25 不穏な客
「あ〜私ゃホッとしたよ! 隊長さんがヘタレだから、リコちゃんが引っ越し先を探し出すし」
「グレタおばさん、ご心配をお掛けしてごめんなさい」
「あんたは悪くないよ! 早く気持ちを伝えないヘタレが悪いんだからさ」
「おかみ、そう何度もヘタレを連呼せずとも……」
翌日、食堂へ仕事に行く私と一緒に、ベルノルトさんも報告のためにりんごの花に寄ってくれた。プロポーズされたことを報告したら私の両手を取って喜んでくれたのだけれど、ベルノルトさんはヘタレだと言われてばつの悪そうな顔をしていた。
「あんな人混みの中から、たったひとりのリコちゃんを見つけるくらい惚れてるんだ。隊長さんは最初からリコちゃん以外見ていないよ」
「えっ?」
「パレードの時だよ。隊長さん、リコちゃんに気付いていたんだろ?」
「ああ、おかみと亭主に挟まれたリコがかわいかった……」
挟まれてかわいいってなんだ? ベルノルトさんは斜め上を見つめうっとりしている。
「ほらね、私の言った通りだったろ?」
「てっきり、若い女性グループにファンサービスをしたのかと」
「ファンサービス? リコ以外見ていなかったからわからんな」
ベルノルトさんはキョトンとしている。じゃあ、あの一瞬の笑顔は私に向けてくれたんだ!
「そんなにベタ惚れの隊長さんが、貴族と結婚するなんてあるわけないって思ってたから、リコちゃんが早まらないように家の部屋を貸すってことにしといたんだよ」
「おかみ、助かったよ」
「まあ、喧嘩した時にはいつでも家に泊まっていいからね」
「喧嘩などしない!」
グレタおばさんはお茶目な顔をして、ベルノルトさんをからかっていた。
「そうだ、さっき貰ったさくらんぼはケーキにしようかね。あとで一緒に作ろうか」
「わぁ、嬉しいです! ぜひお願いします」
「それは楽しみだな」
甘いもの好きなベルノルトさんは、本当に嬉しそうに騎士団へと出勤して行った。
◇◇◇◇
ランチ営業も終わり賄いを食べた後で、グレタおばさんに教えてもらいながらさくらんぼのケーキを作っている。チョコ味のスポンジに生クリームでデコレーションするケーキらしい。
「スポンジにはこのさくらんぼ酒を染み込ませるんだ」
「わ〜いい香りですね」
「だろ? さくらんぼのケーキには必須なんだよ。スポンジの間にはさっき作ったシロップ煮のさくらんぼを挟むの」
おばさんの説明の通りにケーキを作っていると、お店のドアベルがカランカランと鳴る音がした。
「あら、閉め忘れたかね。見てくるよ」
「はい」
グレタおばさんは、店の方を見に行った。
「お客さん、今日のランチは終わりだよ」
「それくらいわかっているわ。食事に来たわけじゃないの」
あちらから、若い女性の声がした。ちょっと小馬鹿にしたような嫌な言い方に聞こえて、厨房からこっそりのぞいてみる。ピンクのドレスを着た若い女性、たぶん貴族かな? この辺りで見る庶民の女性とは服が違う。後ろには護衛と思われる逞しい男性がふたりいた。
「ここに若い黒髪の女がいると聞いたんだけど」
「さあ? 知らないね。うちは私ひとりで給仕をしているんだよ」
「そんなはずはないわ! 街で聞き込みをしたら、この店の裏口から出入りしている黒髪の女がいるって言っていたもの!」
不穏な空気を察したのか、グレタおばさんは私を庇ってくれた。私がここで働いていることはほとんどの人は知らないはず。ベルノルトさん達以外のお客さんの前には、一切出ていないから。
「ベルノルト様の家は留守だったわ。だったらここにいるとしか思えないじゃない」
「お嬢さん、隊長さんを知ってるのかい?」
「ええ、先日の祝賀会でご挨拶したの。うちのお父様は、今年の国防大臣を決める会議で今の大臣に譲ってあげたけれど、次は大臣になる人よ。うちの婿になれば、きっとベルノルト様の出世にもつながるわ」
「それって、国防大臣になれなかったから、英雄を取り込んで大きな顔をしようって魂胆じゃないのかい?」
「っぐ、うるさいわね! 違うわよ! とにかく、英雄のベルノルト様ならうちの婿に相応しいわ。それなのに、黒髪の女が周りをウロチョロしているって言うじゃない。ベルノルト様の邪魔をしないよう注意をしに来たのよ」
貴族のお嬢様は、ツンと顎を上げて言い切った。うわぁ、なんかすごい人が来ちゃったな。
「残念だったね。隊長さんには婚約者がいるんだよ」
「なんですって!? やっぱり王宮でも噂になっている迷い人なのね? いいわ、迷い人がひとりくらい居なくなっても大して影響はないし。やっぱり排除するのが正解ね」
何か物騒な事を言われた気がする。グレタおばさんの方を見ると、うしろに組んだ手で何か合図をしている。ん? あっちから出ていけってこと? 裏口?
