9 りんごの花
この家に来てすぐの頃、裏庭に洗濯物を干したいとお願いすると、ベルノルトさんがりんごの木と軒下の柱の間にロープを張ってくれた。その頃はただの枯れ木みたいだったのに、緑の葉っぱが芽吹き出すとともに淡いピンクの蕾も膨らみ、白いりんごの花がひとつふたつと咲いた。
「わ〜、りんごの花って桜に似ていますね。きれいだな」
「ああ、きれいだ。毎年、いつの間にか咲いて気付いたら散っていた。こんなに咲くのを待ちわびたのは初めてかもしれない」
「あら、ベルノルトさんは忙しすぎたんじゃないですか?」
「ふっ、そうかもしれんな」
手付かずだった裏庭に、新しいテーブルセットが置かれている。丸いテーブルがひとつと折りたたみができるイスがふたつ。『リコと花見がしたい』と、ベルノルトさんが買ってきてくれたものだ。そのテーブルでお茶を飲みながら、花が咲くのを見守るのが私達の日課となっていた。
休みの日は庭でゆっくりブランチにしたり、夜ベルノルトさんが帰ってきたあと軒下に魔石ランプを吊るして食後のお茶を飲んだり……暖かくなってきてから庭に出る楽しみが増えた。
「あの花壇で野菜でも育てようかな」
「いいな、自分達で育てた野菜は美味そうだ。今度の休みに苗でも見に行くか」
「はい! ちょうど夏野菜の苗が出ているかもしれませんね」
そんな話をして、ハッとした。そろそろ仕事も探さないと……いつまでもベルノルトさんのお世話になるわけにはいかない。ずっとここに居られるわけじゃないのに、野菜を育てるなんて言っちゃった。
「リコ、どうした?」
「えっと、そろそろ仕事を探さなきゃと思って。なのに野菜を育てようなんて…早くここから自立しないと駄目なのに図々しかったですね」
ガタン! 突然ベルノルトさんが立ち上がり、イスがバタンと倒れた。
「そんな、急がなくていいから! うちの事をやってくれているだけで凄く助かっているんだ」
「お役に立てているなら良かったです。でもいつまでもそういうわけには――」
「大丈夫だ! ずっとこのままでも構わないから!」
「でも……」
「うちの事をやるのは、嫌?」
「いえ! それは全く嫌じゃないんです。だけど私、住まわせてもらっているのに食費すら入れられていないから」
「そんなこと、気にしなくていいのに」
家族でも恋人でもない、ただ拾っただけの異世界人を養うなんてベルノルトさんにも悪いから。いくら困っている人の面倒を見るのが騎士の仕事の内だとしても、私もいい大人だしせめて生活費は入れたい。
「……わかった、いい所がある」
「仕事があるんですか?」
「ああ、今から行ってみるか?」
「私に出来ることなら」
「リコにピッタリの所だ。だから家を出て行くなんて言わないでくれ」
「お金を貯めないと部屋を借りられませんから。それまではお世話になります」
ベルノルトさんってば、しおしおのクマみたいになってるわ。そんなに私のご飯が気に入ってるのかな?
