初めての国
車はだだっ広い荒野を走っていた。一体何キロ出ているのだろうか。時折視界に入る木々は残像を残して消えていく。
会議も終わり、いよいよ《カリルド》の入国検査所が見えてきた。赤茶の荒野に直線的なゲートと塀があるのは何とも奇妙だ。その先に世界的な魔法国家があるとは考えられない。
何せヒトエほどの高さの塀の奥には、何も見えないからだ。走っていた荒野と同じく、あちらにも赤茶の地平線が見えた。
「…国が、見えません」
ヒトエは助手席でドクターに言ってみた。
かなり栄えている国と聞いたが、ここからでも国の一端すら見えないことがあるのだろうか。
「あぁ、あの塀は魔法がかかっているからね。確か…カリルド家の長女の魔法なはずだ。さっき説明したでしょ。《カリルド》には国を支える二つの家があるって」
「カリルド家とエンブル家ですね。覚えてますよ。前者が政治をこなし、後者が国の発展のための研究をするのだとか」
政治と研究。前者が後者の足を引っ張ることが多く、諍いが絶えない組み合わせだが、この《カリルド》は両立している。そのおかげで世界有数の大国で、建国から戦争のない唯一の国だそうだ。
それはカリルドとエンブルという二家に分け、互いに尊重することで成立している———とガイドブックには書いていたが、ドクターが言うには結局、両家とも魔女なので研究バカが多いそう。ならば邪魔なんてしないだろう。
両者には親密な繋がりがあり、定期的に双方を嫁に婿にとしているようだ。カリルドは政府側として役人や政治家として働く者が多く、エンブルは学術的な職に就く人が多い。
シュトウが在籍してるという“エンブル大学”もその家が運営している、世界を代表する超有名な魔法を学ぶ大学なのだという。
ガイドブックは少々大雑把なところもあったので、詳細の説明をドクターが挟むというやり方をすれば、記憶のないヒトエでも簡単に覚えることができた。
というかだいぶ分かりやすい。なぜだかスッと頭の中に入ってきた。さすがはエルフ。伊達に長生きしていないのだろう。
「覚えは良いじゃないか。忘れやすいようだけど」
こんなドクターの感じの悪さにも慣れてきたところだ。
分かってはいたが、ヒトエの出身をなあなあで誤魔化していたり、記憶喪失以前のことを突っつくと沈黙を貫くのでどう考えても善人ではない。
しかしここで、ドクターを信用できないからと言って車を降りることはできない。無一文、無国籍、無経歴で知らない国に降ろされても困るのだ。今は従うしかない。
「君とアメを案内する人は大学関係者だから、エンブルの人ね。彼女は案内することまで聞いていないだろうから、そこは承知の上で着いていってくれ」
「そんなことあるんですか?」
「…あそこ報連相が苦手なんだよなぁ。僕らが来るからお迎え行って、ぐらいしか聞いてないと思う」
「致命的ー」
「そこはま、魔女ゆえかな」
もう入国検査場には着いているが、混んでいるためまだ時間はかかかる。しかしすでになにかしらの書類を提出していたのであともう少しすれば入れるはずだろう。
「ドクターはエンブルにもカリルドにもご縁があるんですね」
「双方の代表者と個人的な親交があってね。だからこそ、エンブルでは情報伝わってないなって分かるんだよ」
ドクターは遠い目をした。過去になにかトラブルがあったに違いない。
(こういった他愛もない話とかは全然喋る。何ならお喋りな方だ。でも私の話題になると途端に口を閉ざす)
本当に徹底しているようだ。記憶を思い出させないようにしていると解釈しても問題ない。だが、そうするとヒトエの記憶喪失はドクターによる人為的なものという可能性が高まるのでそれはそれで問題ある。
(…私の目標を達成するため、ドクターの話だけではどうにもならない。だから“仲間”達から情報の断片を手に入れるしかない。ドクターを抜いて九人も居る。数があれば自ずと信憑性も増す)
であれば、ある程度の信頼関係を結び直さなければいけない。幸い、記憶を失う以前のヒトエは上手くやっていたようで、現在のヒトエとの関係が悪そうな人物はいない。むしろ好かれていると言ってもいい。
(手始めに、今回の同行者のクルーミネさんとアメ、それから———向こうで合流するシュトウさん)
大目標が記憶を取り戻すことだとして、その道中の小目標は“仲間”と仲良くなることだ。
仲良くなり、自分の情報を引き出す。
(《カリルド》を抜ける前に三人ともっと仲良くなれるといいけど)
《カリルド》は長期滞在。ヒトエにとっては大変都合が良い。環境は恵まれているといえないが、運気はあるようだ。
「そうだった、君の連絡端末。預かっておいたんだった。操作方法は…直感で頼むよ」
ドクターはわざとらしく、白衣のポケットから黒色の液晶付きの小型端末を取り出す。どうやら自分が使っていた物らしい。
(ドクターから渡されたことに不安しか感じない。小細工されてそうだ)
「…なに嫌な顔してるの」
「細工してませんか?」
「…」
(してんなこれ)
「メッセージ内容の傍受とか?」
「なんで僕がそんなことする必要があるのさ。そこまで疑う理由があるなら教えて欲しいね」
(やってんなこれ)
ということはドクターに隠し事をしたい場合、この端末は使えないということだ。聞いておいてよかったと心の底から思う。
(腹芸ができないタイプだとは思えない…なんで嘘をつかないんだ?)
