2 市民権取得
王都までの帰り道でわかったのは、ここはブレンターノ王国という国であること。各地で十年に一度くらいの割合で迷い人が現れること。バウム隊長さんは、魔物討伐を専門にした騎士団第五隊の隊長であること。先程通り抜けた村からの要請で、ヴォルフというオオカミ型の魔物を追っていたら、たまたまそのヴォルフに追い掛けられている私を見つけたこと。
「君は小さいのに足が速いんだな」
「そうですか? 学生時代に走る競技をやっていましたので、人より少し走れるという程度です。だけどしばらく走っていなかったせいで足がもつれてしまって……隊長さんが来てくれなかったら、食べられていたかもしれません」
「ヴォルフの遠吠と、女の子の声が聞こえたからな。叫んでくれて良かったよ」
そうなんだ、叫んでみるもんだわ。
「王都っていうくらいだから、王様や貴族がいらっしゃるんですか?」
「ああ、その通りだ。近衛騎士団などはほとんどが貴族出身の者だ。うちみたいな魔物討伐部隊はほとんどが平民だけどな」
「実力主義ってことですね」
「そうだな。俺を含め、みんな騎士団で一旗揚げようと入った奴らだ。だが気のいい連中だよ」
「それを聞いて安心しました。私も貴族のマナーなどわかりませんから」
「エトーも平民なのか?」
「平民と言いますか……私の国には皇族はいらっしゃいますが、貴族はいないんです。国民はみな同じ身分ですね。もちろん貧富の差や社会的地位などはありますけど」
「へぇ、貴族がいない国があるんだな」
他にも聞きたいことはたくさんあるが、これだけは先に確認しておかなくちゃね。
「あの、今日からどこか泊まれる所はありますか? すぐに仕事も探さないといけませんが、この国のお金はまだ持っていませんし、どうしたらいいのか……」
「エトーさえ良ければ、うちに来るといい」
「えっ、でも奥様とかご家族にご迷惑では――」
「お、奥様? 俺は独り身だ。両親は亡くなっているし、兄弟も田舎に引っ込んでいるから王都に身内はいないよ」
えっと、なおさら独身男性のお宅に転がり込んでいいのかな? 騎士だから無体なことはしないはず。それに隊長さんしか頼れる人もいないし……
「あの、本当にご迷惑じゃないなら、お言葉に甘えてもいいですか?」
「迷惑なんかじゃないよ。部屋も余っているし、困ったときはお互い様だ。帰りに着替えも買って帰ろう」
「何から何までありがとうございます。必ず働いてお返ししますね」
「なに、気にするな。大したことではない」
本当に、拾ってくれたのが良い人で助かったわ。悪い人だったら売り飛ばされてもおかしくないもんね。甘えてしまって申し訳ないけれど、まずは生活の基盤を作らなきゃ。仕事を探して、家も借りて、この国の事も勉強して。だってもう日本には帰れないんだし……
そんなことを考えていると、いつの間にか城壁の中に入っていた。王都というだけあって、かなり栄えているみたい。
「エトー、ここが騎士団の第五隊詰所だ。馬を預けて来るから待っていてくれるか? 役所は隣の王宮敷地内にあるから、歩いていこう」
「はい、大丈夫です」
バウム隊長さんは部下らしい人達にいくつか指示をすると、馬を預けて戻ってきた。
「さあ、行こうか」
ふえっ!? なんで手を繋いだの? 私が迷子になると思ったのかな。さすがに二十六歳だし、大丈夫ですけど。なんか恥ずかしい……役所の中にいる人から見られている気がする。
「エトー、ここが申請窓口だ。すまん、この子は迷い人なんだ。市民権の申請を頼む」
窓口の中の人がびっくりしたような顔をしたが、私の顔を見て納得したみたい。ここに来る途中も黒目黒髪のアジア系の人はいなかったもんね。地球でいえば、ヨーロッパ系の顔立ちの人ばかりだった。
窓口の人が申請用紙をくれた。地球の言葉とは違うのに字が読める。『迷い人専用 市民権申請用紙』だって。
「エトー、字は読めるか?」
「はい、私の国の言葉とは違いますが、なぜか読めます」
「よかった。では一緒に記入していこう」
バウム隊長さんが、身元引受人のところに住所を記入し、『ベルノルト・バウム』とサインをした。
ペンを受け取ると、私の名前を書く。あ、こっちは名・姓なんだね。
『リコ・エトウ』
「君の名前はリコの方か。てっきりエトーの方かと」
「私の国は家の名前が先にくるんですよ。家の名前がエトウで、私の名前はリコです」
「わかった、リコ」
なんか名前で呼ばれると照れる。出身は日本で、あとは年齢か。二十六歳っと。
「は? リコは二十六歳なのか?」
「そうですよ。何歳だと思っていたんですか?」
「てっきり十二、三歳かと……」
あー、それで手を繋いだり小さい子とか言ってたんだ。すみませんね、出るとこ出てなくて。ぐすん。おかっぱヘアなのも子供っぽく見える要因かもな。隊長さんがバツの悪い顔をする。
「随分受け答えがしっかりした子供だなと思っていたんだ。まさか大人の女性だったなんて。俺はなんてことを! すまない!」
「いえ、私の国はあちらの世界でも若く見られる人が多いんです。大丈夫ですよ」
書類を窓口に出すと、しばらく待つように言われる。こんなんで本当に市民権なんて貰えるの?