◇◇◇◇
「ここ、ですか?」
「ああ。ほら、これを見てみろ」
ベルノルトさんは、窓ガラスに貼られた求人チラシを指差した。
『料理人募集 週三、四日働ける人 時間は仕込みから昼のランチタイムまで 食堂りんごの花』
「私、ただの素人なんですけど。大丈夫ですかね?」
「まあ、聞いてみるだけでも」
扉を開いて、店内に入った。カランカランとドアベルが鳴り、女性が振り返る。
「いらっしゃーい! あら、隊長さん今日はおふたり?」
声を掛けてくれたのは、グレタおばさん。あの、イリスさんやラルフさんと一緒に来た食堂だ。
「表の求人を見て来たんだ。リコを雇ってくれないかと思ってな」
「まあ! あんた料理ができるのかい?」
「えっと、素人の家庭料理ですけど……」
まさか料理人の仕事だとは思わなかったので、声が段々と小さくなる。
「リコは迷い人だって言っただろう? だから家庭料理と言っても、この辺の料理とは一味違うんだ。どうだ、一度試してみてくれないか」
「それは気になるね。ちょうどランチタイムは終わったところだ。リコちゃんって言ったね? ちょっと厨房に来てちょうだい」
「は、はい!」
奥の厨房へ入ると、料理人と思われる男性がひとりイスに座っていた。
「これはうちの亭主のヨハンだよ。最近、腰を痛めちまってね。手伝いが欲しいって言ってたんだよ」
「なに、このお嬢ちゃんが料理人ってか?」
「リコです。お邪魔します」
私はペコリと挨拶をした。また子供だと思われてるのかなぁ。
「今日はね、チキンステーキだったんだ。まだ材料が余ってるから、これで何か作ってみてくれるかい?」
「チキン……」
この国の料理は、お肉を塩胡椒やスパイスでドーンと焼くような大胆な物が多いみたい。少し違うものがいいよね……
「よし、あれにしよう」
私は、鶏肉を一口大に切り、ボウルにすりおろし生姜やニンニクを入れ塩胡椒をして揉み込んだ。小麦粉をまぶし、油で揚げる。切ったレモンを添えて出来上がり。
「塩唐揚げです。お好みでレモンを絞ってくださいね」
「これが鶏肉料理……」
グレタおばさん、ご主人、ベルノルトさんがフォークを持った。いち早く口に入れたのは、もちろんベルノルトさんだ。
「ん〜、リコ美味いよ!」
「わ、カリカリあつあつだね」
「味付けはシンプルだけど、美味しいよ!」
二個目はレモンを絞っていた。『これも合うな!』となかなか好評みたい。
「あんた、これは決まりでいいんじゃないかい?」
「そうだな。俺がまた食べたいよ」
グレタおばさんとご主人が目を合わせて頷いた。
「リコちゃん採用! とりあえず週三日ランチタイムに来ておくれ」
「わ、ありがとうございます! 頑張りますね!」
「俺のことはヨハンおじさんでいいからな」
「はい、ヨハンおじさん」
ベルノルトさんの方を見ると、優しく微笑んでくれた。だけどなぜかグレタおばさんを引っ張って店の隅に行き、なにか内緒話をしている。
「アッハッハ! なんだい、そういうことかい。わかったよ、厨房から出さないから」
なんの話だ? 私が首を傾げていると、ベルノルトさんが言った。
「リコ、あくまでも料理人だからな。給仕はしなくていいからな」
「え? はい」
「リコちゃん、旦那のサポートと新しいメニューを頼むよ。給仕は私がやるからね」
「はい、よろしくお願いします」
「メインは大体俺が決めるけど、付け合わせとか新しい物を教えてほしいな」
「はい、私の国の料理でよければ」
こうして、私の就職先は『食堂 りんごの花』に決まった。週三日だけど、ひとつ前進よね!
◇◇◇◇
家への帰り道、ふたりで話しながら歩く。
「ベルノルトさん、いいお店を紹介してくれてありがとうございました」
「いや、あそこなら俺も昼に様子を見に行けるしな」
「食べに来てくれるんですか?」
「当たり前だろう! あそこで仕事の日は、お弁当は作らなくていいからな?」
「はい、お待ちしてますね」
「あー心配だ。ずっと厨房の前で警護していたい」
「え? なんですか?」
「いや、なんでもない。本当に、表に出なくていいからな?」
「ふふ、さっきからなんの心配をしてるんですか」
「だって、リコをひとりで外に出すなんて――」
「私は日本でもひとりで働いていましたよ。もう大人ですから」
「わかってる。わかってるけど、うがー!」
ど、どうした? 頭を掻きむしってるわ。大丈夫かな?
「そうだ、来週うちの裏手の川辺で祭りがあるんだ」
「ああ、そういえば川がありますね。お散歩をしてる人を見かけます」
家の裏手には川が流れており、川より一段高い所に広い遊歩道が作られている。家の裏庭から下へ伸びていた階段は、その遊歩道へと繋がっているのだ。
「あの遊歩道に並木があるだろう? あれはりんごの木なんだ」
「じゃあ、あそこも花が咲くんですね!」
「ああ、だから『りんごの花祭り』って言うんだ。俺も昼間は警備の任務につくが、夜は空いているんだ。一緒に祭りに行こう」
「わ~嬉しいです! 何かお店とか出るんですか?」
「ああ、なんでも好きな物を食べていいぞ」
「ふふ、ありがとうございます。楽しみです」
日本でも桜まつりとかあるもんね。そんな感じかな〜。家の庭からもりんご並木が見られるって、贅沢だよね! 花が満開になったらきれいだろうな。楽しみ!