第三章『たまには、楽な仕事がしたい!』
目の前で、今まで住んでいた屋敷が炎に包まれていた。
火花を上げながら、黒煙と激しく勢いの増す炎が群青の空を染めていく。
その場に呆然と立ち尽くす私の姿は酷いものだった。お母様と同じで大好きなアッシュブロンドの髪や、お父様からお誕生日に頂いた純白のワンピースの所々に鮮烈な紅が滲んでいる。
どこを見ても視界に飛び込んで来るモノは、狂うほどの赤で支配されていた。
「お母様! お父様!?」
溢れ出る涙で頬を濡らしながら、轟々と燃え続ける炎の中に向かって両親を呼ぶ。
さらに、使用人たちの名も叫んだ。
「メリッサ!」
ちょっとだけドジだったけどがんばり屋さんのメイドのお姉さん。
「ジョナサン!」
いつも陽気で面白い事ばかり言っていたが腕は一流の料理人。
「レオナード!」
お父様の隣でいつも厳格な表情で凛々しく立っている執事。
「ジョン爺!」
そして、無口で年老いていたが優しい目をしている庭師。
小さなお屋敷だったけれども、かけがえのない人々だ。しかし、誰の声も帰ってこない。
もう両親どころか、皆の顔を見る事が出来ないのは子供だって分かっている。それでも、何度も呼び続けるしか幼い私には出来なった。
「!?」
ハッとして目を覚ました。そして、慌てて辺りを見回す。
あの惨劇の光景は何処にもなかった。代わりに目の前には、見慣れた寝室の天井が薄っすらと闇に浮かんでいる。大きく息を吸って、ゆっくり一息吐く。
時刻は正確には分らないが……明るさから、深夜の3時くらいだろうか?
床で寝ているマシューを起こさないよう静かに身体を起す。
職人による手作業で彫刻の施されたベッドボードに背中を預けると、両膝を立てて胸元に枕を抱きしめた。そして、身を強張らせて思いっきり顔を埋めて思い返す。
久しぶりに、あの時の夢を見た。忘れたくても忘れられない、忌々しい記憶。無力だった頃の自分。
あまり最近は見なくなったと思っていたが、やっぱり似た事件に関わった所為なのだろうか? と思いながらベッドの下に視線を落とす。すると、そこには規則正しく寝息を立てるマシュー・ハウゼンの寝顔があった。
(良かった。ぐっすり寝ているわね。今の私とは大違い)
思わず自嘲するような笑みを浮かべた。
(それにしても……)
ふと思考を別な所に持っていく。
(こんな可愛らしい顔立ちをしているのに、男の子なんだからビックリよね)
昨日聞いた話を思い返して、思わず口元が綻んだ。そして、ゆっくりと時間を掛けて顔を引き締める。
「必ず……見つけ出して、罪を償わせるわ。全てを」
そう小声で呟いてレーラ・A・リースキッドは決意した。
―●―●―●―●―●―●―
深夜、人気のない路地裏に二つの影があった。
その内の一人、
「約束のモノは手に入りましたか?」
頭からフードを被った男が口を開いた。
すると、もう一人――白髪交じりの髪をオールバックにした品のいい格好をした五十代の男は笑って答える。
「勿論。結構、大変だったが……ほら、この通りだ」
そうして彼は懐から何かを取り出す。
「ほぅ……確かにコレだ」
それを見たフードの男の声は歓喜した。
男が手にしているのは、何の変哲もない小さな箱だった。大きさは片手で持つのに丁度いいサイズ。陶器を思わせるような白く滑らかな外観。半分にした円柱のような蓋に、簡易的だが鍵穴がついている。
この男達が持つには、あまりにも不釣合いな可愛らしいデザインの箱だった。
その箱を凝視しながら、フードの男が歓喜に身を震わせながら手に取ろうとするが、それを交わすように男は手を引っ込める。
思いも寄らなかった行動に、
「どういう……つもりですか?」
怒気の篭った声でフードの男が質問した。
「そっちこそ、どういうつもりだ? こっちはこっちでブツを見せたんだ。そっちこそ、約束のモノは準備出来ているんだろうな?」
「ふっ、勿論ですよ……どうぞ、こちらです」
