始まり
盗賊と宰相と王太子、そしてカルマティア
この国の名はカルマティア。
火色の髪を持つ女王を抱き、黒の戦神に守られ、大陸の東にこの国はある。
戦好きの国民と冬は雪深く埋もれる大地、鉄と軍馬の一大産地で有名な大陸を二分する大国である。
少し変わっていると云えば、この国をおさめるのは王でも、その太子でも、大臣でも無かった。
元盗賊。
それは、それは、変わった宰相だった。
始まり
「宰相様、宰相様?」
朝、いつものごとく執務室に顔を出した大臣キカティアは呼べど返事の無い主人の姿を探して執務室をみまわした。一国の執務室とは思えない質素な部屋である。家具や調度品は一流品のものなのだが、数が少ない。それこそ椅子と机しか無い。不思議なことに窓にはカーテンがなく、変わりに鉄格子がはまっている。隠れるところなどどこにもない。
そして、一瞬後、綺麗なソプラノで有名なカルマティアの女大臣は、声も高らかに叫んだ。
「出会え!出会え!! また、宰相が逃げた!何としても捕らえるのじゃ!!逃がしてはならぬ!!」
それから急にカルマティアの王宮は喧噪に包まれた。
同じ頃。
広大な荒れ地を一頭の馬が駈けていた。赤い不毛の大地を更に踏み固める大きな蹄を持つ馬は、軍馬。その背には女が乗っていた。
否。女の衣装を着た少年が乗っていた。
裸同然の姿に東国らしき唐衣を羽織って帯で留めただけと云う、何ともいかがわしい身なりだった。
唐衣には、鳥と華が丁寧に手描きされていたが、擦り切れ色褪せている。
頭には白い布をきっちりと巻き、髪筋一つ見えない。
彫の優しい白い顔は少女のようで綺麗な唇が紅をひいたかのようにピンクいろだった。印象的なのはその目で、大きなアーモンド型の潤んだようにしっとりとした紫色だった。
ここが色町なら引く手数多の色子かもしれない。男であることを差し引いてもその可憐さは、おつりが来た。
少年はその細腕で難無く、軍馬を操り太陽の光が照り返す大地をまっしぐらに西に駈けた。
暫くすると大地に影を落とす大岩が見えた。
そこには先客がいて、少年は馬を駆け足程度に緩め、ついには大岩の影に入った。先客は男が二人だった。
一人は、がっしりとした体格に荒削りな風貌で、見た目でいくなら傭兵か、戦士崩れの用心棒だろうか。
また、一人はその主人に見えた。天下る黒髪に黒い肌。カルマティア特有の色彩に真っ青な瞳が異彩を放つ。特筆すべきはその容姿だった。
純粋な生き物に見えない、神にも魔にも人で無い者に見える美しさ。月の光に例えるか、闇の中の氷露に例えるか、一番近きは研ぎすまされた刃物の輝く様だろうか。表情の見えないことでさらに彼を人外の者に思わせた。
軍人らしい体格なのにきりきりと絞られた痩身で異常に背が高く見える。少年と並ぶと大人と子供の差があった。
だが、その容姿と裏腹に身に纏っている物は、墨色の粗末な狩着であった。
腰にはまたもやちぐはぐな大振りな剣。無骨な、斬るよりも薙ぐ方が適しているようだった。
「待たせたな」
云ったのは少年だった。馬を降りようともせず、上から横柄に云う。
「待ったのは待ちましたがね。あっしらも今ついたところですよ。」
大柄な男がのんびりとした口調で答えた。岩影と強い陽光のコントラストの中、鍛えられた男が腕を組んでいる。立ち姿は堂々としていて雇われものの卑屈さは微塵もかんじられない。
「わかってる。どうせ、ソ-ナッシュがだだこねたんだろう。俺が呼んだのはアール、お前だけのはずだ。」
それがなんでここにいるんだか、と少年は黒い青年を睨み付ける。
「まあまあ、ソ-ナの旦那がおいでになるのは今に始まった事じゃない。連れていっても罰はあたりませんよ。」
やんわりとアールと呼ばれた男が取りなすが、少年はふんと鼻をならすと青年をことさら無視して、アールに向き直る。
「遠いところを済まなかった。」
「いえいえ。宰相様のお呼びとなれば、いつでも参りますよ、あたしは」
男はさらりととんでもないことを云う。
「勘弁しろよ、アール。その名称を使われると虫酸が走る。ルキアと呼ばないとお前との付き合いはここまでだ」
「冗談ですよ。やれやれ、10年間も宰相の位にいるっていうのに、、、。」
「好きでいるわけじゃ無い。どこかのバカな女王とそこのド阿呆な王太子殿下が国一つ満足に治めれない性でな、俺は無理矢理閉じ込められてるんだ。そもそもカルマティアは俺の国じゃないんだ」
治める義理はないと、少年もといカルマティア宰相ルキアは云う。
ちなみに彼は少年の外見をしていたが、御年34歳。立派な中年だった。
「他所の国に子供だっているのに。カルマティアなんて野蛮な国捨てて、妻子のいるアウツツールへ行こうかなと常々思う」
「逃がさない」
漸くここまで一言も口をきかず黙っていた青年がぼそりと云った。
云ったが、その一言止まり。表情はぴくりともしていないし、目にも感情の色は無いが、口に出したことは必ず実行しそうな気配があった。
不言実行タイプ。
それを10年前から身をもって知っているルキアは、また、青年があまり口をきかないのは面倒だからだということを良く知っていた。
青年の名前はソ-ナッシュ。本来、ルキアが拝跪して礼を尽くすべき、カルマティアの王族だ。
もっとも、外見上は年上の、実は7も年下の王太子にルキアは頭を下げたこともなければ、敬語を使ったこともなかったが。
「逃がさない、ね。10年前と同じ科白ばッかいいやがって!何を血迷ったか、俺が居てやってンの !!感謝しろよ。俺が居なければ、カルマティアなんかアウツツールの属国だ。いや、吸収合併されて名前も存在しないぞ、きっと。」
「、、、、、」
肩を聳やかして云うルキアにソ-ナッシュはこっくりと頷いた。
「ま、分かれば宜しい。さて、そろそろ行くか。今頃、キカのやつが追って出してる頃だ。追い付かれる前に行く。で、今回はどこだ?」
「はいはい。目的地はハザン。海辺の町です。近頃、物騒な話がありまして。ルキアなら無視できないと思いますよ。」
「当然!俺の国で勝手な真似はさせん。」
云っていることがさっきと大分違うが、ルキアは大真面目に云った。手は握りこぶし。
「では、行きますか」
アールは云うと近くに放していた自分の馬を呼び寄せる。
ソ-ナッシュは、当然のようにルキアの後ろに飛び乗った。
ルキアも手綱をソ-ナッシュに渡す。
そして、2頭の馬は素晴らしい早さで荒野を走りはじめた。