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第五章『最後のカケラ』

 自警団へと到着してからレーラ達と分れたマシュー・ハウゼンは、手持ち無沙汰で1人椅子に座っていた。

 俯いて胸元に提げているカギを弄んでいると、視界の端から白いカップが差し出される。

 手が伸びている先へ顔を向けてみたら、そこには金髪でメガネを掛けた女性――マリア・ヴェールクートの姿があった。

 そのまま見上げてると、

「もし良かったら、どうぞ」

 微笑むマリアに言われるまま、そのカップを両手で受け取る。

 中を覗いてみると、赤褐色の液体がユラユラと波打っていた。湯気と共に鼻腔を上ってくるニオイから察するに、どうやら紅茶のようだ。

 何も話さずにいると、

「もしかして、別な飲み物の方が良かったかしら?」

 隣の椅子に腰を下ろしながらマリアは申し訳なさそうに聞いてくる。

 それに首を左右に振りながら返した。

「あ、いえ……紅茶で大丈夫ですよ。ボク、好きですから」

「そう? なら、良かった~ぁ」

 ホッとしたように彼女は安堵の笑みを浮かべる。それにマシューも、微笑みで返す。

 カップに2人は冷ますように吹きかけて、スーッと火傷に注意しながら口にする。慌しく騒がしい周囲と違って、ここだけゆっくりとした時間が過ぎているような気がした。

 そうしてマシューとマリアは、何の他愛もない話をしていると……。

「失礼ですが、君がマシュー・ハウゼンさんですか?」

「はい?」

 2人の会話を遮るような低い声に名前を呼ばれた。

 当の本人は返事をしながら反射的に振り返ると、視界に入ってきたのはトレンチコートを来た中年の男性が立っていた。

 会った事はあっただろうか?

 小首を傾げて記憶を調べていたら、

「どちら様でしょうか?」

 緊張した面持ちでマリアは立ち上がる。それから男性の視線から隠すように、見下ろされていたマシューとの間に割って入った。

 その対応に男性は、当たり前か。と言いたげに嘆息する。

 状況の分からないマシューは背後から覗き見するように顔を出すと、丁度よく彼がコートの懐に手を入れて何かを出そうとしているのが視界に入った。

 取り出したのは手帳らしく、その中をマリアに見えるように前に出す。

「私は、ガゼット・フューラー。アナタと同じく、ここの自警団支部で特別捜査課に所属している団員です」

 苦笑しながら彼――ガゼットは名乗った。

 所属部署を聞いたマリアだけ時間が止まったようだったが、それは一瞬でコロコロと顔色を変えて目をグルグルと回すように口を開く。

「ま、まさか特別捜査課の方とは知らなくて……も、申し訳ありませんです!」

 勢いよくマリアは頭を下げた。

 そんな彼女に対して、小さくガゼットは手を振って告げる。

「別に気にしなくてもいいですよ」

「ですが……」

「何せ、我々は自警団内部で顔を知られてはいませんから……アナタが知らなくても、仕方の無いことです」

 なので、大丈夫です。と念を押すようにガゼットは微笑む。

 すると、その言葉を聞いたからか、憑物が取れたように真っ青だったマリアの表情に血色が戻ってきた。そして、安全だと思ったのかマシューも話に混ぜるように3人で向かい合える位置に彼女は移動すると、

「そのように言ってもらえると、ありがたいです。……それで、ガゼットさんは何か御用でしょうか?」

 先程の続きとばかりに早速本題へと入る。

「えぇ。実は、このマシュー君について団長からの命令で、私が預かることになりました」

「えっ? ……それって、レーラさんや宮下さんは知っているんですか?」

「勿論です。これから2人で犯人逮捕を行う話でしたので、少しの間こちらで保護するといった形になりました。なので、一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」

 差し出されたガゼットの手を一瞥してから、

「あの……ボク、レーラさん達と少しお話がしたいんですけど」

 おずおずとマシューは口を開いた。

「申し訳ないですが、それほどの時間は残ってないんです。大丈夫。私と一緒に行くのは一時的ですから、すぐに彼女らに会えますよ」

 それを聞いて少しの間、考え込むように俯いてから、

「……分かりました。ボク、ご一緒します」

 心配そうな表情を浮かべてはいたがマシューは頷いた。

「ありがとうございます。では、参りましょう」

 こうしてガゼットたちはオフィスを後にする。

 この時、ああいう風に言ったのは実際、レーラたちに話しておいた方がいい内容だった。だが、時間がないと言われてしまっては、助けて貰っている身として解決を望んでいる。だから、何もかもが決着して笑って会える時に話そうと思う。

 そんな気持ちでマシューは後を着いていった。




 そんな事が十数分前にあったのだが、今は……。

「ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさい!!」

 室内に響き渡る涙声。

 一部始終を話し終えたマリアは、何度も何度も、ただ許しを請うように謝る。

 ここは自警団の応接室。そこには、彼女の他に、リンクス・スコットウェルを混ぜた3人の姿があった。それぞれ皆、同じように難しい表情を浮かべていた。

 彼らに向けてマリアが頭を下げ続けていると、

「何も貴女だけの所為ではないわ。だから、頭を上げて、マリア」

 その内の1人、眉尻を下げてレーラ・A・リースキッドは優しく声を掛ける。

 すると、告げられた言葉にメガネがずれるのもお構い無しに勢いよく頭を上げると、

「でも、でも! 私がしっかりしてないから……」

 首を左右に振りながら己を責めた。

 今の彼女には、友達であるレーラの声すら届いていない様子だった。自分が犯してしまった過ちに、ただただ懺悔するように泣いて詫びるしか出来ない。

 さすがにマリアがこうなってしまうと、経験の浅いレーラが掛けられる言葉は出て来なかった。

 どうすればいいのか迷っていると、

「泣いて謝ればマシュー殿が帰ってくると思っているのか、マリア殿は?」

 思わぬ人物――宮下 奏が静かに重く響くような声音で告げた。

 それに視線を向けると、そこには普段見ることのない顔で奏が立っていた。眉を吊り上げ細める目は鋭さを増している。

 そこまで攻める必要はないじゃない! と振り返るまでレーラは言おうとしていたが、

「奏……?」

 何も言わせぬ迫力に名前を呼ぶしか出来なかった。

「そうしていれば拙者たちが満足だと思うのか? 今の現状が打開できると思っているのか?」

「――ぃぃぇ」

 質問する彼女の言葉を聞いて、肩をビクつかせて怯えるように小さな声で囁き、マリアは小刻みに頭を振る。

 だが、

「聞こえぬな」

 全然駄目だ。とゆっくり首を動かす。それに室内は静寂に包まれる。そして、大きく一息吐き奏は続けた。

「もう一度問う。……どうなのだ、マリア・ヴェールクート」

「いいえ!」

 告げられたマリアは、顔を上げて自分が出来る最大の声で答える。

 今度はしっかりとした返答だが、全く表情を変えず奏は見つめた。正面から覗く涙を浮かべた瞳には、先程とは違い力強さが現れている。そして、数秒が経つ。

 厳しい表情をしていた奏の顔が崩れた。

「ならば、行動で見せてくれ。……拙者たちに手を貸してくれぬか、マリア殿?」

 眉尻を下げ、柔らかな表情で助力を求めた。

「はい。宮下さん!」

「うむ、良い返事だ。では、拙者と参ろうか。少しばかり、マリア殿に調べて貰いたいモノがあるんだ」

「何を調べるんですか?」

 そんな事を話し合いながら、連なって奏とマリアが廊下へと出て行ってしまった。




 終始無言でリンクスは2人の消えていった先の扉を見つめていると、ふと隣から視線を感じて顔を向けてみる。

 すると、同じように残されていたレーラが、何か言いたそうな眼差しでこちらを見上げていた。

 ここは一先ず、視線を逸らして無視を決め込む。この場合、短い付き合いではない経験からロクな事がない。……とはいえ、分っていても針で刺すような視線を止めるワケもなく、こちらが降参するのがパターンだった。

 今回もまた、いつものようにリンクスは眉間にシワを作って、一息吐きながらレーラを見下ろした。

「大体、言いたい事は分るが……言ってみろ」

「あら、そう? では、お言葉に甘えて♪」

 ニコッと微笑んだのは一瞬で、

「……あれで良かったの、リンクス?」

 飽きれたようにレーラは真顔を浮かべた。

「後進を育成するのも、団長の仕事なんじゃない? それを知らないなんて、私に言わせないわよ」

「まぁ、一応は分かっているつもりだから心配するな。ただ、新人とはいえヴェールクート君は立派な団員だ。メンタル的には『どの程度で立ち直れるのか?』ってのを、今回の件で知っておきたいと思ったわけだが……まだ言いたそうだな、リースキッド?」