そう、ヒトエがここまでドクターのことを警戒しているのは、明らかに彼が何かを隠しているという態度をとるからだ。それがなければここまで疑っていない。
本当に苦手なのか、わざとか、できないのか、それとも傲慢なだけなのか、現状では見当もつかない。
すると、トントンと運転席側の車の窓を叩かれた。職員の女性がドクターに話しかけられる。
「お待たせいたしました。書類の確認が終了しました。こちらのゲートへお進みください」
「どうも」
車はゆっくりとゲートを潜る。なにかしらの検査も兼ねているのだろうが、この違法だらけの車に反応することはなかった。
検問所は機械的な清潔さがあり、魔法の気配は感じられないかった。しかし、国内に入ってしまえばその印象は一変する。
検問所は別に薄暗くもなく特に不満もない。普通だったのだ。驚くべきことにそこを通り抜ければ目の前が光り輝いたように見えて、その国は普通ではないと分かる。
魔法での隠蔽で見えなかったゲートの先に、こんな国があったのかと驚いた。
(ゲートひとつ潜るだけでこんなにも…)
目の前には美しい国があった。
レンガで作られた昔ながらの街並み、しかし文明は最新であり、支柱もなく宙に浮かぶ魔法の光が街灯として国中を照らしていた。
レンガのヒビもツタも、建物の背の高さも、おそらく全てが計算されたデザイン。自然と人為を組み合わせ、不規則で整った構図を作っている。
国はおそらく円のような形なのだろう。検問所を抜けてから、横道に外れて国外周を走っていた。八方にに広がる大通りの先には国の中心、“エンブル大学”が聳え立つ。側から見れば城のようなその造形は、世界一の大学の存在を国中に知らしめていた。
建物の構図に誘導され、大通りの道に誘導され、大学の形に誘導されれば———青空に飛ぶ人が見えた。何人も、自由に国を飛び回っていた。
時折大きな音が鳴り、時折遠くで光が炸裂する。魔女達の使う魔力は常に空気中で煌めいて、本当に魔法の国なのだと理解した。
「キレイかい?」
「…こんな国が存在できるんですね」
「《カリルド》だけさ。世界の上澄みだよ」
ドクターはそう言うと横道に逸れて、門番のように待機している黒服に何かを差し出した。
「どうぞ」
黒服は短い言葉で先の道へ促す。街並みはカントリーな、自然あふれる雰囲気が全体を通してあったが、黒服に通された場所は真っ白な石材で構築された、神殿のような静謐さを感じる場所だった。
「…ここは?」
少し進んだ、だだっ広いところでドクターは車を止めた。正面にはガラスの扉がある。その奥に続く部屋はモザイクがかかっているように認識できない。恐らくこれも魔法だろう。
「《カリルド》の政府の…つまりはカリルド家の客間。彼女は時間を守る派だからそろそろかな」
そういったのも束の間、目の前にパンツスタイルのスーツを着た女性と、それよりは少し飾った柄物のスーツを着た人が現れた。
「遅れてしまい申し訳ありません。ドクター様。“統治者”様のところまでご案内いたします」
二人の女性は、地面までつく長い髪を枝垂れさせて、恭しく頭を下げた。
下げた。
下げた。
「…ねぇ」
「ん?ドクター様を案内するんでしょ、早く行ったほうがいいんじゃないのかな」
「…いや貴方も案内の役を仰せつかっているはずでは…」
「ん?」
二人は頭を下げたまま、こそこそいろいろ喋っている。
「ドクター様、少々お待ち下さい」
「あれ…」
「僕の言った通りだ。柄スーツの子多分何も聞いてないね」
「政府に近い人がそれでいいんですかね」
「普段は普通の研究者だからね。流石にカリルド側はちゃんとしているみたいだけど」
(二人とも髪が長いな。…魔法を使う人は緊急用で伸ばしている人が多いから当たり前だけど)
「じゃ、僕らは一旦解散ね。車はの駐車場所はメッセージで送っておくよ。アメ!出てこい!」
「やったーーー!」
後部座席から明るい声がする。
「ヒトエっ!初めましての国!早く行こう!」
アメの純粋な笑顔に、打算ありきでこれから近づこうとするので少々罪悪感を覚えたが、そもそもドクターが全て悪いのだ。
罪悪感を覚える必要はなかったと思い直す。
「もう車から出ちゃいな。いくらあっちで揉めようが、ここから出て案内してもらうことは変わんないんだから」
「了解です」
ヒトエとアメは少量の荷物を持ち、車から出た。
エンブルの人はパンツスタイルの女性と未だ少し揉めているようだったが、アメとヒトエの姿を確認すると、明るい笑顔で出迎えてくれた。
「お二人ともお揃いで。事情は把握いたしました。ではエンブル大学までこの私、エンブル家長女、ウィン・エンブルがご案内いたします」
そうしてこの世界の年号である———”神都“消滅の年から数えて———8000年目。七月。
ヒトエたちは《カリルド永久中立共和国》に足を踏み出した。




