第二章『発覚する問題』
「ボクの名前は、マシュー・ハウゼンです。お礼を言わせてください、えっと……」
そこまで言ったところで言葉を詰まらせた。
「あぁ、拙者の名か?」
そこで言わんとしている事に気がついた女性に向かって、何も言わずにマシューは頷く。そして、それに答えるように彼女、
「拙者の名は宮下 奏。これといって愛称はないので、好きなように呼んでくれて構わん」
――奏は微笑した。
「危ない所を助けて頂きありがとうございました、ミヤシタさん」
改めてお礼を言うマシューは深々と頭を下げる。
「いや、大した事はしていないぞ、拙者は」
そう奏は言うものの、いいえ! とマシューは首を横に振る。
あの混乱した寝室から事務所へと場所を移動していた。
これは、話をするなり聞くなり考えたりするなら、腰を落ち着かせる方がいいだろうと奏が提案からである。
そうして移動後、開口一番が冒頭での自己紹介から始まった。
現在、二人が座っているのは応接セットのソファー。一人用にマシューが身を小さくしている中、テーブルを挟んで置かれた数人用に奏が座っていた。そして、もう一人。
「何をやったのか、ちゃんと説明してもらいましょうか、奏?」
窓側指定席である執務机からレーラ・A・リースキッドが口を開く。
今まで静かにしていたのだが、全く見えてこない二人の話に、いい加減話せ感を漂わせている。
「いや、拙者は何もしていないぞ?」
「答えになってないわよ、ソレ。何かしたから、こうなってんのよ」
半目でレーラは睨んで見せたが、効果はなく奏は肩を竦めた。
その会話に割り込むようにマシューが声を出した。
「そんな事ありません!」
いきなりの大声で二人に注目されながら、それでも言葉を続ける。今度は普通の声よりも頼りないモノだった。
「……もしも、あそこにミヤシタさんが来なければ、どうなっていた事か分かりません」
そうして口を硬く閉じて俯く。
思い出したのか、はたまた何かを想像したのか。その顔には陰りがあった。
それを見たレーラはため息を一つ吐いて力を抜いた。
「要は、ウチの奏に助けられたって事でしょう?」
「その通りです」
「まぁ、結果的にはそうなるな」
「それなら何かしてるじゃない?」
どう? という感じでレーラは顔を向けた。
すると、あまり納得していない表情を浮かべながら奏は答える。
「ふむ……拙者的には、あれを何かした内には入らないのだがな」
「奏にとってはそうかもしれないけど、ここバン・フィではそうなるのよ」
「そうなのか?」
「そうなの。何せ、各国から珍しいモノが集まるような見本市であると同時に、様々な犯罪が行われている見本市でもあるのは知っているでしょ?」
その問いに、まぁ、な……。と無表情で奏は短く肯定した。それを横目に確認すると、
「ちょっとした厄介事でも、いつ大きなモノになるか分からない。だから、自分から関わろうとする人なんて居ないわ」
説明するレーラのエメラルドの瞳はどこか遠くを見ていたが、
「そういう訳だから、何があったのか話してみなさい」
それも一瞬だった。
とりあえず、どういう経緯でマシューと出会ったのか、大体は奏の話を聞いて理解は出来た。
「成る程、そういう訳か。それにしても、そんな小さな声をよく聞こえたわね?」
「拙者の耳は良いからな。……それに」
「それに?」
「いや、こちらの話だ。……これで拙者からは全てだ」
素っ気なく答えると、それっきり何も話そうとしなかった。
それほど重要な事なら話すだろうと軽く考えたレーラは、
「それはそうと、何者なのかしら……そのフードの男」
追われていたマシュー本人から事情を聞こうと視線を向けた。
「何か心当たりはある?」
「いえ、特には……」
「何も知らないとなると、このままだと厳しいわね。次も狙われるだろうし、対策とか立てられないわ。考えるよりも、自警団に相談した方が無難かもね」
それも今日中にとレーラは付け足した。
だが、それを聞いたマシューの顔は浮かなかった。
「これから行っても大丈夫なのでしょうか?」
「私達も着いて行くから大丈夫。心配する事はないわよ。こう見えても、自警団から直接依頼を受ける程だから何とかなるわよ」
とは言ってみたものの、
「はぁ……」
曖昧に頷く顔は信じているとは思えない。
全くとは思ったが、子供だから仕方ないと自分の事を棚に上げながら納得するレーラだった。
「さてと、そうと決まれば行く前にご飯にしましょう」
「えっと……、あの」
「気にする事はないわよ。私が食べたいだけだし」
困惑するマシューを尻目に、立ち上がってソファーへと歩み寄る。
