実験結果と貴族料理
「そろそろお昼の時間ですね」
実験を重ねてそれなりにデータが集まってきた頃、ルルネーゼさんがそう呟いた。
「もうそんな時間ですか。では今日の実験はこの辺りにしておきましょうか。皆さんもお食事があるでしょうし」
「かしこまりました」
その一言が指示に変わり、ルルネーゼさんを通じて全体に行き渡る。
そこから後片付けの様子を見ていて気づいた、奥様が憂鬱そうな顔をしていることに……
「奥様、大丈夫ですか?」
「リョウマ君? 特に問題は無いけど」
声をかけると普段通りの返事が返ってくる。
特に体調が悪いことを隠しているわけでもなさそうだ。
先ほどのは俺の思い違いだったのだろうか?
「なんだか憂鬱そうに見えたので、ご気分がすぐれないのかと」
「あら、そうだったの……ありがとう。でも大したことじゃないのよ。この後のお昼ご飯がね……」
お昼ご飯?
思ってもいなかった回答を聞いて、俺の顔には疑問の色がありありと浮かんでいたのだろう。
奥様はクスリと笑って説明を続けてくれた。
「冬、特に年末年始は貴族の社交シーズンだって知ってるでしょう? そこでは大小様々なパーティーがたくさんあって、他人とお食事をする機会も多いの。だけどね……そこでのお食事はハッキリ言うと、とってもマズイの」
「……そういえば」
もう大分前に思えるけれど、一年も経っていない。俺の店の完成パーティーを開いた時の事。
「あの時もそんなことを言っていましたね。貴族の料理はお金をかけるばかりでマズイ、とかなんとか」
俺の料理をものすごく評価してくれるから、公爵家の人間なら普段からもっと美味しい物を食べてるんじゃないか? と思っていたら猛反論を受けた覚えがある。しかしこの屋敷に来てからいただいた食事はどれも美味しく、高級感もあるものばかりだと思うが………
「パーティー用の料理はもっと違うのよ。あれこそ貴族の料理だと言って普段から食べるご家庭も結構あるのだけど……私は、いえ、私達はそう思わないから、普段は普通の料理を食べているの。お客様に出す料理も、相手によってどちらを出すか決めているわ」
なるほど。まったく別の料理と考えた方がよさそうだ。
「このタイミングでそのお話をしたという事は、お昼はパーティー用の料理を食べるのですか」
「そう。パーティーを主催するならそこで出す料理を決めないといけないし、そうでなくても私たちはパーティーに呼ばれることが多いから、そこでそういう料理を出されて食べないわけにいかないでしょう? だからこの時期は少しずつそういう料理を食べて慣らしておくの。……もしかして、興味がある?」
「ない、と言えば嘘になりますが……」
奥様がそこまで言う料理は気になる。
しかし、パーティー用の料理は普通の食事より高価になるのだろう。
それを興味本位で食べさせてくれとは……
「あまりオススメしないけど、食べたいのであればいいわよ。本当にオススメしないけど、試作で量も1人分くらいは余分に作ってあるはずだから、料理長に一言言えば用意できると思うわ。オススメしないけど」
「……では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
好奇心が勝ってしまった……
「ではまた後で、用意が出来たら部屋に呼びに行かせるわね」
気づけば実験の後片付けも終わっていたようだ。
そして昼食時。
「やぁリョウマ君。実験はどうだった?」
「おかげさまで、有意義なものになりました」
件の料理が運ばれてくるまでの雑談がてら、ラインハルトさんに実験結果の報告を行う。
「午前中の実験で、これから目指す商品の方向性が見えてきましたね」
実験に協力してくれた方々は経緯が経緯だし、少し萎縮しているのではないか? と心配していたけれど、彼らは思いのほかリラックスして素直に自由な意見を出してくれたと思う。
特に多かった意見は2つ。
・香りの強いシュガースクラブが欲しい。
・香りの無いシュガースクラブが欲しい。
2つは全く反対の意見であり、さらに支持者の数はかなりの僅差。
香り付けをした方が良いと考えていた俺としては少々意外だった。
そこでこの点について詳しく調べてみたところ、香りの強いシュガースクラブを求めているのは使用人の中でも単純に雇われている“平民層の女性”ばかり。
対して香りのないシュガースクラブを求めているのは、“男性”、“一部の女性使用人”、“奥様”、そしてルルネーゼさんやリビオラさん、奥様のお付きの2人といった“高い地位にいる使用人”と多岐に渡る。
さらにその理由について聞き取り調査を行うと、まず香り付きを求める女性は、
・香油は高価かつ贅沢品なので、気軽に使えるものではない。
・種類によってはそもそも平民には手が届かない。高級感がある。
・使用後に体に香りが移れば儲け物。