「確かに、リンクスの言っている事は正しいわ。だからといって、何も声を掛けないなんてどうかしているわ」

 どうやらレーラは、何もしなかった中でも励ましたりしなかった事が不満らしい。

 それが分かったリンクスは、やれやれといった感じで肩の力を抜いて頭を左右に振るった。

「何に対してなのかと思えば、そんな事で怒っていたのかよ、お前は?」

「そっ……そんな事って!」

「まぁ、俺の話を聞けよ」

 飛び掛ってきそうな勢いのレーラを、制して鼻で笑うリンクス。

「もしも、先に俺が言っていたとするよな? 宮下みたいに『何をメソメソやっているんだ』ってな。すると、この言葉でアイツはどう思うだろうな」

 他人事のように言いながらも、答えてみろよと語りかける。

 ――すると、

「勿論、奏に言われたように落ち込む……あ」

 それに返答しようとレーラは口を開くが、途中で何か思ったのか言葉を失った。

「気がついたか、リースキッド。」

「もっと落ち込む?」

「そうだと思うぞ。俺は仮にも、ここの最高責任者でヴェールクート君は新人だ。さっきのメンバーの中では一番効くだろうな。そして、引きずって後の言葉なんて聞こえるような状況じゃない」

 真面目な切れのある表情で話を続ける。

「だが、これはあくまで俺たちの想像だ。もしかしたら、同じ結果を出していたかもしれないし、または違った結果があるのかもしれない。そして、もう終わってしまった話であって、今更あれこれと言っても仕方ない」

 この言葉で締め括ったリンクスだったが、

「とはいえ、俺みたいなのが励ましたんじゃあ、ただの"ウザイおっさん"でしかないがな」

 わっはっはと腹の底から声を出して笑うと、いつもと同じくおどけたような笑顔を浮かべる。

 いきなりの豹変に呆気に取られていたレーラだったが、右手に拳を作って振るわせた。

「こんっ……」

「んっ? どうした?」

「のぉ!?」

 覗き込もうとする彼の顎に向って、渾身の一撃を顎に向って繰り出したが、

「おっと……はっはっは、まだまだのようだな、リースキッド」

 軽々とリンクスは避ける。

「~~~~~~っ!!」

 大きく空振りをしたレーラは、何とも悔しそうな表情を浮かべると、その場で地団駄を踏んでいた。

 その姿を見ながら再び笑うリンクスを、

「う~~~!!!?」

 動きを止めて唸るような声を上げ、下からキッと睨みつけた。

 年相応……というよりも、若干というか見た目通りといった態度に、リンクスは見ていてほのぼのとしている。

 すると、このまま居ても変わらないと思ったのか、戸口へとレーラは向って歩き出した。

「おーい、リースキッド。どこに行く気なんだ?」

 背後から掛けられたリンクスの言葉に、その場でレーラは立ち止まった。そして、肩越しに振り返ると、頬を膨らまし半目で見つめながら告げた。

「帰るに決まっているでしょ。私だって、暇じゃないの!」

「だからって、宮下はどうする気なんだよ」

「別に。……どうするかはココに来る前に話し合っていたし、ココで奏は奏なりに調べてくれるわよ」

 それだけ言い残して、肩を怒らせながら出て行ってしまった。

 とうとう独り残されたリンクスは、

「なかなか、いいコンビじゃないか」

 頼もしいと笑みを浮かべると、こっちはこっちで動くかと会議室を後にする。




   ―●―●―●―●―●―●―


 どこまでも深い闇。水底に沈みながら漂うような感覚。音のない世界。

 まどろみの中、静かな水中に小さな揺らぎが起きた。最初は気にも止めなかったが、徐々に大きくなる波紋が気になっていく。広がり大きくなると同時に、意識が水面へと浮上する。

 ――そして、

「っ……んっ……」

 ゆっくりとマシューは目を覚ました。

 寝起きで頭がぼんやりとする中、焦点が僅かにずれている視界を巡らす。

 壁や床、天井に至るまで剥き出しになった凹凸の激しい石肌。同じように岩盤の天井から等間隔で滴り落ちる水滴。暗闇の中に淡く揺らめく蝋燭の灯り。そして、ハメ込まれた頑丈な鉄格子。

 全く知らない場所だが、どう見てもココは牢屋のようだ。なぜ、こんなところで寝ていたのか、今一思い出せない。

 とりあえず身体を起してみると、ひんやりとした空気に無意識に身震いする。

 一応、露出度が少ない修道女の格好だったが、何か羽織るモノをと探してみるが何もない。何とかして寒さを凌ごうと、両腕で自身を抱きながら摩擦で暖める。

 どうにか出ようと鉄格子に近づいて、前後に動かしてみるも動く気配が全くしない。

「一体、どうすれば……」

 困り果てたマシューは、何となく手を胸元へと持っていく。

 いつも何かあった時、気がついたら動いていた。それを手にしているだけで、安心で幸運な事が起こる。だから、今回も……。

 だが、そこにある筈のモノはなかった。

「えっ……嘘?」

 そんなはずはない。

 信じたくない気持ちで、胸元を掌で探してみるがない。それでも諦めきれず、自分の眼で確かめるがやっぱりない。

 いつも胸元にあった鍵がなくなっていた。

「な、ない! どうして!?」

 声を上げると、慌てて辺りを見回す。

 あまり視界がいいと言えない中で探していると、背後から聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。

「おやおや、お目覚めのようですね、マシュー・ハウゼン君?」

「あ、貴方は」

 誰かと思い肩越しに振り返ってみると、見覚えのあるローブを羽織ったガゼットが鉄格子の向こう側に立っていた。

 すると、そこで一気に忘れていた記憶が蘇る。

 自警団支部から裏路地へ連れて行かれた後、何者かが背後から羽交い絞めにされた。抵抗しよう暴れてみるが相手の力は強く、布のようなもので何かを嗅がされた。それから意識を失い、目を覚ましたらここに閉じ込められていた。

 レーラさんのような洞察力はなくとも、ここまで来れば素人の自分にだって理解できる。どうやら彼が犯人だったようだ。

「これは一体、どういうワケですか?」

「ふっ、お元気そうで何よりです」

「答えになってないです」

 白々しく微笑を向けるガゼットに、俯き肩を震わせながら静かな声でマシューは呟く。

 別に、震えているのは恐怖や怯えているワケではなかった。……いや、それらも少なからずあったのかもしれない。けれども、それを灰にするほどの激しい怒りからだ。

 その姿に何を思ったのか、

「落ち込まずとも、どうしてなのかお教えしますよ」

 気の毒そうに話を続ける。

「話は単純明快です。私は、どうしても君が欲しかった。とはいえ、少しばかり語弊がありますが……。何をどうするといった目的についてですが、今はまだ言えません。ですが、もう数時間すればお見せしますよ。それまで大変恐縮ですが、こちらでお待ちください」

 仰々しく貴族を思わせる一礼したガゼットは、何か、ご質問は? と付け加えた。

 それ聞いてマシューは、

「……1つだけ、ちゃんと答えてください」

「えぇ、私で答えられる事であれば」

「では……」

 この質問だけは、

「ボクの住んでいた教会を襲ったのは、貴方ですか?」

 どうしても聞いておかなければならない。静かに大きく息を吸って、返ってくる答えを待つ。

 ――そして、その言葉はすぐに告げられる。

「えぇ、あれは私がやりました。路地で君の確保に失敗した私は、先回りをして自警団の名を利用して教会へと入りました。ですが、なかなか君が帰って来ないから、退屈凌ぎに年甲斐もなく遊んでしまいました」

 もう……いい。

「ですが、それなりに楽しめました。最後にじっくりと遊んで差し上げたシスター。名前は確か……そうそう、シスター・セイラと仰ってましたね。君の保護者だと話してくれましたよ?」

 イヤだ。それ以上は聞きたくない!