「それに、作った本人もそのつもりだったんでしょ? だから、材料がないから出てた。そうでしょう、奏?」
「うむ、断りを入れなかったのは悪いと思ったのだが」
「別に気にする事ないわよ。その分、これからの仕事で返してくれれば問題なし」
見下ろして笑いかけながらレーラは隣に腰掛けた。
すると、それと入れ替わるように奏は立ち上がるとキッチンへ消えていった。
もう断ろうにも断れないマシューであった。そして、目の前に出てきた料理の数々が普段と食べているモノと変わらない事に驚いたのは別の話である。
奏の手料理を三人で食べ終えてから、全員で自警団ビルへとやってきた。タイミングよく受付には顔見知りの団員が居て、状況を説明して無理やり担当を呼んで貰った。そして、今は応接室で静かに座っている。
待っている間、ヒマだったので耳を澄ましてみると、何か事件があったのか廊下は騒がしかった。
だが、興味を引くことでもないので聞くのを止める。
ここは自警団の支部であり、犯罪の多い商業都市バン・フィだ。事件の一件や二件は当たり前。それらを一々気にしていたら、ここではやって行く事は出来ない。
手持ち無沙汰に、弾の抜かれた愛銃のレイブリックM51カスタムを弄ぶ。
そうして五分程経過したところで、
「少し遅くなって悪かったな」
そう言いながら入ってきたのは、昼に顔を合わせたリンクス・スコットウェルだった。
思わぬ人物の登場で最初に声を張り上げたのはレーラだ。
「な、何で!?」
「また会ったな、リースキッド。それに宮下も元気かい?」
「あぁ、団長殿もお変わりないようで」
無視しながら話しかけるリンクスに、何事もないように奏が返す。
「それにしても、そこまで驚く事はないだろう、リースキッド? 何だかんだと今日は忙しくてな。殆どの団員が出払っているから、団長室で暇している俺が来ただけだ」
「忙しいのはいつもの事だと思うけれど……一体、何があったの?」
適当にソファーへ腰を下ろす彼に、廊下の外を気にしながらレーラは質問した。
しかし、素直に話してくれるとは思っていなかったのだが、ゆっくりとリンクスの口が開く。
「殺しだよ。それも一般人のな」
そう簡単に告げると、タバコを1本取り出して火を点けた。
「どうしたの? 珍しく今日は話すわね、リンクス? いつもなら、情報漏えいを避けたいから話せない。みたいな事を言ってるのに」
わざわざ声を低く作ってキリッとした表情でレーラはマネしてみた。
すると、ドッと堰を切ったようにリンクスが笑う。
「それ、俺のマネか? ……似てないなぁ」
「確かに似ておらぬな」
「うっさい! ってか、こんなのに凄い似てたら怖いでしょ!?」
そのレーラの言葉に、顎に手を当てて奏が一瞬だけ思考した。そして、結論に至ったのか1つ頷く。
「ふむ……、レーラ殿の意見はもっともだな」
「おいおい。こんなのってのは酷い言い種だな、リースキッド。ここじゃ一応偉いんだぞ、俺?」
手を返されて仲間を失ったリンクスは、どうしようかと辺りを見回してみる。
すると、いい所に使えそうな手駒を見つけた。
「どう思う、そこの始めて見かける可愛らしい修道服のお嬢さんは?」
「あ、あのー……」
いきなり話を振られたマシューは回答に困った。
「ははっ。別に何も言わなくてもよいぞ、マシュー殿」
すると、そこへ助け舟を出す奏。
それを合図とばかりにレーラとリンクスは顔を見合わせた。これで終りと互いに視線を交わすと、その場の空気が一転した。
「それで何をしに来たんだ、リースキッド。まさか、もう犯人が分かったってワケじゃないよな?」
「そっちは、明日から捜査する予定よ。今日また来たのは、このマシューに関してよ」
「まぁ、そうだとは思ったさ」
その答えに肩を竦めて、レーラ達の間に座っているマシューに視線を向けた。
「それで……普通に見ていると、ただの可愛らしい修道女のお嬢さんがどうしたんだ?」
「匿って欲しいんだ、団長殿」
「どれ、話を聞こうじゃないか」
そう言ってリンクスが聞く姿勢をとると、事務所でレーラに話した内容にマシューの話を織り交ぜて奏が語った。
「……そういう訳で団長殿のところでマシュー殿を警護して欲しいんだ」
終始黙って聞いていたリンクスが口を開いた。
「大体話は分かったが、少しだけお譲ちゃんに質問していいか?」
「ボクに、ですか? ボクで分かる事でしたら、どんな事でもお答えします」
「お譲ちゃんの住んでる場所って、どこにあるんだ?」
「えっ? 住んでいるところですか? 西地区外れにある教会ですけど……?」
