実験準備
「こちらです」
朝食を終えた俺はルルネーゼさんに案内されて、屋敷内にある魔法練習場を訪れた。
まず目に飛び込んできたのは鮮やかで派手な紫一色の壁。
その紫の壁で、ちょっとした公園程度に広い敷地が囲まれている。
天井はなく、足元は舗装もされていない地面が広がっていて……
その一角から優雅な足取りで、メイドを2人も引き連れて近づいてくる女性がいる。
「いらっしゃい、リョウマ君」
「お待たせしました、奥様」
今日の仕事は午後からの結婚式場設営。午前中は特に用が無かったため、シュガースクラブの改良に使う事にしたところ……奥様も参加することになった。
なんでもリフレッシュも必要との事で、今日は元々予定を入れていなかったらしい。
リフレッシュが必要なのは否定しない。
しかし、いくらなんでも早すぎるのではないだろうか?
「まだ実験の準備も整ってない段階ですよ? 今からやるのは畑仕事ですし」
「どんな準備をするかも見たいのよ。それよりもどうかしら? 我が家自慢の魔法練習場は」
「広くていい所ですね。遠慮せず魔法が使えそうです」
ただ……
「壁が気になりますか?」
ルルネーゼさんが、気になっていたことをズバリ突いてきた。
「分かりますか?」
「視線が度々そちらへ動いていますから」
「ははは……なんであんなに派手な色なのか、聞いてもいいですか?」
彼女はにこりと笑って、答えてくれた。
「火と氷の魔法や温度変化に強い特別な塗料を塗ってあるからです。お嬢様が学園に通うまではここで魔法の練習が行われていたので、少しでも安全に練習ができるようにと」
「昔、エリアが火の魔法に魔力を込めすぎて、レンガの壁を溶かした時があってね。それ以来、念のために塗ってるの」
そういえばエリアの得意な属性は火と氷だったなぁ……だからか。
というか魔力をつぎ込めばそこまで熱量が出せるのか。覚えておこう。
「納得しました」
「ここは私達一家のプライベートスペースだから、リョウマ君も好きな時に使っていいわよ。この中なら空間魔法も使えるし、何よりエリアが学校に行っちゃってから、使う機会もめっきり減って……もったいないのよね」
奥様はやはりどこか寂しそうだ。
「ではありがたく、遠慮なく使わせていただきます」
一声かけて作業を開始。
「『ディメンションホーム』」
空中に生まれた白い穴から呼び出すのは、スティッキースライムとスカベンジャースライム。
各100匹を用意。
「相変わらず沢山いるわね」
「私は一度にここまでの数を見たのは初めてです……」
ルルネーゼさんは餌やりの時に見たかと思っていたけど、思い違いだったかな……?
あ、バラじゃなくてビッグやヒュージ、キングにまとめて偽装したかも?
奥様についていたメイドさんも同様に驚いている。さっさと作業を始めよう。
「まずは……『ブレイクロック』」
よく均されていた地面を、魔法である程度深くまで砂状に変えていく。
広さは50m四方もあればいいだろう。
「よし、スカベンジャー!」
スカベンジャースライムを砂地の端へ、50センチおきに並ばせて……
「いつも通り、頼んだよ」
俺の言葉に反応し、スカベンジャー達は一斉に動き始めた。
目の前の砂を体内に取り込みながら進み、後ろに取り込んだ砂を吐き、また前進。
「これってもしかして、耕しているの?」
「そうなんです。最初はスカベンジャーに肥料を吐いてもらって、自分の手で鋤き込んでいたんですけど、色々と重宝するので一日に何度も同じ作業を繰り返すことが多くて。だんだん面倒になってきたので、あらかじめ地面を土魔法で柔らかくした後は、スカベンジャーの体内で肥料を混ぜてもらってるんです」
横一列に並び、列を乱すことなく前進するスカベンジャーの通る後には、水分を含む肥料がよく混ぜられた土が積み重なり、畝を形成している。
「この作業を頼むようになってからしばらくして、スカベンジャーが“耕起”というスキルまで覚えました」
「聞かないスキルね」
「どうも農作業の内、こうして畑を耕す作業のみを指すみたいです。種まきも水やりもさせずに、ただひたすら土と肥料を混ぜる作業ばかりやらせたせいだと思います」
「普通に農作業をしていれば、身につくのは“農耕”スキルだものね」
「はい。ちなみに同じ理由で、スティッキースライムは“種植”というスキルを習得しました」
スティッキースライム達にアイテムボックスから取り出したダンテの種を配ると、慣れたもので体の上半分を器のようにして受け取り、スカベンジャーが耕した畝まで運んでいく。
畝一本につき1匹。スカベンジャーと同じく横一列で、触手を用いて器用に1つずつ種を植えていくスティッキー達。その様子はもはや熟練の動き。スライム故に進む速度は遅いのだけれど、自分一人で耕して種を植えるよりもはるかに早く、効率的になった。
「スライムって農作業ができたんですね……失礼しました」
奥様付きのメイドさんが思わずと言った風に口にするが、
「いえいえ。スライムはあまり重い物が持てないだけで、仕事は案外よく覚えますよ」
農作業であと面倒な作業と言えば、雑草取り。
基本的にどのスライムでも食べてもらえるけど、雑草を好むウィードスライムは何も言わなくてもしっかり根まで食べるので、雑草取りに適している。
放置すると体内から雑草の種や根の含まれた体液を出し、逆に雑草を繁殖させて次の食料や身を隠す藪を作り始めてしまうけど、それをしないように注意すれば作業はすごく楽になる。
「他にもアシッドスライムは命令すれば簡単な木工も出来ますよ。あとドランクスライムは最近僕の真似をして体内で果実酒を作り始めたり」
「スライムのお話、ですよね?」
「そうですが」
ドランクスライムの酒精生成で造られたアルコールに一手間加えて濃度を高め、趣味で作ってみた果実酒を飲ませたせいか、最近は酒だけでなく生の果物まで欲しがるようになって困る。季節が冬に近づくにつれてお店に並ぶ果物は種類が減り、値段も高くなりつつあるのに。
と説明しても、
「リョウマ君はスライムとの相性がすごく良いのよ」
「そういう問題なのでしょうか……?」
「奥様、私にはまったく別の魔獣のように思えるのですが」
メイドさんの疑問が解消されることはなかったようだ……むしろ逆効果?