そうだ、ここに私がいたらややこしくなるし、お店にも迷惑をかけてしまう。私はこっそり裏口から出ようとした。
「あっ、お嬢様、そこに黒髪の女が!」
「捕まえなさい!」
まずい、店内の様子をうかがっていた護衛に見られてしまった!
「逃げなーー!」
おばさんが護衛達の邪魔をしてくれた隙に、外へと飛び出した。どうしよう、家はバレているようだし、このまま騎士団の詰め所まで逃げるしかない!
私はスカートをはいているのにも構わず、全力で走った。店から騎士団までゆっくり歩いても十分ほど。走れば逃げ切れるはず!
「おい待て! くそっ、あの女速すぎるだろ」
護衛達がうしろから追いかけてくる。あとちょっとだ、転けませんように!
「助けてーー!!」
「どうした? あっ、あの子は昨日のバウム隊長の婚約者! 中に入れ!」
私は必死に叫んだ。昨日と同じく門を警備をしていた騎士さんが、とっさに中へと入れてくれガシャンと門扉は閉じられた。私の顔を覚えていてくれたらしい。
息が切れた私は、前かがみで膝に手を付き呼吸を整える。
「大丈夫か!? どうしたんだ」
「知らない、んぐっ、人にっ、連れて行かれそうに、なって」
「なんだって? おい、第五に知らせろ!」
「わかった!」
もうひとりの騎士さんが走り出した時、門扉をガチャガチャと揺らす男達が現れた。
「おい、その女を渡せ!」
「そいつは、伯爵家のご令嬢に無礼を働いたんだ」
私は首をブンブンと横に振った。直接会ってもいないのに、どうやって無礼を働くんだ。無茶苦茶だよ、あの人達。
「リコ!」
「「リコさん!」」
走って来るベルノルトさんと、イリスさんラルフさんが見える。安心した私は、だんだんと意識が遠のいていった……
◇◇◇◇
「……んっ」
「リコ、意識が戻ったか」
「ん、ここは?」
「俺の執務室だ。リコは助けを求めて騎士団まで走ってきたんだ。覚えてるか?」
頭の中がはっきりしてくると、先程の理不尽な追いかけっこに怒りが湧いてくる。
「りんごの花に突然貴族のお嬢様が入ってきて、ベルノルトさんを婿にするのに黒髪の女が邪魔だから排除すると言い出したんです。それで捕まりそうになって、ここまで逃げて来ました」
「そうか、よく逃げてくれた。捕まっていたら、貴族の家に踏み込むのは難しかった」
「危なかったんですね。グレタおばさんは?」
「おかみも無事だ。ただ、その貴族の娘はどこかへ行ってしまったらしい」
「無事でよかった。おばさんが裏口から逃してくれたんです。私を追い掛けてきた男の人達は?」
「もちろん捕まえた。今、事情聴取をしているところだ」
ノックの音がして、部屋に数人の騎士達が入ってくる。騎士服が隊長クラスの人達だわ。三十代後半くらいの大人の男性と、二十代くらいの騎士がふたり。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
「は、はい」
「リコ、こちらは王立騎士団のドレッセル団長、俺の上司だ」
「団長さん!? あの、騎士団の皆さんに助けていただきました。ありがとうございます」
隊長クラスどころか、もっと偉い人だった! 私はお礼を言うため、ベルノルトさんに抱っこされた手を解こうとしたけれど、離してもらえなかった。
「ハハッ、そのままで構わない。リコさん、あの追い掛けてきた奴等に面識はあるかい?」
「いいえ、護衛や貴族に知り合いなんていません。食堂にいたら、いきなり捕まりそうになったんです」
「だよなぁ。あいつらただの護衛だろうが、頑なに主人の名前を吐かないんだ。他に何か見ていないか?」
「お店には、貴族のお嬢様と一緒に入ってきました。黒髪の女を探しているって」
「なるほど……」
ドレッセル団長さんも、私達の向かいのソファに座った。他の人達はうしろに控えている。
「ベルノルトさんを婿にするって、それで邪魔な迷い人を排除すると言っていました。でも本当に知らない人ですし、私は隠れて見ていたので、無礼もなにもお嬢様とは顔も合わせていません」
「そんな事だろうと思ったよ。そのお嬢様の見た目はわかるか?」
「髪型は金髪のふわふわロング。服はピンクのドレスでした。とにかくフリルやリボンがいっぱいでフリフリしていました」
「あっ、」
「なんだ、お前知っているのか?」
ドレッセル団長さんが、うしろに控えた騎士様に問うた。
「もしかしたらですが、フォルケル伯爵家の令嬢じゃないでしょうか」




