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第四章『狙われているマシュー』

 本当に勘弁して欲しい。

 リボルバーを構えながらレーラ・A・リースキッドは険しい表情を作る。

 ツイていると思っていたら、全くツイていなかった。

 現在、銃のシリンダーに装備されているのはマグナム弾。弾頭は通常の鉛だが、生物相手であればストッピングパワーは十分期待できる弾丸だ。

 このストッピングパワーというのは、生物に銃弾が命中した際、どれだけ行動不能に至らしめるかの指数概念である。これに似た言葉で"マン・ストッピングパワー"というのがある。これは人間を対象としたモノだ。そして、このマグナム弾丸は拳銃クラスの中で優秀な分類に入る。

 だが、問題はそこではない。

 どんな弾丸を使ったとしても倒せない相手が10体では、一瞬の足止め程度になるくらいで使い物にならない。

 これと似たような状況が一度だけあったのを思い出す。

 あれは、初めて奏と会った時の出来事だった。今回と同様にリンクスの依頼で、とある商館へと潜入した。そこで襲い掛かってきたのは、目の前にいる人形と同じように、人の身体を素材とした奴等だった。そして、ピンチだった所を牢屋で出会った彼女に助けられた。

 本当に似ている。ただ、違う所がいくつかある。

 木の人形の方が動きが早い事。前に使った形成炸薬を弾頭に詰めたエクスプローダー弾が品切れと言う事。そして、もっとも手痛いのは……。

(どうして、こういう輩には強いはずの奏が相手しないのよ!?)

 この場に居ない奏に不満をぶつけてみる。

 そこで、頭の片隅に終って置いた記憶をふと思い出した。




 ここに来る前、事務所を出ようとして呼び止められた。

 何かと思って振り返ってみると、立ち上がった奏が近づいてくる。

「もし良かったらなのだが、レーラ殿。コレを持って行かぬか?」

 そうして差し出されたのは、シリンダー2回分の計12発の弾丸だった。

 数あるうちの1発を摘み上げたレーラは、

「……何コレ?」

 観察しながら思わず呟いてしまった。

 それは一見すると、普段使っている弾丸となんら変わりはなかった。弾頭は先端を平面に切り落としたフラットノーズ型。持ってみた感じから、火薬の量を変えた強装弾や弱装弾という訳でもない。

 無論、この辺の知識を銃に関して素人な奏が知っているとは思えなかった。

「どう見ても、普段から私が使っているのと同じじゃないの?」

 これ見よがしに弾を弄んでみる。

「確かに、レーラ殿からして見たら普通の弾と変わらないな。だが、もしも弾頭の素材が違うモノを使っているのだとしたらどうだ?」

「それなら、何らかの効果はあるのよね? 一体、何を素材に作ったのよ?」

「うむ。この弾丸の素材だが、古くなった教会の十字架が使われてる」

「十字架?」

 思わぬ奏の答えに、オウム返しに聞き返してしまった。

「古い十字架というのは、魔術的な力に対抗しうる力を持つ事が多い。それは、このように溶かして形を変えたとしても加護の元にある。だから、前みたいな倒せない敵には一撃必中の効果が期待できると思うぞ」

「へぇー……これが、ねぇ?」

 それを聞いてマジマジと見直した。

 別に奏の話を疑っている訳ではなかった。ただ、そういった類の迷信じみた事に関して、あまり信用していないだけだ。序に、使えるかどうかも分らない代物に対しても信用していない。

「まぁ、言いたい事は分る。だが、持っていて損はないぞ、レーラ殿」

「そうね。……これなら、普通の弾としても使えるわね」

 とりあえず、差し出された弾丸を貰う事にしたレーラ。

 追記とばかりに奏の話では、いつも出入りしている武器屋に頼んで作成したものとの事で精度は折紙付きとの事だ。




 ――そして今、その弾丸はガンベルトに予備として挿してある。

(まさか、早速この弾の出番が来るとは思っていなかったわ。……でも、どうのタイミングで弾を交換する?)

 そこが大きな壁だった。

 このままこう着状態は、どう転がっても生身の方が不利である。

 それなら、あえてこちらから動くか? 人気のない建物の中に入って、その隙に装填し直して反撃する。だが、ここら辺4ブロック先まで住宅街ばかりで、そういった建物は何処にも見当たらない。

 そうして考えている間に、敵が一斉に動き出した。

 考えていたら殺られる!

「クッ!?」

 そう思ったレーラも反射的に反撃した。

 何も持っていない左腕を振り下ろすと、一体何処にどうやってあったのか? 袖口からバネ仕掛けのギミックによって、一振りのナイフが飛び出し柄を掴んで構える。

 1体目の木人形が鉤爪で攻撃を仕掛けてきた。

 初撃を逆手に持ち直したナイフで、受けて外へと反らす。その流れで銃を構えると、襲い掛かろうとする木人形たちの足元へ向けて数回トリガーを絞った。そして、放たれた銃弾は地面へと着弾し、敷き詰められたレンガを粉砕する。

 そこへ場所に爪先を引っ掛けた1体が躓くと、数体を巻き添えにしながら倒れた。

 すると、先程受け流した1体目が姿勢を建て直して、再び襲い掛かってくるのナイフで受ける。

 鍔迫り合いをする中、倒れている木人形を飛び越えて数体が上から来るのが視界の端に捉えた。銃を撃つにも、この状態では無理である。だから、均衡していたナイフをずらして、襲い来る木人形たちに目の前の木人形をぶつけて迎撃した。そして、残っていた木人形に向けて残弾で牽制する。

 この時、重大なミスを犯していた事に気がついていなかった。

 怯んだ隙にシリンダーを横へ振り出して、素早く空薬莢を排莢した。そして、奏から貰った弾丸を装填しようとした時。

 背後で風切り音がした。

「えっ?」

 思わず振り返ると、いつの間にか木人形の姿が。

 全ての弾を撃ちつくした時点で、地面に倒れていた木人形は”9体”だけだった。この1体だけ目視すらできていなかった。

(マズイ!?)

