の頬を撫でては消える。
一息つく間に3~4回。直撃すれば無事では済まない。嵐の如き連続攻撃。
それを竜馬は柳に風と受け流し、合間合間で反撃を狙う。
「ああ……素晴らしい……本当に素晴らしい」
「オレスト。感動に浸っているところ悪いんだが、色々説明してくれないか?」
2人の試合に見入っていたモールトンへ、ラインハルトが問いかけた。
セルジュとピオロは無言で鋭い視線を向けている。
「はて説明とは? 私はお客様に良い奴隷をおすすめしただけ、これはその結果こうなっただけですよ」
「そのおすすめの奴隷についても、聞いてないことがあるみたいだけど?」
「少なくとも魔法で2本剣を使えるなんて聞いとらんで?」
「“彼は剣に執着している”。“左手を失い元のように剣を振れない”。そう申し上げたはずですが、少々誤解を招く表現だったかもしれませんね」
飄々とした態度でモールトンは続けた。
「あの技は閣下の仰る通り、無属性魔法の“念力”を使用しています。しかし皆様もご存知でしょう。獣人族は屈強な肉体、高い身体能力を持つ反面、体内に保有する魔力が少なく、魔法とは相性が悪い。牛人族である彼も例外ではありません。
タケバヤシ様へ全力で挑んでいるようですが……残念ながらあの勢いは3分も続きませんし、本来の力を十全に発揮できているわけでもありません。またその後は魔力切れで1人で立つこともできなくなるでしょう。薬による回復も限界がありますし、状況によってはそれも不可能……」
故に“元のようには剣を振れない”。そして不得手であり、元々魔法を併用する戦士でもなかった彼が、短時間でも本来に近い戦い方ができるようになった。それは“彼の執着の賜物”だとモールトンは語る。
「なるほど。なら、君の目的は? 彼に問題がないとは言わないけど、それでも十分に説明すれば普通に買い手は見つかるんじゃないかな?」
「それこそ最初から申し上げている通り、お客様であるタケバヤシ様には彼が良いと判断したからですとも。剣の腕を活かせる職場ならオックスも不満はないでしょうし、購入者が自分以上の実力者であれば尚更。そして何より……タケバヤシ様に並び立つ存在が少ないこと、でしょうか」
わざとらしく一拍置いて、付け加えられた言葉に目を見開くラインハルト。
セルジュとピオロも驚いたようにモールトンを見ている。
「彼はいったい何者なのか、知れば知るほどに不思議な方ですね。言動やその思考もそうですが……何よりも能力が年頃と不相応に高すぎる。もちろん皆様のように友人として対等に付き合える人はいるでしょう。しかし同等の技量、特に戦闘技術を持った相手はそう多くない。
私が調べた限り同年代では時折スラムの子供と付き合っているようですが、指導者と生徒に近い関係だと聞いています。これは年頃の子供にとって、いかがなものでしょうか?」
「……君はリョウマ君の子供としての成長を考えていたと?」
「彼も多感な年頃です。欲を言えば同年代の相手と切磋琢磨することが理想かと思いますが、彼と同等の力量を他の子供に求めるのは酷というものでしょう。ならばせめて近しい力量と向上心を持つ者を奴隷としてでも傍に置いてみてはいかがかと」
「まさかそんな言葉がオレストから出るとは」
「リョウマを面白がってちょっかい出して観察したがっとるわけやなかったんか」
「なんと失礼な。私は確かに人間観察が趣味ですが、子供の真っ当な成長を妨げるつもりはありません。むしろ子供の年頃だからこそ得られる経験や幸せを大切に成長してほしいと考えています」
モールトンは真摯な態度で誓うように宣言した。
「……そうか、疑ってすまん」
「尤も彼には常連客になっていただき、もっとよく観察したいという思いもありますが」
「ちょっと待て! 結局それかい! 申し訳ないと思ったワイの気持ちを返せ!」
「オレスト、お前という奴は……」
「ほどほどに頼むよ、ほどほどに」
直後の掌を返すような発言に、3人が怒りや呆れを露にする。
そこにただ一人試合を見続けていたフェイから、試合終了が伝えられた。