 耳を塞ぎたかったが、体が思うように動かなかった。

「なかなかイイ声で鳴いてましたよ。1本1本四肢を取り外していく度に、苦痛に顔を歪めて神の名を叫んで。……そして、最後は君の名を読んでましたよ? まるで蚊が飛んでいるような声で、マシューと」

 真似るようにガゼットが囁くと同時に、

「わああああああ!!!!」

 理性でギリギリ押さえていた怒りが爆発した。

 一気に立ち上がり駆け出して鉄格子へぶち当たる様にしがみ付くと、ガゼットの胸倉を掴もうと必死に両腕を伸ばした。だが、それは残り数センチのところで叶わない。それでも掴もうと宙を爪が引っかく。

「殺してやる。殺してやる! 殺してやる!!」

 何度も叫びながら、憎しみに満ちた表情で睨み続ける。いつものマシューを知っている人物には、とても想像できないモノだった。

 隠さず純粋な殺意を向けられたガゼットは、これといって何の変化もない。

「なかなか物騒な事を言うんですね、君も。とりあえず、そこで今は頭でも冷やしているといいですよ」

 何とも詰まらなそうに呟くと牢屋から遠ざかる。

「おっと……言い忘れていましたが」

 が、何かを思い出したのか一旦ガゼットは立ち止まった。そして、

「この状況を打開できる君の大事な物は、私が預かっていますので心配しないで下さい。それでは後ほど、お会いしましょう」

 それだけを言い残して消えてしまった。

 牢屋に響くのは、悲痛なマシューの叫び声だけだった。




   ―●―●―●―●―●―●―


 自警団を後にしたレーラは、真っ直ぐ事務所に戻っていた。

 室内で不要な身に付けていたモノを無造作にソファーの上に投げ置くと、デス

クの前に座って押収した二冊の手帳を読み始める。

 まずは、調べやすい日記から手に取った。古い日付の部分は流し読みで進めていくが、思った通り他愛のない内容が連なっている。そして、一番最近のページへと差し掛かったところで、数日前にトレジャーハントをしてきたという内容が書いてあった。

 手掛かりだと嬉々として喜んだのも束の間、一瞬で表情が崩れる。

 実際に読んでみると、遺跡に潜って獲物を見つけた程度しか記されておらず、肝心の宝が何なのかが記されていなかった。

 これといった収穫がないまま、もう一冊の神話集の手帳に目を通していく。

 調べ始めてから、どれ程の時間が経過したのか。

 周りが見えなく成る程に集中していると、近くで鳴り響く黒電話。

 一息吐いて早鳴る心臓を落ち着かせると、

「はい、お待たせしました。こちら『Better than none at all"ないよりまし"』です」

 猫を被るのを忘れず電話を取った。

『レーラ殿か? 拙者、奏だ』

 すると、耳に押し当てた受話器から奏の声が聞こえてきた。

 親しみのある相手に被っていた猫は、一瞬でどこかに行ってしまう。

「……どうしたのよ、電話だなんて?」

 一気に疲れが出たかのように数段ばかり声のトーンが低くなる。

 だが、そんな事は関係なしに奏は答える。

『うむ。こちらでの調べモノはマリア殿のお陰で片付いたのだが、そちらはどん

な塩梅だ?』

「ご苦労様。心配無用よ。私の方も、一通りは終わったわ」

『なら、良かった。……して、これからどうする?』

「どうする――って、勿論、これから捕まえに行くに決まってるじゃない」

 とは言っているが、その声にはいつもの覇気はなかった。

 直感的に続くと思ったのか奏は黙っていると、

「……と言いたいところだけど、こっちでは掴めてないわ」

 静かにレーラは告げた。

『そちらも、か。こちらもリンクス殿の話では、自警団の情報網に今のところガゼット・フューラー一行が潜伏している場所が挙がってないとの事だ』

「そうなの……」

 二人の間に重たい沈黙がのし掛かる。

 そんな中、一人レーラは数秒で考えをまとめて、よし。と呟き頷く。

「一先ず、合流するわよ。マシューとガゼットの居場所は、別の手段を使うしかないわ」

『追えるのか?』

「多分ね。あ、後、リンクスに伝言をお願い。"最後の手段を使うから、その支払いをよろしく"って言っておいて」

『それで通じるのか?』

「えぇ、大丈夫。それと時間も惜しいから、最高に速い"足"を準備させて」

『心得た。して、その合流場所と言うのは?』

「場所は……」

 簡単にレーラは、どこに行けばいいのか指示を出した。

 それを聞いた奏は、よく知っている場所に怪訝な声を出した。

『そこで、いいのだな?』

「いいのよ。分かったら、さっさと行動に移る!」

『あい、分かった。では、後程』

 そうして電話は切れた。

 無言になった受話器を耳に当てたまま、

「さてと……」

 今度はこちらから別の場所へと電話を掛ける。

 2、3コールで電話先の相手が出ると、短いやり取りをして受話器を置く。

 手帳を手に椅子から立ち上がったレーラは、奏との待ち合わせ場所に行く準備を手早く済ませると事務所を出て行った。

 気がつけば、もう空は茜色に染まり始めている。




   ―●―●―●―●―●―●―


 夕暮れから数刻後。

 群青に鏤められた星と共に優しく見守る月の女神を、あざ笑うかのように暗闇の女神が地上を覆っていた。そんな空の下。商業都市バン・フィより北北西に馬で半日の場所に、鬱蒼と木々が生い茂る樹海の森があった。日中でも人を寄せ付けないのだが、より一層と人の手を拒むように不気味なほどの深さを見せていた。故に、荒らされる事のない森の奥には、ひっそりと佇むように朽ち果てた古代の遺跡が手付かずに残っていた。しかし、普段は誰も居ないはずなのだが、その入り口――灯りも持たずローブを着た2つの影が見張りとして立っている。

 遺跡の奥へと移動してみると、ここを拠点にしているガゼットが通路を歩いていた。勿論、その背後には眉1つ動かさず憮然とした表情で一定の間隔で後に続く。そして、その2人を引き連れるようにマシューが先を歩いている。

 一番後ろのヴァイナモは、2人の背中を眺めながら思う。

 先程、あれだけ罵詈雑言を並べても足りない憎むべき相手と共に、拘束されずマシュー歩いているのは疑問があった。

 ガゼットに牢屋へくるように言われて行ってみた時からおかしかった。

 牢屋内のベッドに座っていたマシューの目は虚ろで、こうして後ろから見ていて足元は危なげではないが覚束ない。

 これはと思った彼は、自分の予想が当っているのか正解を求めた。

「……何をしたんだ? 薬か?」

「いえ、使っていませんが似た様なモノです。マシュー君には、眠ってもらいました」

「成る程、催眠か」

 ヴァイナモの言葉に、無言の肯定でガゼットは答える。それ以上は話すことは互いにないと自然と会話はなくなった。

 無言で歩を進めていた2人だったが、ふと同時に足を止める。

「来たみたいだな」

「えぇ、ご丁寧に私の人形も倒されました。全く、こちらから招待をしたワケではありませんが、お客様は丁重におもてなししなければいけませんね」

 困ったように……だが、楽しそうにガゼットが呟く。

 すると、スッとヴァイナモは踵を返して来た道を戻り始めた。

「どちらへ?」

「こういう時のために、貴様は俺を蘇らせたのだろう? その分の借りを返してくる」

「確かに……ですが、私は貴方に借りを作ったとは思っていないのですがね?」

「気にするな。これは俺なりの礼儀だ。こうして、面白い相手に当ててくれた事に対しての……。しかし」

 そこで言葉を区切って肩越しに振り返ると、

「俺の戦いをジャマした場合は、いくら貴様でも叩き斬る」

 首を傾げているガゼットを睨む。

 だが、隠さない殺気に当てられながらも、当の本人は涼しい顔で質問をする。

「そうですか。勝算はあるのですか?」

「問題ない。俺は、勝つために生きている」

 そういい残してヴァイナモは進んでいく。




   ―●―●―●―●―●―●―


 少しばかり時間を遡り、場所を遺跡の入り口に戻す。

 見張りの2つの影はガゼットの配下である木人形。灯りなどなくとも、人間ではない彼らには問題はなかった。そもそも人を模したモノではないので、目など製作段階から考えていない。

 では、どのように戦闘を可能にしているのか、それはコウモリと同じ原理を使っていた。木人形は超音波による反響定位を使って、敵の位置や動きを捉えている。だが、それだけでは不安定なので、人間よりは少しいい耳が付いている。

 だが、一番戦闘でモノを言っているのは何であろうと、その耐久度と持久力だろう。

 すでに耐久度に関しては、通常兵器を主体においているレーラとの戦闘において、その優位性は日を見るよりも明らかだ。

 もう1つの持久力でも、見張りをしている木人形たちは朝から動かず続けている。

 こうして見れば、どんな戦いにおいても信頼できる理想の兵隊像ともいっても過言ではない。

 だが、そう世の中――上手くいく筈もない。

 どこからともなく、響き渡る銃声。それと同時に、入り口の左右に立っていた木人形の一体。右側に立っていた木人形の頭がトマトの如く弾け飛び、意思を失った身体は膝から地面へと崩れ落ちる。