 そう思っていても何も出来ない。

 左手はガンベルトに伸びていて、今からナイフを取り出したとしても防ぐのは間に合わない。変わりに右手の銃で防げたとしても、倒れている木人形に起き上がる隙を与えてしまう。

 だから、危険だがまだ可能性のある方法を取るしかない。

 振り下ろされる鉤爪を、間一髪で後ろに飛んで避ける。それと同時に2発を抜いて、シリンダーへと込める。

 2撃目と3撃目を、右へ左へと避けながら4発まで込めた。

 ここで背後に壁の気配を感じる。

(もう、これで!)

 下から突き上げる4撃目を避けた所で、手首のスナップを利かせてシリンダーを元の位置へと戻した。

 次の攻撃を構える木人形に向けて、ハンマーを起しながら頭部へ銃口を突きつけた。

 6ヶ所の弾倉兼薬室には4発の銃弾が装填されている。トリガーを引けば、3分の2の確率で相手を倒せる計算だ。どう考えても、外れる確率の方が低い。

 だから、迷わずレーラは引いた。しかし――。

 小さな金属音が響く。

「!!!?」

(嘘!?)

 撃針が銃弾の雷管を叩く事はなかった。

 レーラは運に見放されたのだ。そして、愕然とした表情の中、彼女の目前に鉤爪が迫ってきていた。




   ―●―●―●―●―●―●―


(何だか嫌な胸騒ぎがするな)

 事務所の窓辺で、難しい顔で奏は外を見下ろす。

 なぜだか分らないが、なぜか急に落ち着かなくなったのだ。お陰で、先程から何も手につかない。不安で仕方がなかった。

 こんな気分になるのは、いつ以来だろうか?

「あれをレーラ殿に渡してはみたが、無事に切り抜けられるかどうか」

 前から準備はしていたが、あれだけしか弾は作れる時間も余裕はなかった。

 射撃の腕は重々承知していたけれども、渡した以上の数が相手では倒せない。もしもの時は、ここまで逃げ帰ってさえこれればいい。

 そんな思いで見続けていると、

「今日は珍しいですね、奏さん?」

 名前を呼ばれ振り返ると、そこにはティーセットも持ったマシュー・ハウゼンの姿があった。

 色々と彼に仕事を頼んでおいたのだが、どうやら全て終わってしまったらしい。

「ご苦労様、マシュー殿」

「いえ、そんな大した事はしてませんよ」

 こちらの労いの言葉に、謙遜しながら笑って答える。

 だが、それは一瞬だけであって、どこか迷ったような表情を浮かべていた。それが気になって見続けていると、何かを決心したかのようにマシューから話しかけてきた。

「何かあったんですか?」

「ん……いや、何でもないぞ」

「そ、そうですか」

 普段通りに装ったつもりだったが、どうやら駄目だったらしい。何かしらを察した彼は、それ以上の言葉を続けなる事はなかった。それでも、どこか物言いたげに見える。

 だが、敢えて何も言わず視線を外へと戻す。

 すると、どこか頼りない足音を残してマシューは席に座ると、背後からお茶を入れる音が寂しげに聞こえてきた。

(何をしているのだろうな、拙者は……)

 窓枠に頭を着けながら、自問自答する。

(こんな姿をレーラ殿に見られたらどう思われるだろうか? たぶん、笑って『何やってんのよ! いつもの奏らしくないわよ!?』と背中を叩かれそうだな)

 そう考えていると、口元が勝手に笑みを作る。

 少しだけ気分が楽になった所で、どこからかこちらを覗うような視線に気がついた。

 誰だ?

 警戒しながら探して、すぐに見つけた。道の真ん中から、こちらを見上げる何者かの姿があった。そして、その何者かと目が合うが、それも一瞬だった。

「………………」

 何を思ったのか、ゆっくりと奏は窓から離れた。それから、壁に立て掛けてあった愛刀を手に取った。

 打ち刀――会津兼定を、刃が上になるように左腰へ差す。もう一振りの太刀――九字兼定は刃が下になるよう同じく左腰に革紐で提げる。そして、最後に羽織を着て準備を整える。

 そんな彼女の行動に、

「どこか行くんですか、奏さん?」

 流石にマシューは気になって質問した。

「あぁ、少しばかり外へ空気を吸いに行こうかと思ってな」

「そうですか。いってらっしゃい」

 その答えを聞いて、バツが悪そうにカップの中に視線を落とした。

 どうやら、先程の事を気にしているようだ。だが、こちらとしては自分が悪いので気にする内容ではない。

「何を言っているのだ? 一緒に行くのだぞ、マシュー殿も」

 だから、無理やりその腕を取った。

 いきなり掴まれたマシューは目を白黒させる。

「え? いや、……あのっ」

「ほれ、行くぞ」

「えぇ~~~~~~!?」

 何も分らず混乱する彼を、ズルズルと引きずって事務所を後にした。




 共用階段を下りて行くと、

「あの、奏さん! きゅ、急にどうしたんですか?」

 引っ張られるマシューは危ない足取りで質問した。

「いや、なんて事はない。さすがにマシュー殿も、四六時中、あそこに居ては息が詰まるのでは? と思ってな」

 振り向かず前を見たまま奏は言葉を返す。

 そういった所を考えていてくれた事に感動するが、

「それはいいんですけど、どうして今なんですか?」

 これを聞かずには居られなかった。

 だが、それを奏は答えない。

 確かに、マシューの言いたい事は分る。何せ……折角、仕事も終わってゆっくりティータイムをし始めた所に誘い出したのだ。こうなるのは、誘った本人である自分でも分っている。だが、どうしても”彼を1人で事務所に残して”置けなかった。

「何か言って下さいよぉ、奏さぁ~ん」

 後ろで嘆願する声を聞き流しながら、1階に立ち共用玄関を抜けて外へと出る。

 明るすぎる日の光に視界を遮られたが、それも一瞬で扉を開けた先には上から見えた人物が変わらず立っていた。

 2人の前の人物は、中肉中背の40代始めくらいの男性だった。いや、本来もう少し若いのだろうか? 歳を取っているように思えた原因。それは彼の顔や佇まいから感じ取れた、どこか歴戦の勇士のような雰囲気からだった。