そうしてフードの下から取り出したのは、皮製のアタッシュケース。そして、それを差し出すように前に出した。
すると、待っていたとばかりに男は奪い取るようにアタッシュケースを掴んだ。徐にロックを外すと、蓋を開いて中身を確認する。そして、中を見て下衆で汚らしい満面の笑みを浮かべた。
そこに収められていたのは、一杯に敷き詰められたのは軽く500万以上の紙幣。
「まさか、表面だけ本物ってワケじゃないだろうな?」
「そんな事はしませんよ。気になるのでしたら、ご確認をどうぞ?」
どうぞ。と勧めるフードの男を怪しく思いながら、一つ一つ手にして後ろの紙幣にも目を通す。どれも、王国で使われている本物の紙幣だった。
「……確かに、本物のようだな」
「信じて頂けましたね。では、こちらも箱を渡して貰っても宜しいでしょうか?」
「ああ、いいぞ」
そうして男の手から、今度こそフードの男の元に箱が渡された。
「とうとう私は手に入れた。後は、アレを手に入れればいいだけだ」
「俺には、ただの箱にしか見えないがな。……そんじゃ、取引も終わったし俺は行くぜ?」
「少しお待ちを」
「……何だよ。もう、俺には用がないはずだぜ?」
「いえ、こちらのお渡しした資料は処分しましたか?」
「あ? あぁ、あれな。心配しなくても、ちゃんと焼却しておいたから大丈夫だ」
そう言って男は振り返った瞬間。
彼の体を縦横無尽に無数の白刃が目にも留まらぬ速さで走った。
「がっ……」
声にならない声を残して、ボトボトと音を立てて崩れ落ちる。
地面に無残に散ばる肉片を一瞥すると、ゆっくりとフードの男は視線を上げた。
誰も居ないはずの場所に、もう一人別の人影が立っている。その右手には、先程の白刃と思しき血糊が切先から滴る両刃の剣が光っていた。
その姿を確認したフードの男は、不満そうにひと言呟く。
「あなたの出番はまだのはずですよ、ヴァイナモ?」
「……俺は、お前の為に動いただけだ」
ヴァイナモと呼ばれた人物は、一振り剣を振り下ろす。その動きに合わせて、水気のある音と共に刃に付着していた血糊が地面に飛び紅く染める。そして、剣を腰の左鞘に収めながら近づくと、
「この下衆は、お前の指示通り資料を燃やしてなどいない。そればかりか、その箱の情報を売って儲け様としていたんだ。感謝される覚えはあっても、責められる言われはないんだが?」
淡々とした声で告げた。
薄っすらと照らす月光の下、現れたのは30代後半の男だった。屈強とはお世辞にも言いがたい中肉中背。それでも堀の深い顔は、どこか歴戦の勇士を思わせる雰囲気を漂わせている。
それに……。とヴァイナモは言葉を続ける。
「元から、殺るつもりだったのだろう?」
「それもそうですが、資料の回収も合わせて始末しようと思っていたんですよ」
彼から聞く前から、今は死体になってしまったが男のしようとしていた事は全て分かっていた。
この後、男の後を追って資料を手にした所で、回収と同時に始末する予定だったのだ。
それなのに、こうなってしまったのは少しだけ予定が狂った。
「もう少しこちらの意図も汲んでください」
そう続けて言ってみたが、目の前の騎士然とした男は無愛想のままだった。
仕方ない人ですね。と肩を竦める。
一先ず、この場を離れようと踵を翻した所で、
「そこの2人、こんな場所で何をやっている!」
背後から声を掛けられた。
肩越しに振り返ると、そこに立っていたのは夜間巡回中の自警団員の2人組みの姿が見える。
警戒しながら近づいてくる2人組みに、
「ここで奴等を始末するか?」
剣の柄を握りながらヴァイナモが小声で質問してきた。
「いえ、ここは止めておきましょう。何せ、ここの自警団は身内が狩られた事件には敏感です。おまけに、その団長を相手にするのは分が悪すぎます」
「そうか。了解した」
そんなやり取りをしていると、
「何を話しているんだ!?」