 残った木人形は、その狙撃者を探そうと臨戦態勢を取ろうとした時だった。

 近くの茂みから何者かが躍り出すと、縦一文字に白刃が走った。そして、何も対処できぬまま最後の1体も地面に落ちる。




 こうして、たった一瞬で木で出来た壊れた人形の残骸を見下ろしながら、強襲者――奏は九字兼定を振り払い鞘へと戻す。

 ジッと見つめて完全に木人形が沈黙を確認した彼女は、

「ふ……もう、出てきても大丈夫だ、レーラ殿」

 森の奥へと声を向けた。

 少ししてから、離れた場所から葉木が擦れ合う音が聞こえてきた。すると、暗闇から薄っすらとアッシュブロンドの三つ編みを浮かばせて、エメラルドのような瞳を細めながらレーラが近づいてきた。

 肩を怒らせながら、機嫌の悪い足音を響かせながら近づいてくる。

「うるさいわよ、奏! ここは敵のアジトだって分かってるの、アンタ!?」

 そして、奏の前で立ち止まり声を荒げた。

 とりあえず、レーラが言っていることは理解できる。だが、怒っている本人にも当てはまるとは思う。

 その事に対して指摘してみると、

「いいのよ。どうせ、銃声だったり何だったりで向こうも気がついているでしょう?」

 何とも身も蓋もない答えが返ってきた。

「何とも理不尽な」

「たまには、いいでしょう。こういう時くらい、私が何を言ったって」

「まぁ、別に構わぬがな」

「そう思うのなら、問題ないわね!」

 話は終わりとばかりに2人は向けていた視線を外すと、遺跡の入り口へと注視する。

 仕掛ける前に観察してみたが、外の護りは木人形2体だけのようだ。おまけに、こうして倒した事によって、中から増援が来ると思っていたのだが、その気配もなく水を打ったように静かである。

 なかなかに不気味だ。

「どうする、奏?」

「今更、何か言う事はあるのか、レーラ殿?」

「ないわね。さぁ、行くわよ!」

 声を出して走り出したレーラの後を、不敵な笑みを浮かべて小さく頷いた奏が続いた。

 ぼんやりとした蝋燭の炎に照らされた足場の悪い石畳の通路を、滑らかに滑るような感じで進んでいく。

 その間、敵との交戦はない。

 どう考えても誘われているのだが、マシューを助けるには奥へ行くしかなかった。

 狭い1本を駆け抜けると、視界が一気に開ける。入り口を抜けた2人は反射的に立ち止まると、臨戦態勢を取って周囲を見回した。どうやらホールのようだ。そして、ドーム状になった天井の一番高い位置の下、何者かが幽鬼のように佇んでいる。

 誰であろう、ヴァイナモだった。

「待っていたぞ、宮下 奏」

 そう告げた彼は、ゆっくりと顔を上げて真っ直ぐ奏を見つめる。その言葉に対して、答えるように彼女も静かに視線を返す。

 2人の視線が重なり合う中、

(何なのよ、これは?)

 心の中でレーラは呟くと、腰のグリップを握る手が微かに震えていた。

 遠くから普通の人が見れば何も感じないだろうが、少しでも戦いに身を投じた者にでも分るほど空気が緊張していた。

 ピリピリとした嫌な雰囲気。

 そうしているのは、余すことなくヴァイナモから溢れ出ている気迫だった。彼1人だけならばレーラも、ここまでは動揺しない。その理由は、隣から発せられていた。

 勿論、彼女の隣に居るのは奏だけ。

 いくつかの戦いの中共に肩を並べてきたが、今のような空気を出しているのは見た事がない。

 そう考えると、それだけ目の前の男は危険だという事を言ってた。

「あれが奏に傷を負わせた男なの?」

 囁くようなレーラの言葉に、静かに奏は答えた。

「あぁ……だから、気を抜くなよ、レーラ殿」

 普段より1オクターブ低い声で注意する声がレーラの心を掻き立てる。

 不安が増えていく中、不意にヴァイナモが視線をこちらへと向けてきた。

「貴様には用はない。奥へ行くなり、帰るなり、さっさと消えうせろ、ガキ」

 吐き捨てるように告げられたレーラは、

「ガ、ガキですって!?」

 一瞬に頭に血が上り顔を紅くする。

 戦力外だと言われているよりも、最後の『ガキ』という単語に反応した。

 そんなレーラの反応に対して、らしいといえばそうだが、今は違うだろう。と隣で奏は苦笑する。だが、これで良かったのだと考える。なぜなら、また相手のペースに飲まれてしまう所だった。

 冷静に自分を取り戻した奏は、隣で我を忘れて言葉を並べる小さな相棒へと身体を向けた。

「レーラ殿」

 名前を呼ばれたレーラは、抗議する為に顔を向ける。

「何よ! あんな奴、私がっ」

「いや、ここは拙者に任せてくれ」

「だからって!」

「そうだ。貴様の銃では、弾の無駄使いにしかならん」

「うっさいわね! アンタ、黙ってなさいよ」

 横槍を入れてくるヴァイナモの言葉に、フゥ~! フゥ~! と肩を怒らせるレーラ。だが、少し間を置き肩の力を抜いた。そして、一息吐き視線を上げる。

「……ふぅ、じゃあ任せたわよ、奏?」

「心得た」

 どちらからという訳でもく2人互いに頷き合う。

 銃のグリップから手を離したレーラは、走り出してヴァイナモの横を通り過ぎた。その際、イーッ! と嫌な顔を向けたが彼は横目で流した。

「本当に任せたわよ、奏!」

 振り返って大きく手を振ると、前を向いてレーラは奥の通路に消えていった。

 ヴァイナモの肩越しに奏は見送っていると、

「では、我々の戦いを始めようか。今回は、必ず貴様を殺す」

「それはどうかな?」

 静かに言い放つ彼に、自信に満ちた表情で彼女は微笑む。




 1人で奥へと進むレーラ。その間、やはり襲ってくる敵の姿はない。誘われるままに最深部へと足を踏み入れた。

 先程のホールと同じような形状の開けた場所だったが、その規模は明らかに違っていた。高さや直径は2、3倍はある。とても、人の手で造られたと思えないほど見事だったが、今はそんな事はどうでもいい。

 唯一の出入り口だろうレーラの立っている場所から、直線距離で一番遠い端。四角錐の先を切り取ったような二階建ての高さはある。何と言ったらいいのか、何らかの儀式で使われていたような舞台だった。

 その頂上に、2人の人影が確認できる。

「マシュー!」

 2人の内の片方に向けて、一歩踏み出したレーラは名前を呼ぶ。

 壁にぶつかり反響する声に、

「これはこれは、思ったよりもお早い到着で」

 答えたのは本人ではなく、その隣に立っていたガゼットだった。

「貴様、マシューに何をした!?」

「ご安心を。マシュー君には何も危険な事はしていません。ただ、今は眠らせているだけです」

 反応のないマシューを見て怒りを露わにするレーラを宥めるように説明する。だが、それで彼女の気が収まるかどうかは、ガゼット自身にとってはどうでもいい事だった。

 それ以上に今は、興味を注がれる事が2つほどある。

「それにしても分りませんね。一体、どうやってこの場所を突き止めたんです? 自警団の内部にはバレないように仕組んで置いたのですけれど……。もし分ったとしても、ここまでの距離をどうやって短縮したのですか?」

 確かに、ガゼットの言う通りである。

 元は自警団の人間である彼にとって、内部の情報操作はお手のモノだった。それ故に団長のリンクスであってもお手上げ上の状態だ。仮に、この場所が分ったとしても、どんなに馬を急かしても追いつくのは不可能。

 そうだというのに、なぜ目の前に対峙しているのかが考えられない。

 すると、フッと口元で笑い面白くなさそうにレーラは告げた。

「別に不思議な事じゃないわ。この場所が分ったのは、私が自警団ではなく“何でも屋”だったというだけよ」

「やはり、そちらでしたか」

 第1の答えを聞いたガゼットは、これといって驚いた様子もなく納得する。

 その反応に、余計、面白くないといった表情をレーラは浮かべた。

「……驚かないのね?」

「一応、予想はしていましたから」

 肩を竦めて見せた。

 相手は自警団員ではなく、この何でも屋の少女だ。自警団でなければ、そちら側の伝手を使う事は考えられる。多分だが、これだけ正確に位置を絞り込めたのは、大手ギルドの『ライラック』が情報源だろう。

