初めての街
馬車の旅は時折休憩を挟みつつ進み、徐々に日が暮れ始めた頃――
俺の目の前には10枚の硬貨。
その内訳はまず俺の両手の中に3枚の銅貨、3枚の銀貨、3枚の金貨。それぞれ大中小と大きさが違い、小さい方から1円玉、100円玉、500円玉くらいの大きさ。加えて奥様が手に1円玉大の白い金属製の硬貨を1枚乗せて見せてくれている。
「今手元には2枚足りないけれど、リョウマ君が持っている銅貨、銀貨、金貨。それから私の持っている白金貨。これら4種類の硬貨が大中小の3枚ずつ。計12枚がこの国で現在使われている貨幣ね。
価値は小銅貨が1枚1スート。中銅貨がその10倍の10スート。大銅貨がさらに10倍の100スートになるわ。銀貨からは少し変わって、小銀貨は大銅貨の5倍の500スート、中銀貨は小銀貨の2倍の1000スート。その先も大金貨までは5倍、2倍と繰り返して高額になるの。白金貨はさらに10倍ずつよ」
つまり、こうなる。
小銅貨 1
中銅貨 10
大銅貨 100
小銀貨 500
中銀貨 1,000
大銀貨 5,000
小金貨 10,000
中金貨 50,000
大金貨 100,000
小白金貨 1,000,000
中白金貨 10,000,000
大白金貨 100,000,000
「一般市民の一日の生活費は100スート前後で、普段の生活に使用するのは銅貨です。銀貨は貯金や小さな店を持つ商人が、金貨はある程度大きな店を持つ商人と貴族が主に使います。奥様の手にある白金貨は貴族でもあまり使わず大きな買い物、あるいは国同士のやり取りを行う際に使われますね」
よし、硬貨の価値と一日の生活費は知識と相違ない。
知識の擦り合わせを行っていると、御者をしていた男性から声がかかった。
「皆様、ケレバンの街が見えてきました。もうじき到着いたします」
中継地点の街についたのか。俺はてっきり今日はもう野宿かと思ったんだが……待てよ? 俺、身分証とか無いぞ?
「あの……」
「何かございましたか?」
「身分証……僕……無い、大丈夫か……?」
落ち着け俺! 二週間前から多少マシになってたのに! 慌てたらまたカタコトになった……
「ご安心下さい、身分証がない方には仮証が発行されます。簡単な審査ですので問題ありませんよ」
ああ、良かった……しかし早く何とかしたいわ……この喋り。そんな事を考えていると無意識にため息を吐いていて、奥様に大丈夫かと心配されてしまう。
「大丈夫? 心配いらないわよ、何が来ても私達が守るからね。街は怖くないわ」
「あ……」
何か勘違いしてる、一応訂正しておこう。
「今のは、違います。街の事じゃない、です」
「そう? なら、どうしたの?」
「実は……言葉です。変でしょう? 僕……今……喋り方……」
「……そうねぇ……」
「3年間……人と話していなくて……2週間前……ラインハルトさんが来た時に……上手く言葉が思い浮かばなくて……自分でも……驚きました……あれから2週間……スライムに話しかけて少し戻りました……でも……まだ、変です。中々治らなうぷっ!」
何だ!? 奥様!? 抱きしめられた!!?
「大丈夫よ! リョウマ君! ゆっくり、ゆっくり治しましょう。ぐすっ……もうあなたは一人じゃないの」
泣いてる!? ……って気がついたら奥様だけじゃなくてお嬢様も男性陣も目が潤んでる!? 何故…………そうか、客観的に聞いたら俺めちゃくちゃ淋しい奴じゃん。3年間まともに人と話さず、言葉がすぐに出なくなったからって、スライム相手に会話の練習をするとか……
「大丈夫です! ……森に住むのを決めたの……自分ですから……」
その後しばらく少し落ち込んだだけで大丈夫だと言い続けたが効果はなく、俺は街の門につく直前まで奥様に抱きしめられていた。
門に着くとセバスさんとラインハルトさんが外に出て門番と何かを話していたが、どうやら俺の仮証の件を話してくれたらしく、俺は奥様達と門番の詰所に案内される。
いや、本当は呼ばれた俺だけでいいところを、奥様が心配だからと言ってついてきてくれたんだが……身分のせいで案内人や担当の門番が緊張で強張っている。名も知らぬ人達、ごめんなさい……巻き込んで……
「で、ででで、では、このすす水晶にふれってくださいませ」
滅茶苦茶どもって声裏返ったよ、この人。俺も人の事は言えないけど。
「はい」
俺は素直に水晶に触れた。すると途端に水晶から青い光が発せられ、目の前の門番の驚愕に満ちた視線が水晶と俺の顔を行き来する。
「き、君、ちょっと奥へ来てくれ」
何かあったか? 確か青い光は無罪のはずだが……そこにセバスさんと奥様が割り込んでくれた。
「何か問題がございましたか?」
「光は青、問題は無いはずですが?」
「たたた、確かに光は青でした! しかし、賞罰に! 賞金のかかかった盗賊の討伐記録があったので、確認と賞金の支払いをしたいのです!」
それを聞いて納得する2人。しかし確認と支払いは2人の目の届くここで行われることになった。
「で、では聞くが少年、君はその年で盗賊を倒した事があるね?」
「はい」
「水晶の出した情報では、君が赤槍のメルゼンを討伐したとあったが、事実かね?」
いや、わからんよ。誰だそれ?