「そうか……成る程、な」
「何1人で納得しているのよ、リンクス」
「悪いが、リースキッド。こっちでは、このお譲ちゃんを預かれない」
「はぁ? どういう事なのよ!?」
まさか断れるとは思っていなかったレーラは怒鳴り声を上げた。
「説明してもらえぬか?」
いつもと変わらない口調の奏だったが、その雰囲気からはところどころに怒気が篭っていた。
これには、さすがのリンクスも顔色を変えた。
「とりあえず、二人とも落ち着いて聞いてくれ」
「ちゃんとした理由なんでしょうね、リンクス? ……もしも、適当だったらタダじゃ置かないわよ!!」
「うむ」
「分かった。分かったから……全く、リースキッドだけならともかく、宮下も合わさるとやりにくくて仕方がない」
頭を抱えながら溜め息を吐くと、難しい顔で説明を始めた。
「さっき、俺が来た時に殺しがあったって言い訳したよな?」
「えぇ、それがどう関わってくるのよ? ……まさか」
更に話の先を促そうとしたレーラだったが、聞くよりも先に自分で最悪の結論を導き出し息を呑んだ。
黙っている奏も同じ考えなのだろうか、先程から沈痛な面持ちをしていた。
何ともいえない重たい空気が圧し掛かってくるようだった。
「その”まさか”だ」
沈黙を破るリンクスは言葉を続ける。
「その殺しがあったていうのは、西地区外れの教会……今聞いたお譲ちゃんの住んでいる場所だ」
「……それで?」
「まだ詳しい結果報告は受けていないが、教会に居たと思われる牧師やシスター、それに教会が預かっていた孤児。その全員が無抵抗のまま」
「嘘ですっ!?」
殺されたという瞬間、静かだったマシューが勢い良く立ち上がる。
「ボクは……ボクは、そんな話は信じません!!」
小さな肩を震わせて、掌に爪が食い込む勢いで両手を握り締めた。そして、搾り出すように叫ぶと、
「マシュー殿!?」
名前を呼ぶ奏の制止も聞かず、そのまま応接室を走って出て行った。
「このまま放っては置けないわね」
心配そうに扉を見つめるレーラに、
「レーラ殿は、このまま話を聞いてくれ。拙者がマシュー殿を追う!」
と奏が立ち上がった。そして、戻らなかったら先に帰っててくれ。と言い残し、この場を後にした。
その場に残された二人は話を続ける。
「帰るところがなくなったマシューは今後どうなるの、リンクス?」
「そうだな。話を聞いた限りだが、教会を狙った連中とお譲ちゃんを狙った連中は同じと考えてもいいだろう。こっちで匿うにしても、どれだけの数が居るか分からん。だから、事件が解決するまではギルド頼りになるな」
全く、情けない話だが……。と肩を落としながらリンクスは付け足した。
「そうなると、自警団は動かないって事?」
「いいや。今回の捜査はウチでやる。勿論、腕の立つ団員を送る予定だ。何せ、女子供でも容赦なく殺す奴だからな。犯人を特定した後は、こっちもギルドに回すさ」
「本当にギルド任せね」
「仕方ないさ」
呆れたレーラの物言いに苦笑を浮かべるリンクス。
「国立陸軍所属とはいえ、本当に腕の立つ奴は中央の軍に配備されているんだ。俺たち自警団は、いわばその絞り粕の寄せ集めのようなもんだ」
「ふーん、そんなもんなのね」
他言できないような裏話を暴露されても、これっぽっちもレーラにとっては関心はなかった。
「それよりも、リンクス。さっきのギルドに頼むって話だけど」
「どうかしたか?」
「それ、ウチが受けても大丈夫よね?」
「ん? 別に構わないが……」
いつもらしからぬ歯切れが悪くなった。
「何が言いたいのよ?」
「いや、依頼が2つで両立できるのかと思っただけだ」
その心配はもっともだ。
今まで一人で仕事をしていた頃は、依頼一つだけで手一杯になっていた事が多かった。そんな姿を見てきたリンクスからしてみたら言いたくもなる。
「大丈夫よ。今は、昔とは違うんだから。こっちには奏が居るし、護衛には打ってつけの存在だと思うわ。それに捜査が終われば交換して、私が代わりにマシューの警護が出来る。今のウチは、そういう運用が出来る」
自信満々にない胸を張るレーラに、
「そうか……」
思案するようにリンクスは顎に手を当てた。
――そして、
「そこまで言うなら、やってみろ。バックアップはしてやるが、あまり頼るんじゃないぞ?」
「何いってるのよ、リンクス。任せておきなさいって!」
「こういう時のリースキッドは、あまり期待しない方がいいんだがな」
「言ってなさい。今に目に物見せてあげるから!」
いつもなら声を張り上げるレーラだったが、不適な笑みを浮かべながら余裕そうだった。
本当に大丈夫なのか?