自警団員たちは駆け寄ってきた。
すると、フードの男はフードの裾から何やら球体を地面にバラ巻いた。それから2人は同時に駆け出すと、地面の球体から勢いよく煙が噴出した。
煙に巻かれる自警団員たちは、視界を潰されて立ち止まるしかなかった。
次第に煙が晴れる頃にはフードの男たちの姿はなく、その場に残されたのは無残に切り刻まれた肉片と化した死体だった。
―●―●―●―●―●―●―
何事もなく夜が明ける。
鳥が囀り始める頃、寝室に敷かれた布団の中でマシューは目を覚ました。そのまま静かに上半身を起して背伸びをすると、
『よし!』
と心の中で気合を入れてその場で立ち上がる。
性別は男であっても、長い間を歳相応の少女である修道女をしてきた身として朝は強い。どれほどのモノかといえば、目覚ましなく毎朝決まった時間に必ず起きている。勿論、今朝も正確だったのは言うまでもない。
オマケに、並みの人に比べて寝起きもいい。
とはいえ、1年の365日全てがそうとは限らない。年に一度くらい、大寝坊する事もあるのがご愛嬌だったりする。
――のだが、今は置いておくことにする。
まだ寝ているレーラを起さないように、普段着の修道服へ着替えを終えた。それから布団を綺麗に三つ折に畳む。
寝室からソーッと顔を出して、
「おはようございます、奏さん」
キッチンに立っていた後姿に挨拶をする。
作業する手を止めて、声を掛けられた宮下 奏は肩越しに振り返る。
「ああ。おはよう、マシュー殿」
ひと言、挨拶を返す彼女は作業を再開した。
指して変わった様子もなく普通の感じなのだが、それが今のマシューにしてみれば返って嬉しかった。そして、顔を綻ばせながらエプロンを身につけると、隣に並んで朝食の準備に加わる。
流れるように料理する奏の指示で、テキパキと動くマシュー。
教会の孤児達の中でも年長に居る彼は、進んで料理などを学んでシスター達を手伝っており慣れた手つきだった。
もう少しで準備が終わろうとする頃、寝室側の扉が開く。
「……おはよう、2人とも」
眠たそうな声と表情で、なぜか胸元に枕を抱いたレーラが立っている。それに2人で挨拶を返すと、重い足取りで彼女は洗面所へと消えていった。
それから、出来上がった料理をマシューは事務所のテーブルに並べていく。
そこへデスクに置かれていた電話が、けたたましい音を立てて鳴り響いた。こんな時間に誰だろう? とマシューは思う。
事務所の受付は定かではないが、こんな朝早くから電話を掛けて来る人は居ない。もし居るのだとしたら、よほどの事があるのだろう。それを感じて心なしか、誰でもいいから早く取ってくれ! と急かしているように思えた。
だから、キッチンへ顔を出して、
「電話鳴ってますよ、レーラさん?」
と洗面所の方へと声を掛ける。が、全く返事が返ってこなかった。
どうしようかと奏を覗うように見ると、
「出来た料理を並べておいてくれ、マシュー殿」
仕方がないな。と言いたげな表情を浮かべて電話に出た。
言われたとおり朝食の準備をしながら、
「……はい。………………本当か? ……ああ……そうか。……そのように、レーラ殿へ言えば良いのだな?」
断片的ではあるが内容が聞こえてきた。
どうやら、あまりいい話ではなかったようだ。その証拠に、どこか奏の表情は険しかった。
全ての作業が終わると同時に、
「では、またな」
そうして電話を置いた。
「仕事の依頼ですか?」
「ん? あぁ、似たようなものだ」
何気なく質問してみると、お茶を濁すように奏は答えた。
一瞬、空気が気まずくなるような感じはあったが、そこへ十数分前のあられもない姿から身形を整えたレーラが入ってきた。
「電話の主は誰だったの、奏? って、この時間帯で無神経に掛けて来るのは1人しか知らないけどね」
質問しておきながら、誰だか自分で納得して彼女は席に座った。
それに合わせて、最初は立っていたマシューと奏だったが、習うように自分の席に腰を下ろした。
