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第三話

 狐娘は身体能力は人間の男性と比べてもずば抜けて高い。例えば百メートルは十秒切るのなんて当たり前だ。速い人は六秒をきる。

 跳躍力もまた高く、走り高跳びで三メートルを優に超えたりもする。


 飛び抜けた身体能力を当然のように扱いこなす彼女たちを眺めていると、自分だけ置いていかれたような孤独が胸を刺す。


 狐娘用の尻尾穴が空いた体操着に着替え、衣弦はグラウドで三角座りをしている。

 隣のクラスとの合同体育は、男子、女子、狐娘の三つのグループで行われた。


 他の狐娘の身体能力を見ながら、これは日常じゃないなぁと頭の奥底でぼんやりと否定する。


「ねぇねぇ、大丈夫ですの?」


 そんなとき、隣に座っていた黒髪の狐娘が声をかけてきた。地面につく黒い尻尾は、衣弦に寄り添うように触れてくる。

 特徴的な赤い瞳はこちらのことを不思議そうに見つめていた。黒い狐耳は彼女の呼吸に合わせて動く。


 彼女は黒井くろい鼓胡乃こごの。クラスメイトの狐娘だ。

 可愛いが揃っている狐娘の中でも特に顔が整っていた。男子生徒たちは話しかけられないことに悔しがっていたのを覚えている。


 狐娘は人間への警戒心は一定である。尻尾や耳などのデリケートな部分が多いため、そう言う習性になってしまっていた。

 それはそうだろう。警戒心を解いた瞬間に待っているのは、無遠慮に撫でまわされる未来だ。

 その気持ち、今の衣弦には痛いほどよくわかる。……決して分かりたくなかった部分ではあるが。


 鼓胡乃はその中でも特に警戒心が強い。目が合っただけで逃げられるなんて日常茶飯事だ。

 しかし、そんな彼女が話しかけてきた。その理由はおそらく、自分が仲間入りしたからだろう。

 そんな事実に、衣弦の胸はざわめく。


「大丈夫って言ったら嘘になるかな?」


 曖昧な笑顔を見せつつ、話しかけてきた彼女の機嫌を損ねないようにする。

 寄せてきた尻尾から離れるように、衣弦は自身の尻尾を恥ずかしくなってそっと遠ざけた。


 しかし、鼓胡乃はさらに肩を寄せてくる。


 近いことに何か嫌な予感を感じて、衣弦の耳が警戒するように動いた。


「何かあったら言ってくださいですの」


 その瞳は本当に心配しているような光を宿っている。距離は体温が感じられるほど近い。なぜかいい匂いまでしてくる。どこか安心感を覚える匂いだ。


「特に、夜髄さん周りで困ったことがあれば相談に乗りますので」

「朱音が……なんで?」


 困った顔をしながら首を傾げる。すると、意外そうに彼女は目を見開いた。


「ほら、無遠慮に尻尾を触られていますの……。私たちの尻尾は、デリケートですの」

「まぁ、いきなり抱きつかれたりするときはびっくりするけど」

「抱きつか……っ! だ、だだだいじょうぶですの!?」


 鼓胡乃が真っ赤になりながら、忙しなく耳を動かしている。耳が立ち、そのままへたりと寝る。

 その様子に少し可愛いと思ってしまう。

 耳のデリケートさをわかっている衣弦でさえ、触りたくなってくる。普通の人間からしたら、その欲求は抑えるのがなかなか難しいものだろう。

 中には枕に顔を埋めて大きな声で悶えている人間もいるとかいないとか。


「いやまぁ、朱音だしそこまで警戒することはないかな。元々、暴走すると手がつけられなかったしさ」

「それでも……っ! いえ、何でもないですの」


 彼女は膝の間に顔を埋めていた。どこか考えるように唇を尖らせている。尻尾はグラウンドの土を払ってしまうほど、左右に揺れていた。


 教師に順番を呼ばれて立ち上がる。お尻についた土を払った。


「衣弦さん、頑張ってくださいですの」


 鼓胡乃は拳を作り、上目遣いで応援してくれる。耳が揺れるように動いていて、とても愛らしい。


──鼓胡乃、こんなに可愛い声で応援するタイプだったっけ?


「うん、ありがとう」


 軽くお礼を言ってから、衣弦は位置についた。


 狐娘になってから初めての百メートル走だ。男のときは、結構足の速さに自信はあった。

 しかしそれは、“人間の中の枠組み”での話だ。そのときは大体十二秒後半だった記憶がある。


 緊張で少し尻尾の毛が膨らむ。心臓の音がまるで別の世界に足を踏み入れたかのようにうるさい。


「いずる頑張れ〜!」


 人間女子の組から大きな朱音の声が聞こえてきた。ちらりと見ると彼女はこちらに向けて手を振っている。しかし、その後に教師に怒られて、彼女は肩を落としていた。


 相変わらずだなと、心の中で苦笑する。するとどうだろうか、先ほどまでの緊張は消えていた。


 教師の合図とともに地を蹴った。いつもの調子で踏み出したら、思わぬ速さにつんのめる。

 転けそうになった体勢を立て直して、ゴールまで走り抜けた。


 記録は六秒強。


 自分の身体能力の高さに、あぁもう戻れないんだと心の中でため息をつく。

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