そんな事をリンクスが思っていたのは内緒の話だ。
―●―●―●―●―●―●―
どうしてこんな事になってしまったんだろう?
灯りが落とされカーテンの閉められた暗闇の中、敷かれた布団で丸くなるようにマシューは唇を噛み締める。
ここは『Better than none at all”ないよりまし”』事務所の寝室。
あの自警団から飛び出した後、あの自警団の団長が言っていた事を確かめるために教会へと急いだ。何人かにぶつかって怒鳴られた気もするが、それでも止まる事はなかった。どうして、早く向かいたかった。
――そして、到着した時。
教会の周囲を立入禁止とばかりに団員が囲み、その周りを野次馬の壁で遮られていた。
おぼつかない足取りで近づいたマシューは、小さな身体を隙間にねじ込むように人混みを進んでいった。揉みくちゃになりながら、先頭の自警団と野次馬の境界へと立つ。
顔を上げて視界に飛び込んできたのは、教会の入り口に立つ団員の姿だった。
シスター・セイラは? 教会の皆は?
首や瞳を懸命に動かしながら姿を探したが、どこにもなく不安ばかりが膨らんでいった。
そうしていると、何かあったのか団員たちの動きが変わった。壁になっていた団員が、一斉に野次馬を遠ざけようとしたのだ。
それに負けないように必死になって踏ん張っていると、視界の端に教会から二人一組で出てくる団員たちの姿が映った。それは一組だけではなく、二組。三組とゾクゾク数が増えていった。そして、団員たちが運んでいたのは、教会の住人だった修道女や孤児の遺体の収まった袋だった。
それを目の当たりにしたマシューは大きく目を見開いた。
信じられないと否定してきた最悪の出来事が、自分の中で現実へと塗りつぶされていく。そして、全ての色が変わった時。
「あ……あぁ……。いや……、イヤアアアアアア!?」
溢れ出すように叫び声を上げた。
それからどうなったのか微かな記憶しか残っていない。
異変に気がついた何人かの団員に声を掛けられた。だが、それで止まるわけもなく、どこかに連れて行かれそうになった時、
「すまぬ。拙者の連れだ」
始めから追いついてはいたのだろう宮下さんが現れた。
そのまま手を引かれて、あの場を立ち去った。その際、叫ぶ事を止めたマシューは、ただ泣く事しか出来なかった。そして、どこをどうやって歩いたのか分からないが、この場所へと戻ってこうしている。
本来なら、ここには宮下さんが寝ているのだが、
「拙者はソファーで十分だ。それに、ここに襲撃してくる可能性も否定できないからな」
と言って事務所側で眠っている。
そうして、どれくらいの時間が経ったのか?
「少しは落ち着いた、マシュー?」
ハッキリとした優しげな声が頭上から降り注いできた。
「………………」
「そう簡単に落ち着くわけないわよね。結局、アナタが感じている事はアナタにしか分からないんだから」
余計な事を聞いたわ。とリースキッドさんは付け足すと、寝返りを打ったのか布擦れの音が背後から聞こえた。
少しだけ間を置いて、布団からマシューは顔を出した。そして、振り返るとベッドの上へ視線を向ける。
「あの……、リースキッドさん」
「……何かしら?」
「どうして、ボクの護衛を引き受けてくれたんですか?」
なんとなくマシューは気になった。
さっきの言葉からも、どこか分かるような言い方をしていた。深くはない間柄だから聞けるとは思っていないが、どうしても知りたかった。
「そうね。……別に、アナタのために依頼を受けたワケじゃないわ。私だって商売でやっている事よ。人員が余っていたら、使わないには越した事はないでしょう?」
そんな合理的な答えが帰ってきた。
「それが……本音ですか?」
「いいえ。実際は違うわ」
そういうとレーラは向きを変えると、ベッドの上からマシューを見下ろした。
「何て言ったらいいのかしら? 全く境遇は違うんだけども、アナタを見ていたら昔の自分を思い出したのよ」
意外な言葉だった。そして、聞くよりも先に語り始める。
「今のアナタくらいだったかしら?
同じ歳くらいで私も一人になって、右も左も分からなかった。……でも、あの時の私は今の仕事をするキッカケになった師匠との出会いがあった。だから、こうして生きていける。
なら、目の前で一人になったマシューはどうなるのだろうか?
