5.とある朝の出来事
私がノイゼス王国が王都―――カトリーヌの庇護を受けて2年が経った。最初こそ「さん」付けだったけど今は呼び捨てか、もしくはカトリーヌの愛称のキャティーかキャスだ。向こうも「貴女」からエリカかリリーって呼ぶように変わったしね。
相変わらずカトリーヌは「死神付きの伯爵未亡人」のままで、たまに社交界のシーズン(冬)に顔を出しても、遠巻きに見ている貴族(主に御婦人方)は多い。嫌な思いをすることも多々あるが、カトリーヌは実質的な領主でもあるため避けて通ることはできない。
このノイゼス王国では、女性が領主となるのにいくつかの条件がある。主に2つあるかな。
それはその家の直系の血を引いていて、尚且つ近いうちに他の貴族と結婚すること(結婚後は夫が領主の地位を引き継ぐ)そして、次期領主が成人するまでの期間等だ。つまり、どれも一時的なものでしかない。しかし何事にも例外はつきものだ。その例外がカトリーヌ。
…別に「死神の呪い」を恐れて、周囲が黙認しているわけじゃない。
この例外に当たるのは、フラセノーズ家のように「直系の男性(実子無し)が生前に養子をとらず、また直系の女性がいない」ということが条件だ。そしてもう一つ、その領主としての地位は次代に継承されないということ。
つまり、生前のフラセノーズ伯爵には子供も養子もなく、直系の女性(伯爵の姉)はすでに亡くなっていた。そして、残されたのは子を持たない他家から嫁いだカトリーヌだ。その場合においては、一代限りの領主としての地位が認められるのだ。そして、もしカトリーヌが結婚をしても、その男性は伯爵の夫君というだけで伯爵にはなれず、その男性の間に産まれた子にも継承権は発生しない。そしてカトリーヌが死亡した場合、領地は速やかに国家へと返還される。
この例外にしても、国王の御名で許可が下りない限り認められない。それにもまた条件があるらしく、ややこしくて仕方が無い。カトリーヌが2年前に「本当はありえないこと」と言ったのにも頷ける。
そうそう、厳密に言えばカトリーヌは「フラセノーズ伯爵」なのだが、周囲は「伯爵未亡人」と呼ぶ。その理由は「女性が爵位を名乗るのは、はしたない」とされているから…だそうだ。ということは、もしカトリーヌが結婚したら、そのお相手は「伯爵未亡人の夫君」とでも呼ばれるのか?
まあ、そこまで詳しいことは分らない。先の事は分らないさ。うん。先の事なんてねえ。
私だってまさか、異世界トリップするとは思わなかった。
何せ、名前も変わったしね。その名もエリカ・キャンザー・ダントン。
…なんとダントン男爵家の養女になったんだな。このダントン家はフラセノーズの遠縁の遠縁ぐらいのつながりで、名前だけの男爵家で「かなり」の貧乏だ。
そのダントン男爵家の「娘」として行儀見習いも兼ねてフラセノーズ家に逗留している…というのが、エリカ・キャンザー・ダントン嬢こと神崎恵梨花。
ちなみにこのミドルネームは、神崎が訛ってキャンザキ、キャンザー…みたいな。
まあ、誕生日なんかも変わったし。何せ、日本とノイゼス王国とでは夏と冬が逆だ。
ノイゼスの暦通りだと、夏に18歳の誕生日を迎えたばかりで異世界トリップした私は、その年の夏に19歳になってしまう。そんな理由で、冬生まれ設定に変更。
この国に来て、2年目の春。私は20歳。カトリーヌは25歳になった。
☆☆☆
フラノーズ伯領、ユーグにて。
「おはよう、エリカ」
「おはようございます、キャティー」
ダイニング・ルーム(応接間に続く部屋。正餐以外で使う食事のための部屋)に入ると、カトリーヌ(キャティーは愛称)は難しい顔をしていた。視線を彼女の手元にやると、開封された手紙があった。
「よほど急ぎの用なのですか? こちらで手紙を読むなんて珍しいですね」
朝に届いた手紙は、朝食後に隣の応接間で読のが習慣だ。それなのにダイニング・ルームで手紙を読むとは珍しい。封筒の色は白なので、特に急を要するものには見えないのだけれど。私の不思議そうな顔を眺めながら、カトリーヌは深いため息を吐いた。
「急ぎという訳ではないのだけれど…」
「黒か黄色の封筒では、ありませんものね。ひょっとして、ミッシェルさんからですか」
ぴくりとカトリーヌの眉が反応を示した。図星か。
「当たりよ、エリカ。どうして分かったのかしら」
「なんとなく。キャティーのお顔に深い苦悩が滲んでいたので」
私は肩をすくめると、席に近づいた。すかさず、メイドのマリアが私のためにイスを引く。それに感謝の意を込めた微笑みを浮かべると、マリアも微かにそれに答えた。王都にある屋敷内では常にダフネの目が光っているので、こんな「令嬢らしからぬ行為」は即咎められるだろう。曰く、令嬢とは仕える者に礼をする必要はないのだ。というか不必要。…それもどうかと思うけどね。
「ミッシェルが『我が麗しの妹君へご機嫌伺いの為に』…こちらに滞在したいと言うのよ」
「こちらに?では、マルセルにある屋敷に移るんですか」
私達が話しをしている内に、食卓には朝食が並べられ始めた。焼き立ての香ばしい数種類のパン。今日のスープはポタージュ。そして卵料理にカリカリのベーコン。フルーツと生野菜もたっぷりと用意されている。これだけなら、いつも通りなのにね。
「いいえ。『ユーグの屋敷でよければ喜んで』と以前に返事をしていたの。そうしたら、14日後にこちらに着くと返事が来たのよ。まさか、ユーグにあの方が来るとは思わないでしょう?」
「確かに。マルセルならまだしも、ユーグでの滞在に了承するとは思えませんよね。田舎がお嫌いで、子爵領にもめったに戻らない方が」
私はミッシェルさんの顔を思い浮かべた。黄金のような金のセミロングの髪に、カトリーヌとよく似た葡萄色の瞳。なんというか、フェロモンむんむんの美青年だ。そして、女性関係が派手な人。
「付け加えると、手紙の日付は4日前よ」
「え」
ということは、残された猶予は10日そこそこですか。
私とカトリーヌはお互いに沈黙しつつ、顔を見合わせた。
「とりあえず、朝食をいただいてから考えませんか。私の国の諺ですが『腹が減っては戦は出来ぬ』とも言いますし」
「そうね。戦とは言い得て妙な気もするわ」
少々冷めてしまったが、朝食はいつも通りとても美味しい。
でもミッシェルさんがこの屋敷に滞在する間は、今着ている簡素なドレスではアウトか。
髪も朝からきっちりと結い上げなければいけない。
はあ。面倒くさいことにならなければいいけど。
というか、その時点で面倒くさいや。
新キャラ、次で登場します。
招かれざるミッシェッル(笑)。