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死んで花実が

作者: 園田 樹乃

桐生(きりゅう)さん、”I love you”の訳ってなんですか?」


 翌週に結婚式を控えた高校時代の後輩、今田 (ひとし)と二人で呑みに来ていた桐生 達也は、投げかけられた質問に、口に含んだ日本酒をゆっくりと味わうこともなく飲み込んでしまった。

「ジン。おまえ、外大の英語学科だろうが。そんな中学生の英語……」

「真面目な話じゃなくって。ちょっとしたお題みたいなもんです」

 高校時代に達也につけられた愛称で呼ばれた後輩は、軽く笑いながら達也のお猪口に酒を注いだ。



「この前、メンバーで飲んでいて……」

 “JIN”と名乗ってヴォーカルをしているバンド内での飲み会で出されたお題。『アナタにとっての、”I love you”の訳は何?』を、達也に振ってみた、ということらしい。

「おまえ自身は?」

「俺、ですか?」

「そりゃ、結婚間近なやつが答えるのが筋だろうが」

 来週、相婿となるジンに答えを促す。

 ジンは数瞬考えてから、軽く首をかしげるようにして口を開いた。

「んー。『“JIN”でなくってもいいから、そばに居て』ですね」

 その答えに達也は、今はジンの婚約者でもある義妹が、“JIN”のファンだったことを思い出す。

「それは……あの子が言った言葉、か」

「三年前の、声が出なくなった時に言われて。逆に、『何が何でも“JIN”に戻んなきゃ』って」

 そう言いながら、ジンの顔が柔らかく解ける。

「あの子がなぁ」

「意外、ですか?」

「うーん。意外って言うより、中学生の頃から知ってるだけに大人になったんだなぁって」

 しみじみと時の流れを思いながら、お猪口を口に運ぶ。


「で、桐生さんの答えは?」

「その流れで言ったら……『死にたい』か」

 ポロっとこぼれた達也の言葉に、ジンが口に運ぼうとしていた田楽を落としかける。

「何で、そんな物騒な言葉がでてくるんです?」

「聞きたいか?」

「気になるじゃないですか」

「あんまり、胸張ってできる話じゃないんだけどな」

 そんな話をしようとしてるあたり。

 ちょっと、酔っているのかもしれない。


 そう思いながら、達也は銚子を空にして。お代わりを頼んだ。


 そして達也は、今から二十年近く昔。妻と出逢った時の思い出を話し始める。


 ****


 俺たちは職場恋愛でさ。今も同じ病院で勤めてるけど、あいつは出産のときに一度退職して。パート勤務を経て、再就職ってやつだな。

 俺のほうが一歳年下で。ああ、お義父さんから聞いたか。そう、あの姉妹は十歳違いだな。

 俺が三年制の短大であいつは四年制の大学だったから、同期で入職して。一目ぼれ、だよ。笑うなって。俺の目を覗き込む、あの眼に惹かれた。人によっちゃ浄玻璃の鏡みたいで、あの眼は怖いらしいけどな。

 ああ、浄玻璃の鏡って知っているか? 閻魔大王が持っている、罪を映し出す鏡のことな。

 あいつの”前の彼氏”も、あの眼を怖がる奴の一人だった。逢ったこと? あるよ。だから、胸張ってできる話じゃないんだよ。


 入職からしばらく経って、俺たちの歓迎会を部署でしてくれて。職種はぜんぜん違うけどな、大雑把にくくると同じ部署になるんだよ。で、その席にあいつ、左の薬指に指輪をつけて来てて。

 もう、だめだ、って感じだろ? おまえもそれを狙って、あの子に指輪つけさせてたみたいだから分かるだろうけど。

 うん? ああ、言ったな、おまえに。そう、指輪をいくら着けさせていたってな、惹かれる心が止められないことってあるんだよ。まあ、確かに。お前が言うように止められるくらいの気持ちなら、最初っから持つなってことだけどな。


 諦めよう諦めなきゃって、何度も何度も自分に言い聞かせて。それでも、諦められなくってさ。

 『桐生先生』って呼ばれるたびに、あの眼で覗き込まれるたびに想いが募るんだよ。リハビリ室で仕事してても、あいつが患者さんを呼ぶ声だけは分かるんだよ。昼休み、窓越しに薬局を眺めてはあいつの姿を探してしまうんだよ。

 だから。それなら一番仲のいい同期でいようって。もしかしたら、いつか。チャンスがくるかもしれないって。


 あれはチャンス、だったのか。

 あいつが、ひどい風邪をひいたことがあってな。土曜日の半日勤務で、『仕事終わったから帰る』って言いながら熱でフラフラしてたから、部屋まで送って行ったら彼氏が部屋に居てさ。修羅場? うーん。微妙な感じだな。『看病してもらえ』って言ったら、『何で、俺が看病しなきゃならねぇんだ』って、彼氏の方が帰っていったんだよ。微妙だろ? それでいて、きっちり俺を威嚇してったけどな。