そう考えたら放って置けなくなったわ」
もしかしたら、ただの自己満足だったのかも知れないわ。と苦笑を浮かべる。
何があったのか想像するだけで、それ以上深くは聞けない。この話を聞いてマシューは思った。自分一人が辛いわけじゃないのだと、人それぞれ様々な辛い境遇があるんだと改めて考えさせられた。
「でも、これだけは忘れないで? アナタにとっての私が――あの頃に出会った師匠のような存在になりたいと思っているのは、曲げられない真実よ」
その言葉は嬉しかった。
今の自分が一人じゃないと思えたから、本当に救われた気がする。
「はい!」
だから、力強くマシューは返事をした。
その先程とは違う雰囲気を感じたのか、目を細めてレーラも静かに頷き返す。
「さ、もう寝ましょう」
「お休みなさい、リースキッドさん」
「おやすみ、マシュー」
そうして二人は静かな寝息を立て始めた。
隣の事務所でレーラ達の会話を聞いていた奏は、口元に笑みを浮かべて横になった。
―●―●―●―●―●―●―
「もーっ、こんなん分かるか!?」
そんな声を上げなら手元にあった書類をバラ撒くレーラ。
依頼を受けてから数日が過ぎようとしていた。
始めた当初は現場検証なり、聞き込みなんかをして回った。だが、どれも有益な情報はなかった。そして、今日も出てきたのだが無駄足に終わり帰ってきた。
さすがに、ここまで全く進展がないのは今まで経験がない。
「……一体、どうなっているのよ?」
両腕を組んで頬を乗せるように、書類の散ばるデスクに上半身を預けた。
全く見当違いな場所を捜査しているワケはない。書類に書いてあった場所を一通り見た後、調べていないニオイそうな場所も探した。
それでもやっぱりなかった。……いや、なかったというのとは少し違う。
手掛かり所か、何一つないのだ。それも不自然なまでに”キレイ”過ぎた。まるで、初めからなかったかのように手が加えられていた。しかし、それが分かっていても先には進めない。
調べようにも、ないモノは調べられない。
さすがに、こればかりはお手上げだ。
それでもここで引き下がるワケには行かないのだ。どうにかして、手を考えなくてはならない。
そうして頭を回転させていると、
「かなり参っているようだな、レーラ殿」
キッチンの方から声が聞こえた。
「ん?」
名前を呼ばれてそのままの姿勢で視線を上げると、心配そうな困った表情を奏は浮かべていた。
夕食の準備をしてはずなのだが、散らかす音に気付いて出てきたのだろう。
その証拠に、バラバラになった床から書類を集め始める。
「今日も駄目だったようだな」
「……ズバッと言ってくれるわね、奏」
「それはそうだ。折角、マシュー殿が掃除をしてくれたというのに、それを汚す輩にはお仕置きが必要だからな」
そう鼻で笑うと、集めた書類を整えてデスクの上に置いた。
「日中、マシューの雰囲気はどうなの?」
「大分よくはなってはいるみたいだな。何もせずにジッとしているよりは、何も考えずに体を動かしていた方が気は紛れるみたいだ」
「それなら……いいけど」
微笑む奏の報告を聞いたレーラは、安堵と共に目を逸らした。
最初の頃はどうなる事かと心配だったが、話を聞く限りでは大丈夫だと思う。
――何せ、あの夜の翌朝。
一緒に朝食でもと誘っては見たが、眠れなかったのか擦れた声で、いりません。と返すだけで布団から顔すら出さなかった。昨日の今日だから、一日くらいは静かにしておこうと寝室のドアを静かに閉めた。
いつも通り朝食を食べ終えたレーラは、奏たちを残して午前中から捜査へと事務所を後にした。
それから昼が過ぎて、中央時計塔の鐘が鳴り夕方。
外から帰ってきて事務所のドアを開けてビックリした。
「あっ。お帰りなさい、リースキッドさん」
「た……ただいま」
そこに居たのは、落ち込んでいたはずのマシューだったからだ。
「お仕事ご苦労様でした。夕飯の準備出来てますよ」
微笑みながらスッと横へ避けると、いつもと同じように料理がテーブルに並べられていた。おいしそうな匂いを漂わせるそれらを見ながら、何だか今日は少しだけ違うような気がする。
何が違うのか考えながらドアを閉めると、
「お帰り、レーラ殿」
タイミングよく奏が最後の皿を持って姿を現した。
「ただいま、奏」
「うむ。今日の夕食をどう思う、レーラ殿? 拙者とマシュー殿の合作だぞ。なぁ、マシュー殿?」
「はい!」
楽しそうに顔を綻ばせながら見合う奏とマシュー。
朝とは全く違う事務所内の空気に、どうしたらいいのか分からずレーラは呆気に取られた表情を浮かべていた。
