ハザンのこと
ハザンは、カルマティアでもずっと南西の小さな港町だった。
もともと軍馬と鉄の生産が主流で、後はイモ類や穀類、放牧が中心の国だから、海の近く以外は魚も食べず、需要が無いから供給源の漁港もなかなか栄えず、こじんまりとしている。住む人は僅かで、南の温暖な気候を求めて冬にやってくる貴人の別荘や休養にきた人に魚を売る程度で後は自分達が食べる程度の漁をするといったもので、生活の糧というより自給自足のための漁をしていた。
無論、生産性が低いから、税金も安く設定している。(ルキア談)
その町で近頃妙な噂が立っていた。
「人を生け贄とする、怪しげな儀式があっている」
「若い女や男が神隠しにあう」
「真っ赤な魔方陣が町の至る所に描かれている」
etc。
あげれば切りがないが、だいたいそんな噂だった。
噂がカルマティア中央に届くか届かないかの時点で、町を調べにきたアールは、それらの噂を確認してルキアに手紙を出し、この怪異をしらせた。
もともとルキアはアールのような男に国内外を問わず情報を集めさせ、必要な処置をする事でここ数年、行政ではなかなか手の届かない辺境まで治めてきた。
時には御自らお出ましになる事もある。
もっとも、この頃はルキアやソ-ナッシュが出かけることが増えてきていて大臣が頭が痛いところらしい。
「別にいいだろう。」
「何がです?」
宿の二階から下の通りを見下ろしながら、ルキアはグラスを傾けていた。
アールが給仕をしながら、ルキアの独り言を聞き返す。
ハザンに入ると一行はアールの案内で安宿に宿をとった。
どこにでもあるような簡素な造りでベッドが2つあるだけでテーブルもない。しかし、窓からは港とその向こうの広い海が見渡せて、ルキアは機嫌よく酒を飲みはじめた。夕焼けに間に合って、折しも陽が沈み、海はオレンジ色の光が乱反射し、キラキラと輝いていた。
「たまに王宮の外に出ても、って事さ」
「ははあ、ま、安宿に泊る宰相っていうのも似合うもんですね」
「こちとら元盗賊よ。いつもこんなところで寝起きしていたけどね。何の因果か。毎日毎日、牢屋のような王宮で執務室と部屋を行ったり来たり、大勢に見張られてて。知ってるか、アール。王宮の全ての窓には鉄格子があるんだぞ?」
「噂では聞いたことありますよ。ルキアが宰相になった年にカーテンが取っぱられて代わりに鉄格子がはまったって有名な話ですもんね」
「王宮という名のあれは牢獄だな。なんせ中にいるのは、みーんな犯罪者だし」
「へ?もしかして、そりゃ、人権侵害とか不法拘留罪とか」
「もしかしなくても、誘拐罪に軟禁、監禁罪、青少年育成妨害罪だろう。きっとまだまだあるな、、、。」
給仕をしながらアールも飲んでいるから会話はかなり砕けている。
アールは床に直に胡座をかき、ルキアは窓枠に膝を立て座っている。
相変わらず髪の毛はきっちりと白い布で覆っていた。
だが、女物の唐衣は脱いでいて黒いしなやかな布で出来た服を着ているだけだった。
その服がまた変わっていて、まず貴人だったら耐えれない位、手も足もむき出しだった。
肘から手首にかけては同じ布で覆っているが、二の腕は肩からむき出しで、足もふくらはぎと腰から腿の半ばまで黒い布があるだけであった。
アールは今では見なれたものだが、最初の内は目のやり場に大変困った物だった。
34歳とは言え、ルキアはそこいらにいる女達より色が白く、細い。
不埒者にかどわかされかけたことも数度となくあった。何せ顔が童顔。一向に年を取らず、少女のような色気がある。
「そういえばソ-ナの旦那は?」
「さあ、あいつは寝汚いからな。隣の部屋に追いやったから、寝てんじゃないかな?」
王太子を犬か猫かのようにいうもんだ。
だが、アールに反論はなかった。
初対面の頃、ソ-ナをみてなんて美しい生き物だろうか、生神にでもあった気がしたが、実際の王太子は外見を裏切り、まさしく「よくわからない」人だった。
大抵、ルキアと一緒に居て、アールにお呼びがかかった時、何処からともなく現れてくる。ルキアとの待ち合わせ場所はルキアと自分しか知らないはずなのだが。
アールは考えても詮無きこととあまり気にしないことにして、空になったルキアの杯に酒を継ぎ足す。
と、その時、部屋の扉が開いた。
見れば、ソ-ナッシュが立っていた。
扉が小さいのか少し屈んで音もなく部屋に入る。
その彼の青瞳がルキアをみた。目があった。途端、ルキアが窓枠からひらりと降りた。
「行くぞ」
どこに?とはアールは聞かない。ソ-ナッシュが先に立って歩き出し後に続くだけだ。
3人は宿を出た。
そのまま、薄暗くなった港町をゆっくりと歩く。
酒場か宿屋かの明かりが寂しく点り始めていた。
幾ばくか歩いた頃、すっかり陽も落ちて暗闇が辺りを包んだ頃、ルキアがつと立ち止まった。
「ここか?」
そこは未だ真新しい血痕があった。
「血の匂いがした」
ぼそりとソ-ナッシュがいった。
相変わらず表情がない。
暗闇の中でその美貌が薄ら寒く見えて、アールは大きな我が身を少し縮めた。
「さてさて、着いた日から件の儀式とやらを見れるのかな?相変わらず、ついてるよな、俺様って」
口笛を吹きながらルキアが笑う。
アールは何も云わず、肩を竦めた。きっと、1キロ先の血の匂いを嗅いで、場所を判断する人の方が恐かったに違いない。