「………………」

 玄関の前に立った状態で、無言のまま奏は動かず視線を向ける。

 すると、同じように彼も見てきた。そして、左手を剣へと伸ばす。

 無言のまま視線を交わらせていると、

「ここを動くでないぞ、マシュー殿?」

「奏さん?」

「絶対に動くなよ?」

 肩越しに振り返りながら釘を刺す。そして、今日一番で迫力のある彼女の瞳にマシューは小さく頷いた。

 それを確認した奏は、九字兼定の鞘を左手で握りながら一歩前へと出る。そして、

「拙者の名は、宮下 奏! お主、名は!?」

 名乗り上げると、男に問う。

「……我が名は、ヴァイナモ」

 男―ーヴァイナモは、囁くような静かだがハッキリとした声で答えた。

 しかし、それに奏は不満そうに感想を告げた。

「ふむ。偽名か……あまり、名乗りたくはないようであるな?」

「どう取って貰っても構わん。どうせ俺の名前など覚えていても意味はない」

「成る程……やはり、拙者たちが目的か」

「お前に用はない。俺の目的は、そこの女子を貰いに来た」

 そういいながら彼は、向かい合う奏を通り越して背後へと視線を合せる。

 何がなんだか分らず成り行きを見守っていたマシューだったが、目を合せた途端。

「ひっ!!」

 悲鳴にならない短い声を漏らして、怯えるように顔を歪めて肩を縮ませた。

 それに反応して振り返った奏は、2人の間に入るか? と前へ向き直ると、いつの間にかヴァイナモがこちらを見ていた。

「……のだが、お前は俺を楽しませてくれるのに値するのか、宮下 奏?」

「ふっ、バトルマニアと呼ばれる類か」

 ニヤッと口元を歪めるヴァイナモの笑みに、嘆息するように首を左右に振る。

「まぁ、いいだろう」

 そして、顔を上げて真っ直ぐ向かい合うと、

「このまま何もせずマシュー殿を連れて行かれては、帰って来たレーラ殿に怒られるだけじゃ済まないだろうからな。それに……お主のような輩を相手するよう言われている。だから、ここは拙者がお相手致す!」

 声を張り上げて右側を前にして斜めに身構える。

 それに答えるようにヴァイナモは、右手で剣の柄を握ると勢いよく抜き放つ。鈍く光らせる両刃の刀身を、ゆっくりと両手で正眼に構えて臨戦態勢を整えた。

 睨み合う中で内心、苦笑する奏。

 さっきまで何も感じなかったのだが、今はヴァイナモから冷たく鋭利な殺気がヒシヒシと伝わって来た。出来る事なら、この雰囲気で抜きたくはない。久方ぶりの出来る相手に、左手の親指が鯉口を切ろうか迷う。

 なかなか動こうとしない奏に、

「どうした……抜け、宮下 奏」

 目を細めながらヴァイナモは短く告げる。

 まるで、それが呪文かのように名前を呼ばれて、気が付いたら鞘走りの音と共に九字兼定を抜いていた。これで、もう鞘には戻せない。だから、刀身を右斜めにした変型の正眼で構えながら、出方を待つか先制するか高速で思考する。

 だが、たった一瞬の隙を突かれてヴァイナモが先に動いた。

「ッ!?」

 それに少し遅れて奏も踏み出す。

 下段で刃を地面を這わすように、間合いを詰めて先制を取ろうとする。しかし、先に制したのはヴァイナモだった。

「うおおおおおお!!」

 横から薙ぎ払うように、両刃の剣が襲い掛かってくる。

 その渾身の一撃を、

「ぐっ」

 急制動を掛けて、後ろへと奏は逃げた。そして、遅れてくる切先が、揺れ上がる胸元スレスレに間一髪で空を斬る。

 ここから足腰に負担は大きいが攻めて行く。その場で踏み止まり、重心を低く前へと出た。そして、無防備な胴を狙って、スレ違い様に斬りつける。しかし、金属と金属がぶつかり合う音が響いた。

 太刀が捉えたのは、いつの間にか手元に引いていたヴァイナモの両刃の剣。

 手応えで『まだだ』と感じ取った奏は、振り返って上から太刀で斬り掛かる。しかし、それも防がれてしまった。

 鍔迫り合いの中、この姿勢を維持するのにギリギリの奏。それに対して、余裕のある笑みをヴァイナモは見せる。このままでは負けると判断した彼女は、刃を反らして逃げると間合いを取る。

 すると、それ以上の追撃はなかった。

 かなり分が悪い。

 人を斬るという点から言えば、鋭利な太刀の方がが秀でている。だが、この長所が仇となる事もあった。優れた刃物というのは、刃を鋭利に磨き上げる必要がある。そして、その部分は磨くほど脆くなってしまう。

 対して、鎧や甲冑を着て戦う西の騎士たちは、発展していき硬く堅牢になる防具の上からダメージを与える必要があった。それらに対抗するため、繋ぎ目などを貫けるよう切先は鋭利だが、切れ味を二の次に頑丈さを追求していた。

 刀は質実剛健で全般的に優秀だが、今回のように単純な打ち合いをすれば剣に負ける。

 次に、2人の体格差が大きく絡んでくる。女性の平均から見て奏は大きいが、男性であるヴァイナモに比べれば小さい。そんな2人が押し合えば、必然的に負けるのは彼女の方である。

 速さに関しては、小回りの利くこちらが有利だが、そこを力任せで補えて先程のような一撃を防いでくる。

 今回の相手は、本当にやり難い。

「どうした、もう終わりか?」

 攻めてこないと分ったのか、詰まらなそうにヴァイナモは挑発してくる。

 正直、先程から彼のペースで圧倒されっぱなしだ。似た壇上で戦った所で、こちらの勝ち目は薄い。だからと言って、別な事をしようにも隙がなく何も出来ない。

 ふとヴァイナモの肩越しだが、不安そうにこちらを見つめるマシューが視界に入った。

(何もやっているんだ、拙者は……。先程、このヴァイナモ殿に言ったではないか。ここで負けては、任せていったレーラ殿に顔を会わせられぬ!)

