第四話
「そろそろ自覚したじゃろ?」
体育の授業が終わり、体操服を脱いでいるとまた九尾の声が聞こえてきた。
耳をピクリと動かし、嫌そうに顔をしかめる。
「なんじゃその顔は? わらわが見に来てやったのに」
「人が悩んでるところに来るのは、悪趣味極まりないと思う」
ため息混じりに言うと、彼女は愉快そうに耳を動かして嗤う。
「悩んでおったのか……。ほう、胸の大きさが気に入らんかったか? これでも大きい方だと思うがの?」
「違う!」
大きく怒鳴りながら、脱いだ上着を九尾に叩きつけた。しかし、彼女はすでにそこにはおらず、上着は虚しく壁にぶつかるだけだ。
「乱暴じゃの。反抗期かや?」
閉じた扇子の端を口元に当てながら、彼女は宙に浮く。こちらを見つめる瞳は、どこか観察しているようだった。
「母親面すんな!」
「母親じゃ」
衣弦の耳と尻尾が逆立つ。怒り、呼吸が荒くなる。
早くなった心臓の音を自覚すると、長いため息をついて落ち着かせた。自身の柔らかい胸に手を当てて、大丈夫と言い聞かせる。
相手をするだけ無駄だ。そう結論つけて、着替えを続行する。
そんなとき、控えめにノックが鳴った。それを合図に、九尾は宙へ溶けるように姿を消す。
衣弦が返事をする前に、ドアが開け放たれた。
立っていたのは、数人の見知った狐娘を連れた鼓胡乃だった。彼女たちはまだ体操服の姿だ。
よく見ると、手には制服の着替えを持っている。
「え、なに!?」
思わぬことで、またもや尻尾で自分の体を隠す。耳も警戒するようにピンと立った。
「皆さんと相談して、これからは一緒にここで着替えることにしたんですの」
そう言って鼓胡乃を含めた狐娘たちは、入ってくる。白色、赤茶色、灰色、黒色という色とりどりの尻尾たちに囲まれる事態となった。
多分人間にとってはモフモフ天国みたいな構図になっているだろう。
「いや、なんで!?」
しかし、今の衣弦にとっては困惑が勝つ。
「ほら、着替えてるときに夜髄さんたちが入ってきたですの。またそうなったときに守れるようにって」
「いや、別にオレは……」
「ダメですの! 人間は気を許すとすぐに尻尾をめちゃくちゃにしますの」
そんなことはない……はず。自信はないけど。
いや、それよりも狐娘たちの行動のほうがよっぽどヤバいことに気がついていないのだろうか。
着替えを見られるのと着替えを一緒にするのでは大きな差がある。
少なくとも、衣弦は元男だ。普通の女子なら抵抗感があるところである。だから、先天性と後天性の狐娘も着替え場所が別々になっているのに。
しかし、彼女たちは気にすることなく着替え始めた。目が合うと、尻尾を揺らしてこちらに笑顔を向ける始末である。
「えっと、恥ずかしくないのか?」
耐えられなくなって、衣弦はつい尋ねてしまった。
「何がですの?」
ちょうど上を脱ぎ始めた鼓胡乃が小首を傾げる。
「ほら、俺って元男だし……」
その言葉に狐娘たちはお互い顔を見合わせた。しかし、何を言ってるのか分からないとでもいうように、笑顔を見せる。
「私たちは同族なら平気ですの。下着姿どころか裸を見られてもなんとも思わないですの」
鼓胡乃の言葉に合わせて、狐娘たちはみんな頷いていた。彼女たちの動きに合わせて、尻尾も縦に揺れている。
正直、その価値観に衣弦はついていけない。やはり、人間と狐娘たちの文化の認識には齟齬があるようだった。
楽しそうに話しながら、恥ずかしがることもなく服を着替えていく彼女たち。どこか漂って来る安心するような甘い匂いに心臓が跳ねてしまう。
いたたまれない気持ちになりながら、衣弦はゆっくりと着替え終わった。
「いずる! 着替えた〜?」
そんなとき、朱音がノックもしないで入ってきた。
突然のことに鼓胡乃を含めた狐娘たちの動きが一斉に止まる。朱音に顔を向けて、耳をピンと立たせた。
「え、何このモフモフ空間。何でこんなことになってるの?」
状況が理解できない朱音。対して狐娘たちの尻尾が一斉に大きく膨れ上がった。犬歯をむき出しにするように、威嚇顔を作る。
「出てってくださいですの!」
鼓胡乃が朱音の体を押す。
「うぇぇ〜なになに!? いずる、どうなってるの!?」
「オレもよくわからん……」
追い出される彼女を見ながら、小さくため息を吐いた。
衣弦の耳と尻尾は、諦めたかのように垂れ下がっている。
戻ってきた鼓胡乃が手を払いながら、ふんすと鼻息を大きく漏らした。
「まったく、夜髄家は油断も隙もないですの」
彼女の言葉に「そうだそうだ」と、狐娘たちが同意する。
そんな姿を見て、テレビでやってた小動物たちの群れの特集を衣弦は思い出した。
あぁ、これ完全に群れ意識の奴だ。と心の中で納得する。
人間にも多少なりとも社会構造として群れ意識は存在する。しかし、どうやら狐娘たちはその構造がかなり強めに出ているようだ。そして今、衣弦はその群れに組み込まれたようだ。
何でと尋ねるまでもない。衣弦は完全に狐娘として認識されてしまったからだ。
どこからともなく、九尾の笑い声が聞こえた気がした。