朝食の挨拶で食べ始めると、
「それで、リンクスは何だって?」
メインディッシュのハムエッグを突きながら、再度、電話の内容について質問した。
「レーラ殿が受けていた『不可解なバラバラ殺人』についての追加情報だ。どうやら、第2の殺人事件があったらしい」
「ふぅ~ん」
手を休めず淡々と答える奏に、防げなかったわね。と伏し目がちにレーラは流した。その後の会話は、殆どが殺人事件に関しての情報の受け答えだった。
一足先に食事を終えたレーラは身支度を整えると、
「それじゃ、私は出掛けて来るから、留守番を宜しくね」
「ん? 少しだけ待ってくれ、レーラ殿」
さっさと出て行こうとする彼女を奏は引き止めた。そして、徐に席を立って近づく。
何? と言いたげな顔でレーラは待っていると、その手に何かが手渡された。そして、2、3言葉を交わしてから、改めて事務所を後にした。
何となくマシューは奏を見上げていると、視線に気がついた彼女と視線が交わる。
「ちょっとした”お守り”を渡しただけさ」
余程、物言いたげな顔をしていたのか、聞こうとしていた答えが帰ってきた。
人混みへ隠れるようにレーラは目的地を目指す。
西地区の住宅街を出て、メインストリートを通って東地区へと入る。それから3つほど路地へと入り、二階建て程度の一軒家が並ぶ住宅街に出た。そして、メモしてきた住所を頼りに、平屋の家の前で立ち止まって見上げる。
ここは、今回の殺人で被害者が住んでいた場所。
なぜ、こんな所に一番に来たのか?
本来なら現場へ直行するのだが、そこは担当の自警団員に任せる事にして、ここには別の手掛かりを探すためにやってきたのだ。
何せ、一人目である犠牲者の身の回りは生活環のないほど綺麗にされていた。そのお陰で調べられず今まで捜査は進まなかった。だが、今回は殺された場所が違う。更に、事件発生から時間は12時間と経っていない。
従って、被害者の自宅へ行って必要なモノを隠す時間はない。
もしかしたら、身に付けているモノが重要とも考えられる。しかし、それは高い確率でないと言えた。
奏から又聞きした情報では、被害者は何者かと会っていたという予想が立っていた。
そこから自分が被害者の立場で考えていくと、誰かと会うのに重要なモノを持って出掛けたりするだろうか?
答えは否だ。
よって事件を解決する糸口は、この家のどこかにあると考えられる。
「さてと、行ってみますか」
何となく呟き扉のノブに手を掛けた。だが、鍵が掛かっている。
仕方がない。と思いながら、手持ちのピッキングツールを取り出した。鍵穴へと差し込んで強引に開ける。そして、中に人が居ないか警戒しながら家の中へと入った。
室内は壁で仕切られておらず、キッチンなどが繋がった一間といった構造になっている。
どこから探そうかと奥へと進んでいくと、正面で一番近かったテーブルの上から調べていく事にした。
使いっぱなしのコップにコーヒーカップ。吸殻の残っている灰皿。やたらと分厚い洋紙の専門書。どれも変哲もないモノばかりで、何か変わったモノが置いてある様子は何処にもなかった。
まぁ、普通は誰の目にも止まる場所には置かないか。と肩を竦めて、次の場所を探そうとした時だった。
外に人の気配がした。
相手が誰だか分からない状況で、静かに行動に起した。扉の死角になる場所に移動して、音を立てないよう気配を消して息を潜める。そして、右腰に下げているリボルバーへと手を伸ばす。
掌に馴染むアイボリー製のグリップを握って、何時でも抜ける体勢で腰を落とした。
扉の前で何者かが立ち止まった。息を呑んで、ドアノブが回転するのを見守る。そして、ゆっくりと扉が開き人影が視界に入った瞬間。
「止まりなさい!」
声を張り上げて素早く抜いたリボルバーを相手に突きつける。
それに反応した人影は、反射的にビクッと飛び跳ねて立ち止まった。
(よし!)
