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さかさおじさんは何を知る

さかさおじさん、この乙女ゲーにおいてのキーパーソンといっても過言ではないお助けキャラであり、プレイヤーの信頼のおける味方。

つい三か月ほど前に見たその姿にこれと言って変わりはなく、水中なのにしっかりとスーツを着込む姿はお見事です。

ですが水中なので、確かな表情は見えません。

僕自身が海の中で目を開けていられないというのもありますが、こんなところで会うとはこれまた奇遇ですねおじさん。


なんて悠長なことを溺れている中考えていましたら、僕の意識が段々と遠のき始めました。

無我夢中に手足を動かしますが、水面に辿り着くことはなく。

あわやここで窒息死という道も考えられましたが、口の中に入ってくるはずの水が何処か不自然極まりない。

息苦しさは通り越して、寧ろ呼吸は楽になっていきます。

そしてあるはずものない確かな地面へと手を付き、入ってきた水を吐き出す。

朦朧とする意識は次いで上に浮かんだままのさかさおじさんを捉えました。


水の中であるというのに、優雅に此方へと階段を降りるように近づいてきます。


僕は何もできずにその光景を黙って見ているしかありません。ここは本当に水中なのかと不思議に思ってしまう。

目の前にさかさおじさんは存在します。いつものように左手に杖を、頭にはシルクハットを乗せて、股下の長いスーツを着用していました。

最後に出会った時と同じようにおじさんは僕に目線を向けて深い笑みを浮かべました。



『やあやあ元気だったかいお嬢さん?いきなりでびっくりしただろうけど、如何にも今しか会話することは出来ないようなのでね。思わず出てきてしまったよ』



相変わらずどこか胡散臭いと感じてしまう表情です。

何処までが本気で、冗談で、嘘なのか非常に分かりづらい。でもこうして会いに来てくれたということは、僕との約束を忘れないでいてくれたのでしょう。

僕自身が了承したわけではない約束なのですが、言って下さらないとこの前貰ったハンカチは今もタンスの中に眠ったままとなっています。

今度会ったらきちんと返そう思っていましたのに、タイミングが悪いですおじさん。



『いやいや、如何にも君たちの住む街には入り込めなくてな。あの少女と会う前に忠告の一つでもしてやりたかったのだが、それも出来ずに申し訳ない。』



如何やら悪気があってのことではなさそうです。

もう一度会えただけでも僥倖というものでしょう。会えて嬉しい限りですが、今日はどういった用件で僕を引き込んだのでしょう。

早くしないとひかりが助けられません。手短にお願いしたいところですが果たして―――



『…んっあの薄金のお嬢さんが心配かい?大丈夫だ、今頃他の者が陸へと引き揚げておる。寧ろ海底近くで私と戯れている君のことを皆探しておるようだしな。心配はいらぬよ』



そんな風に優しく諭すように言われますと、信じたくなります縋りたくなります。

確かにひかりは溺れている様子は見えませんでした。勝手に海の方に行ったので、慌てて追いかけたのですが無様にも溺れてしまったのは僕一人だけだったようです。

なんて愚かなのでしょう、自分で泳げないことを忘れてたなんて。

下手したら死んでいたところでした。足のつかない深みへと嵌り、そのまま海の藻屑になる運命。

こうして生きているのが不思議なくらいです…ん?だとしたらこの空間は一体どういうことなんでしょうか。

半透明でまるでまだ水中にいるかのように感じますが、呼吸をすることが叶います。

なのでここは水中ではないのでしょう。では一体この空間は、何の為に存在する?



『あーこれはそうだなぁ。説明が難しい、神の奇跡だとでも思っておきなさい。私が話したいのはまた別にあるのだから』



吸い込まれそうなほど黒い瞳が僕を捉えます。

近付く度に僕の肌は逆立ち、嫌な予感がひしひしと感じさせられるのです。

僕が一体何をしたのでしょう。言われた通り常識にとらわれない考え方にて、死亡フラグを折ろうと試みている最中。

間違いだというのでしょうか、正しくないと怒り心頭なのでしょうか。

もしそうなら理不尽極まりない。だったら最初から正解を教えてくれたなら、迷いはしなかっただろう。

ただ二つの瞳がその深みへと落とさんと、意識が其方に持って行かれそうになる。


紡がれる言葉は深く脳を侵し、息遣いは冷え切った体をほんのりと温めた。


長い間続く問答は、今までの僕を変えてしまうことと同義で、見える世界は変わってしまう。

乙女ゲーの謎、僕が転生したわけ、3人のシナリオライターの怨念。

真実と思わしきそれらは情報として僕の耳を抜け、深く刺さり抜け出さない。

情報そのものを忘れてしまいたいと思えたのは初めてだった。知り得た情報でこんなにも、人を信じられなくなる。

寒くも暖かくもないはずの空間で一人肩を抱き、震える。

余りにも多くの情報を知り得た。僕には整理の時間が必要だったのだ。



『…まあこんなもんだな。要約時が来て、全てを話すことが出来て良かったよ、これで私も潔く消えることが出来そうだ。』



震えた世界で最後に見たのは儚げに笑う一人の紳士の姿。

直後後ろを向き、何処に行くのか僕から遠ざかっていく。

でもそれを追いかける気力も、体力も尽きていて僕は目を閉じるしかない。

全ては泡沫の間、知り得た情報を持って僕はグレートスさんが声をかける優しい空間で目を覚ますのだった。

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