「ソ-ナ、だいたいの方向の検討はつくか?」
ルキアの問いにソ-ナッシュは僅かに首を傾げ、一瞬後、ふるふると首を振った。
「ま、そうだろうな。お前の鼻がいくら犬並みと云っても、限界はあるか、、、。散って、探そう。きっと、この近くだろう。まだ、乾いてないし。」
生きていれば、助けたい、とルキアが云い、3人はそれぞれに散った。
ルキアは軽く走り出す。黒く身軽な装束と音のない動きは盗賊のそれだった。
もともとルキア・カルアと云えば、大陸中に名が知れた盗賊だった。
10年前、運と実力を持っていたが彼は未だ若く、盗賊の中でも熟練と呼ばれる部類ではなかったが、度胸とセンスで当時、不可能と云われた、アウツツールの首都グラン城の地下迷宮を攻略し、国宝を奪ってきた。
それが、ルキアの名を有名にした。
若き盗賊の活躍は闇に住む者や盗賊ギルドの注目の的だったが、それから少しして「カルマティアのお家騒動もとい王位継承問題」に巻き込まれたルキアは完全に表舞台の住人になってしまった。
当然、盗賊なんて廃業である。
不本意ながら、天職と思っていた「仕事」を追われて、現在就いている職業は政治家、宰相という役職名まである。
ルキアを元盗賊と知る人間は多い。何故なら、ルキアが宰相になって最初に書いた公布文は自分の経歴を国民はおろか、諸外国まで知らしめるものだった。
下手に隠すと利用されるが、公にしてしまえば対処は幾らでも出来るし、利用されたとしても威力は半減するというのが、ルキアの持論だった。
だが、現職を退いてもルキアは日頃から盗賊の腕を磨き続けた。城の住人の目を盗み、勘や体力が落ちないように。(実はいつか逃げ出すための準備ともいうが)
今もその身体は闇の中を危なげもなく疾走する。
目指しているのは、少し小高い丘だった。
カルマティアらしい痩せた土地の草しか生えていない丘を一気に駆け上がる。
ふと、頂上に明かりを見た気がして、ルキアは立ち止まった。
急に止まって胸があおいだが、息遣いが乱れる程はない。
「当たり、か?」
暗闇を見る目が白い巨石の群れを捕らえる。切り出された人工の石は、古い建造物の成れの果てのようだった。
形から古代の社と知れた。
カルマティアはあまり宗教を持たない、大陸の中でも異質な民族でルキアも無神論者だ。
カルマティアのたいていの人は戦好きだから、戦に行く前に戦神に祈りを捧げるが、それも馬上で名前を唱え勝利を願う程度のものだ。
だから、神を祀る建造物は僅かで、殆どが遥か昔のものを地域の者が継承して祀っている位だった。
ここも昔は小さな港町の社だったのだろうが、今は寂れて打ち捨てられたものらしかった。
ゆっくりとルキアは歩いた。
草が踏みしだかれた後を見つけた。
その先に白いものがあった。
「、、、、」
無言でそれを検証する。手だった。食い千切られたような人間の右手。まだ、若い女性のものらしい。指には指輪があった。
「むごいな。」
この分では生きてはいまいと、ルキアは嘆息する。
もう少し辺りを探ろうと振り向いた瞬間、ルキアの頭を後ろから掴む者があった。
「!!!」
間一髪で避けて後ろに飛び退る。
頭部を覆っていた白い布が外れて隠れていたルキアの髪が風に舞った。
自分の髪に前方を遮られて相手が見えず、ルキアは舌打ちしながら己の髪を掻きやろうとした。
だが、その手が目的を果たす前にルキアの長い髪は別の手によって優しく後ろに梳き流された。急に開けた視界にルキアの身体は動くのを忘れた。
「綺麗な金色。まるで、月光の様だ」
低い良い声がして、その声に相応しい姿がルキアの目前にあった。
カルマティアには珍しい白い肌、グリーンの瞳。整った男性的なそれでいて線の細い感じの男だった。
髪は長く、まっすぐに流れる様は銀の滝を思わせた。
男の方が月のようだとルキアは思った。
だが、その月は血で汚れていた。
纏っている長い裾の服にあちらこちら染みが散っている。白い肌や指先にも闇夜でも黒く見えるのは血の汚れ。
「お食事、、、中でした?邪魔したのかな。俺は?」
掠れずに声が出て、ルキアはほっとした。身体が金縛り状態で声も出ないかと危ぶんでいたのだ。
「いやいや、あんなもの不味くて、貴方は美味しそうだね?」
男は緑の双眸を面白げに輝かせて答える。その瞳には虹彩がなかった。
「俺は骨っぽいから食べるところないと思うけど」
「そう?綺麗な金髪の子供って美味しいって聞いてたのだけど」
また、男が手を延ばしてくるのにやはりルキアは動けず、顔に触れるのを感じた。
頬に血と泥の混じった付着を感じて、ルキアは眉間に皺を寄せた。
「ああ、汚しちゃったね」
男が笑い、さける間もなく男はルキアの頬をぺろりと嘗めた。
「ひっ!」
情けない悲鳴を挙げて、ルキアは尻餅をついた。
怖かった。変態にあった気がして。
変態の方が良かったかも知れない。男はもしかしたら、もしかするのだ。
「私は悪くないよ。」
ふいに男が云った。
首を傾げ、じっとルキアを見ている。
そして、そのままルキアに背を向け、去ってしまった。
「何だったんだ?」
ぺったりと座り込んだまま、ルキアは呟いた。
さてさて。なんか久しぶりで文章が変ですが。読みにくい所なんかは少しずつ直していきます。