 そう思った奏は、是が非でも護ると硬く心に刻んだ。

 このまま彼奴のいいようにはさせない。今度は、こちらから攻め込む番だ。

 一気に間合いを詰めて、下から右斜め上へと太刀を斬り上げる。先程に比べて、速さと鋭さが増していたが簡単に防がれた。だが、ここで攻撃を止めたりはしない。走る切先を点で止め、手首を返して、横薙ぎに首元を狙う。

 ――しかし、今度は受け流されてしまう。それでも、今回は攻撃の手を緩めない。

 力が駄目ながら、こちらは手数で勝負に挑む。しかし、それだけでは実際のところ勝てない。だから、ある時を彼女は狙っていた。そして、今も尚……その為だけに太刀を振るい。

 もしも勝機があるのだとしたら、そこに賭けるしかない。

 ――そして、その時は訪れる。




 太刀を大きく右へ払い切った瞬間。

「甘いぞ、宮下 奏!」

 その隙をヴァイナモは見逃さなかった。大きく開いた奏の左胴へ、殺気を込めた重たい一撃が横一線に襲い掛かる。そして……。

「奏……さん? 奏さん!?」

 傍らで見ていたマシューは悲痛な叫びを上げる。

 あの一撃を目の当たりにして、もう駄目だと思った。その途端、膝から力が抜けて座り込み両手を着く。

 ぐったりと首を垂れる奏に、殺ったとヴァイナモは確信する。

 だが、1つだけ疑問に思う。それは、斬った時に剣から手に伝わってきた感触が、いつもの感じと全く違っていたのだ。だからといって、完全に決まっているのだ。今更、それを確認する事はしない。

「迷わず、天へ昇れ」

 ひと言呟いて剣を戻そうとしたのだが、

「勝手に……殺されては、困るな」

「何……!?」

 死んだと思った彼女の声に、慌てて手元へ視線を下げる。視界に飛び込んできた光景に、彼は驚きのあまり大きく眼を見開く。彼が目にしたモノとは、羽織を切り裂いた剣先を止める打ち刀の鞘だった。

 なぜだ? と言いたげな表情を浮かべるヴァイナモに、

「残念だったな、ヴァイナモ殿?」

 震える声で奏は囁く。そして、ゆっくりと顔を上げる。

 いくら防いで斬られていないにしても、その衝撃はしっかりと伝わっていた。その証拠に彼女は、熱く焼けるような激痛で顔を引き攣っている。だが、どこか余裕のある笑みがあった。

 すると、未だに状況を理解していないヴァイナモ目掛けて、一直線に必殺の太刀を振り下ろした。先の連撃のように剣で防ごうにも、混乱で鈍った反射では遅い。今度こそ、捉えたと奏は思った。しかし、聞こえたのは虚しい風斬り音と金属音だった。

 振り下ろした先に彼の姿はなく、主を失くした剣だけが地面に転がっている。

 姿勢を戻して視線を上げると、5歩ほど離れた場所にヴァイナモの姿はあった。

 まさか、避けられるとは思っていなかったが、もう驚く事はない。それが敵にとって当たり前なのだと理解する。

 見た限り、剣以外に武器を持っているようには思えなかったが、とりあえず太刀でいつでも斬りかかれる体勢は整えておく。

 視線を交し合う中、思い出したかのようにヴァイナモが口を開いた。

「……あの一撃は、鉄をも切り裂くはずなのに平気なんだ、宮下 奏?」

「この鞘は、特別製でな。……ある国の工業都市で創った鋼鉄の鞘なんだ」

「成る程……どうやら俺は、少しばかりお前を見くびっていた様だぜ」

 してやったり顔の奏とは違い、自嘲するかのように笑った。そして、

「武器がなくては話しにならないぜ。だから、お前との殺し合いは、後の楽しみに取っておこう」

「引いてくれるのであれば、この剣を返すが?」

「いや、ソイツはお前にくれてやるよ、宮下 奏。もっとも、軍の払い下げ品だからお前みたいにイイ代物ではないがな」

 そういい残して、颯爽とヴァイナモは姿を消した。




「……行ったか」

 完全に姿が見えなくなったのを確認すると、その場に太刀を地面に突き刺して片膝を着く。

 緊張の糸が切れた途端、左脇腹の痛みが増した。お陰で、立とうにも力が入らない。

 あのヴァイナモという男を倒せなかったのは悔しいが、この場を引いてくれたのは良しとしよう。もしも、戦いが続行していたとしたら、長引けば長引くほど不利だったに違いない。

 そんな事を考えながら痛みが引くまで待っていると、

「奏さん! 奏さん!?」

 何度も名前を呼ばれて頭を上げると、顔をクシャクシャにしながらマシューが駆け寄ってきたのが見えた。

「やぁ、マシュー殿」

「大丈夫ですか、奏さん!?」

「あぁ。まだ痛むが……まぁ、大丈夫だ」

「ボクには、全然大丈夫には見えませんよ!」

「……そうか」

 ハハッと空元気で笑ってから言葉を続ける。

「それで、マシュー殿は……へいき、か?」

「えぇ。奏さんが護ってくれましたから」

 目尻に浮かぶ涙をマシューは手の甲で拭った。そして、奏の腕を自分の肩へと回した。

「とりあえず、事務所に入りましょう。傷の手当もしないと……だから、ボクに掴まって下さい」

「そうだな。そうさせて貰おうか」

 手を借りて立ち上がる奏。フラフラだったが、真っ直ぐ2人は正面玄関へと進んでいく。この時、彼女はふと思った。

(やっぱり……男の子だな、マシュー殿は)

 見てくれは女の子でも、やっぱり中身はちゃんとしていた。

 思わず笑みが零れそうになったが、それは一瞬で隠れてしまう。このままではマズイ。マシューの居場所がばれてしまった。こうなってしまうと、相談するにはレーラに話さなくてはならない。

 それを考えると、どうしたモノかと苦笑しか出て来ない奏であった。




   ―●―●―●―●―●―●―


 もう駄目だ!