 どのような手法を用いているのか定かでないが、その情報網と正確さは大陸の中で1、2を争うほどだ。

 場所の位置に関しては理解できる。

 だが、やっぱり移動手段は思い当たらない。

 馬以上に便利なモノは鉄道くらいだろうが、生憎だが盆地という事もあり山と森に囲まれ鉄道など建設途中である。

「ですが、移動手段だけがどうしても分りません。どんな手品を使ったというのですか? 私と同じように『魔術』ですか?」

 魔術と言うガゼットの言葉に、最初は肩を震わせていた。

 だが、どうにかガマンしようとしてみたが、

「……ぷっ……あははっ。あはははははっ」

 耐え切れずにレーラは声を上げて笑い出した。

「………………」

 その態度に、眉を潜めて不愉快そうな表情を彼は静かに浮かべていた。

 一通り笑ったレーラは息を整えると、バカにするような口調でレーラは告げる。

「何よ? 『魔術』って? 笑わせて貰ったわ。それがアンタの持っている異能なワケね。別に、そんな“モノ”を使わなくたって、今ここに私達は立っているわよ」

「では、一体……」

「じゃあ、逆に聞くけど……私達が住んでいる場所は、何処かしら? 商業都市よ? でも、ただの商業都市じゃない。あそこは、『大陸全土から珍しい品々が集まる事で有名な商業都市バン・フィ。ここでは手に入らないモノは何もない』と言われているわ」

 大げさにもったいぶりながら、語りかけるように閉めの言葉を続けた。

「勿論、この陸上で“一番速い乗り物”だって手に入れられる」

「まさか、『オート・モービル』ですか!?」

「ご名答よ」

 正解に行き着き声を荒げたガゼットに、楽しそうに妖艶の笑みを彼女は浮かべた。

 オート・モービル。それは西大陸の産業都市で開発された商品名である。鉄道に使われている水蒸気を利用した内燃機関とは異なった、全く新しい内燃機関を搭載した馬車の形を模したような4輪の乗り物――別名は自動車。

 まだまだ量産化は難しく値は張るが、物珍しいモノ好きの一部に好評で生産を急いでいる。

 勿論、様々なモノが集まるバン・フィにも数台が商品として輸入されており、今回は非常事態との理由からリンクスに無理を言って用意させた最高に速い足だ。

「くっ……少しばかり、アナタ方を侮ってました」

 まさかの状況に、ガゼットはイラつきを隠せない様子だった。

 だが、一拍置いて心を落ち着かせる。

「ですが、アナタには私の邪魔はさせません」

 真剣な表情でガゼットは呟くと、それを合図に天井から何かが降り注いできた。

 音を立てて床に四肢で着地したかと思うと、カタカタと響かせながら二足で起き上がる。

 始めレーラはそれが何なのか分らなかったが、よく目を凝らしてみると落ちてきたのは大量の木人形だった。

「どこに居ないと油断してたら、天井に張り付いていたのね。全く、趣味の悪い木偶人形だこと」

 忌々しげに顔を歪める彼女に、

「アートと呼んでください。少しばかり動きますが」

 訂正を入れるガゼット。

 何がアートだ!

 言葉に出さず心で呟くと、臨戦態勢の木人形に向けてレイブリックM51を抜いた。




 重厚なシリンダーに収まっているのは通常の.357マグナム弾ではなく、初めて木人形と対峙した時に使った特殊十字架弾頭だ。あの時、ほとんどを使ってしまったが、これもリンクスに無理を言って大量に生産させた。勿論、経費は向こう持ちである。

 ホルスターから抜き様に、3発の銃声が鳴り響く。

 手近で起き上がろうとしていた3体の頭部を吹き飛ばすと、そのまま崩れ落ちた姿勢で沈黙する。

 クイックドローの姿勢から腰打めで、向かってくる木人形に向けて残弾をバラ撒いた。

 数体が餌食となるが、それで周りが止まるわけはない。だというのにレーラは、その場から一歩として動こうとしなかった。そして、何をしたのかといえば弾の交換ではなく、残弾が0になったリボルバーを左手に持ち替えた。

 傍から見れば、何をやっているんだ! とか、正気でも失ったのか? と思われるだろうが、彼女にとっては予め準備をしていたからこその行動だ。

 右腕を伸ばした先には、左腰の大きなリボン。

 その中に手を入れて、目的のモノをしっかり掴み取ると引き抜いた。

 小さなレーラ掌に収まっていたのは、ツヤ消しを施されたブルーメタリック。硬質な金属で形成されたフレームと一体型になったスライド。人間工学を元に設計されたグリップ。使い勝手の良い9mmパラペラム弾を複列に並べて装填数15発を実現した多弾装マガジン。

 精度と威力に評判の良い、軍用に開発された最新式の自動拳銃だった。

 初めて使う銃だったが、まるで前々から使っていたかのようにレーラは掌で回していた。動きを止めたかと思うと、人差し指から小指でスライドを握り、親指でフレームを押して初弾を薬室へと送り込んだ。そして、リコイルスプリングの反動を利用して、跳ね上がる銃のグリップを握り直して構える。

 手に馴染むような感触に口の端を上げながら、襲ってくる木人形に狙いを定めて引き金を連続で引く。

 連なって響く銃声と共に、複数の弧を描きながら排出されていく空薬莢。

 次々と頭部や胸部を撃ち抜かれて止まる木人形の軍団。

 マガジンに装填されていた1発を撃ち終えて、スライドストッパーが上がりスライドは後退の位置で固定される。そして、最後に吐き出された空薬莢が真鍮の軌跡を描き、地面へと落下して高い金属音を立てて踊り撥ねる。

 たった数十秒で木人形の数は半分近く減っていた。

 ガゼットの指示はなかったが、思わぬ火力に残りの木人形が動きを止める。

「どうしたの? お人形さんなのに、怖気づいたのかしら?」

 周囲を警戒しながらレーラは軽口を叩く。

 隙を見てマガジンを交換すると、ガンベルトのホルスターに差し込む。その流れで、左手のリボルバーを右手に持ち直し排莢、1発ずつ装填後、シリンダーを元の位置へと戻す。そして、そのままダラリと下へ腕をぶら下げた。

 こうしていれば、すぐ襲ってくると思っていたのだが、前回の敗因を学習しているのか、木人形から動く気配はなかった。

 それなら! と考えたレーラは、

「来ないのなら……今度は、こっちから行くわよ!」

 何をするのか、木人形の群れに駆け出した。

 想定外だったようで人間のようにうろたえていたが、近づいてくるレーラと面と向かっていた1体は迎撃しようと腰を落とす。それを待っていたかのように彼女は加速すると、一瞬で両者の距離は狭まった。

 お互いの手が届く。

 木人形は拳を繰り出したが、それは虚しく空を切るだけ。対して、それを避けたレーラは一瞬身を縮めると、全身のバネを使って床を蹴った。

「タッ!」

 掛け声と共に、伸ばされたままの木人形の腕を足場にして宙へと舞い上がる。

 大きく木人形たちの頭上を背面で飛び越えながら、すれ違い様にリボルバーの引き金を絞り数体を撃破した。

 周囲が唖然とするような曲芸を披露したレーラは着地すると、儀式台へと顔を向けて叫んだ。

「さぁ、首を洗って待っていなさいよ、ガゼット!」

 そうして鬼神の如く動き回る彼女を見下ろしながら、当の本人は眉1つ動かさず表情を変えなかった。




 小さい身体ながら、脅威的な動きでレーラが大暴れしている頃。

 もう片方の戦いも静かに始まっていた。

 静かに対峙する奏とヴァイナモ。どちらも刀や剣を抜かず、無構えのままで身動き1つしないで見合っていた。

 どれくらいそうしていたのか?

 1分とも数十分とも、それだけ時間の感覚はなくなっていた。珍しくヴァイナモから口を動かした。

「あの時の傷は癒えたのか?」

「いや……少し痛みは引いたが、半日と経っておらぬからして全く」

「そうか。不本意だが仕方がない。殺らせて貰う」

 ゆっくりと両刃の剣を抜くヴァイナモに対して、

「それはどうであろうな。あの時の拙者と今の拙者では、違うと思った方が身のためでござるよ」

 同じように九字兼定を抜く。

 ヴァイナモは担ぎ上げる様、縦からの攻撃を警戒した奏は右斜め下に、それぞれ構えて相手の出方を待つ。

(さて、どうしたものか)

 レーラ殿にああは言ってみたものの、本当の所はどこからか沸いて出てきた自信のみで、どう勝負に勝ちへ行くのか何も考えていなかった。

 こちらの隙を見せないように、奏は相手の戦力を分析した。

 初見で使っていた剣と今ヴァイナモが構えている剣は、見た目からして違っている。両刃なのは変わらないのだが、長さが奏が持っている中で一番の九字兼定の1.2倍はある両手用の剣。

 あの大量生産品にはないオーラを放ち、異様なほど釘付けにされる視線。

 鍛冶屋の腕が良かったのだろうか?