何も言わずに今日まで見てきたが、始めは無理やり吹っ切ろうとしているような気がした。だが、実際は違っていた。
少しずつでも立ち直ろうという前向きな姿勢の表れだった。
自分の過去とを照らし合わせてみても、これほど早く何かを変えようと行動に移すとは思ってもみなかった。
レーラが考えている以上に心が強い証拠だ。
「マシューの為にも、こんな制限のついた生活から早く解放させてあげたいわね」
「そうだな。だが……その為にも、こっちの仕事をレーラ殿が早く片付けないといけないな。少し、気分転換でもしたらどうだ?」
「そうね。奏の言う通りね」
本当にその通りだ。
いい加減、同じ姿勢で居るのも疲れたレーラは、上体を起して勢いのまま立ち上がった。そして、そのままキッチンの方へと進んでいく。
「どうしたのだ、レーラ殿? まだ夕食の準備は出来ておらぬが」
「違うわよ。気分転換よ。気分転換! シャワーでも浴びてくるわ」
「そうか。……ん?」
消えていくレーラの背中を見送った奏だったが、フッと何かを忘れているような気がした。
数秒ほどじっくりと考えてから、
「――――――あ」
と思い出したが遅かった。
そこには誰の姿もない。慌てて止めに入ろうかとも思ったが、……まぁ、いいか。とゆっくりと後を追う。
その十数秒後。トンでもない事態がレーラとマシューの身に降り注ぐのだった。
動き回って掻いた汗を流して、こんがらがった頭をリセットしようと脱衣所のドアをレーラは開けた。
すると、ムワッとした湯気と共に先客が居た。
「えっ?」
開くと思っていたドアが開いた事に驚く先客――マシューは、濡れた髪をタオルで拭いたままの姿勢で凍りついていた。
それでも顔に掛かる湯気に眉を顰めながらレーラは室内へと入る。
「あら、マシューが使ってたんだ。ごめんね」
女の子同士なんだから別にいいわよね。と軽く思いながら、一糸纏わず生まれたままの
姿で立ち尽くすマシューの裸体を上から順に観察する。
負けるつもりはないが、普段は修道服で隠されている珠のような肌。
目の当たりにして、きっと年齢や血筋よね。と言い聞かせながら視線を胸元へと移動させていく。
一見、イイ勝負のような気もするが、ここは”時”を味方にしたレーラが制した。
私にだって、勝てる人間は居るのよ! などと心の中で喜ぶ反面。この歳でこれほど平坦な娘っていたかしら? と思い返してみる。
それどころか、何といったらいいのか……ガッチリとしている印象があった。
浮かび上げる疑問を頭の片隅に置いて品定めは続く。
鳩尾から流れるように、細くスッキリとしたクビレたウェスト。……そして、
「…………………え」
レーラは固まった。
あれは……一体、ナニ!? と腰の辺りを凝視した。
ナニとは言っていても、それが何なのかはレーラにだって知識としては知っている。本来、それは女性にはないモノであって、男性にあるモノだ。けれど、どうしてソレがマシューにあるのか理解できない。
取り外しが利くのか? などと見当違いな考えに結びつく。
――が、そんな便利なモノのはずはないと否定した。
後からというワケではないのなら、始めから? それなら……と、大きく迂回をしながら結論へと辿り着く。
まるで、徐々に時間を取り戻していくかのように、驚愕の表情へと顔を変化させながら、
「え……ええええええ!?」
叫び声とは少し違うがレーラは声を張り上げる。
男の子? 女の子じゃなくて、男の子!? 目の前の真実に対して、未だに頭が混乱していた。
再びフリーズする中、今度は今まで動く事のなかったマシューが、
「い、いやああああああ!!」
絹を裂くような上げると同時に、見られたら恥ずかしい腰や胸元を両手で隠す。
狭い脱衣所に響く悲鳴にハッとしてレーラは、この事実を知らせようと踵を翻してキッチンへと出た。
すると、そこには丁度良く奏が近づいてくるのが見えた。
「か、かかか、奏!! マママシューが! マシューが!?」
グルグルと渦が見える勢いでレーラは目を廻しながら、上手く言葉に出来ずにマシューが!? と連呼する。
それを奏は苦笑を浮かべながら制す。
「まぁまぁ。少しは落ち着いたらどうだ、レーラ殿?」
「だ、だだ、だって!?」
「大体、何を言いたいのかは分かったから落ち着こうな」
諭すように両手で軽く肩を叩いた。
まるで、それが呪文のようにレーラは我を取り戻した。
それを真正面から確認すると、もう一人……。
「マシュー殿も上がっているのなら、風邪を引かぬ前に着替えを済ませよ。お茶を淹れるが故に、じっくり話をしよう」