 そう硬く目を瞑るレーラ。だが、次の衝撃は襲って来なかった。その代わり、1発の銃声が辺りの空気を振るわせる。

 慌てて目を開けると、頭部を破壊された木人形が崩れ落ちるのが見える。まるで、それは糸が切れた操り人形のようだった。そして、路地の上で四肢をダラリとさせて、指1つ動かない。

 ……一体、誰が?

 周囲へ視線を巡らすが、近くには誰一人としていない。それならと、木人形を破壊した射線を辿って遠くを見てみる。すると、ここから離れた場所で、こちらに向けて何かを構える人物の姿を確認した。

 同じく、他の木人形たちは警戒してか動かずに注視している。

 その隙をレーラは見逃さなかった。完全に、こちらのマークが外れたのをいい事に、シリンダーを振り出して残り2発の弾丸を装填し直した。そして、元に戻すと同時に木人形目掛けて引き金を連続で絞った。

 連なるような6発の銃声が鳴り響いた。構えられたレイブリックM51から吐き出された弾丸は、全て木人形の頭部を貫く。そして、まるでトマトを撃った時のように命中した頭部が破裂して地面に倒れる。

 その光景にレーラは、内心で驚いていた。しかし、すぐに納得した。

 普段、通常よりも彼女は威力のあるマグナム弾を使っている。それでも実際の所、今みたいに跡形もなく、頭が吹き飛ぶような威力なんて持っていない。それこそ、特殊な弾頭――エクスプローダー弾並みの威力が必要だが、この弾頭はその辺の鉛弾と同じだ。

 本来なら驚きのあまり動けなくなる所だろうが、これと似た例をレーラが見ていたのは大きかった。その例外とは誰であろう、この弾丸を持たせてくれた奏だ。

 彼女の持つ太刀と打ち刀。この二振りの刀は、普通の人と相対すれば何の変哲もない刀でしかない。その切れ味もそうだが、持ち主の腕が重要だ。銃とどちらが上かを考えると、遠くから狙って引き金を絞れば倒せる銃の方が優秀と言える。

 だが、魔術や不可思議なモノ――今回のような木人形の場合。

 対人戦ではいくら優位な銃でも、小さな穴が開くだけで足止め程度が関の山だ。それ対して奏の扱っている刀は、対人戦の時とは全く違う。さっきまで銃が苦労していた丈夫でタフな木人形を、まるでチーズを切るかのように意図も簡単に倒してしまう。

「全く、こんな使える道具があるなら、さっさと渡しなさいよね、奏!」

 やってくれるわね。と笑いながら、新しい弾丸を装填する。

 完全に形勢は逆転した。第三者の出現は、まだ想定内だっただろう。だが、それ以上に無力だったレーラが、反撃できる力。それも一撃で倒されるとは、思ってもみなかったに違いない。

 残り3体になった木人形は、オロオロと辺りを見回した。かと思ったら、二階建ての家屋をモノともせず、飛び越えて逃げていってしまった。

 その場に残されたレーラは、もしもの事を考えて銃口を高く構える。

 しばらくして、もう襲ってこない事を確認してから、

「ふぅ……危なかったぁ~」

 一息吐きながら銃をホルスターに戻す。

 倒した木人形たちを調べようとしたが、そこの地面にはいつの間にか何もなくなっていた。痕跡の1つくらいかと思ったが、やっぱり何もない。

 そんな出鱈目さに深い溜め息を吐くが、こうしているだけで有難いと思う事にした。

 あそこで助けて貰えなかったら、本当に危なかったとシミジミ思う。だから、助けてくれた人物にひと言お礼が言いたかった。だから、先程の人物が居た方へと視線を向けなおした。すると、こちらに向けて誰かが近づいてくるのが見えた。

 一体どんな人物なのかとドキドキしながら待っていると、互いに誰だか確認出来る位置まで来た所で一変した。

「あ、アンタは!」

 期待していた表情を崩して、アーッ! とレーラは悲鳴じみた声を上げた。

 そこに居たのは、今、この状況でもっとも会いたくない人物。その度合いを表現するとすれば、全力で笑いながらからかう姿に腹が立つリンクス・スコットウェル以上を超す勢いでイヤだ。

 眉間に縦皺を深く刻んでいると、

「……おや?」

 どうやら向こうもこちらに気がついたらしい。

 あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべるレーラとは違って、親しみを込めた笑顔で彼は言葉を続けた。

「誰かが襲われていると思って来てみれば……まさか、レーラさんでしたか」

 そうして彼、クラウスは嬉しそうに笑った。




 クラウス・ファーレン。それが彼の名前だった。年齢は21歳とレーラよりも年上なのだが、この業界に入ったのは遅く、1年と経っていないルーキーである。しかし、その実力は確かなモノで若手の中でも名指しで依頼が来るほどだ。

 そんなクラウスに関して、仕事面では少なからずレーラも認めていた。現に、こうして倒せなかった木人形を一体を長距離から精密に仕留めている。そして、何より彼が右手に持っている武器が”見える力”として示していた。

 数少ない峰が銃身になっている銃剣。その特殊な形状から、主要に扱う者は限られている。余程の目立ちたがり屋か実力者。そして、クラウスがどちらかと言えば後者に当てはまる。しかし、彼が持つ銃剣は数ある中でも、それぞれの国でも1つしかないと思われるほど珍しい代物。古代兵器『ウィザード』だ。

 ウィザード――遥か昔に作られ古代の遺跡から出て来た銃に似た武器の総称である。太古の失われた技術で製造されており、一部の修理や復元は出来ても一から造る事は出来ない。

