28 さくらんぼケーキ
フォルケル親子が連れ出されると、謁見の間にいた人達がホッと息をついたのがわかった。
国王陛下が私の方に体を向けられた。
「リコ、怖い思いをさせてしまったな。二度とこのようなことが起こらないよう、私の方からそなたが魔物討伐に知恵を授けてくれた恩人であると発表しよう」
「私はそのような大それたことはしておりませんよ! ただ、雑談で日本の話をしただけで――」
「いや、その雑談がなければ、誰も思い付かないような斬新な討伐方法だった。しかも特大の魔物であったにもかかわらず、民にも討伐に向かった騎士にも犠牲者は出ておらぬ。礼を言うぞ」
この国で一番偉い人からお礼を言われ、アワアワと狼狽えてしまった。ベルノルトさんが私のうしろから肩に手を置き、落ち着かせるように優しくポンポンとしてくれる。
「お、お役に立てたのなら嬉しく思います」
おかげでなんとか返事をすることができた。
「また困った時は相談させてもらおうか。そなたも困ったことがあれば、いつでも私に言うがよい」
「光栄でございます」
国王陛下はお茶目な笑顔でそう言われた。いや、そう簡単に王様に相談なんて、畏れ多いことはできませんよ? 椅子に座っていたお偉い方々も、優しそうな笑顔でうんうんと頷いていた。
「ところでバウム、褒美の件だが首尾はどうだ?」
「お陰様で、よい返事を貰えました」
「そうか! では、細かいことは私の侍従と相談して決めよ」
「ハッ、幸甚に存じます」
さっきもチラッとご褒美の話をしていたよね。それどころじゃなくて聞き逃しちゃったけど。
「陛下が退出されます!」
侍従と思われる人が陛下の退出を告げた。部屋にいる全員が立ち上がり、頭を垂れる。私もそれに倣って頭を下げた。
陛下の足音が遠ざかり、扉が閉まる音を合図に皆が頭を上げた。
「リコ、緊張したか?」
「はい、とっても。手が震えました」
「そうか、頑張ったな。家まで送っていく」
「まだお仕事があるでしょう? 私なら大丈夫です」
「いや、送る!」
私達のやり取りを見ていたドレッセル団長さんが、ニヤニヤと楽しそうに言う。
「あんな事があってバウムは心配しているんだ。仕事なら大丈夫だから」
「そうです、送って戻ってくるくらいなら大した時間じゃないですよ」
第五隊のヘッセ副隊長さんも言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
「皆さん、大変お世話になりました」
「なあに、大したことはないよ。無事でよかったな」
見届人のお偉い方々にもお辞儀をしてお礼を言った。おじさんやおじいさん達はニコニコと手を挙げてくれた。まるで娘か孫でも見るような目をしている。まさか、また子供だと思われたのか……
◇◇◇◇
王宮から出たところで、ベルノルトさんがさらりと手を繋いできた。告白される前だったら迷子を心配しているのかと思うところだけど、今は恋人として接してくれているんだとわかる。
「ベルノルトさん、寄りたいところがあります」
「どこだ? 買い物か?」
「いえ、りんごの花です。グレタおばさんが心配していると思って」
「そうだな。顔を見せてやるといい」
私達は、家までの通り道にある食堂りんごの花の扉を開けた。カランカランとドアベルが鳴る。
「リコちゃん!」
入口へ振り向いたグレタおばさんが、目をまん丸にして私の名を呼んだ。そのまま駆け寄るとギュウギュウとおばさんの大きな胸に抱きしめられる。
「よかった! 無事だったんだね!」
「グレタおばさんも大丈夫でしたか? 怪我などしていませんか?」
「あんな若造に負けるもんか。この体で通せんぼしてやったよ」
おばさんはふんっと鼻息を出して、その大きな胸をドンと叩いた。
「おばさんが逃してくれたから、騎士団まで行くことができました。ありがとうございます」
「俺からも礼を言う。おかみのおかげで本当に助かった」
「やだねぇ、これくらい当たり前だろ? 礼を言われるほどじゃないよ」
「いえ、本当に。おばさんが機転を利かせてくれたから助かったんです」
私は、遠くの修道院に入れられるか、隣国に売り飛ばされるところだったと話した。おばさんがあの人達を怪しんで『そんな人は知らない』と裏から逃してくれたから、今私はここにいるのだ。