細部に違いはあるが、まとめるとこの3点がポイントになる。
どうも平民の女性にとって香油を使用する事はかなりの贅沢らしく、実験中ほんの1滴香油を混ぜただけでもリッチな気分に。残り香があればなお良いらしい。特に素直に話してくれた方は、お風呂あがりに男性にアピールするだとか、色々と使い方も提案してくれた。
……途中、内容がきわどく子供に話す内容ではないとリビオラさんからお叱りを受けかけていたが、全力で庇った。たぶんそれが今日の実験で一番疲れた。
「思っていた以上に大変そうだね……」
「商品化に関しては大変役に立つ意見だったと思います」
「それなら良かったね。で、香りの無い方を選んだ人の理由は?」
「そちらには様々な理由がありました。まず単純に“香油が嫌い”、これは被験者の中では少数派ですが、男性の殆どから出た意見です」
「あー、化粧の匂いが嫌いというのはあるよね。僕もあまり好きじゃないし」
ラインハルトさんもか、実は俺もだ。
「女性は少しでも相手に綺麗だと思って欲しいのだけどね……」
「努力をしてくれているのは分かっているよ。それは否定しないさ」
呟く奥様に対して、女性の努力は認めていると素早いフォローを入れるラインハルトさん。
これができる男の行動か、果たして正解なのかは……奥様の表情からは読み取れない。
さらに話を続ける。
「他にも厨房で働く使用人の方からは、強い香りを付けていると“仕事に差し支える”もしくは“怒られる”といった役職に関する理由が。奥様や上級の使用人の皆様は日常的に香油を使っているからか、“後で自分の好きな香油を選んでつける”ために、入浴に使うシュガースクラブには香りのない物が良い……という理由が挙げられています。
とあるキッチンメイドの女性は香り付きが欲しい。けれど仕事を考えると香りなしの方を使う、と話していましたね……そういった職業や身分による考え方の違いを知れたのは大きいと思いますし、単純に面白かったです」
今後の商品開発の指針としては、平民の女性をターゲットにするなら香油入り。それ以外をターゲットにするなら香油なし、あるいは微香を基本として考えたい。
また、個人的には香りなしのシュガースクラブ開発に、デオドラントスライムの吐く液を利用できないかと期待している。
デオドラントスライムはクリーナースライムに木炭を食べさせて進化したスライム。吐き出す液も消臭液、脱臭液、防臭液と効果は違えど共通して黒く、微細な炭素粒子が含まれている事までは分かっている。ほかの物と混合しても効果が持続することも確認済み。微細な炭素粒子は匂いだけでなく洗浄力にも良い影響を与えるかもしれない。
……ついつい話しすぎたかもしれない。
「まくし立てたようで、申し訳ありません」
「別に構わないよ。僕も色々と聞けて楽しかった。たった一回の実験でよくそこまで考えたもんだ」
「皆様が協力的で助かりました。それに僕もこういう事は何だか久しぶりで、楽しかったですから」
一応ちょこちょこスライム研究はしているつもりだけれど、森から出て、店を持って、
「できる事、やるべき事が森に引きこもっていた頃より格段に増えましたからね。必然的に一つの物事に集中する事も少なくなっていた気がします……あ、でも森から出たことを後悔はしていませんよ。皆さんと会った事も、その後の事も良い思い出ですし、今が嫌と言うわけではありませんから」
それだけは言っておかなければ、と少々慌てたのが伝わってしまったのか。
奥様とラインハルトさんは柔らかい微笑を浮かべていた。
……何だろうか、微妙に恥ずかしい。
『……』
「失礼致します」
! よかった、やっと来た!
生暖かい無言の時間から開放される事に安心を覚えた俺。しかし同じテーブルについている2人の顔をふと見てみると、平穏を装っているものの、明らかにテンションが下がっていた……
「本日のメニューは前菜としてアルボンのサラダ、スープには牛肉の――」
今日は貴族料理の試作だからか、料理長のバッツさんが自ら料理を運んできたようだ。
彼の口から行われる簡潔な料理の説明をBGMに、メイドさんが粛々と配膳を行う。
そして実食の時。俺にとっては初めての、本物の貴族料理。
慌てず。騒がず。目の前の2人を参考に、まずはサラダからいただく。
「……?」
これは……別に普通だ。アボカド?
若干風味は違う気もするけど、普通においしいサラダ。
彩のためか金粉が乗っている以外は特に気になるところもない。
「このサラダは良いね。シンプルにアルボンが楽しめる」
「今年はアルボンがよく育ったそうです。栄養豊富で季節的にも良いですし、一皿で小金貨10枚は下らないでしょう」
っ!? ……この一皿で小金貨10枚? ……どう見ても4,5口。大口なら2口もあれば食べ切れそうな量しか乗ってないんだけど。というか今の1口で俺は小金貨2枚分食ったのか? 高級食材過ぎるだろ!?