 そう始めは奏も思った。名工が手に掛けた物で間違いはなのだろう。だが、少し違う気がする。何と言ったらいいのか、それとはもっと別な、神聖な神々しいのではなく地の底にあるような禍々しい感じ。

 人生に1度だけ、これと同じ刀と奏は対峙した事があった。それとこれは同じと直感が告げる。

 ヴァイナモが持つ両手剣は――。

(妖刀の類か。また、厄介な代物をお持ちだな、ヴァイナモ殿)

 苦々しく思うが、そんな事を考えている余裕はない。今は全力を出す事だけを考えろ。

 そう奏は自分に言い聞かせた所で、どちらからともなく駆け出す。

 互いに詰め寄り、最初に己の間合いに入ったのはヴァイナモだった。どうしようできない2人の体格差に加えて、今度は長物の両手剣だ。

 上段から左下へ鋭い斬撃が襲う中、奏の間合いには虚しいほどに遠い。オマケにまともに受け流せられない。だから、比較的に追撃がしにくい左へと避ける。

「ふんっ!」

 それでもヴァイナモは、両手剣を振り下ろし切らず止めて、今度は力任せに切り上げた。普通ならばまともに喰らって決着は着いているだろう。だが、一度は対峙している奏にとって、その攻撃は予想済みだ。

 遅れる髪を切り捨てられながら紙一重で見切り、自分の間合いへと入り込む。これには、さすがの彼でもすぐには対応出来ない。横一文字に水平になる九字兼定の刀身が胴を捉える。そして、そのまますれ違い様に引いた刹那。

 奏の視界一杯に何かが飛び込んできた。

 え? と少しだけ思考が止まった時には、顔を襲う重たい衝撃と共に体が後ろへ吹き飛ばされた。

 ヴァイナモから目を離さない。

 そう思って宙に舞う一瞬、視界に映った彼は左腕を振り下ろした姿でこちらを見ながら立っている。ありえないと思いながら受身も出来ず、背中から地面へと叩きつけられて、勢いのままに2、3バウンドして止まった。

 早く立たなければと起き上がろうとしたが、今の一撃で体中が一斉に悲鳴を上げる。

 あまりの痛さに息が止まり、声にならない声が喉の奥から漏れた。だが、この状態から追撃されたらマズイ。

 今まで彼女自身が培ってきた戦闘経験から無意識に、耐えて顔だけでも上げた。

 再び視界に入ってきた光景に、思わず奏は首を傾げる。

 仕留めるなら今が絶好のチャンスだというのに、先程と姿勢を変えずヴァイナモが立ち尽くしたままだった。

 どうしたのかと考えながらも、このまま寝ているワケにはいかないと立つ奏。

 警戒しながらヴァイナモを見ていると、ゆっくりと動き左腕が始めた。眉を顰めながら、今し方斬られた箇所を撫でていたが、いきなり吐血し口の端から黒い血が滴り落ちる。そして、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。

「これはどういう事だ、宮下 奏?」

 その言葉から、斬られただけで吐血した事に自身も信じられないらしい。

「どうと言われても、見ての通りと拙者の口からは言えぬ。ヴァイナモ殿は、もう死んでおられるのだろう?」

「それがどうした?」

「なら、この九字兼定が“この世のモノではないモノが斬れる”としたら、そういう事であろう」

「奴に蘇らせられた身体だが、なかなか不憫なモノだな」

 手の甲で血を拭い両手剣を構えた。

 あれほどの効果があるのに、よく立っていられる。並みのモノだったら、斬っただけで消滅している所を、消えず戦おうとしているのだ。

 これでは本当に、

「何と言う化け物か」

 憮然とした表情で思わず呟く奏に、

「俺の攻撃をギリギリで避ける貴様もな」

 黒い笑みをヴァイナモは浮かべる。

 ――このままでは埒が明かない。

 改めて実感した奏は、一度、九字兼定を鞘へと戻す。

 思いも寄らない行動に、

「どういうつもりだ?」

 静かだが怒りを隠さず低い声で告げた。

「大丈夫、この勝負を放棄するつもりはない。ただ、今の拙者のままではヴァイナモ殿に勝てる手立てがない。だから、勝つための準備だ」

 そう答えると、腰から九字兼定だけを抜いて床に置く。

 ヴァイナモの鋭い視線を受けながら、もう一振りの打ち刀――和泉守兼定に手を伸ばす。そのまま刀を抜くのかと思えば、そうではなかった。左足を後ろに摺足でずらすと、重心を低くするように腰を落とす。そして、いつでも鯉口を切れるように親指を鍔に沿える。

「なるほど、抜刀術か」

 独特の構えを見たヴァイナモは関心したように呟いた。

「やはり、知っているか」

「当たり前だ。様々な戦場を歩いてきているんだ。1人や2人、使い手に会った事がある」

「――して、その時の戦績は?」

「さぁな。それで貴様の腕前はどうなんだ?」

 皮肉な笑みを浮かべるヴァイナモに、肩を竦めて見せる奏。

「拙者も分らぬ。ただ……これが今、拙者に出来る唯一の策」

「確かに俺は、パワー重視の剣士だ。だが、貴様が俺よりも速くなければ意味がないぞ?」

「それはご自分の目で確認していただこうか!」

 言い終わるや否や奏は滑るように地面を駆け抜けていく。




 それをヴァイナモは動かず、距離と速度を量り身構えた。先程よりも動きは良くなってはいるが、十分捉えられると彼は思う。そして、間合いに入ったタイミングを見て剣を振ろうと力を込める。

 だが、そこで彼の予測は大きく外れた。

 視界の端から、高速で白刃がこちらを襲ってくるのが見える。

 まさかとも思ったが、それは明らかに刀であり奏の攻撃だった。なぜ? と理解できなかった。しかし、今はそんな事を考えていられる余裕はなく、本能に任せて切り込む態勢から無理やり両刃の刀身で防御する。

 間一髪のところで間に合う。

 本来、ここから反撃に移っているのだが、それは許されなかった。

 攻撃に転じようとするも出来ないヴァイナモ。防がれながらも、攻撃させぬとばかりに小刻みに切り返して打ち込む。

 次々と襲い来る剣戟を受けながら、これが宮下 奏のスタイルかと納得していた。

 体格差を感じさせない技術。それに刀を軽く短くする事で生まれる速度。なかなかの使い手だと、今まで出会った中でも上位に入る。心躍るひと時だと実感できた。だが、全ては力で抑え込むことが出来ると改めて思う。

 横一文字から左へ大きく弾き流すと、

「取ったああああああ!」

 怒声を上げながら大きく剣を上段に構える。

 後は、それを姿勢を崩した相手に向けて一撃必殺で振り下ろすだけだ。自分が勝った。そんな風に考えていた。

 だが、そこに大きな隙が生まれる。

 力に負けて姿勢を崩した奏だったが、それは一瞬の事でしかなった。

 全ての荷重が掛かる右足でタタラを踏むと、力強く地面を蹴って右へとサイドステップで移動する。その際、和泉守兼定を素早い納刀術で鞘に戻していた。

 顔色を変えながらヴァイナモは、剣の軌道を修正しようとするも時既に遅い。

「ハッ!!」

 気合と共に、奏の白刃が下から上へと煌いた。

 切り上げたのは、振り下ろし始めたばかり両腕。血飛沫を撒き散らしながら、腕の先と一緒に剣が宙へと舞う。

 その光景をヴァイナモは視線で追ったが、

「まだだ!」

 声を荒げながら奏に掴みかかろうとする。

 だが、捕まえる事など出来るわけがなかった。それをするための間合いと腕を失ってしまったのだ。しかし、それでも逃げる彼女を追うのを止められない。




 バックステップで離れながら、これでも止まらぬか。とある場所を目指していた。

 幽鬼のような形相でヴァイナモに追われながらも、目的の場所へと到着する。

 そこに置かれていたのは、抜刀術を使うために腰から抜いた九字兼定。

 腰を落として、抜き身のまま和泉守兼定を地面に置いた。左腕は九字兼定を掴み取ると、鯉口を切って一気に抜く。そして、鞘を投げ捨てて両手で柄を握って左側から顔に垂直に構える。

「御免!」

 ひと言告げると、向かってくるヴァイナモの胸に突き立てた。

 鋭利な切先が肉を切り裂き奥へと侵入すると、

「グフッ!?」

 苦悶の声に混じって彼は黒い血を口から流す。ようやく動きを止めた。

 肩で息をしながら、ゆっくりと九字兼定を抜く奏。

 その傷口からは血流れ落ちる。そして、支えを失ったヴァイナモの巨体は、後ろへと傾き地面へと崩れ落ちた。

「はぁ……はぁ……か、勝った」

 息を整えながら呟く。

 実感は全く湧いてこないのだが、今この場に立っているのは自分なのだと確かめる。それからヴァイナモの方へとゆっくり近づいた。勿論、もしもの時を思って警戒は怠ってはいない。