「誰が、その人か……分かりません」
「真っ赤な槍を持ち、同じく赤い鎧を着た男だと言われているが、記憶にないか?」
その一言で思い浮かんだ男が居る。確かその槍は良い物だったから即アイテムボックスに入れたんだった。
「あります。アイテムボックスに槍があります……証拠になりますか?」
「あるなら見せて欲しい」
そう言われたのでアイテムボックスからその槍を取り出し、目の前の担当者に渡す。すると担当者は全体を見回してから槍を構え……男が魔力を槍に流したのを感じた瞬間、槍の穂先から赤い炎が吹き出た。
なんだ!? あの槍あんな機能あったのか……俺にもできるかな? 今度やってみよう。
「間違いない。赤い槍で、炎を放つ魔法武器。赤槍のメルゼンの槍だ。いま賞金を用意しよう」
男が俺たちを案内してきた兵士に指示を出すと、兵士は急いで駆けていった。それを見送っていた俺に男が声をかけてきた。
「しかし……よくメルゼンを討伐できたな。あの男は何度も冒険者や騎士団から逃げおおせている男で、実力は確かだ。差し支えなければどうやって討伐したかを教えてくれないか?」
そう言われてもな……俺、大した事してねえんだよ……
「盗賊に襲われて……倒したら死ぬ前に……仲間に裏切られたと言ったから周囲を探したら……洞窟で酒盛りをしてた」
「そこを襲ったのか?」
「違う。僕は従魔術師……酒樽の中に……ポイズンスライムを送り込んだ」
「あぁ、なるほど。そういう倒し方か……よく分かった、感謝する」
そこに丁度よく先程の兵士が賞金を持って来たので、仮証と賞金を受け取ってアイテムボックスに入れて詰所を出る。護衛の方々は先に宿の方に行っている様に指示を出されていたらしく、外には居なかった。ここからはお嬢様に街を見せるため、徒歩で宿まで行くらしい。
ちなみにメルゼンとやらの賞金は小金貨700枚と、急に金持ちになってしまった。どうするかね……ここ3年の生活のせいで全く使い道が思い浮かばない。とりあえず付いて来てくれた皆さんには礼を言っとかなきゃいけないな。
「ありがとうございました。皆さん」
「いいのよ~、遠慮しないで」
「しかし、まさかあのメルゼンを仕留めておったとはのぅ」
「そんなことより早く街に行きましょう!」
「こらこら、落ち着きなさいエリア」
「だって、こんなに大きな街を歩くなんて、初めてですもの!」
「そうなんですか?」
「ええ、昨日も言いましたが私、今回が初めての遠出ですの。近場でもこんな風に歩く機会は少ないですし、何よりこの街はジャミール領最大の商業都市ですのよ? この街より大勢の人達がいる場所はなかなかありませんわ!」
「そうですか」
確かに人は多いんだが、日本の東京を知っているとどうも少なく思えてしまう。どう見ても駅や満員電車に比べたら桁違いに少ない。……そういや初の異世界の街なのにあまり感動が無いな。古めかしい建物は珍しいが、取り立てて騒ぐほどの事でもないし、獣人やエルフといった他種族っぽい人も見当たらないし……っておい、お嬢様、慌てすぎだ。
行き交う人の流れと言うほどでもないが、それなりの人の動きにお嬢様がさらわれていく。こういう街を歩くのに慣れてないのが丸分かりだ。危なっかしいので急いでお嬢様を捕まえに行く。
「お嬢様、こっちです」
「あ、ありがとうございます。すごい人ですわね、誰かにぶつかってしまいそうです」
何か興味があるものを見つけたら、このお嬢様変な所で止まるんだよな……そんな世間知らずっぷりを隠す事なく披露しているから、面倒な連中がやってきた。後ろからお嬢様の左肩にぶつかる軌道で歩いてくる女が1人、お嬢様の腕を引いてその女とぶつからせないようにする。
「危ないです」
「っと……チッ……」
女はぶつからなかったお嬢様と、お嬢様の腕を引き寄せた俺をチラリと見、舌打ちをして立ち去った。やっぱりスリ狙いだったか。
「あら、ありがとうございます。あら? あれは何ですの?」
また……今度は進行方向の路地に1人か。お嬢様を路地に着く前に捕まえ、抱えるように引き寄せる。
「飛び出すと危ないです」
「えっ!?」
「うおっ!?」
俺がお嬢様を引き寄せたせいで、路地から出るタイミングを外した男が転がり出てきた。
「路地から出てくる人……居ます。気をつけて下さい」
「あ、ありがとうございます……」
お嬢様に一声かけて、俺は男の方に寄って声をかける。
「大丈夫ですか……? お怪我はありませんね……?」
「ンだァこのガ……!?」
男は声をかけた俺の襟首を左手で掴もうとして来たが、俺はその手を右手で軽く跳ね上げると同時に掴む。同時に左手を相手の肘裏に掛け、自分の体でお嬢様に見えないようにした上で相手の腕をひねり、相手の体勢を崩す。
転びそうになって動揺した相手の言葉が止まるが、完全に転ぶ前に支え、視線を合わせてもう一度声をかけた。
「お怪我は、ありませんね?」
「お、おう……すまねぇな、手ェ貸してくれてあんがとよ……」
「お気を付けて」
全く、失敗したからって子供に絡むなや……中身はおっさんだけど。最近自分が子供なのかおっさんなのか分からなくなってきたな……
「リョウマさん! あちらへ行ってみましょう!」
まだ行くのかよ! っつーかいつまで付いてくるんだ犯罪者ども!!
それからしばらくはスリ、強請、誘拐を狙うゴロツキどもからお嬢様を守る事に骨を折らされた。何故か公爵家の皆さんは何時でも対処できる用意を整えているのに、あえて俺に任せているみたいだし。というか、この街治安悪くない……?