****


「威嚇、されたんですか?」

「ああ。『お医者さんごっこしたら、ただじゃおかねぇ』ってな。それなら、彼女の看病しろって言うの」

 食べ終えた つくねの串をクルクルと指で弄びながら、達也が薄く笑う。

「で、その時にな、そいつが言ったんだよ。『その眼で俺を見るな。俺が責められることかよ』って」

 ジンは、心の奥底を覗き込むような、達也の妻の眼を思い浮かべる。

「あの眼に責められているように感じるってことは、何かが”疚しかった”んだろうけどな」

 と、言葉を足しながら、達也は手に持っていた串を皿に置く。

「でも、桐生さんはその眼に惹かれた、と」

「あの眼が、熱で潤んでみろ。破壊的な威力だぞ」

「……ですかね」

「だったんだよ。俺にとっては」

 達也はそう言うと、丁度届いた熱燗を店員から受け取った。


****


 ま、結局。その夜は、あいつの部屋に泊まって看病をしててな。ちょっとばっかし、その……”熱の眼”に理性が飛んで。いや、無体なことはしてない。キス、だけな。

 『熱の見せた夢、で忘れてくれ』って、勝手なことを言って。翌朝、あいつが寝ている間に帰ったんだけど。その後しばらくして、あいつの元気がなくなってきたのに気づいた。本人は寝不足って言ってたけどな。寝不足の原因が俺ならうれしいなってのと、かわいそうなことをしたかなってのとで、俺自身が内心でゴチャゴチャしていたら。ある日、あの彼氏が病院に現れた。 


 あれは、めったに見れる表情じゃなかった。鬼気迫るって言うのか、狂気をまとっているって言うのか。窓越しに、あいつの姿を見ている表情が尋常じゃなくって。『アレは、やばい』って職員用の通路を通って、あいつに注意しに行ったんだ。そしたら、なんて言ったと思う? 『どうしよう、帰れない』だぜ? そのうえ物陰から彼氏の姿を確認するなり、真っ青になってガタガタ震えだしてな。周りにいた他の職員も『あれは、まずいだろ』って、あいつをかばってくれて。

 それで、俺の部屋につれて帰った。うん、就職してから一人暮らしだったからな。


 飯食って、事情を聞いて。


 あの男は、あいつの婚約者だった。年上の彼氏が転勤で遠距離になるからって、学生の間に婚約したんだと。それを破談にしたいって、あいつの申し出を相手が拒否してって状態で、少し前からもめてたらしい。

 今だったら、ストーカー規制とかに引っかかりそうなこと、やられてたみたいだな。何度も何度も電話がかかってきたりとか。それで、あいつは夜、まともに眠らせてもらってなかった。四、五時間グダグダとしゃべり続けるんだとよ。切っても切っても、かけ直してこられて。当時は、まだ留守電が一般に普及してなかったしな。


 破談の理由は、聞いてもはっきりとは教えてくれなかったけどな。俺の部屋に帰る途中に立ち寄ったコンビニで、あいつが買ってきた飯の中に、”Kiri”のチーズが入ってたんだよ。

 ”Kiri=桐”だろ? 試合の前にゲンかつぎで食べてたくらい、あのブランドは俺にとっちゃお守りみたいなもんだから。よし、貰ったって。

 ああ、話、端折ったな。風邪の看病をしたときにさ、朝飯と一緒に買ってきたあのチーズで書き置きを押さえておいたんだよ。署名代わりに。それをワザワザあいつが買ってきたってことは、絶対、脈があるって。

 無いか? そういう……相手の呼吸を読んで、仕掛けることって。あー。そうか、おまえは無いな。相手の弱点を攻撃しきれないところがバレーでもあったし。


 ま、それはおいて置いて。

 『あのチーズ買ったときに、俺のことを考えただろ?』みたいなことを言って、あいつを落とした。それでもな、一応、けりがつくまで待つ気ではいたんだけど。

 腕の中でこぶしを握り締めるように震えてる姿に、箍が外れた。あいつ、高校生まで拳法しててさ。あ、あの子から聞いたか? 有段者らしいな。ジャンケンするだけでも、指を傷めないようなキレイな握り拳を作るんだよ。その握り拳が、あの時はグサグサに緩んでて。

 もう、あの男に渡すもんかって、二度と会わせたくないって。


 で、そのまま。あいつを……抱いた。


****


「その時にな、『このまま、死にたい』って言って。意識を飛ばしたんだ」

 ねぎまの串を片手に話す達也の言葉に、ジンが頭を抱える。

「桐生さん。俺にそれ聞かせて、来週どんな顔で会えって言うんですか」

「聞きたがったのは、お前だろ?」

 涼しい顔で串をかじる。

「まぁ。確かに」

「まさかな。俺たちも翌朝、殺されそうになるとは思ってなかったけど」

「殺……って」

「その彼氏、俺の部屋まで尾けてきてたんだよ」


****


 玄関前に誰か居るなっていうのは、飯食っている時に物音がしたから、なんとなく気づいてはいたんだ。 

 コトに及んだ時に、わざと声を聞かせた。お前のもんじゃないって、引導を渡すつもりで。で、あいつの意識が飛ぶことになったんだけどな。

 想像、するんじゃないぞ。それこそ来週の結婚式で顔、合わせられなくなるだろうが。って、無理か。姉妹で同じ顔してるもんな。

 で、翌朝。俺のアパートを出たところで、果物ナイフを持ったソイツに襲い掛かってこられて。倒したのは、あいつ自身。キレイに回し蹴りが決まってな。あんなキレイな回し蹴り見たことないぞ。 