「リョウマ君、大丈夫?」
「あ、いえ、美味しいです。少々お値段に驚いていただけで」
「それなら良かった。でも貴族のパーティーではこのくらい当たり前なのよ? それを来客分だけ用意するの」
「ちなみに来客数をお聞きしても?」
「さぁ……パーティの規模にもよるけど、何百人という単位よ」
前菜だけで1皿小金貨10枚、それを百人単位で……想像もつかない……
「ふふっ、珍しい顔が見られたわ」
「エリーゼ、あまりからかわないであげなさい」
奥様、からかっていたのか?
「なら今のは嘘?」
「嘘ではないわ」
「うん。リョウマ君の言いたい事も分かるけどね。パーティーにお金をかけるのは貴族の義務と言ってもいい。そして世間にお金が回っていくのさ」
それは分からなくも無いが、金額が多すぎてイメージができない。
……と思っているうちにサラダを食べきってしまった。2人にスピードを合わせていたせいか、あっという間だった。
少々もったいなく思いつつ、次はスープ。唐辛子を使った牛のスープらしい。
色味が少々危なげな雰囲気だが、どこか懐かしさを感じる……
「!!」
ひと匙口に含んだ瞬間、刺すような刺激が広がっていく。そして同時に思い出す。
これは……激辛チャレンジ料理系の辛さ!?
「ゴホッ!? 失礼、した……」
「~~!!!!」
ラインハルトさんは咽せてしまい、奥様は悶絶して言葉が出ないようだ。
「大丈夫ですか? お2人とも」
「ああ、久しぶりでビックリした……リョウマ君、平気なのかい?」
むしろ普通に声をかけた俺に驚かれた。
もうひと匙いただいてみるが……
「僕、これ普通にいただけますね」
前世では上司に無理やり挑戦させられたりしたからなぁ……それにこのスープ、ただ激辛なだけではない。
「確かに辛味が真っ先に襲い掛かってきますけど、よく味わうとちゃんと牛のスープの旨味がしっかりあって美味しいです」
料理であって食べるための物のはずなのに、完食させないため悪戯に辛さを足しているような料理とは違う。辛くはするが、それでも出来る限り美味しく食べて欲しいという心遣いを感じるスープだ。辛いのがダメな人には厳しいだろうけど、俺はこのスープなら全然いける!
元々の量が少なかった事もあり、あっという間に皿は空に。用意された水にも手をつけず完食したことで、水を運ぶために備えていたメイドさんも驚いているようだ。
そんな時、
「いやはや……嬉しいねぇ。辛さの奥の味に気づいてくれるなんて」
バッツさんがしみじみと語りだした。
「貴族のパーティーでは高級品の香辛料や、高価な食材をふんだんに使った料理が持て囃されていて、辛さには1辛から10辛なんて伝統的な基準もある。けど実際にはそんな辛すぎて食べにくい料理を誰が食べるんだと思うこともある」
……1辛から10辛って、モロに激辛チャレンジメニューについてる単位。意図的か偶然か知らんけど、伝統にするなよ過去の転移者!?
「それでも何とか、食べる人には美味しく食べてもらいたい。その思いが報われた気分だよ。ありがとう」
唐突に感謝された……この料理、食べられない人は多いのだろうか?
「こういう料理を日常的に食べる貴族家の人間でもなければ、厳しいと思うよ。特に一般家庭の人は普段香辛料もあまり使えないし、味が濃すぎるだろう。作った私が言うのもなんだけど、よく食べられるね?」
「昔、これに近いものを食べた事があったので」
あいまいに答えると、ラインハルトさんが思い出したかのように、
「そういえばリョウマ君の地元は香辛料が採れる地域だったね」
「そうですそうです、胡椒とか唐辛子は豊富にありました」
「なるほど、地元の料理か……もしよければ暇な時に話を聞かせてもらえないだろうか? 香辛料を多用しても、もっと美味しいものを作るヒントになるかもしれない」
「あまり詳しくはありませんが、僕の知る限りでよければ」
ここで料理長との話は一旦終了。
誤解に便乗して場を逃れ、他の料理をいただく。
激辛メニューなんて日本の文化? が貴族の伝統という形で受け継がれていたとは……と思っていると、
「牛肉のロースト、カッカーオのソースでどうぞ」
今度のメニューはソースが滅茶苦茶苦い。
チョコレート風、だけど甘さもマイルドさもまったくない、ほぼカカオのようだ。
さらに他の全ての料理を食べ終えて知った。
あくまで1つの形式ではあるが……激辛と同じように、激塩、激苦、激渋、激酸、激甘もあるらしい。
過ぎたるはなお及ばざるが如し。
この言葉を過去の誰かに送りたくなった……