「とんでもない奴らだ! 横恋慕した挙げ句に婚約者にまで手を出すなんて。もちろん捕まったんだろうね?」
「あぁ、護衛も令嬢もその父親も捕まった。貴族院のお偉いさん達も、不穏分子をまとめて処分できたと喜んでいるよ」
「なら安心だ。リコちゃん、また明日から店を手伝ってちょうだいな」
「はい、もちろんです」
この国にも私を心配してくれる人達がいる。家族や友人から離れてしまった私にとって、それが無性に嬉しかった。
「そうだ、昨日のさくらんぼのケーキは取っておいたよ」
「そうだった! 作っている途中でしたね」
「とんだ邪魔が入ったからね。仕上げは私がやっといたよ」
そう言うと、グレタおばさんは冷蔵庫からケーキを持ってきてくれた。もうカットして箱に入れてくれているみたい。中を見ると、生クリームと削ったチョコレートでデコレーションされ、さくらんぼの載ったケーキが四切れ入っていた。
「こんなにいただいてもいいんですか?」
「いいんだよ。私達は昨日食べたしね。疲れただろうから、今日はゆっくり休んで」
「ありがとうございます」
厨房から見守ってくれていたヨハンおじさんも、『無理するんじゃないよ』と優しく声を掛けてくれた。
カランカランとドアベルが鳴ったのをきっかけに、お暇することにした。慌ただしいランチの時間が始まる。
「おかみには騎士団から感謝状が贈られるはずだ」
「また大げさな。まあ、貰えるもんは貰うけど」
「グレタおばさん、また明日。ケーキもありがとう」
「ああ、また明日ね」
ベルノルトさんは店から家の中まで私を送ると、おでこにひとつキスをして騎士団へと戻っていった。
私はスーツから普段着のワンピースに着替え、今日の夕食のメニューを考え始めた。
◇◇◇◇
ベルノルトさんとの夕食後、グレタおばさんから貰ったさくらんぼケーキを食べることにした。
「美味しそうなケーキですね」
「この季節になるとよく作られるケーキだよ。カフェやお菓子屋でも出てくるんだ」
ベルノルトさんがコーヒーを淹れてくれて、私はお皿にケーキを載せた。夜でも暖かくなった裏庭のテーブルセットに並んで座る。
「いただきます。ん〜、中に挟んださくらんぼが甘酸っぱくて美味しい」
「ああ、生地もしっとりしていて美味いな」
クリームも甘すぎず、さくらんぼ酒の香りがする。スポンジに染み込ませるだけじゃなくクリームにも入っているのね。チョコ味のほろ苦いスポンジと、クリームの甘さがしつこくないからいくらでも食べられそう。
「ふふっ、もう一個も食べちゃおうかな」
「俺もいただこう」
ふふっ、ベルノルトさんも甘い物が好きだもんね。大きなクマさんがケーキをつつく姿は、そのギャップもあって妙にかわいいー。
「ふふっ、かわいい」
「へ? どうしたんだ」
「ベルノルトさんがかわいいなって。ふふっ」
「あっ! しまった!」
ベルノルトさんがなぜか焦った顔をしている。ふふっ、それもかわいい。
「リコ、これにはさくらんぼ酒が入っている。酔ったのか?」
「え〜、酔ってませんよぉ〜」
「あ〜酔ってるな。さくらんぼ酒はアルコール度数が高いんだ。リコが酒に弱いことを失念していた。もう食べちゃ駄目だ」
ベルノルトさんに、残っていたケーキを取られてしまった。ブー! 私のケーキなのに!
「リコは怒ってもかわいい」
「ベルノルトさん、酔ってるんですか? 顔が真っ赤ですよ」
「ぐぅ」
ベルノルトさんが手で顔を隠して上を向いてる隙に、お皿のケーキにフォークを刺して、大口でパクリと食べてやった。ふふっ、やっぱり美味しいな。
「あっ、駄目だと言ったのに」
へへ〜ん、もう全部食べちゃったもんね。モグモグしていると『仕方ないな』って顔をするベルノルトさん。
「リコ、クリームが付いてる」
ベルノルトさんの顔が近付いて来たかと思ったら、口の横をぺろりと舐められてしまった。
「ひゃあ!」
「俺以外と酒を飲むのは禁止な。酒が入ったケーキもだ。いいな?」
「ふぁい」
気付くとまたベルノルトさんの膝の上に座っていた。えっ、いつの間に?
「家でよかった。リコのこんな顔は誰にも見せたくない」
ちょっと掠れた声でそう呟きながら、私の額やまぶたにキスを降らせる。なんだかくすぐったくてフワフワとして、そのまま意識が薄れていった。
「早く結婚しないと、俺の理性がもたないな……」




