手記の発見
作家として五年が過ぎた秋の日、一通の封筒が事務所に届いた。
差出人は「佐藤京子」とある。拓也の母親だった。封筒を開ける手が震えていた。
『桜井美咲様
突然のお便りをお許しください。拓也がお世話になった母でございます。
息子の遺品を整理していた折、机の引き出しの奥から手記が見つかりました。あなた様へ宛てた内容もあり、息子の遺志を尊重してお送りいたします。
時が経ってしまい申し訳ございませんでした。』
封筒の中にあったのは、見覚えのある拓也の字で書かれた手記だった。
「君への手紙」
表紙にそう書かれた瞬間、私の視界が滲んだ。
震える手でページをめくる。2月14日から始まる手記には、転校の日から最期まで、拓也の本当の気持ちが綴られていた。
『僕に恋愛なんて許されるのだろうか。相手を幸せにできない男に、誰かを愛する資格があるのだろうか。』
初期の手記を読んで、胸が締めつけられた。あの時、彼はこんなにも苦しんでいたのに、私の前ではいつも笑顔でいてくれた。
『でも、時々咳が出て、彼女が心配そうな顔をするのが辛い。』
私が感じていた違和感を、彼も気づいていたんだ。お互いに相手を気遣って、でも本当の気持ちを隠そうとしていた。
夏祭りの手記を読んだ時、涙が止まらなくなった。
『ごめん、美咲。君を騙している。君の純粋な愛を、僕は踏みにじることになる。でも、もう止められない。君を愛してしまった。』
あの美しい夜、彼の心にはこんなにも深い罪悪感があったなんて。私は彼に愛されて幸せだったのに、彼は自分を責め続けていた。
『彼女は僕のために、毎日弁当を作ってきてくれる。「ちゃんと食べて」と言いながら、自分も食べられずにいることに気づいている。僕のせいで、彼女まで痩せてしまった。』
そう、私は気づかれていた。彼の体調が悪くなるにつれて、私も食欲を失っていた。彼を失うことが怖くて、毎日が不安だった。でも私は強がって、平気なふりをしていた。
そして最後のページ。私宛ての手紙。
『美咲へ。君がこれを読む時、僕はもういないだろう。でも、決して悲しまないで。僕は幸せだった。君を愛せて、君に愛してもらえて、本当に幸せだった。』
「悲しまないでって言われても...」
声に出してつぶやくと、涙が頬を伝って落ちた。
『僕は君に一人でいてほしくて愛したんじゃない。君が笑顔で過ごしてくれることを願って愛したんだ。だから、僕がいなくなっても、笑顔で生きていって。』
この言葉が、先日見た夢の中の拓也と同じだった。彼は本当に私の幸せを願っていたんだ。
『君が誰かと恋をしても、結婚しても、僕は嫉妬なんてしない。むしろ心から祝福する。君の幸せが、僕の幸せだから。』
中村さんのことが頭をよぎる。優しくて、私を理解してくれる人。最近、友情以上の感情を抱き始めていることを、なぜか拓也に申し訳なく思っていた。でも、彼は許してくれるんだ。祝福してくれるんだ。
『でも、時々でいいから思い出して。桜の季節に、僕たちが愛し合ったことを。短かったけれど、確かに美しい愛があったことを。』
「忘れるわけないでしょう」
手記を胸に抱きしめる。
『君がくれた季節は、僕の宝物だよ。永遠に愛している。拓也』
三日三晩、私は泣き続けた。拓也の本当の気持ちを知って、彼がどれだけ私を愛してくれていたかを理解して、そして同時に、彼がどれだけ苦しんでいたかを思って。
四日目の朝、私は決心した。
もう拓也に申し訳ない気持ちを抱くのはやめよう。彼は私の幸せを心から願ってくれていた。彼への愛を大切にしながら、新しい愛も受け入れよう。
中村さんに電話をかけた。
「今度、お時間のある時にお会いできませんか?お話ししたいことがあります」
「もちろんです。桜井さんとなら、いつでも」
彼の優しい声に、心が少し軽くなった。
その日の夕方、私は手記を持って近所の公園に向かった。桜の木の下のベンチに座り、空を見上げる。
「拓也、あなたの本当の気持ちがわかりました。ありがとう。あなたに愛してもらえて、私も本当に幸せでした」
風が吹いて、木々の葉が音を立てる。
「あなたのことは絶対に忘れません。でも、あなたが望んでくれているように、私なりの幸せを見つけてみます」
夕日が西の空に沈んでいく。オレンジ色の光が雲を染めて、美しい空の色。拓也が好きだった空の色。
「見守っていてくださいね。きっと、あなたも笑顔になれるような、そんな人生を歩んでいきます」
帰り道、私は新しい小説の構想が浮かんできるのを感じていた。拓也との愛を胸に、でも新しい愛にも心を開く女性の物語。タイトルは「二つの愛」。
きっと拓也も、空の向こうで微笑んでくれている。私の新しい歩みを、きっと祝福してくれている。
手記を握りしめながら、私は前を向いて歩き続けた。彼がくれた愛を胸に、新しい季節へ向かって。