 オマケに、ウィザードにはカートリッジと呼ばれる銃の薬莢に似たモノが必要になる。のだが、これは消耗品なのだが製造法は分らず、遺跡から発掘される現品のみで恐ろしい値段がする。

 一部の金持ちか使い方を知っている者しか持たない。色んな意味で人を選ぶ武器だ。ちなみに、どちらにクラウスが当てはまるかといえば、正直に言えば両方だった。だから、彼女も口にはしないが認めている。

 だが、どうしても我慢出来ない事が1つだけある。




「貴女に会えるなんて、こちらに来てみて正解でしたね」

 今の状況を分かっているのか分かってないのか、その辺の女性なら蕩けてしまうような囁きでクラウスが語り掛けて来た。

 この優男然とした顔で、それに当てはまるような甘い声と紳士とした態度が好きになれない。更に拍車を掛ける様に、こちらを全力で落とそうとするのが見え見えで、余計にムカついてくる。

 だから、お礼を言おうとしていた相手がクラウスと分かるなり完全に口を閉ざす。

「大丈夫でしたか?」

 何も答えが返って来ない事でクラウスは微笑みながら手を伸ばす。

「えぇ……お陰さまで」

 それを横目に流しながら、棒読みで言葉を返すレーラ。

 このまま何も言わなければ、何を言われるか分からないと思い答える。

 いつもと変わらない彼女の態度に肩を竦めて、

「相変わらずですね、レーラさんは」

 困った方だと言いたげな表情をクラウスは浮かべる。

 どっちが相変わらずなのよと思ったが、少しだけレーラに疑問が生まれた。

「それはそうと、どうしてアンタがココに居るのよ?」

「いえ、たまたまですよ。丁度、受けていた依頼の最中に周辺を歩いていたら、何となく聞き覚えのある銃声が聞こえたので……もしやと思って来てみたと言うワケです。……ただ、あそこまでピンチになっていたとは思えませんでしたが」

「本当かしら……まさか、私の後でもストーカーしてた何てないわよね?」

 偶然とクラウスは言ってはいるが、全く信用していないレーラ。

 何せ、絶体絶命というタイミングでの登場だ。他人が偶然といえば素直に受け取れるが、日頃からしつこい彼が言うと嘘としか思えない。バレない様に後を着いて来て、危なくなった所を狙って助けに入る。

 ――何となく、やりそうだとレーラは怪しむ。

 すると、それを飛ばすようにクラウスは笑うと、首を左右に振るって否定した。

「そんな回りくどい事、私ならしませんよ。もしも私が初めから見ていたのだとしたら、レーラさんが危なくなったら身体を張って守りますね」

 何の惜しげもなく自信満々に彼は続けた。

 そんな答えを聞いたレーラは、今までクラウスがしてきた行動を思い返してみた。よくよく考えてみると、目の前の彼が言っている事は頷ける。どんなに突き放したとしても、いつも真正面から正々堂々と現れてきた。

 そうして納得すると、

「それもそうね。……一応、そういう事にして置いてあげるわ!」

 ただの言い掛かりだと思った途端、ソッポを向くレーラ。

 あまりの恥ずかしさに、正面からクラウスの顔が見れない。しかし、その反面――どう思っているのか気になる。

 だから、盗み見るように視線を動かしてみると、いつもと変わらない表情が見えた。

(アイツ、何考えているのかしら?)

 全く読めないと別な所へ思考を飛ばしていたら、こちらの視線に気がついたのか彼が笑い掛けてきた。

 反射的にレーラは顔を背けると、私は何をしているのよッ! と自分を叱咤する。

(落ち着きなさいよ、私……)

 ドキドキと脈打つ心臓の鼓動を沈めるのに対して、微笑みながらクラウスは頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。

 このままではバツが悪すぎると判断したレーラは、

「とりあえず、お礼は言っておくわ。……ありがとう」

 一息吐いて、聞こえるか聞こえないかの声でひと言呟いた。

 すると、それが聞こえていたらしくクラウスは嬉しそうに頷いた。

「そう思うのでしたら……今度、私とデートして下さい」

「大丈夫。絶対、それはないわよ」

「本当になかなか振り向いてくれませんね、レーラさんは。ですが、必ず私がその気にさせてみますよ」

 白い歯を見せながらクラウスは微笑む。

 普通なら1発KOに近いのだろうが、向けられたレーラ本人に取っては悪寒モノだったのは言うまでもない。

「それでは、私は行きますね」

 そうクラウスは言い残して、どこかへ颯爽と姿を消していった。




 そうして1人になったレーラは、隠れているよう言っておいたガゼットを出してくるように声を掛ける。そして、彼と別れた後は主にメイン・ストリートを通って、今は事務所の入り口前までやってきた。

(とりあえず、熱いコーヒーを一杯欲しいなぁ)