開け放たれた脱衣所をレーラの肩越しに見ると、目尻に涙を浮かべているマシューに呼びかけた。
――そして、数拍間を置いてから、
「は……はぃ」
「よし」
小さいながらも帰ってきた返事に、満足そうな表情で奏は頷いた。
―●―●―●―●―●―●―
場所を移動して事務所に置かれた応接セット。
脱衣所での出来事から5分と時間は経っていない。言わずもなが、何とも言いがたい嫌な雰囲気が漂っている。
そんな中、一人掛けソファーの上でマシューは正座していた。その格好は勿論。あのままでは風邪をひく可能性があったので、いつもの修道服に着替えている。だが、その頭の上にはベールではなくタオルを載せていた。
小さな身体を更に小さくして、顔を青白くさせながら俯いている。どの角度から見ても、絵に描いたような”怯える姿”だった。
何がそんなに恐怖させるのかと言えば、その原因は彼の正面に座っていた。眉尻を吊り上げ、完全に据わった目のレーラ。ここに移動してから、現在進行形で睨んでいる。それも2ブロック先まで届きそうなほどの殺気を漂わせていた。
放たれる重圧で思うように身動き一つ出来ず、目を合わせようにも射抜く視線に合わせられないといった感じだった。
こんな状態が、まだ続くのかと思われた時。動きがあった。
今まで横一文字に閉ざされていたレーラの唇が告げる。
「それじゃあ……話してもらおうかな、マシュー”くん”?」
「ヒッ!!」
恐怖のあまり思わず短い悲鳴が喉から漏れる。
マリア像のような慈悲深き微笑みで話しかけるレーラだったが、その目は全く笑っていないどころか鬼が見えた。
殺される! どんな理由を説明しても、確実に殺されるよっ!!
そうマシューが思った瞬間。
「まだ落ち着いてないのか、レーラ殿?」
一人マイペースにマイ・湯呑で紅茶を啜っていた奏が助け舟を出してくれた。
「そう簡単に落ち着けると思う!?」
「別にレーラ殿が見られた側ではなく、見た側なのだからいいではないか」
「そ、それはそうだけど……」
もっともな意見に、レーラはこれ以上言い返せずにいた。だが、どうしても納得がいかない事が一つだけある。
「ってか、さっきから気になってたんだけど、どうして奏は平気なわけ? 普通、もっと驚くところでしょう!? ここは!!」
両手で拳を作るとテーブルを叩く。
それを聞いたマシューも、確かにその通りだ。と思った。自分の中では完璧な女の子をしていたのに、こうして男だと分かったはずなのに動揺一つしなかった。どう考えても、この態度と対応は変である。
これに対して、どう奏が答えるのか?
2人が注目していると、
「それは、レーラ殿が知る以前から知っていたからな」
当たり前のようにサラリと告げられた。
あまりにもアッケラカンと答えるものだから、2人は最初どんな顔をしていいのか分からなかった。
「それは一体……」
「どういう事ですか、宮下さん」
それでも2人一緒に質問した。
「うむ。本当にお2人は覚えておらぬのか?」
不思議そうに首を傾げる奏に、うんうん。と2人は頷く。
すると、仕方ないな。と言いたげに話を続けた。
「拙者がマシュー殿の正体を知ったのは、襲われているマシュー殿を助けた日。何せ、ここまで抱えて運んできたのは拙者であるが故、身体を触る時間などいくらでもあったと言う訳だ」
『あ、成る程』
「抱えた瞬間。女子とは違う抱き心地に『ん?』と思った拙者は、ここに運んでから調べたら男子だという事を知ったという訳だ。最初は拙者も取り乱したが、何。こんな機会は滅多にないと、心置きなくじっくりと毛穴の数まで観察させてもらった」
そこで奏は話を区切ると、横目でマシューを見るなり眼を細めて笑っていた。
えっ? と聞き返そうとしたが、
「なかなか、どうして……良い”モノ”を持っておったな。これは将来が楽しみだな、レーラ殿?」
そう奏は笑いかけると、
「なっ! 何を言っているのよ、奏!?」
思い出したのか顔を真っ赤にしながらレーラは立ち上がった。
2人に見られた当の本人であるマシューも、耳の先まで紅く染めて湯でも沸きそうな勢いだった。
そうして、レーラとマシューの反応を一通り楽しんだ奏は、
「観察したという所は嘘だから安心してもよいぞ、マシュー殿? 何をそんなに顔を紅くする事もないのではないか、レーラ殿?」
拙者の冗談はどうだ? といった表情を浮かべる。
これを聞いたマシューは、どこか安堵したかのように一息吐いた。一方、レーラはというとどこか疲れた顔をしている。