 顔を覗きこんでみると、そこには完全に生気も闘志もなく死相しか浮かんでいない。

 もう長くはないと一目で分る。

「俺は、負け……たのか?」

 かすれるような声が横になったヴァイナモの口から漏れてきた。

 何も答えず立ち尽くしていると、目蓋を開くのも億劫そうに視線を向けて告げる。

「貴様の……勝ちか、宮下 奏」

「そうみたいだ」

 静かに肯定した。

 負けたことを確かめる事ができたヴァイナモは、静かに天井を見上げると力なく笑った。

「まさか、手負いの貴様に負けるとは思っていなかった」

「それは拙者の言葉であるよ。ヴァイナモ殿に勝てたのは、拙者一人の力ではないのだから」

「なら、一体、誰が俺を負かせる策をお前にしてやったんだ?」

「その者の名は、ヴァイナモ殿が良く知っているはず」

 一息吐いてタメを作り、改めて告げる。

「その人物は、王国陸軍所属商業都市バン・フィ自警団支部を任されている団長リンクス・スコットウェル殿」

 その名前を聞いたヴァイナモは一瞬、大きく目を見開いたが喉の奥で笑った。

「何だよ。また、俺はヤツに負けたのか。それも同じく弱点を突かれて」

「ヴァイナモ殿の言うとおり、拙者はリンクス殿に教えてもらった」

 笑い続ける彼に、奏は静かに肯定した。

 ここに来る前、レーラと合流するために向かっていた車内で、同僚で模擬戦をした事のあったリンクスからヴァイナモについて色々と聞いていた。彼女自身が前の戦いで経験した事から、全く知らない部分も含めてだ。そして、話の中の1つに弱点があった。

 それは上段からの攻撃時、右側の注意が疎かになるというモノだった。

「そうか。……だが、直したと思っていたが直っていなかったか」

「いや、始めは直っていて隙がなかった」

 あのまま普段通りにやっていたら、本当に弱点の隙はつけられなかった。だから、その点を狙い抜刀術のスピードを最大限に利用し勝機を見出す事ができたのだ。

「だが、それでもお前に負けたという事は俺が甘かったという事だ」

 褒めながら自嘲するヴァイナモを、ただ奏は静かに見下ろしていた。

 もう時間はない。

 それは本人にも分っているのか、とても涼しい表情を浮かべている。

「これで思い残す事はない。頼みがある、宮下 奏」

「拙者に出来ることなら」

「その剣をリンクスにでも渡してくれ。俺には、もう必要のないモノだ。それでもヤツが要らないといったら、お前の手で処分を頼む。放置しておくには、これは危険だからな」

「あい、分った」

「……あの世で待っているぜ?」

 最後に一言、言い終えたヴァイナモがゆっくりと目を閉じた。すると、彼を形作っていた肉体が見る見る朽ち果てる。そして、その場に残ったのは元が何なのか分らなくなった粉だけだった。

 虚空を無言で見送った奏は黙祷を捧げると、二振りの刀を腰に差して奥の通路へ向かった。




   ―●―●―●―●―●―●―


 最深部の部屋で銃声の鳴り響く中、

(ヴァイナモも殺られたか)

 儀式台の上からガゼットは眉を顰める。

 とはいえ、これだけ時間が稼げれば彼がこれから行う事には十分足りる。むしろ、こうして待っている事自体が必要なかった。

 ……何せ、全てが手の内に収まっているのだから。

 隣で静かに立っているマシューに体を向けると、

「さぁ、君の出番です。受け取ってください」

 消えてしまいそうな声でガゼットは囁くと、虚ろな眼差しの前に何かを差し出す。

 乾燥した樹木のような掌の上にあるのは、普段からマシューが胸元に提げていた溝のない鍵のアクセサリだった。

 言われるままに鍵を手にするマシュー。

「それではマシュー君。この鍵を開けてください」

 再び、取り出したのはトレジャーハンターから奪った白い箱だった。

 その簡易的な造りの鍵穴へ、操られたかのようにマシューは鍵を差し込んでいく。微かな金属の擦れる音と共にゆっくり進んでいくと、一際大きな音を立てて行き止まりで止まった。

 普通なら溝のない鍵を差した所で、ただ鍵穴に棒を差したのと同じだ。

 そうだというのに、不気味なほど満面の笑みをガゼットは浮かべていた。待つこと数秒。待ちに待った瞬間が訪れる。

 一体、何があったのか?

 鍵穴奥に差し込まれていた中の鍵先が、金属であるにも関わらず、熱に晒されたアメ細工のように溶け始めた。

 感嘆の声を漏らしながら見守るガゼット。

 まるで、鍵の機構を確かめるように、粘着質のある液状のまま鍵先は膨張を続けた。満遍なく広がり終えると、今度は縮小して新たな形に形成する。こうして出来上がったのは、本来ならこの白い箱を開けるための鍵の形にだった。

 その鍵をマシューは回して、小刻みな金属音と共に中の機構が動く。

 長年の夢が叶う。そうガゼットは思っていたら、

「ガゼット!!」

 彼の名前を呼ぶ声が下から聞こえた。

 そちらの方へ視線を向けてみると、残り数体の木人形と対峙するレーラが見上げている。

「残念ですが手遅れでしたね、リースキッドさん」

 勝ち誇ったようにガゼットは呟き、その手を鍵が完全に外れた白い箱の蓋へと伸ばした。




 その姿を遠くから見つめながら、内心でレーラは舌打ちした。

 恐れていた事態が目の前に迫っている。

 早く止めなくては!

 そう思うと勝手に身体は動いていた。

「邪魔よ!」

 目の前で行く手を阻む木人形に向けて2丁の銃の引き金を引く。

 自動拳銃の持っていたマガジン全て撃ち終わり、最後の1体が倒れたのも確認せずに、壇上の2人の下へと駆け出す。

 ここへ来る前、事務所で調べていたガゼットが手に入れた箱。その正体を知ったレーラは、始めは馬鹿げていると思った。だが、こうして超常現象を目の当たりに考え直すと、もしかするとと改める。

 あの箱の正体は、今は忘れ去られてしまっている古代神話に出てくるモノだった。

 どういった形で出てくるのかというと……。

 ある神が天界から火を盗み、それを人類へと教えてしまう。それに激怒した神の長は、彼に向けて災いをもたらすため「女性」を他の神々に創らせた。そして、泥から創造された彼女に、神々は様々な贈り物を授ける。

 見る者全てを虜する美に聴く者を魅了する音楽の才能、様々な病を治す治療の才能。といった具合にである。様々な贈り物を渡した最後に、神々は彼女に決して開けてはいけないと言い含めて小さな箱を持たせ、さらに好奇心を与えて彼の元へ送り込んだ。

 美しい彼女を見た彼は、兄から『神の長からの贈り物は受け取るな』という忠告を無視して、彼女と結婚した。

 そんなある日。彼女はついに好奇心に負けて箱を開けてしまう。すると、そこから様々な災い――疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などが飛び出し、彼女は慌てて箱を閉めた。しかし、既に一つを除いて全て飛び去った後であった。

 もしも、ガゼットがこれからしようとしている事が、箱に残された最後の災いの解放だとしたら……。

 これから起こるであろう最悪の状況を想定する。

(なんとしても阻止しなければ!?)

 そう決意しながらレーラは儀式台の前まで来ると、階段を2段飛ばしで上っていく。そして、最後の1段に右足で踏みしめリボルバーを構えた。

「そこまでよ! ガゼット」

 声を張り上げてみたはいいものの、思わぬ目の前の光景に――。

「………………?」

 レーラは戸惑い首を傾げる。

 その視界に飛び込んできたのは、鍵を持ったままマシューが立ち尽くしていた。普通ではない状態ではあったが、今重要なのはこちらではない。問題になっているのは、その近くで四つん這いの姿勢で地面に伏せているガゼットの姿だった。

 一体どうしたのか、なかなか状況は複雑そうだ。

 とりあえず、動こうとしないガゼットに身体の正面を向けて、慎重に足を運びながらマシューへと近づく。隣に立っているのに気付かない彼の肩を、軽くトントンと叩いた。

 すると、どこを見ているか分らなかった瞳に光が戻るのが分る。

 数度の瞬きの後、

「ん………………ここは?」

 手で顔を覆いながらぼんやりする彼に、安堵の表情をレーラは浮かべた。

「気がついたみたいね」

「レーラ……さん? えっと……あれ? ボクは一体……」

「助けに来たのよ。何をされたのかは分らないけれど、思い出してきた?」

 しっかりしなさいと叱咤されて、靄の掛かっていたマシューの頭が動き始める。

 そこからは時間は掛からなかった。

 自警団の支部から自分がさらわれた事。牢屋に閉じ込められていた事。ガゼットがシスター・セイラや教会の皆を殺した事。そして、催眠術を掛けられた事、何があったのか全てを思い出したように1つの表情に変わる。

