幸せなうどん屋
「いらっしゃい…」
「ー金を出せ!!」
店内に入ってきた男がいきなり包丁を出した。身なりはぼろぼろで、血色も悪かった。冬なのに外套も着ておらず寒々しい雰囲気だった。店主は驚いたように目を瞬かせたが、ゆっくりと言う。
「まずは椅子に座ったらどうですか?」
「…は?」
呆気にとられたのは、男のほうだった。店主は尚も言う。
「暖まったほうがいいですよ。それに腹が減ると苛々しますから、今からうどんを作りますね」
「…ち、ちょっと待て!!」
止めに入ったのは、男のほうだった。食うも食わず、困って強盗に入ると決意したのだが、まさか反応が期待したものと違った。
「うちはうどん一筋なんですよ。それに1日1組なんです」
「うどん一筋…? しかも1日1組?」
「はい。袍を乾かしてお待ちください」
「…」
包丁は手放さなかったが、どうも店主が気になった。どうせ時間はいっぱいあると思い、椅子に座ることにした。しかし店主から目ははなさず、ずっと目で追う。
ーまだ20代くらいの若造か。
男は店主をそう分析した。男自身は40代で普通ならば、親子ほどの年齢だった。しかし生活は貧しく、もう死ぬか生きるかの状態だった。
ー俺なんか、どうでもいいんだ。心配してくれる人もいないし。
普段から人間と交流がなく、1人ぼっちだった。家族も男だけ置いて出ていってしまった。その時、男は悟ったのだった。
ー家族も俺を見放したか…。
大して悪いことなんかしていないのに、なぜかよそよそしかった。俺なんか生まれてこなければと思われているのではないかと疑問があった。
ー自分で死ねればいいんだけど…。
その勇気もなく、強盗を決意したのだが、なるべく人がいない店を選んだのだった。そもそも外は雨が降っており、自然の水浴びをしたようなものだった。
ーここにいれば、乾くかもしれないけれど…。
最後ぐらい人間に甘えてもいいかと、居座ることにした。店主は丼に麺を入れると、葱や油揚げをのせている。出汁のいい香りが店内に広がっていた。
「ーお待ちどう様」
目の前の卓にうどんを置かれ、男は黙って受け取る。一口、試しに食べてみると、その甘みや柔らかさに感動を覚える。
ー簡単な作りだけれど、美味しい。
何故か涙が溢れた。そんな男に対し、店主が言う。
「徳を積んだほうがいいですよ。まだ間に合います」
「…徳? 何だ、それ」
「人に対しても、自分に対しても良いことをすることです。死んだ後、天国に行けるようにと」
「天国…」
男は箸を止め、店主に向き合う。
「お前に俺の何が分かるんだ?」
「分かりません。同じ人間ではないので」
「それはそうだ。幸せそうで腹が立つ」
「そうですか? これでも私も苦労しているんですが」
言い返され、男は黙った。見た目は優男だが、この店を作るまで大変だったのかと考えてみる。
ーいや、今はこいつより自分のことだ。
そう思いながらも、うどんをすすっていく。人間、腹が減ると考えが狭くなるものだと実感する。2、3日食べていなかった。無言でうどんをすすり、汁まで飲み込む。
「ーふう」
男は空になった丼を置き、息を大きく吐いた。腹が膨れたせいか、穏やかな気持ちになっていた。
「いかがでしたか?」
「…。お前、俺が何しに来たか分かっているのか?」
馬鹿なのかと疑ったが、そうでもないらしい。包丁を手に持つと、店主に差し出す。
「早く金を出せ。急いでいるんだ」
「…。駄目ですよ。食べたばかりで動くと気持ちが悪くなりますから」
「…心配するのか? 強盗の俺を?」
「いけませんか? 理由があってのことでしょう?」
「…馬鹿馬鹿しい」
卓を強く叩くと、店主の首に包丁を当てる。店主はそれでも落ち着いていた。
「俺をなめているのか?」
「なめてなんかいません。ただ…最初から強盗になりたい人なんかぃせんよ。追い込まれてのことじゃないんですか?」
「…。何が分かるんだ、俺のことなんか…」
「だから分かりませんって言ったでしょう? ただ心が悲鳴を上げているのは分かります」
「心が悲鳴…? 何だ、それ」
ははっと笑ったが、乾いたものになった。店主は包丁を突きつけられているにもかかわらず、言う。
「お腹いっぱいにすることです。食べることだけは人間、どうしても必要ですから。我慢するといいことがありませんよ。私を殺してもいいのですが、その後、あなたはどうするんですか?」
「それは…。お前には関係ない」
外の雨の音が大きくなり、男の声も凄みを増したのだが、店主だけは穏やかさを捨てない。
「どうしてだ? 何でそんな余裕ー」
「余裕なんかありません。どきどきしています。でも攻撃的なことに対し、同じく攻撃的な態度を取ると、悲惨な結果になりますから。どちらかが落ち着いていないと」
「…」
男は何だが負けたような気になった。丼を見つめ、
「…もう一杯、もらえるか?」
包丁をおろし、店主に聞いてみた。店主はにこやかになり、
「はい、ただいま」
と答えてくれた。優しさを受け取ってもいいのだと思い、男は体から力を抜く。
「俺の話を聞くか?」
「やめておきます。今はうどんを食べて元気になりましょう」
「そうだな」
やっと男が警戒心をとくと、伸びをする。
ー徳を積めか。…ということは、俺は今、良いことをしたということか。
そう取ることにし、店主を目で追う。彼はどんな人生を歩いてきたのか気になったが、黙っておくことにした。暖かい店内に、男は息を吐き出す。
ー黙っているのも、悪くない。
心地のよい雰囲気に、眠くなってきた。何だか、強盗するのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「あー!!」
意味不明に声を出し、卓に体を伏せる。今はうどんだけを楽しみにしていた。
「ーはい。お待ちどう様です」
「ああ」
男はずるずると食べ始める。もう安心しながら、腹を満たしていく。店主も何も言わず、側から離れる。
ーもう少し生きてみてもいいかもしれない。
人間の優しさに、泣きそうになった。慌てて俯いたが、うどんの中に一粒だけ入ってしまった。しかし店主は気づかないふりをし、食器などを拭いている。
「ごちそう様」
一言かけると、店主が微笑む。
「はい、どういたしまして」
「…あの、お金は…?」
「いりません。それよりも私もあなたにも、徳を積んだことになりましたから」
「俺も…? …そうか。それでいいのか」
あはは、と笑い、立ち上がる。
「また来てもいいか?」
「申し訳ありませんが、先ほども言った通り、うちは1日1人なので」
「そうか。残念だ」
「また会えるといいですね」
期待するように言われ、男は表情を崩す。
「ああ、じゃあな」
手をあげると、店主が同じく返してくれた。
ー俺も徳を積んだのか。悪くない。
そう思い、店を後にしたのだった。