まず、先制はこちらが取った。だからと言って、まだ終わってはいない。だから、追い討ちとばかりに言葉を続ける。
「誰だか分からないけれど、動かない事ね。そんな木のドアを盾にした所で、私の357マグナムなら簡単に貫くわよ?」
右手で押し出して左手で引きつるように構えた状態で、威嚇の意味も込めてハンマーを起した。
すると、それを聞いたフロントとリアサイトに入っている人物は、
「わ、分かりました! 撃たないで下さい!?」
慌てて掌が見えるように両手を上げた。
「えぇ、私の言うとおりにしていれば撃たないわよ。それじゃあ、まずは家の中に入って貰いましょうか?」
命令するレーラの言葉に、その人物は小さく頷き一歩前に出る。
もしかしたら逃げられる可能性も考えられるが、それでも扉越しに相手の動きを読んで足に鉛弾を撃ち込める自信はあった。
言われた通りに部屋の中央。テーブルの前まで歩いたのを確認して、背後に回り込みレーラは狙ったまま扉を閉める。
「手を上げたまま、ゆっくりこちらを向きなさい」
そうして、謎の人物が振り返った
露になったその顔は、見た目は40代の中年の男だった。白髪交じりのオールバック。年季の入ったシワの多い険しい顔立ち。白いYシャツにスラックス。トレンチコートと至って普通の格好だった。
ただ、足元の靴は異様に汚れており、その底もへたり切っている。
何となく彼から漂ってくる雰囲気に、どこかレーラは親近感を覚えた。
だからといって、銃を下ろす事はない。
「それじゃあ、あなたの素性について話して貰おうかしら?」
彼が何者か知るまでは気を許せない。
「一言断っておくけど……私、気が長い方じゃないわよ」
「……分かりました。私は、王国陸軍所属商業都市バン・フィ自警団支部特別捜査課所属のガゼット・フューラーです。ここに来たのは、貴女に伝言があったからです、レーラ・A・リースキッドさん」
目の前のガゼットと名乗る男に名前を呼ばれた。どうやら、こちらの素性は知られているらしい。
特別捜査課という名前については、団長をしているリンクス・スコットウェルから聞いていた。
何でも、今回のように厄介な事件や不可解な事件と担当する場所で、自警団内でも選りすぐりのメンバーが揃っているとの事だった。しかし、実際に誰が居るのかは機密情報との事で知らされていない。そして、今まで会った事もない。
だから、ガゼットの言葉を鵜呑みには出来ない。
「証拠を見せなさい」
「いいでしょう。ですが、左の内ポケットに手帳が入っているので、取ってもいいでしょうか?」
「いいけれど、しっかり見えるようにしなさい。それと動きはゆっくりね? いきなり、銃を抜かれたら引き金を引かざる得ないわ」
その言葉にガゼットは目を見開くのが見えた。
どうして私が拳銃を左脇の下に携帯している事が分かったのですか? と言いたげな表情を浮かべている。
レーラは見逃してはいなかった。
左側の肩が微かに下がり、脇も膨らんでいる事を。これは銃を持っているという事を指していた。更には、小口径の拳銃をバックアップ用に足首に固定して隠し持っているのも分かっている。
「銃は抜く必要はないから、証明になる手帳を出して見せなさい」
「……これで宜しいでしょうか?」
コートの裏地や拳銃の収まったホルスターを見せながら、ガゼットは内ポケットから手帳を取り出して中を見せる。そこに書かれていたのは彼の顔と名前。そして、自警団が発行しているという印が押されていた。
