第二話
『先天性狐娘専用』と書かれた看板がドアにかけられている。その文字を見るとなんだか心内がもやもやする。その気持ちを見透かすように、尻尾が元気なく垂れ下がっていた。
着替え袋を片手に、ドアの中に入る。誰もいないのに失礼しますと口に出してしまう。
衣弦が着替え場として割り当てられたのは、小さな個室。前面の窓は親切なことにカーテンが閉められている。
床は畳張り。上履きを脱いで、衣弦は部屋に上がる。
学校の職員曰く、ここは狐娘になった男子生徒が使う場所らしい。綺麗にしてあるのは、定期的にこの高校にも先天性の狐娘が在籍していた証だ。今は学年全体で衣弦だけらしいが。
ブラウスのボタンを外して脱ぐ。見慣れない自分の胸の谷間に、少し顔を赤くしてしまう。耳は衣弦の気持ちとは裏腹に、ぺたんと寝てしまう。
お腹の曲線などの体のラインは、完全に女の子のそれだった。そういえば女子のおヘソは腰のくびれより下だという話を聞いて、少し確かめてみる。
その話は事実だったと同時に、上半身ブラジャーの姿で何してるんだろうとため息をついた。
学制のスカートのチャックを下ろしながら、尻尾に引っかからないように気をつけて脱ぐ。
「ふむ、中々にわらわ好みになっておるの」
そんな声が聞こえて、衣弦の右耳がピクリと動く。声のした方を見ると、赤い着物に身を包んだ女性が立っていた。
大きな狐耳に長い白い髪。胸が大きく張り出し、締まるところは締まっている。背丈は衣弦よりも頭三個分大きい。彼女の背後に揺れるのは、大きな九本の白い尻尾。
青い強気な瞳は、こちらを挑発するように見つめている。艶のあるピンク色の唇から、チロリと舌を少し出した。
「う、うわあああああ!?」
唐突のことに大声を出す。腰を抜かして、尻もちをついてしまった。衣弦の尻尾と耳は逆立ち、完全に警戒モードだ。とくに尻尾はぶわっと大きく膨らんだ。
「情けない声を出すでない。わらわの娘がそんなんでどうする?」
「む、娘!? ……え、オレ!?」
テンパったせいでただでさえ慣れない高い声がさらに裏返る。視線を彷徨わせる衣弦に息がかかるほどの距離へ顔を近づけた。
心臓の音が高くなる。周囲の空気が張り詰めたように静かになった。まるで、この空間に許されるのは衣弦と自分だけ──そう告げるかのように。
衣弦の喉が鳴る。声を出せないまま固まる。
「く……くははは! そんなに緊張せんでも良い!」
耐えきれずに彼女は顔を離しながら笑った。空気の波が、戻る。
少しして、自分が呼吸を止めていたことを知って、大きく肩で息を吐く。
九尾は扇子を取り出すと広げる。置いてある化粧台に腰掛けると、優雅に自分自身を仰ぎ始めた。九本の尻尾は、こちらを徴発するように揺れる。
やっと立ち上がることができた衣弦は、小さく息を整える。怯えぺたりと寝る自分の耳を誤魔化すように、手で隠す。
「な、なんでオレ何だ?」
自分自身の置かれた境遇を、この一週間恨んできた。その気持ちを吐露するように、静かにつぶやく。
「なんでオレを選んだんだ?」
「気まぐれじゃ」
一方、九尾はあっけらかんとしながら答える。彼女の仰ぐ扇子に合わせて、白色の髪が揺れている。
「神に理由を求めるでない。わらわが気に入った。わらわがおのこをおなごにして楽しむ。それ以外に意味があるか?」
「理不尽だ!」
彼女の言葉を半ば遮るように、大きな声を出した。しかし、別段と驚いた様子は見せない。
衣弦の怒りに合わせて膨れ上がった尻尾は、時間とともに元に戻っていく。深い息をついて頭を抱えた。
自分の体が柔らかい。体温が違う。そのすべてが、男だったころの衣弦を否定しているかのようだ。
「あえて言うなら男の力を糧とし、この地を潤しておる。おぬしの変化はただの副作用よ」
逃げても無駄なことを悟り、息を飲む。震える体にムチを打って、言葉を紡いだ。
「……それで、わざわざ目の前に現れた理由は?」
膝を抱えて蹲ったまま、膨れっ面を作って睨む。しかし、九尾は楽しそうにクツクツと嗤うだけであった。
「完全に戯れじゃ。娘を可愛がるのは親の楽しみじゃ」
完全におちょくられている。きっと元に戻してといったところで、戻してくれないだろう。
二人の空気を途端に遮ったのは、大きなノックだった。急なことで肩が跳ね上がる。尻尾と耳は警戒して立ち上がった。
「いずる!? 悲鳴が聞こえたけど大丈夫!?」
ドアの先から聞こえてきたのは朱音の声だった。
女子更衣室から少し離れた場所にあるのに、いの一番に駆けつけるとはどういうことかと頭が混乱する。
「ち、邪魔な小娘じゃのう」
九尾は扇子を閉じてからため息を吐いた。
「それじゃあまた、娘の勇姿を見に来るからの」
くるりと空中で前転すると、彼女の姿はほどけるように空間の中へ消えていく。
どういう原理かは、見ていた衣弦にすら説明できない。本当に消えたとしか言いようがなかった。
圧迫感が消えて、呼吸の乱れが戻ってくる。大きく安堵のため息をついた時だった。
「いずるいる!?」
朱音がドアを開ける。彼女の後ろには、体操服姿の女子生徒が何人か心配そうにしていた。
下着のまま蹲り丸まった衣弦と朱音の視線がぶつかる。
「可愛さ供給をありがとうございます」
先に沈黙を破ったのは、やけによそよそしくも嬉しそうに頭を下げる朱音だった。
胸に手を当てて、口元はニヤけていた。
続けて周りの女子生徒たちからも、「可愛い」「抱きしめたい」「お人形さんみたい」と次々に声を上げる。
「きゃあああああああああ!?」
状況の整理が追いつかず、目を回した衣弦は女の子みたいな悲鳴を上げた。大きな尻尾が下着姿を隠すように、くるりと自分自身を包み込む。




