キカティア
漁火の見える露台に立ち、ルキアは海を見ていた。
白亜の石で作られた大きな屋敷の露台だ。
貴族の避冬地として作られた屋敷だった。
カルマティアにしては、繊細な装飾が多く、美しい屋敷だった。
そこに立つ、ルキアは青い長衣を纏っていた。細かな刺繍が施され、裾に行くに従って色が濃くなる、たっぷりと布を使った豪華な衣装は宰相としてカルマティアに君臨するルキアの愛用のものだった。
白い肌の少年にも少女にも見えるルキアに神秘的な印象を与える。
宰相というより、巫女のような。
国外の使者は、最初にその繊細な美しさに言葉を失い、次にルキアの毒舌に言葉を失うという。
長いまつげにけぶる紫色の瞳は軽く伏せられ、表情もなく、前を向いている姿は人形のようでもあった。
「宰相様」
やや高い女の声がはばかるように控えめに呼びかける。
クリーム色の長衣を着た、痩せた女だった。
衣装はルキアのものに劣らぬ装飾で豪華なものだが、肩に骨が入れられ、肩部分が大きく張るように作られているため、余計に痩せた顔が小さく見えた。
「……キカティア」
ルキアは振り返らずに女大臣の名を呼んだ。
彼女はカルマティアの筆頭大臣。
ルキアが宰相になったときに、同時に大抜擢された。表向きは。
それまで、カルマティアに女性の戦士や将軍は多くいたが、政治の席には女性の姿はなかった。
蒼白な顔はけして絶世の美女ではなかったが、貴族の父、母を持ち、留学も行い磨かれた英知は並ぶものない。
しかし、日ごろ涼やかな瞳が今は潤み、縋るようにルキアを見ている。
「どうして、近衛兵を動かした」
詰問というには優しい声だった。
普段、王、カルマティアの場合、今は女王だが、それを守る近衛兵が王を置いて王宮を離れることはない。
なのに、今、王宮にいることが当たり前のルキアも見知っている近衛兵が一団隊、この屋敷の庭に野営している。
庭のあちらこちら、屋敷を囲む塀の外まで、篝火がたかれ、警備の灯がちらちらと海の漁火と重なり、幻想的に輝いている。
「黒(間者:隠密)が報告を持ってきました」
「どんな?」
ルキアはキカティアを見ない。声は静か。
「……貴方を暗殺する計画があると」
震える声は怒りのためか恐怖のためか。
「……ふーん、そうか」
ルキアはあっさり頷いた。そんなことだろうと思っていた。
ただ、
「勝手に宰相につけといて、好きなようにやってくれと言っといて、女王の御守させて、いざ、俺が好き勝手やると、今度は殺そうってか?」
ふてくされる。
ルキアは元盗賊だ。
特に政治の勉強をしているわけじゃない。
ただ、自分がこうしたらいいんじゃないかと思うことを言って、それを実現する権力を持たされているだけだと、ルキアは思っていた。
治水だって、諸外国との貿易だって、軍の再編成だって、必要と思うからやるのだ。
戦を減らしたい、飢えを減らしたい、皆が楽に暮らせれば良い。夢みたいなことだが、ちょっとやれば、可能なんじゃないか?
そう思って、ここまで来た。
行き当たりばったりもあったが、多分、理想とする国の政治をルキアはここ数年で実現していた。
一介の盗賊には無理なことだった。一介の政治家にも無理だったろう。
カルマティアという、まだ、若い国で、政治が確立して間もなく、王の力が絶対だったからこそ出来たと言える。
押しつけられたとは言え、ルキアがこうしたいと言えば、皆がキカティアをはじめ、王宮につめるものがそれを実現するために一丸となって動く。
最初のうち、ルキアはそのことに快感も覚えたし、恐怖も覚えた。
しかし、「もったいない。こうすればもっと良くなるんじゃないか?」という思いつきはとどまることなくて、今日まで来てしまった。
「もう、やめようかな……」
ぽろりと、口から洩れたのは本音だった。
「宰相さま!」
キカティアが悲鳴のように呼ぶ。
縋るように、彼女がルキアに近づく。
それを振りかえることで、ルキアは制した。
「俺はこの国の人間じゃないよ」
「貴方がいなくては国が成り立ちません!」
蒼白なキカティアの全身がぶるぶると震えていた。
ルキアが宰相を降りるということがキカティアにとって何よりも恐ろしいことだった。
そして、それを阻止することが彼女に与えられた最大の使命だった。
キカティアが震える指で自分の上着の留め具を外す。
上着が飾りの重りで音を立てて、床に落ちた。
もとより下に何も身に纏っていなかった、キカティアの裸身が細い月明かりに浮かぶ。
白を通り越して、青白い三日月のような女体。
両手は祈るように胸の前で組み合わされ、あるいは殉教者のような。
痛々しい。
ルキアの紫の瞳が困ったように細められ、揺れた。
「服を着なよ」
「この国のものでないというなら、私と契って下さい!子を産みます!」
キカティアがいやいやと首を振る。
彼女が筆頭大臣に選ばれた理由。
それは彼女が女性であったから。
女性であることを生かし、ルキアの枷を作るため。
身を捧げよ。
骨抜きにせよ。
子を成して、情を繋げ。
他の大臣だけではなく、父にまで求められたのは、その英知ではなかった。
そのことが彼女を打ちのめし、だからこそ、ルキアの名実ともに片腕たろうと今日まできた。
今回の暗殺計画を知って、誰よりも恐怖したのはキカティアだった。
「御国のためなんて、馬鹿なことするなよ。」
だが、一度もキカティアがルキアを誘ったことはなかった。
今日この日まで。
ルキアの周りにはいつも手を出せとばかりに、女官が配されていた。
手を出すわけないだろう_____とルキアは思う。
据え膳うわぬは、男の恥だが、女性が本気かどうかぐらいわかる。
「私は、貴方をお慕いしております!」
キカティアが叫んだ。
ルキアはしっと人差し指を唇にあてる。
ルキアは困ったようにキカティアを見た。
「________知っていたよ。お前、いつも思いつめたような顔してたもんな。でも、俺妻子持ちだよ」
苦し紛れに言う。
「知っております。」
キカティアから力が抜けた。激情がさり、冷静にルキアを見つめる。
「アウツールに奥様とお嬢様がいますね。でも、知ってます。それも貴方が望まれたわけでなく、しかも結婚の誓いもしてらっしゃらない。養育も、扶養も、女性は断った」
その通りである。
妻子と言いながら、行きずりの、ルキアを匿うためにフリではなく、本当に体を繋いでしまった故、たった一回のことで生まれた子供。
「でも、俺は自分の子供だと思っている」
「相手は思ってないのに?」
意地悪にキカティアが言う。
震えはもうなかった。
挑むようにルキアを見ている。
「ひどいな、キカティアは」
必死な女性には弱いが、強い女は苦手だ。
ルキアが、この窮状を脱すべく、何か言おうとした時、それは来た。
大きな闇がルキアを後ろから包み込む。
「王太子様!」
青い瞳がキカティアを睥睨する。
ルキアは驚かない。
ただ、抱きしめられてうっとうしそうに身じろぎした。
そのまま、裸の女大臣の脇を王太子は宰相を抱き上げて、屋敷に戻って行った。
意外と好きなキャラが出てきました。