「タケバヤシ様、他の者が到着したようです」
「あ、ありがとうございます」
ルルネーゼさんに声をかけられて気づいた。
練習場の入り口が開き、大勢のメイドさんが……
「多いですね?」
5人どころじゃなくて、20人はいる。執事服の男性も5,6人……何で?
「直接シュガースクラブを製作したのは5人ですが、彼女達に情報を流した使用人も含まれているのでしょう。この機会に気を緩めている使用人は引き締め直す、とメイド長は仰っていましたから」
ああ……アローネさんは俺と違って本気で怒ってたみたいだったからなぁ……
「こちらとしては被験者は多い方が助かりますが」
そう話していると使用人の方々の中に、指示を出している代表者らしき人を見つけた。
ずいぶんと背が高く、他の使用人の集まりから頭一つ出て顔がよく見える。
ゴツ、いや、戦士のような精悍な顔つき。かなり体格が良さそうだ。肩幅は広く、掲げた腕周りも太い。何より遠目からでも分かる、服全体が張り裂けそうな上半身の筋肉……だけど、着ているのはメイド服。
!! 目が合った……どうやらこちらに歩いてくるようだ。
「……ルルネーゼさん、あちらの方は?」
「リビオラですね。旦那様や奥様はもちろん、使用人からの信頼も厚いメイドです。彼女は大猿人族でして、体格と顔つきがやや男性のように見えますが、女性です」
「大猿人族の方でしたか。リビオラさん、よろしくお願いします」
「はい、大猿人族のリビオラと申します。この度メイド長のアローネより、彼女達の再教育係を任せられました。実験の際は彼女達の監視役として付き添わせていただきますので、お見知りおきを」
足も長く、一歩の歩幅も広い彼女は、俺がルルネーゼさんから全てを聞き終わると同時に目の前へ到着。そのまま挨拶をすると、彼女は実におしとやかに一礼して見せた。
……しかし同時に、怒らせると怖そうな何かを感じる……
「こちらこそよろしくお願いします」
うかつに踏み込まないでおくことにした。
「では早速ですが、実験にご協力をお願いしてもいいですか?」
「なんなりと」
まずはシュガースクラブを試作する作業場を整えてもらおう。
使用人の方々は材料を持ってきて下さったようなので、畑から少し離れた位置に荷物置き場と作業台を設置し、整理をしていただく間に実験内容をまとめる。
「あと材料は……」
「こちらに目録がございます」
「ありがとうございます」
……! なんと植物油だけで7種類。香油は20種類もある!
希望を出したのは今朝なのに、もうこんなに揃えてくださったとは……。
「香油などは接客を行う使用人もエチケットとして使いますから、それなりに備蓄があるのですよ」
「それでもありがたいです」
「で、リョウマ君はこれでどんな実験をするのかしら?」
奥様の問いに、少し考えをまとめてから答える。
「そうですね……今日はこうして贅沢に材料を揃えていただきましたが、油7種と後で用意するダンテで8種。香油は代表的な2,3種類だけでやってみたいと思います」
「香油はそれだけでいいの?」
「はい。香油は量や組み合わせなどで複雑になりますし、今日のところはムミトウと油に香油を加えた場合の感触を確かめる事。また、協力してくれる方が多くいますから、皆さんを顧客と想定して、使ってみた感想や需要を探りたいですね」
今朝は実験に協力しろと言ってしまったが、美容に関して俺はほぼ素人。
経験は無いに等しいが、需要に合わなければ売れる商品にはならない。これは基本だ。
「使った材料と使ってみた感想、その理由を――」
気づけば若い娘さんが数人、難しそうだと不安げな口をしてこちらを見ている。
「――そうですね。肌が乾燥しやすいから潤いが欲しいとか、その程度でいいです。小難しくあれこれ説明しようと考えなくていいので、ただ自分が欲しいと思った物事を素直に、欲張りになってもらって、それを各々、その都度紙に記録してくだされば大丈夫です」
その結果から多かった意見を指針として、今後の商品開発を進めようと思う。
「ご説明ありがとうございました、タケバヤシ様。……そこの3人! 分からない事があるなら盗み聞きをするのではなく、聞きに来なさい! ご本人に直接声をかけていいか分からない時でも、我々は対応できます!」
「「「しっ、失礼しました!」」」
「まったく……躾のなっていない子供達で申し訳ありません」
「最初から飛ばしすぎると疲れますからね。そちらの教育には口を出しませんが、最初から飛ばしすぎて後々疲れないようにお願いします」
油が8種、香油が3種でも24通りの組み合わせがあるのだから、それらを作って試すだけでもそれなりの時間が必要になる。砂糖の粒の大きさでも使用感が変わると言うし、粒子を細かくすりつぶした物も試してみたい。
こうして俺は、商品となるシュガースクラブ完成までの第一歩を踏み出した!
……こんな大事になるとは思ってなかったけど。




