Whisper
「『ハズだったのに─』……おや」
薄暗い中庭。校舎には人影がなく、ジトリと湿った空気が漂っている。気味が悪い。心做しか、近くの木々が呻いているかのように聞こえた。
ふと中庭に気配を感じる。青年は歌うのを止め、気配の主へ振り向いた。
「あなた、いつもその歌を歌っているわね。飽きないの?」
見たところ中高生あたりか。少女の問いに、青年は少し目を見開いた。
目線を下げ、また少女を見つめる。
「こんな時間に危ないよ。お嬢さん」
「質問に答えて」
青年はやれやれといった様子で答える。
「飽きない─と言うよりは“これしか覚えていない”んだ」
少女は「そう」と興味無さそうに青年を見つめた。
「ねぇもう一つ質問があるの」
「へぇ、なんだい?」
突風が吹く。呻いていた木々はザワザワと喚き、風が捲し立てる。
少女は風には何も反応を示さず、質問を続けた。
「ここは“封鎖されている廃校”よ。一般人が気安く入れる場所じゃないわ」
少女は息を吐き、青年を睨みつける。
「──あなた、ナニモノ?」
青年は答えず問い返す。
「では逆に聞こう。お嬢さん、キミは何故ここに入れたのかな?」
突風が吹き荒れ、一人の影が歪む。
青年の発言に少女は顔を顰める。
「質問に─」
「お嬢さん、キミはナニモノだい?」
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夕暮れの教室は少しざわついている。
「ねぇ知ってる?“あの子”隣町に行ってたらしいよ」
「“あの子”って?」
「ちょっとミカ酷いよ〜1番後ろの窓際の!」
教室の片隅で少女は一人、噂話を聞いていた。
今日は少し風が強く、古い窓がガタガタと揺れている。
徐々に人が少なくなり、最後のクラスメイトが教室を出た。少女もそれを合図に荷物をまとめ、帰路に着く。
帰り道。二人の女子高生の会話が聞こえた。制服からしておそらくウチの高校の生徒だろう。こんな隣町で何をしているのだろうか。
「“あの子”っていう女の子覚えてる?」
「いきなりどした?覚えてるけど……なんか存在感なかったよね。幼馴染の男の子と一緒に居たけど」
「いや……気になっただけ」
少女は二人の横を通り抜ける。
空は曇り始め、少し風が湿ってきた。雨が降りそうだ。
ふと片割れの女子高生が立ち止まり、呟いた。
「そういえば……男の子のほうって先に死んでたっけ」
少女は人気のない廃校の中へ入っていく。
中庭に着く頃には雨が降り出していた。
予想通り青年は雨にうたれながら歌っている。
「『誰も見えや─』あぁ、キミか」
青年は微笑んだまま、雨の中で歌うのをやめた。
少女は濡れることを気にせず青年に近づく。雨は傘を持たない少女の髪や制服を濡らしている。
しかし、不思議と冷たくない。
「今日もこんな時間に来るなんてヒマなのかい?」
「あなたこそ。いつも同じ場所で同じ歌を歌っているじゃない。よっぽどヒマなのね」
挑発する青年を睨み、冷たい声で言い返す。
雨は勢いを増し、雷鳴が廃校の鉄骨に反響して耳を打つ。
「それに私は学生よ。ヒマなんてありやしないわ」
学生─その言葉を聞いた瞬間。青年は少女を二度見し、肩を震わせた。
その単語が何に引っかかったのか分からない。しかし、こちらをバカしているのは感じる。
「なによ。何がそんなにおかしいの」
「いや、ふふっ。まさか、君は学校に通っているのかい?」
この男は一体どうしたのだろうか。
当たり前のことを聞かれ、少女は少し戸惑う。
「えぇ、そうよ。それがどうしたの」
青年は目を見開かせ、ゲラゲラと笑う。
不快だ。何故自分だけ分からず、青年には見抜かれているのか。
非常に不快だ。
「あなた、どういうつもりなの。私をからかって何が楽しいの」
「ふふっ……ごめんね。からかうつもりは無いんだ 」
先程よりも雨が強く降り、少女の体を通っていく。雷が落ちそうだ。
少女は自身の左腕を強く掴む。
青年のこちらを憐れむような瞳が憎くて堪らない。
「その“透けた足”で学校に通っている。なんて言われたら笑うしかないよ」
「…………あ゛?」
雷が落ちた。
音が少女の体の中で響き、骨が折れるような錯覚に見舞われる。
慌てて自分の足を見る。
見えない。
何故?見えない?何故?