「君はこの辺りの人とは明らかに違うからな、疑う余地もないだろう。見つけたのが騎士団だというのも良かったよ。複数の人間が証人になれるからな」
「身元引受人が第五隊長ですからね。すぐに認められると思いますよ」
窓口のお姉さんも請け合う。そうか、審査がユルユルなんじゃなくて、隊長さんの信用があるからなんだ。迷惑を掛けないようにしないと。
「審査が通りました。当面の住所は第五隊長のお宅という事でよろしいですね?」
「あ、ああ」
「では手続きはこれで終わりです。市民カードをお渡ししておきますね」
身分証明書のようなものを受け取って、隣を見ると隊長さんの目が泳いでいる。やっぱり迷惑だったかな……
「リコ、なんでそんな顔をしているんだ!」
「えっと、本当にお邪魔してもいいのかなって。ご迷惑なら――」
だって、こんな良い人に迷惑は掛けたくないもの。
「迷惑なんかじゃないから。むしろ、リコは俺が怖くないのか?」
「隊長さんが? いえ、怖くありません。なぜですか?」
騎士団の詰所へ戻る途中で立ち止まった。なぜか隊長さんの方が不安そうな顔をしている。
「俺はこんな厳つい見た目だから、若い女性には大抵怖がられる。子供にはクマみたいだって懐かれるんだがな」
「こんなに優しいのに? 見た目も別に怖くありませんよ。うちの兄達も体格がいいので見慣れていますし」
うちのふたりの兄達もラガーマンだからガタイがいいのだ。その仲間もラガーマンだから、むしろ騎士団の人達みたいな体格は見慣れている。気は優しくて力持ちみたいな人が多かった。
「そ、そうか、ならいいんだ。リコ、服が汚れてしまっている。買いに行こうか」
「さっき森で転けたからですね。お仕事は大丈夫なんですか?」
「さっき部下に任せてきたから、今日はこのまま帰れるんだ。行こう」
今度は手を繋がなかった。やっぱりさっきのは子供扱いだったんだね。
隊長さんは、後ろをついて行く私を振り返り振り返りしつつ、お店が並ぶ通りまで来た。気になるなら手を繋いだ方が早くない? 今更だし、もう子供扱いでもいいのに。
私は隊長さんの上着の腰のあたりをキュッと掴んだ。これならはぐれないでしょ。
『これでどう?』って意味でニッと笑うと、なぜか目をそらされた。ありゃ、掴むのはダメだったかな。私はそろりと手を離した。
「リコ?」
「ごめんなさい。勝手に掴んでしまって」
「いや、掴んでくれていい」
そう言うと、私の手を取り隊長さんの腕に触れさせた。
「こっちの方がはぐれなくていいから」
なんだかエスコートされているみたい。いや、親子に見えるかも。身長も三十センチくらい違うしな。それとも迷子の子供を保護した騎士様かな。ふふっ、想像したら笑える。
そのまま女性物を売っている衣料品店に連れて行ってもらった。店員さんに勧めてもらったワンピースやブラウス、スカートなどを数枚。下着も上下三セット買ってもらった。こちらの平民の女性は、ドレスを着る時くらいしかコルセットはしないそうだ。普段はスポーツブラみたいな下着を着用するんですって。どうせ私はAカップ、これで十分です。
「沢山買ってくださって、ありがとうございます」
「いや、とりあえず必要最低限しか買っていないから。またゆっくり買いに来よう」
「いえいえ、これ以上甘えるわけには――」
「生活していたら、他にも必要な物も出てくるだろう? 遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう、ございます」
いいのかな、こんなに散財させてしまって申し訳ない。男の人に何か買ってもらうなんて慣れていないから、どこまで頼っていいのかわかんないや。
「リコ、家にろくな食い物がないんだ。夕食は何か買って帰ろう」
「はい!」
私達は、テイクアウトのお惣菜屋のような店に寄った。ほほー、こっちの料理は洋風だな。トマト煮込みっぽい物とか、キャベツのマリネっぽいものとか、ミートボールっぽいものとか。量り売りしてくれるらしい。
ギュルル〜
うっ、お腹が鳴っちゃった。だって、晩ごはんを食べる前にこちらの世界へ飛ばされたんだもの。こちらに着いた時に時間のズレがあったから、今こちらは夕方だけどたぶん日本ならもう真夜中だよね? 魔物に追いかけられたし、そりゃお腹も減るわ。
「くくっ、好きな物を選んでいいぞ」
やっぱりお腹の音が聞こえたらしい……恥ずかしいぃ!
私は開き直って、美味しそうなお惣菜を選んでいった。その他にも隊長さんがお勧めの物やスープもテイクアウトして家に向かった。
「ここが俺の家だ」
「わ〜かわいい一軒家ですね」
お店がある通りから一本入った路地にその家はあった。