第五話
「それでさ〜……いずる聞いてる?」
朱音の声で現実に引き戻される。
えっとなんだけって、曖昧な笑顔を向けて小首を傾げた。
学校も半ばになり昼休憩時間。朱音が話に来たのだが、彼女の言葉の半分も頭に入ってこない。
理由は鼓胡乃が衣弦の尻尾を櫛で整えているからである。
彼女が勝手に近寄ってきて、勝手にやり始めた。
最初は尻尾を揺らすなどして抵抗していたが、段々と気持ちよさに流されて身を任せるままになる。
鼓胡乃は衣弦の気持ちを知ってか知らないでか、鼻歌混じりに楽しそうに尻尾の毛に櫛を通していた。
「私が尻尾を触るのはあんなに怒るくせにふこーへーだと思うんですけど」
目の前の朱音が頬杖をつきながら睨んでくる。いや、正しく言えば、鼓胡乃を睨んでいた。
「尻尾の扱い方も分からない人が触ったら怒られるのは当然ですの」
一方の鼓胡乃は挑発的に言いながら、さらに丁寧に尻尾をといている。
衣弦のすぐ近くで火花が飛び散っているのだが、そんなことを気にしている余裕はない。
尻尾の毛に櫛が通るたびに脳を刺激するような気持ちよさに襲われ、値落ちしそうになる。
頭を振って、なんとか冷静さを保った。
「それで、何の話だっけ?」
尋ねた衣弦に朱音は向き直る。
「だからさ、今日のお祭り一緒に回ろう?」
「んーあぁ、良いけど朱音って家の仕来りとかで忙しくなかった?」
「一時間くらいなら時間作れるからさ」
夜髄はこの町の地主家系だ。朱音の方は分家なのだが、彼女は巫女服を着て祭りの祈祷をいつもやっている。
大狐──あの九尾への感謝の気持ちを伝えるのは、地主の娘たちの役目だ。
「それにさ、衣弦の浴衣姿みたいじゃん?」
「はぁ!?」
思わぬ要求に、大きな声を出した。
「着るわけねぇし!」
「狐娘なのに着ないわけにはいかないでしょ〜?」
「狐娘関係ないだろ!」
「ほら、大狐様に感謝の気持〜ってやつ?」
そもそもこちらは、ただでさえ男としての尊厳をすべてあの九尾に取られているのだ。
これ以上、衣弦のアイデンティティを削るのはやめてもらいたい。
尻尾と耳を逆立てていると、鼓胡乃手が止まっていることに気づく。
振り返ると彼女が考えるように顎に手を置いていた。尻尾の揺れ具合から見て、ろくなことを考えていないのはわかる。
「衣弦さんの浴衣姿……。仲間として見たいですの……」
その呟きに、衣弦は頭を抱えた。
「はぁ!? あんたも来るわけ!?」
大声で反応したのは、朱音だ。
彼女の顔は怒っていた。青筋を立てて、今にも噛みつかんとする印象だ。
「当たり前ですの。衣弦さんはもうこの町の狐娘の一員ですの」
「いやいやいや、そうだとしてもあんたには関係ないでしょ!?」
「私もこの町の狐娘だから関係ないありますの」
衣弦の意思を無視して、話はドンドンと進んでいく。
なぜか激化する対立に、教室中の視線が集まってくる。
居心地が悪くなり、二人の口論を止めようと顔を上げた。しかし、鼓胡乃が尻尾にクシを通したことで、変な声を漏らした机に突っ伏す。
耳が降参とでも言うように、垂れてしまっていた。
「いずるも変な声出してないで、何とか言ってよ!」
朱音が肩を揺らすが、何とか顔を上げることだけはできた。
「朱音も尻尾を持てば分かる……これ……無理……」
「何よそれ〜!?」
「尻尾は繊細だから、丁寧に扱ったら心がほぐれるんですの」
なんか、完全に自分が堕とされている気がする。しかし、悔しいことに何も言い返すことはできない。
尻尾から伝わってくる快楽の波を我慢しながら、顔だけ上げた。
「……とにかく、一緒に祭り行くから」
その言葉に、しかし朱音は頬をむくれさせている。
「……浴衣、着付けさせてくれないと嫌」
そのポツリと言った朱音の言葉に、思わず喉の奥から「うぇ!?」という変な声を漏らした。
「いや、だから俺は浴衣を着ないって」
「……やだ」
朱音がじーっとこちらを見つめている。その視線に負けるように、目をそらした。
こんなときに限って、鼓胡乃も黙っている。尻尾に入っていた櫛の動きも止まっていた。
そう言えば、彼女も浴衣をみたいって言ってたっけ。
逃げれなくなり、頬を真っ赤にしながら耳先を垂らした。
「……分かった、着る」
もう、自分には拒否権はないのかと泣きたくなってくる。
衣弦の返事を聞いた朱音のテンションはもとに戻った。どころか、最初のころよりも上がっている気がする。
笑顔で「何を着せようかな〜」って考えている朱音の声に、思わず肩を跳ね上がらせた。
「安心してね。うちにいっぱい浴衣あるから。サイズも色々取り揃えてるし」
「……いや、そんな心配はしてない」
「どれがいいかなぁ? 青色とか似合うんじゃないかな?」
衣弦の言葉は完全に耳に入っていないようだ。
ため息を吐いていると、珍しく鼓胡乃が朱音の横に近寄っていた。
「あの、私もお邪魔して良いですの?」
「ダメ〜」
即答されて、鼓胡乃は耳と尻尾を立てる。
「ケチンボですの!」
大きな声を出して、泣き出しそうになっていた。