 などと考えながら扉を開けた。

「た……」

「おかえり、レーラ殿」

 すると、言葉を遮るように、何かを耐えるような低い声が這うように聞こえた。

 どこからともなく聞こえてきたソレに、思わず肩をビクつかせて立ち止まるレーラだったが、どこに居るのかと顔を動かして見つける。

 少し下へと向けた視線の先には、珍しく奏が長いソファーの肘掛に腰を下ろしていた。

 こちらを見上げる彼女の顔を確認して、脅かさないでよ。と言おうとしたが、

「ちょ!? 一体、どうしたのよ、奏!」

 中袖を脱いで胸元を頼りないサラシが隠した格好を目の当たりにして、驚きを隠さず慌てて扉を閉めて近寄った。

 そんなレーラの姿に、

「ハハッ、そんなに心配する必要はないぞ……アタタ」

 笑って答えた奏だったが、怪我に響くのか顔を歪める。

「どこが大丈夫なのよ!? どこを怪我したの? 応急処置は? 医者に見せたの?」

「いや……本当に、そこまで行く必要はない。ただの強度の打撲だ。このまま放っておいても、死にはしないさ」

「そう……それよりも、マシューは?」

 先程から視界に入ってこない姿を探す中、自分の身に起こった事と怪我を負った奏から最悪の想像が出来上がっていく。

 顔色を真っ青に変えながらレーラが大きく口を開いた所で、

「マシュー殿に今、頼んで拙者の持っていた薬草を煎じて貰っている。だから、心配は要らぬ」

 何を言おうとしているのか察して阻止した。

 すると、それを聞いたレーラは、良かった。とない胸を撫で下ろす。そして、もう一度無言で奏を見下ろしている。

 見られている当人は、何か? と首を傾げていたが、時々痛むのか眉を引くつかせていた。

 静寂が支配する中、何やら考えていたのか、よし。と頷くレーラは告げる。

「やっぱり、大丈夫には見えないわね。ほら、私に見せてみなさい!」

「少し待たれよ、レーラ殿」

「待たないわよ!」

 覆い被さってくるレーラに、身を縮めて抵抗しようとする奏。

 いつもの奏なら負ける筈はないのだが、動くと痛みの増す怪我のお陰で、小柄なレーラにされるがままに隠していた怪我が露になる。光を浴びる奏の引き締まった左脇腹。その周囲の肌は青紫に変色し、明らかに腫れ上がっていた。

「死ぬような怪我じゃないけれど……結構、酷いわね?」

「あぁ……まさか、拙者もこうなるとは思っても居なかった」

 この打撲に関して、それぞれ感想を述べる。

 そこへ寝室側の扉から、

「言われたとおりに調合してお薬が出来ましたよ、奏さん」

 包帯と布切れ、後はお椀のようなモノを抱えてマシューが入ってきた。

 その姿を確認したレーラは、安堵のため息を漏らしながら声を掛ける。

「無事だったみたいね、マシュー」

「あっ、レーラさん! 帰って来ていたんですね。はい、奏さんが護ってくれましたから……。コレで大丈夫ですよね、奏さん?」

「ありがとう、マシュー殿。後は、その布に薬を染み込ませて、患部に貼り付けて包帯で固定するのを手伝ってくれ」

「はい。では、失礼しますね」

 立っている断って横を抜けると、ソファーの脇で中腰になりながら奏の指示で湿布する。

 何かを思案するように立っていたレーラは、

「一体、何があったっていうのよ? 奏が負けるなんて、私は信じられないわ」

 信じられない。言いたげな表情を浮かべている。

 本当に信じられなかった。奏の腕前や身のこなし方を知っているだけあって、こうして怪我をするのは知り合ってから一度としてない。

「いや、負けてはおらぬ」

「負けてないって……だったら、その怪我は何?」

「ただ、相手の隙を作るために脇腹で防いだだけだ。予想以上の力で、少しばかり痛い目を見たがな。……ありがとう、マシュー殿」

「いえ、お礼なんていりませんよ、奏さん。助けて貰ったのは、実際、ボクの方なんですから」

 手当てを終えてマシューが離れると、ゆっくりと中袖に腕を通して奏は着替えた。

「それで誰が奏に手傷を負わせたの?」

 着替えている彼女を見下ろしながら、詳しく話を聞こうと構わず続ける。

「ただの相手じゃないのは分るけど……」

「どうやらあの者は、例のバラバラ殺人事件の犯人だろうな。なかなか、手ごわい相手だった。オマケに、あろう事かマシュー殿まで狙っていた」

 真剣な表情を浮かべながら、襟元を直しいつもどおりになった奏の説明を聞こえて、顎に手を当ててレーラは頷いた。

「成る程、やっぱりこっちにも来てたのね」

「『も』? もしや、レーラ殿も襲われたのか!?」

「えぇ、どうやら今朝の殺人に関係している証拠を隠滅に来たようね。そして、これを狙っていた」

「それか?」

 腰を浮かせる奏を制しながら、腰のリボンから日記と手帳を取り出した。

「必死になるんだから、これは重要な手掛かりなのは間違いないわ。それにしても、参ったわ。相手したのが変な木で出来た人形で、私の常備している弾が効かないんだもの。正直、あの時、貰った弾がなかったら危なかった」

 遠くを見つめるような表情を浮かべていたレーラだったが、正面から奏の顔を見下ろした。そして、ふと柔らかく微笑みながら続ける。

「ありがとう。助かったわ、奏」

「そうか……それは、何よりだ」

 頷き微笑み返す奏に、小さくレーラも頷いた。

「して、これからどうする。ここには、もう居れぬだろう?」

「どうするも何も、こちらも動くしかないでしょう?」

 言い終わったか終わらないかの所で、2人に背中を向けるなり事務所を出ようと扉に手を掛けた。

 そんなレーラの突拍子もない行動に、

「ちょっと待ってください、レーラさん」

「そうだ、レーラ殿。話は終わっていないのに、どこへ行こうというのだ?」

 それぞれマシューと奏が止めに入る。

 すると、ノブに手を掛けたまま動きを止めた。そして、

「どこ?」

 誰かに確認するのでもなく、まるで独り言のように呟く。

 不自然なレーラの行動を2人は黙って見守っていると、ゆっくりと彼女は肩越しに振り返って口元に笑みを浮かべて告げた。

「どこ……って、そんなのは決まっているでしょう? こういう時に頼るのは、1人しかいないじゃない」

『………………あ』

 説明不足のように聞こえるレーラの言葉だったが、それだけで2人には何の事が分った。

 それを確認したレーラは、

「さぁ、2人とも! そうと分ればさっさと準備をして、着いて来なさいな!?」

 ひと言、声高らかに言い残して出て行ってしまった。

 その場に残された奏とマシューは顔を見合わせた。そして、急いで身支度を整えると、その後を追うように並んで事務所を後にした。




   ―●―●―●―●―●―●―


 場所を移動して、つい数十分前の出来事について、足りない部分は2人で補足し合いながら、レーラと奏は説明を終えた。

 一息吐いて、それぞれコーヒーや紅茶を口にしていると、

「……それで、君達はここに来たわけか」

 テーブルを挟んで向かいに座るリンクス・スコットウェルは小さく呟いた。その額には、青筋がハッキリとくらい浮かび上がっている。どうやら少し……いや、かなりご立腹のようだ。