 すると、掴みかかるような勢いで彼は声を上げた。

「アイツ! アイツは、どこに居るんですか、レーラさん!?」

 見た事もない怒り熱くなるマシューだったが、

「少し落ち着きなさい」

 正面から向き合いながらレーラは呟く。静かな声だったが、それだけでも止めるには充分に力はあった。

 マシューは言葉を失い、その場で動きを止める。

「何をそんなに取り乱すのか分らないけれど、何となく事情は分っているつもりよ。だから今は、私に任せなさい」

 そんな彼の肩に手を置いてレーラは告げて、答えも聞かず全く姿勢を崩さないガゼットに近づく。

 後数歩と手の届く距離まで来ると、近くに何か落ちているのに気付く。それは小さな白い箱だった。この一見すると何の変哲のない箱が、どうやら旧世界の神話に出ていたモノなのだろう。しかし、それが本物なのか確かめる事はできない。

 ただレーラが視線を下へと向けていると、

「な、なぜですか……。なぜ」

 小さく失意の声が耳に届く。

 聞こえてきた方へ視線を動かすと、そこにはガゼットの姿がある。

「もう終りよ」

 そして、ゆっくりと近づきレーラは短く告げた。

「終わり?」

 すると、顔を下げたまま何が面白いのか喉の奥で笑う。それから彼は言葉を続けた。

「何を言っているんですか、リースキッドさん? 私にとって、何もかも当の昔に終わっているのですよ」

 そうして、ゆっくりとガゼットは立ち上がる。

「私は、人のため……市民の安全のために自警団で働いてきた。ですが、この都市から犯罪はなくならない。だから、より一層と思い尽力を尽くしてきました。

 そう、色々なモノを犠牲にしながら……」

 一体どんな顔をしているのか、こちらからでは首の角度では確認できない。

「ある時、子供が出来たと愛する者から聞きました。本当なら喜ばしいことです。

 ……ですが、同時の私には聞こえていなかった。いえ、聞こえていたからこそ、安全に子供が暮らせるように頑張ろうと思ったのでしょう。しかし、それが返って彼女の心を蝕んでしまった。

 遠く冷たくなっていく私に、耐え切れなくなった彼女は旅立ちを選んだ。……それも、ただの旅ではなく永遠のです。

 仕事をする私の元に連絡が入りました。そこで彼女が亡くなったのを知った。そして、棺に横たわり冷たく目を閉じたままの彼女を前で、私は自分の疎かさを嘆きました。もっと彼女の側に、話を聞いていればと思いました。

 そんなある日、こう私は思いました。

 平和にならない世の中なら、自らの手で壊してしまえばいいと……」

 そこで全てが終わった。

 最後まで腰を折らずに話を聞いていたレーラは、

「そう、だから……こんな下らない事件を起したってワケね?」

 半目で呆れた表情を浮かべていた。

 その言葉にガゼットの肩が反応する。

「下らない? アナタに何が分るというのですか!?」

 怒声で顔を上げる彼の顔は憎しみに染まっていた。

 敵意を向けられる彼女は、頭を振って大きく息を吐いて口を開く。

「分るわけはないわ。私はアナタじゃないもの……でも、これだけは分るわ。自分ばかりが悲劇の主人公だと思っているのなら、それに頷くどころか反吐が出るわ!

 アナタにとっては自分が正義かもしれない。けれども、だからといって他人を……特に子供を巻き込んでイイ通りはないわよ!?」

 力いっぱい彼を否定した。

「黙れ、このアマ!!」

 もうガゼットに冷静さはなかった。

 大きく右腕を振り上げるなり、どこに隠し持っていのか手の中には銃が握られていた。その銃口がレーラに向けられながら引き金が絞られる。そして、重なるように2発の銃声が木霊する。

 呻き声を漏らし地面に膝を突いたのは、

「……くっ!」

 先に銃を向けたガゼットの方だった。

 肩を撃ち砕かれて力なく下がる左腕を、止血しようと右手で彼は押さえる。その手に握られたままの銃は、弾が発射された形跡はなく、銃身に別の銃弾がめり込み無力化されていた。

「私に早撃ちを挑むなんて、無謀だったわね」

 硝煙の立ち込める銃を構えたまま、感情のない冷めた瞳でレーラは呟く。

 引き金が絞られる瞬間、それよりも早く彼女は2発を撃っていた。

 無言まま動こうとしないガゼットには、もう戦う気力など残っている様子はなかった。




 これで全てが終わった。

 そうマシューは思い俯いていると、

「さて……これから、どうするのかしら?」

 幾分か肩の荷が下りたといいたげな感じでレーラの声が聞こえてきた。

 始めは独り言かと思ったマシューだったが、自分に問われたのではないかと気になって静かに顔を上げてみる。すると、身体ごと振り返って彼女がジッと見ていた。

 一体、何を言いたいのか分らなかった。

 だから、どう答えればいいのか迷っていると、

「ここには、私たち3人の他に誰もいないわ。今なら復讐が出来るわよ」

 手の届く距離でレーラは何かを静かに差し出してきた。

 そちらへ視線をずらす。その右手の中には、彼女の愛銃が取りやすいようグリップ側を向けられた。

「さぁ、どうするの?」

 静かに問われる。

 どうすると言われてもと思いながら、口を硬く閉じてマシューは考える。

 沈黙のまま、銃を受け取ろうとマシューが動く。だが、途中まで腕を上げるが、それを止めるように左手で掴む。そして、元の位置へと戻していく。

 帰る場所を失った時から復讐の事は考えていた。牢屋で仇だと知り本気で手を出そうとした。そして、さっき意識を取り戻して止められても意思は変わらない。しかし、今は違う。

 あんなに憎かった相手だったが、自ら裁くか迷い決めかねている。

 どんな相手だろうが、人一人の命に関わる事だ。それなのに、自分が決めていいものだろうか?

 自問自答するも、答えなんて出てこない。

 ――だから、

「ボクは……全て、レーラさんにお任せします」

 他人に任せるという答えを出した。

 2人は視線を交し合っていると、

「いいのね?」

 もう一度確認とばかりにレーラが聞いてきた。

 何度聞かれようが、決めたことを変えるつもりはない。

「はい、お願いします」

「そう分ったわ」

 頷くマシューの言葉に、背を向けてレーラは遠ざかった。

 そのままガゼットの近くに寄ると、無言で彼女は見下ろす。

「………………私を、どうするつもりですか?」

 すると、近くに居ることを気配で察した彼が顔を上げず聞いてきた。だが、質問に対して質問で返す。

「さぁ、どうすると思う?」

「リースキッドさんの依頼主は、自警団ですから……予想では”連行”ですかね。それから長い裁判の末、監獄で数十年過ごすといったところでしょうか」

 何がそんなに面白いのか、咽喉の奥でガゼットは笑う。

 広い空間に彼の声が響く中、1つの動きがあった。

「そう。普通なら、そうなるけれど……」

 冬の空気のように突き刺すような瞳でレーラは見下ろしながら、自然な動作で右腕が動き止まる。

 カチッと響いた小さな金属音に辺りに静けさを戻す。

「……どういう意味ですか?」

「見ての通りよ」

 顔を上げて予想外の事に戸惑うガゼットに、淡々とレーラは答える。

 今、彼女の手には愛銃のグリップが正しい位置で握られていた。そして、その銃口はガゼットの額へと向けられていた。

 先程の金属音はハンマーを起こした音で、人差し指が引き金に掛かっている。

 いつでも撃てる状態だ。

「私を殺してしまっては、依頼料の半分も入らなくなりますよ」

「構わないわ。別に、お金で今の仕事をしている訳じゃないもの。……勿論、正義のためっていう偽善でもないから覚えておいて」

「だったら、何だというんです?」

「そんな事決まっているわ。私は『私の目的のため』に行動する。アナタのような犯罪者に復讐するため」

 目を細めて怪しく笑うレーラの表情に、言葉を失くしたガゼットは恐怖した。

 ハッタリという可能性もあるが、とても彼には思えなかった。なぜなら、こちらを見つめる彼女の目を知っている。

 あれは、ここまで走り続けていた時と同じだ。

「それでは御機嫌よう」

 引き金に掛かる人差し指に力が篭る。

「レーラさん!?」

 突如、止めさせようとマシューが声を上げた。

 ――しかし、それは遅く1つの音が空しく響き渡る。


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