確かに、手帳は自警団が正式に発行しているモノである。
力を抜いて構えるのを止めると、親指をハンマーに引っ掛けると引き金を引いた。それから慎重に、雷管を叩かないようハンマーを元の位置へと戻した。そして、ホルスターへと挿す。
「疑ったりして、申し訳ありませんでしたわ」
営業用の猫を3匹ほど被って、お詫びを告げながら距離を詰めた。
すると、ガゼットは首を横に振る。
「いえいえ。私が貴女の立場でも、同じようにしたと思いますよ」
「そう言って頂けると、こちらとしても助かりますわ」
「本当の事ですよ。……それにしても、その若さで中々の洞察力をお持ちだ」
「それ程でもないですよ。世の中には、私なんかより凄い人はたくさん居ます」
苦笑地味に返すと、そんなご謙遜する事はないですよ。と彼は笑って答える。
「それで私に伝言とは何でしょう?」
いつまでも話しているワケにもいかず、早速本題に入る事にした。
「あ、はい。殺人現場の捜査報告と、被害者の情報を伝えるために来ました」
「そうですか。では、まずは殺人現場についてお願いします」
「分かりました。現場に残された遺留品についてですが、これといって捜査に繋がるモノは出てきませんでした。それと殺された現場からも、犯人の手掛かりはありません。ですので、殺された理由があるとしたら自宅に残されていると思われます」
「そうですか」
捜査報告を聞いて、こっちに来て正解だったと改めて思う。
「それで、被害者の情報というのは?」
「被害者には家族はなく、一人暮らしだったそうです。それと気になる事があったのですが、普段は製造業の職についているのですが、裏では名の知れた”トレジャーハンター”だったそうです」
「トレジャーハンター?」
「はい。この辺は遺跡が出土する事が多いのは知られていると思われますが、まだ詳しい調査がされている遺跡も少なくありません。それらの遺跡に彼は潜り、持ち帰ったモノを闇市場に売っていたとの事です」
以上が被害者の情報です。とガゼットは話を閉じた。
話を聞いて、一先ず頭の中を整理していくレーラ。
「人目がつかないような時間帯と場所。そこで、何者かとの接触の後に殺害される。そして、被害者はトレジャーハンターで闇市場を利用すると……。ところで、質問なのですが被害者は依頼で動いたりするのでしょうか?」
「こちらで掴んだ情報では、トレジャーハンターとはいえ依頼が主体みたいです。闇市場の掲示板から狙う獲物を選び、取って来たお宝を依頼主に渡して金額を貰うそうです」
「成る程……そうなると、犯人への手掛かりは多そうね」
ぶつぶつと独りで呟きながら室内を歩きながら見直す。
これといって目を引くようなモノを持っていない事を考えると、逃げた犯人と取引した直後に殺されたのだろうと考える。だが、今回に限って全ての痕跡を消す時間はない。もしかしたら、この家の何処かに”何か”あるはずだと推理した。
それが何なのか検討していると、何気なく視界に入った本棚が気になった。
安直過ぎる気もしたが、一段ずつ蔵書を確認していく。
「さすがに、トレジャーハンターだけあって、この辺りの歴史書や宝に関する書籍が多いわ」
何冊か手に取って中身を確認してみたが、どれも市販されているモノで探しているモノとは違う。
見当違いだったのかしら?