ある程度、奏とは死線を潜り抜けて来た彼女だったが、言っている事が冗談なのか本気なのか分からない時が今でもあるのだった。
――話が大きく脱線してしまったが、
「改めて……話してくれるわよね、マシュー?」
「はい、リースキッドさん。それに、宮下さんにも」
2人も落ち着きマシューは語り始める。
「実はボク、孤児なんです。昔……赤ん坊の頃、あの教会の前に捨てられていたのを、シスター・セイラが見つけたそうです。それから今まで、実の子のように育てて貰いました」
「そう。それはいいんだけど、その女装と一体何が関係あるのよ?」
あまりよくはないのだが、全く見えてこない話にレーラは言葉を挟む。
それに対して、左右に首を振って告げる。
「いえ、これでも一応は関係あるんです。その時、一緒に手紙が同封されていました。その内容というのが、”鍵を肌身離さず、男の子と誰にも知られないように”。そう書かれていたと聞きました」
「変わった手紙ね」
「ボクも、そう思います」
理由を聞いたレーラは率直な感想を述べると、同意するようにマシューが頷いた。
「ですから、手紙の内容からボクは女の子として育てられました」
そこで言葉を区切ると、正面から真剣な眼差しでレーラを凝視した。
見られている当の本人は、頭に『?』を思い浮かべながら首を傾げて待つ。その瞬間、見つめ合う事になれていないからか、思わず頬を紅く染めた。
「リースキッドさんに、宮下さん。お2人を騙すつもりはなかったんです。本当に、ごめんなさい」
勢いよくマシューが頭を下げる。
いきなりの事に顔を見合わせた2人だったが、
「許すも何も拙者は、連れ帰った時から知っていたんだ。逆に、謝られたら困る」
そう先に告げる奏。
今の言葉にいち早く反応したのはレーラだった。
「ちょっと、奏! それじゃまるで、私一人が悪者みたいじゃない。アナタも悪になりなさいよ!!」
「そう言われてもな……拙者、これでも悪党を捕まえる側故に悪にはなれぬよ。そういうレーラ殿は?」
肩をすくめて淡々と答える奏。
「わ、私だってそうよ!」
考えてもいなかった事に、思わず慌てて言い返した。
しばらく見下ろしていると、覗うように横目で奏は見上げてくる。すると、なら、どうする? とばかりに、その目は語っていた。
最初、言葉を詰まらせていたレーラだったが、
「……全く、もういいわよ」
一息吐いてソファーに座り直して正面を見る。
許しを乞おうと頭を下げ続けているマシューの姿があった。奏は許すと言ったが、レーラに許して貰うまで頭を上げる気配はない。
それを感じ取ったのか苦笑交じりに、静かにゆっくりと口を開く。
「ねぇ、マシュー? もう気にしていないから、顔を上げなさい」
「リースキッドさん。宮下さん。お2人とも、ありがとうございます」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、もう一度だけ深く頭を下げた。
しかし、一人だけ浮かない顔をしている。それに気がついたレーラが質問した。
「どうしたの、奏?」
「他人行儀すぎると思っただけだ、レーラ殿」
「えっ……?」
思わぬ返答に、弾かれるようにマシューは顔を上げた。
「こうして拙者たちに秘密を話してくれたのだから、名前で呼んでくれて構わぬ。なぁ、そう思わないか?」
「そうね。確かに、奏の言う通りね」
キョトンとするマシューを差し置いて、顔を見合わせて2人は頷きあった。
同時にマシューの顔を見ると、代表してレーラ告げる。
「いい? 今度から名前で呼びなさいよ、マシュー?」
「はい、レーラさん。それに、奏さん。これから、よろしくお願いします」
その言葉に、今度こそ2人同時に笑みを浮かべた。
これでマシューも、この『Better than none at all”ないよりまし”』の日常になれた気がした。
「そういえば気になったのだが……もう一つの”鍵”というのは?」
「コレの事です」
そう言ってマシューは胸元の鍵を摘み上げた。
すると、身を乗り出して見ようとするレーラと奏に、よく見えるよう掌に載せながら言葉を続けた。
「この鍵は、ボクが捨てられていた時に身につけていたモノの一つです」
「特に変わったモノではなさそうだな」
「はい。ただの鍵だとボクも思います。ですが、これを持っていたら何か素敵な事が起こるとボクは信じてます」
「そうか。なら、拙者も信じよう」
微笑み合う奏のマシュー。
そんな2人の姿を見ながら、自分の周りに人が居る風景もいいモノだと思うレーラだった。