しょうがないから行ってしまおう
そうして少し話したあと、フィンガーの言うままにヒトエはリビングの北側、魔法陣が描かれている布が掛かった壁へ手を伸ばし、車の助手席に移動した。
「…おぉ」
違和感なく不自然な移動をしたために、思わず周囲を見渡した。窓の外には荒野が広がっているようだ。後方が何やら騒がしかった。窓から身を乗り出し、その音の元を辿ろうとしたが、運転席でハンドルを握るドクターに話しかけられてしまう。
「ドライブは長いぞー」
「…早いですね。車」
開けた窓を仕舞われた。数秒しか窓を開けていないというのに髪には砂が付いている。
「距離が距離だからね、良いモン買ったさ。贅沢なことに魔法で補助もしている」
「君は記憶喪失だが、どこまで覚えてる?国の言語はどうかな?」
ちなみに僕の今話している言葉は世界で最も扱う人の多い言語だ、とドクターは言った。
「問題なく」
そう答えると、ドクターは次々に別の言語で聞き取れるかどうかためしてきた。合計7言語。
———全て問題なく理解できる。
「ふむ、良かったよ。君のことは通訳として、現地でトラブルなく進むために連れて来たんだ。役割はこなせるね」
自分でも理解出来ることに驚いたが、それ以前にこのドクターも相当な知識人らしい。
今まで見た“仲間”はクランとアメだけだったが、おそらく二人ともそこまで多くの言語は扱えないのだろう。アメは少々、今の言語でさえも持て余している気がした。クランは出身地的にそこまで多くの言語を知る機会はなかっただろう。
(ん…あれ)
そして出身地をもとにして推測ができることに、考え終わってから気付いた。
(私は《大月》を知っている…。記憶、本当に何が抜けてるのか分からない…)
少なくとも自分のことは分からず、
なぜドクターの所にいるのかも分からず、
“仲間”も分からず、
アンデットという種族も分からない。
代わりのように狐族やエルフは分かるし、
最低でも7つの言語は分かるし、
《大月》のような国の事情も分かるし、
足音の聞き分けもできる。
(謎は深まるばかりだ)
「それで、皆さんの出身はバラバラなようですけど、どこから私を連れて来たんですか?」
「…施設」
「何の、何という?」
「“みつば園”。人を仲介して君を雇ってる」
ドクターは不服そうに答えた。答えないかもしれないとも思っていたが、本当に渋々言った。
なぜ言う気になったのだろうか。なぜその程度のことを言うのを渋っていたのだろうか。
ヒトエはまだ、ドクターというエルフを掴めきれていない。彼の意思に関わる疑問を、すぐに解決することはできないだろう。
それより“みつば園”について考える必要があった。
(“みつば園”…園?幼稚園とかの?それとも———児童養護施設)
ヒトエは自分の小さい手のひらを見た。少女と言えるその見た目は保護者を必要とする。しかし、自分の意識は大人そのものだ。直感的にそう感じている。
(ドクターのことはイマイチよく分からないけど、知りたいことはダメ元で聞くべきだ。運が良ければ答えてくれるようだし)
「ドクター、“みつば園”はどういう施設ですか」
「…」
「…私の歳は?」
「……12ぐらいかな」
ドクターは顎に手を当てて、ヒトエの全身を見たあとそう答えた。
「私の精神状態の成熟さについて何かありますか?」
「質問タイム終わり」
しかし、12歳。これなら児童養護施設に入っていてもおかしくはない。この発達し過ぎている精神とは釣り合わないが。
(…私に家族は居ないんだ)
居るとすれば、最終目標が定められてる冒険の“仲間”だけ。本格的に寄るべがないと自覚した。“仲間”達の口の固さや、カプセルのメッセージを見る限り、自分のことは自力で解決する他ないようだ。
「ところで、種族とか国は覚えてる?」
「まちまちですよ。種族も国も、場所によっては全くわかりません。たぶん」
記憶の引き出しは、引き出し自体が見えなければ中を見ることは叶わない。
ヒトエの今の状態は、鍵は持っているが、引き出しが隠されているようだった。それと関連することが話題に出たりすれば、恐らくすぐに思い出すことができるだろう。
———とフィンガーが言っていた。
なぜ医者が教えない。
医者は白々しく、車の収納棚から一冊の本を取り出した。
「おっと、そしたら君にはガイドブックを渡しておこうか」
「ガイドブック?」
「これは昔々のとある旅人が、世界各国を回りながら書いた、世界で最も有名な見聞録だよ」
そう言って手渡されたものは、ヨレて少々歪んでいる本だった。カラフルに題名等書いてあるが、それに似合わない重厚感だ。
「辞書?」
「厚さはね。読めば一瞬さ」
ドクターの言葉に従って、ヒトエはぱらりとページを捲る。確かにこれは親しまれると思った。なんと前編フルカラー、そしてイラストや写真も付いていてまぁ読みやすい。恐らく2キロはある重さを考えなければ子供にも良いだろう。
「なるほど…なんだかちょっと読み物っぽいですね」
「だから子供にも大人気さ。僕が産まれる前から存在しているっているのに、まだ書店で新品が売られるんだ」
「でもあんまり当てにならないですよね。昔の情報ですし」
「大まかなところは変わってないよ。国のシステムとか雰囲気とか。今の時代はどこの国にも長命種がいるからね、頻繁にそういうの変えられないんだ」
「ま、本番は《白亜城》についてからだし、道中は楽しむといいさ」
「はぁい」
「話を戻しますけど、魔女はどこにいるんですか?」
恐らく残り五人のまだ見たことのない“仲間”の一人なのだろう。少し前にドクターも言っていたが、この違法車の制作にはその魔女も噛んでいる。
「今から迎えに行くんだ。大学行ってるからさ。水神探索もつい最近ルートを決められたとこなんだ。さぁ行こう!…って思ったら君の体調が悪くなった」
「本当に全く見当がつかないんですか」
「医者は万能じゃない」
(やっぱり教える気がないみたい)
「勘違いするなよ、僕は仮説を堂々と話すのが嫌いなんだ。医者としての責任があるからね」
(そういうことにしておくか)
フィンガーやアメは事情を知っている上でドクターに口止めされているので、どう考えてもドクターはヒトエが意識を失った、記憶喪失になった原因のことを知っている。なんて白々しい。
「…ガイドブックは僕も読み込んだ記憶がある。アオリの文とかそらで言えるね」
ドクターは急にガイドブックのことに話題を戻した。
(あーそうですか)
別にドクターのことは嫌っていないが、この短い交流でも露わにするその鼻に付く態度には呆れた。
「最初に通る国はどこですか?」
「二十ページ目」
「えっと…」
ガイドブックにはこう書いてある。
「『才知の全て、魔法の国。
《カリルド永久中立共和国》』だよ」
なんて荘厳な国名だろう。確かにガイドブックの謳い文句には唆られるものがあった。
とにかく魔法、魔法、魔法の———魔女が多く住む国なのだそうだ。
「ちなみにだけどね、あと五分で到着する。あとで色々説明するからリビングで待機していて」




