始まりは奪われる
空き地に冷たい風が吹き荒れる。
服の隙間から入ってくる冷気に、僕は思わず身震いをしてしまった。
ここは主人公さんが指定した空き地で、周りには大きなビルが建ち、空き地自体が陰で覆われている。
まるでこのためだけに用意したかのように、ビルの合間を縫うようにして出来た地に僕は立つ。
向かいにいるのは遊園地の頃より姿も見なかった乙女ゲーの主人公、乙留桜花。
そして僕の後をつけてきただろう親友キャラの女筒葵がいる。
僕は何も言わず無言で佇む乙留さんに、近付いて行く。距離にして数十メートルであるが、やけに遠く感じた。
僕は今より彼女との直接対決を迎える。
緊張で足が震え、立っているのも億劫だ。人と生身で言い争うのは慣れていないので、弱気になってしまう自分がいる。
もういいじゃないか、知らない振りをしておこう。後ろ向きの考えは僕の足を重くさせた。
しかしここで終わってしまったら、僕は僕ではいられない。
真実を暴かないことには、この『ゲーム』は終わりを迎えることはない。
もしさかさおじさんの言葉を信じるなら、僕は閉じこもっていてもいいんだ。
来るフラグの日をやり過ごし、家から出ない生活を送れば『生きて』はいられるだろう。
だがそれは『生きている』ということになるのだろうか。
日々を惰性で過ごし、外を眺めて閉じこもるだけの生活を僕は望まない。
僕は知ってしまったのだ。皆の温もりを繋がりを。
知ってしまったなら戻れないじゃないか。一人でいることに耐えられないじゃないか。
グレートスさんがいるひかりがいる、しずくがいる。
あの空間を守りたいと思ってしまった。必ず帰るべき場所だって、思ってしまったんだ。
だから僕は決着をつける。本当はこのまま誰とも争わず、平和な日々を過ごしたかったけど。
そうもいかないみたいで、僕は小さな体を精一杯大きく見せようと背伸びして主人公と向かい合う。
この前の温厚な雰囲気は鳴りを潜め、此方を射殺さんとするような冷たい視線が降り注ぎました。
僕は前世のトラウマが走馬灯のように駆け巡り、その場に座り込んでしまいそうになります。
でもこんなところで負けてなるものですか。歯を食いしばり、膝が笑うのを何とか止めようとしました。
目の前は少しだけ滲んで見え、乙留さんの顔の輪郭は曖昧になっていきます。
「…ふんっそんな調子で本当に大丈夫なのかしら傍織さん?貴方から挑戦状を渡しておいて、すっかり怯えているようですけど」
見下すように向けられた視線に顔を上げることが出来ません。
僕は戦うと決めたはずです。だからあんなに挑戦的な文面を送りつけた。
だったら最後まで、胸を張るべきだってそんなことは分かっているんですけどその一歩が踏み出せなかった。
「ぼっぼくは知っているんです。貴方がこっこの世界の神だって。だからだから…」
口は真実を伝えない。言葉を紡ぐのが途端に難しくなる。
僕は何のために来た、僕は乙留さんをどうしたい。反省してほしいのか『戻して』欲しいのか。
世界を作り出した一人である乙留さんに何を求める。
先程まで決意を決めた僕の思考は突如乱れて、訳が分からなくなってしまった。
僕は誰で、今自分は何をしようとしているのか。曖昧になって、全てが解けて消えてしまいそうだ。
世界の強制力はここまで範囲を延ばしているのだろうか。次の言葉を継げることが出来ないでいた。
しかし僕が言わずとも、この結末はもう始まっていたのだ。
火蓋は切って落とされていた。最早目の前が全く色彩さえ狂ってしまった僕の直ぐ近くから声がする。
その声は聞いたこともない強気な口調で、相手を格下だと思っている傲慢さが滲み出ていた。
「要するに、お前死ねってことだよ手島さんよォ?」
僕の台詞を代わりに告げたのは、後ろにいた女筒さんだった。
彼女は普段の姿とは違い、その瞳を大きく見開き、赤髪は重力に逆らうように逆立つ。
腰に両手を当てて、偉そうにする女筒さん。その視線に最早僕は映っていないようで、ぼんやりとした背中だけが僕には見えていた。
「…どうやら貴方も『記憶』が戻ったようね。女筒葵、いや足原悟。」
乙留さんと呼ばれたシナリオライターの手島さんはそう言って、目の前の女筒さんに向けて指差す。
足原と呼ばれた女筒さんはそれに邪気を含む笑顔で、答えたことだろう。涙を拭う僕の目の前は、未だにぼやけている。
大事な時だというのに情けない。僕は何もできずにただ黙って二人の行方を見守るしかなかった。
「あぁそうだよ。ようやく会えたな手島ァ、俺はこの時をずっと待っていたぜ?お前を殺せる機会ってやつをな。」
女筒さんは剥き出しとなる八重歯を煌めかせ、目の前の『敵』に歯向かった―――のかもしれない。
明瞭としない視覚に困惑しながらも、僕は二人の言い争いを横で見ているしかなく戦いは未だ始まったばかりです。