そう思いながら、これでココを探すのは最後にしようと、トレジャーハンターとは関係のない一冊の聖書を手にした。これは売っているというよりも、教会が無料で配布しているモノで、どの家庭にも必ず置いており珍しくない。
勿論、レーラだって一冊だけ持っているが、デスクの引き出し奥で埃を被って眠っている。
だが、コレを持った時だ。諦めかけていたレーラの眉が微かに動く。
「……これは」
「どうしたのですか、リースキッドさん?」
緊張感が増す声に誘われて、背後からガゼットが顔を覗かせる。しかし、それに答えずに聖書を調べていく。
持った瞬間、本の重心が微かだがズレていた。それに片手で収まる大きさなのだが、見た目以上になぜか重い。左右に本を動かしてみると、中から何かが動く音も振動と共に聞こえてくる。
中を調べようと表紙を捲ると、ページ中央に鍵のようなモノが収まっていた。
「ご丁寧な事ね」
鍵を取り出して、改めて本の細工を見ながら関心した。とりあえず、もう聖書には用がないので本棚へと戻す。
今度は、この鍵が何なのか観察してみる。
見た目は鍵独特の凹凸はなく、どちらかというとゼンマイ何かを回す時に使うネジ巻きの先を長くしたようなモノだった。だから、この先に合いそうなモノを室内から探してみる。
入念に壁を気にしながら叩いていくと、一箇所だけ音の違う場所を見つけた。そして、もう一つ怪しいモノを発見する。
その近くに掛けられていた壁時計。背伸びをしながら文字盤を調べると、ネジを巻くための穴が設けてあるのだが、それとは別に深い穴を隠れていた。そこへ躊躇せず鍵を差し込んだ。そして、回る所まで回してみる。
すると、バネ仕掛けが動くような音が聞こえると、近くにあった壁がゆっくりと上へ動き始めた。
「全く、物好きな機械仕掛けを施したものね」
ここまで来たら呆れるしかなかった。
「よく気がつきましたね、リースキッドさん?」
「まさか! 今日はたまたまですよ。いつも、こんな感じにスムーズに進むのであれば苦労はしませんわ」
肩を竦めながら開かれた場所を調べてみる。
銃やナイフといった武器から何に使うか分からない道具と一緒に、大事そうに保管された日記帳とボロボロの手帳を見つけた。
触りだけ中身を見てみても、事細かに書かれた日記の内容から手掛かりになると思う。
もう1つの手帳に目を通してみると、こちらは手書きで書かれた神話集のようなモノだった。
だが、現段階では何が重要なのかは分らない。
「ここから私は捜査するので、これから帰って調べようと思うのですが、ガゼットさんはどうなさいますか?」
「いえ、私も本部の方へ戻ろうと思います。そもそも伝言をリースキッドさんに伝えに来ただけですし、こちらの捜査権は貴女のモノですので」
「そうですか……それでは、一緒に出ましょうか」
相手の返事も聞かずに出入り口へと近づくと、ドアノブに触ろうとしていたレーラは動きを止めた。
その背後を歩いていたガゼットは、危うく突っ込みそうになったがタタラを踏んだ。
「どうしたんですか、リースキッドさん?」
一向に出ようとしないレーラが気になって彼は質問した。
すると、少しだけ間を置いてから、
「ガゼットさんはここに居てください」
小声で囁くように答える。
「家の前に、何者かの気配がいくつか動かずあります」
「どういう事ですか?」
「今日は、私もガゼットさんもツイているって意味です。いいですか? 外から私が言いというまで、ここから出ないで下さい。何もなく扉が開いたら、構わず迎撃してくれて構いません」
肩越しに振り返ってみると、何も言わずガゼットは小さく頷く。それに頷き返すレーラは口元に笑みを浮かべていた。そして、1つ深呼吸を吐いて外へと出る。
扉を閉めて鍵が掛かる音が背中越しに聞こえた。
これで後戻りは出来ない。それ以前に、戻るという選択しは始めからない。
視線を上げて見てみると、そこには確かに立っている。1や2ではなく、数えて10という沢山の怪しいお客様だった。
こんなに晴れているというのに、全員が頭から真っ黒のフードを被っている。
(コイツら……奏が言っていた、マシューを襲った襲撃者?)