「なんで……?」
“足がない”のだ。透けている、どころではない。
スカートの下から全て足が消えている。
あの時目線を下げたのは少女の下半身に違和感があったから?
違う。
違う。
違う。
私は“死んでいない”。
きっとこれは悪い夢。そう、悪い夢なんだ。そうに違いない。
そうじゃないと。そうじゃないと……
「えぇ?今まで気付いてなかったのかい?」
うるさい。そんなこと言うな。
私は“死んでいない”んだ。
「じゃあその消えた足の事はどう説明するのさ」
まるで思考を読んだかのように青年は問い詰める。
そんなの知らない。きっとなにかの見間違いだ。
「んー、まだ気付いてないみたいだからあえて言うけどさ」
「キミ、もう死んでるよ。いい加減認めなよ」
少女の中で、なにかが壊れた音がした。
足はないはずなのに膝から崩れ落ちる。
雨なのか涙なのか分からない雫が滴り、地面を濡らす。
「はぁ、君の幼馴染は潔く死んだのに……」
瞬間。少女は人とは思えない速さで、青年の胸ぐらを掴んだ。
「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぁああぁあぁあああぁあぁぁああぁあぁあぁああぁぁああぁあぁ!!!」
少女の咆哮は廃校全体を揺らした。
その勢いのまま、青年に殴りかかろうとする。しかし、それは青年によって阻まれた。
「離せェ!ユウトも、私も死んでいない!」
青年は少女の攻撃を避けながら、何かを考えていた。
やがて理解したのか、納得したような表情を浮かべた。
「あぁ!やぁっとわかったよ」
青年は今までにない、場違いな程に明るい声色で話す。
「キミはその幼馴染が大好きだったんだね?でもその彼が死んでしまったから後追いして、キミも死んだんだ。彼が待っていると信じて。でも彼は居なかった。そこで探し回って、ボクに会ったんだね」
青年は謎が解けて上機嫌。対する少女は苛立ちを隠せていない。
しかし、青年が言ったことも事実である。
青年は追い討ちをかけるかのように話を続けた。
「でも、残念だったね。君は気付くのが遅すぎたんだよ」
青年は嘲笑と哀れみを含んだ笑みで少女を見る。
少女は力無くへたりこんでしまった。と、言うより力が入らないのだ。それに、なんだか息切れが激しい。
「消滅が始まったんだね」
「しょう、めつ……?」
「タイムリミットだよ。死者には未練を残した奴が多いからね」
頭がクラクラしてきた。最早、青年が言っていることが耳に入ってこない。
───このまま、死ぬのだろうか。
まだ、生きていたかった。ユウトとこれからも生きていく、ハズだったのに。
青年の発する一言一言が重く、少女の体に纏わりつく。
「つまりキミは───」
「誰も見えやしないのに、現世を彷徨い続けたんだ。結局、だぁい好きな彼にも会えずに消滅する。とんだ無駄骨だったね。人生ご苦労さま」
青年がそう告げると、少女の体は風化し、崩れた。
そこに少女は居ない。
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死者は、殆どが死んでいることに気付いていない奴が多い。
自分が死者であることを気付かせ、死者をあの世へ導くこと。それが僕の仕事だ。
別にこの仕事に誇りも何も無い。ただ与えられたからこなすだけ。
今回は、現世を彷徨う少女を“救うこと”。
これが意外と手こずった。少女は自分が死んでいることという事実を捻じ曲げ、現世に居座っていたからだ。
彼女に与えられたタイムリミットは二ヶ月。タイムリミットを過ぎればあの世へ行くことが出来ず、そのまま現世で誰にも知られないまま灰となる。
結論─死者であることを自覚させる事に成功した。しかし、タイムリミットには間に合わなかった。“救うこと”は出来なかった。
「あちゃ〜、怒られるかなぁ……」
彼女には悪い事をした。帰りに何か花でも添えてやろう。