 ここはリンクスのオフィス。

 事務所から散歩気分のレーラを先頭に、顔色が今一つ悪い奏を心配そうに付き添うマシュー。そんな2人を引き連れて、一行がやってきたのは勿論、自警団支部。

 受付を顔パスで抜けてから、途中マリア・ヴェールクートの居る階に立ち寄った。そこでマシューを預けると、アポなしのまま2人は真っ直ぐリンクスのオフィスを強襲する。そして、お茶と茶請けを強要して、今まさに来た理由を話し終えたところだった。

「確かに、バックアップすると俺は言ったからには、ちゃんと約束は守る。それでも、だ。来るなら来ると、ひと言くらい……」

 そこでリンクスは言葉を失った。

 一体、何があったのかと言えば、目の前の光景に問題があった。その光景というのは、こっちの話を全く聞かずに2人で話していた。

「やっぱり、ウチのよりも美味しいわね」

「うむ。なぁ、レーラ殿……少しだけ茶葉の質を上げぬか?」

「別にいいけど、その差額分は奏の給料から引いておくわよ」

「ぬっ……では、今日の夕飯には前に戸棚で発見した生ハムを使ってみようか」

「ちょっと! 何で、それを奏が知っているのよ!?」

「別に、不思議な事はなかろう? あの家の台所を預かっているのは拙者だ。あぁ、そうそう他にも、なかなか品の良いコーヒー豆が」

「わ、分ったわよッ! 今の1.2倍までは許すわ……」

 ヤケクソ気味にレーラは言い捨てると、勝ち誇った顔でうんうんと奏は頷いていた。

 こうして2人の間で決着が着いた所で、

「あー、君たち。俺、こう見えても急がしいんだが……普段の話をするなら、出てってくれないか?」

 蚊帳の外だったリンクスが笑いながら質問してきた。しかし、その目は笑っていない。

 そんな彼の言葉を聞いた2人は顔を見合わせると、さっきまで喧嘩していたのが嘘のような互いに口元に笑みを浮かべる。

「冗談に決まっているでしょう、リンクス?」

 何言ってるのよ。と茶目っ気なレーラ。

「そうだ。冗談半分だから、そう怒らないでくれ」

 そして、サラリとクールに笑って紅茶を口にする奏。

「どっちが本気なのよ、奏!」

「レーラ殿はどっちがいい?」

「どっちもイヤよ!!」

 ちょっとした事で言い争いをまた始める2人だが、それでもやっぱりいいコンビだとリンクスは思う。

 だからといって、こちらの話を逸らしていい理由にはならない。

「いい加減にしろよ、お前等。さっさとオフィスから出て行け!」

「そう邪険にしないで、リンクス。2、3聞きたい事を聞いたら、別のアジトに移動するわよ」

 このまま本当に追い出されそうだと判断したレーラは苦笑いを浮かべる。

「……何が聞きたいんだ、レーラ?」

「リンクスも国王陸軍所属なら聞いた事ないかしら? さっきも話したけど、この奏に怪我を負わせたヴァイナモって名前?」

「ヴァイナモ……か。聞いた事はな……いや、中央に所属していた時だが、同じ隊にそんな名前の奴が居た気がするな。それなりに腕が立つ奴だったが、こっちに移動してから死んだって話を聞いた」

 昔を思い返しながらリンクスは呟くと、そのまま何事かを思案する。そして、考えが纏まったのか顔を上げた。

「本当にヴァイナモだったのか?」

「うむ。拙者が間違えるはずがない。彼奴は、国王陸軍で一般兵用に作られた剣を持っていた」

「成る程……確かに、あのナマクラでそんな芸当が出来るのは奴だけだな」

 疑問に答える奏の話を聞いて、半信半疑だったリンクスは確信して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 そんな彼を見て、本当に厄介な相手なのだとレーラも実感した。

「奴に関しては、こっちで調べてみよう。それで、他には何が聞きたいんだ?」

「そうね。そういえばリンクスは、ガゼット・フューラーの事は知っているの?」

「フューラーか? 勿論、知っているに決まっている。一応、ここの団長だから全員を把握しているぞ」

 当たり前のような表情を浮かべたが、少ししてから首を傾げながら告げた。

「それより……どうして、お前が特別捜査課の名前を知っているんだ?」

「えっ? どうしてって言われても、現場で会ったから」

「現場? 現場って、どこの現場だ?」

「勿論、第2殺人事件の被害者宅だけど……あれって、リンクスの指示じゃないの?」

 いきなりの質問攻めに、さすがのレーラも戸惑いを隠せなかった。

「言っておくが、俺は何も指示は出していない。……まさか、レーラ!?」

 難しい顔をしていたリンクスだったが、それは一瞬で緊迫した色へと変わった。

 名前を呼ばれたレーラは何かと思ったが、瞬時に彼が言いたい事を理解してオフィスを慌てて出て行った。その後を、遅れて奏が追っていった。階段を駆け下りて、ぶつかりそうになりながらも急ぐ。そして、2人が向かった先には、デスクで仕事をしているマリアの姿を見つけた。

 ちょっとした敷居にぶつかるようにしてレーラは止まると、何かを言おうとしたが喉の奥が張り付いて言葉が出て来なかった。

 鬼気迫る表情で息を整える彼女の姿にビクビクしながらも、

「ど、どうしたの、レーラ? それに、宮下さんまで……」

 ズレ落ちそうになる眼鏡を戻しながらマリアは質問した。

「マリア……マ、マシューは?」

「どこに居られる!?」

 まだ駄目らしく詰まらせながら、用件だけ短く2人は口にした。

 何だか切羽詰った状況に、

「え? どこって……特別捜査課のガゼットさんって方が、お2人に頼まれたと言って安全な場所に連れて行きましたけど?」

 目を白黒させながら答えるマリア。

 それを聞いたレーラは、やられた!? とばかりに歯を食い縛っていた。


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