それなら本当にツイている。
「全く、大層なお出迎えね?」
不適な笑みを浮かべながら、扉から離れて路地へと立つ。
その間、目の前のお揃いのフード集団は微動だにしない。どこか不気味な雰囲気が漂っている。
「アナタ方、熱くはないの? 顔を見せてみたら?」
挑発的に言ってみたが、これといった反応は返ってこない。
内心でレーラは歯軋りする。全く顔色を覗えないのが、これほどやり難いとは思ってみなかった。よくも奏は、こんな奴等を相手に出来たモノだと思う。だが、ふと会話を思い返してみると、格好は同じでも話をする相手が居たと彼女は言っていたのを思い出す。
だったら、今回も居るのでは? と辺りに視線を配らせてみる。しかし、そんな人物どころか外に出ている人の姿もない。
なぜ、居ないの? と思ったが、悩むのは止める。
「まぁいいわ。私が勝てばいいのだから……それよりも、アナタ方は何をお探しかしら? もしかして、これかしら?」
首を傾げながら、左手が見える高さまで上げた。その手の中には、先程、発見したばかりの日記と手帳が見える。
すると、今まで何をしても反応のなかったフード集団が動いた。いつでも飛びかかれるように、姿勢を一斉に低くして身構える。
やっと反応らしい反応が返ってきた相手に、
「そう。やっぱりコレなのね。そんなに欲しいの?」
嬉しそうに質問した。
今度は言葉を交わさなくても、相手の明確な目標が分っただけでも戦いようがある。
「そんなに欲しいなら……」
だから、こちらから仕掛けた。
「あげるわよっ!!」
叫ぶように声を出すと、左手を大きく下から上へと振り上げる。天に向けられた手には何もなく、空高く舞うように纏められている日記と手帳が放り投げられていた。
日記と手帳の行方を見守るフード集団にも動きがあった。もっとも近くに居た1人が、レーラに向かって駆け出していた。
勢いもなくなり一時的に日記と手帳が停滞して、下に引かれてゆっくりと加速しながら落ちてくる。
フードの1人は瞬時に加速し首を狩りに行くが、それは1発の破裂音に寸断された。踏み出した足へと弾丸が命中し、その衝撃のまま前の目に崩れ落ちる。
勿論、それをしたのはレーラ1人だけ。いつの間に抜かれたのか、腰で構えられたリボルバーの銃口から硝煙が上がる。銃を抜き、ハンマーを起して撃つ。この一連の動作を、刹那で行う”クイック・ドロゥ”による早撃ち。
それが彼女、レーラがもっとも得意とするスタイルだ。
距離にして5メートルの位置で倒れるフードの1人を見下ろしながら、空から降ってきた日記と手帳を投げた時と同様に左手で受け止める。
銃の重さにダラリと右手を下げながら、
「さぁ、次は誰かしら?」
静かに恐ろしく残りのフード集団に問いかける。
身動き一つせず動かない両者。
残りの数9。それに対して、どう戦うか? 日記と手帳を腰のリボンに隠しながら、頭を巡らすレーラ。
彼らは一体何者なのか? 相手の素性や腕前どころか、そこから集団による連携の錬度は未知数。本来なら、ある程度の相手ならば相対するだけで、その腕前は図ることが出来る。そうだというのに全く分らなかった。
今倒れているフードの1人からすると、それなりに出来る事は動きで分る。そう考えると低くはない。だからといって、手に負えないほど高いと言うわけでもない。
リボルバーのシリンダーには残弾5発。
仮に、全弾を1発ずつ使って5人を沈黙させる。だが、残りの4人はどうやって対処するかが問題だった。こう視界の開けた場所では、遮蔽物に隠れながら新しい弾を装填する事は出来ない。オマケに、あの瞬発力と速さでは苦戦を強いられるだろう。
ギリギリ勝てるか怪しい所だ。
それでも今まで多くの死線を踏んできた身である。この程度で臆する事はなかった。
――しかし、ここで予想外の不測の事態がレーラの身に降りかかる。
足元で何かが動く気配を感じる。
今ここで目を外すのは危険だと思ったのだが、何だか嫌な胸騒ぎにから見ずには居られなかった。
ゆっくりと視線を下へと持っていくと、そこには信じがたい光景が映っていた。
最初の一撃で倒れていたはずのフードの1人が、今まさに立ち上がろうとしていたのだ。それも撃ち抜いたはずの足を諸共せずにである。そして、完全に立ち上がった瞬間、身に付けていたフードが外れた。
その下から現れたのは人ではない。のっぺらぼうに木目が特徴的な等身大の人形だった。道理で気配も薄ければ、何の返事も返って来ない訳だ。
思わず目を見開くレーラだったが、
「全く……いつから私の仕事は、こんな化け物退治になったのかしら?」
忌々しく呟いた。