 悔し紛れかなんだか知らないけど、『そんな女だとは思わなかった』とか、勝手なことをほざいてくれてな。何年あいつと付き合ってるんだって言うの。俺、半年も経たずに武道してるって気づいたのにな。


 結局は、あいつの”凶暴”なところに、相手が嫌気がさして、めでたく破談。まぁ、慰謝料だなんだって、最後までみみっちい事言ってたらしいけどな。


****


「な、胸張って言えるような話じゃないだろ?」

「あー。まぁ。昔、揉めたとは聞いてましたが」

 まさか、そういう揉め方とは……と、ジンが言葉を濁す。

「あの子から聞いたのか?」

「いえ、お義父さんから」

「そうか、あの子、まだ中学生だったからな」

 達也の言葉に頷きながら、ジンがウーロン茶を口にする。


「『死にたい』が、そういう意味になるとは、思いもしませんでした」

「『死んでもいい』なら、二葉亭四迷だけどな。それまで、相当怖い思いもしたみたいだな。襲われた後で立ち寄ったあいつの部屋が、風邪の時に比べてなんとなく荒んでたし」

 今でも、時折夜中にうなされる妻を想いながら、達也はぬるくなった酒を口に運ぶ。

「死ぬなら、俺の腕の中で。って、思えば”I love you”だろ?」

「たしかに」

 ジンは相槌を打ちながら、達也を眺める。

「なんだか、桐生さんたちを見る目が変わりそうです」

「そうか?」

「はい。俺とは桁違いの経験をしてきたんだなって」

 素直に感心しているジンに、達也はくすぐったい思いをする。

「お前も、それなりの経験をしてきただろうが」

「でも、桐生さんみたいに、生きるか死ぬかはしていないですよ」

 普通、しないよ。と、笑いながら、達也は食べ終えた皿をまとめた。


「それはそうと。ジン」

「はい?」

「来週から義兄弟だろ? いつまで、”桐生さん”で呼ぶつもりだ?」

 ジンが、虚を突かれたように目を丸くする。

「なんて、呼びましょう?」

「何でもいいけどな」

 切れ長の目を細めながら、達也がお猪口に酒を注ぐ。

 目の前の先輩のことを婚約者は、『義兄さん』と呼んでいるな、と、彼女の柔らかい声を思い出してジンが頬を緩める。

「じゃぁ」

「うん」

「義兄さん、これからよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた未来の義弟の肩を、達也は部活をしていたころと同じように軽く叩く。

「こちらこそ。よろしくな」




「あれから、十年か」

 達也の言葉に、ジンが首をかしげる。

「ほら、『”I love you”の訳を、教えてください』って」

「ああ」

 言いましたね、と、相槌を打つジン。


 二人の視線の先では、小学生になったジンの息子が、半年前に産まれた達也の孫を恐る恐る抱っこしている。

 それを並んで見守る、よく似た面立ちの姉妹。


「お前とバレーをしてた頃には、こんな風景を見るなんて想像もしてなかったのにな」

「死んでたら見れませんでしたよ」

 いたずらっけを含んだ目で、ジンが笑う。

「確かに。『死んで花実が咲くものか』だな」


 赤ん坊をもてあました小学生が、従兄を呼ぶ。笑いながら達也の息子が、わが子を抱き上げる。

「ジンさんも、抱っこしてやって」

「ん、子守唄も歌ってやろうか」

 つれてこられた赤ん坊を受け取りながらのジンの提案に、

「プロに、子守唄を歌わせるか。贅沢な赤ん坊だな」

 と、達也が笑う。

 ジンが、赤ん坊の顔を改めて覗き込みながらしみじみと言う。

「義兄さんの遺伝子、強いですねぇ。親子三代、そっくりじゃないですか」

「だろ? 見事に”あの眼”って遺伝してないんだよ」

「だから、貴重なんじゃないですか?」

「確かにな」

 ゆるりと赤ん坊を揺らしながらの、ジンの言葉に達也が相槌を打つ。


 低く子守唄を歌う義弟と、それを眺めるわが子を見守りながら、達也はお茶を手にする。ふと、顔を上げると妻が義妹と仲良く話している。

 さすがに妹より十歳年かさの妻には白髪も出てきているし、自分の髪もグレーに近くなった。


 『共白髪、まで一緒に来たな』

 心の中で語り掛けた達也の声が聞こえたように、妻の”眼”が達也を射る。

 その視線を受け止め、見つめ返す。

 ふふっと、妻の眼が笑う。



 ”I love you”の訳は、今なら多分。

 『最期は、あなたに看取られたい』 

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