17 王宮の向こう側
怒涛の一週間も終わり、また日常が戻ってきた。食堂のヨハンおじさんの腰も順調に良くなっているみたい。野菜多めの付け合わせやスープが好評だったから、また相談に乗ってくれと頼まれている。
明日は食堂もお休みだ。何をしようかな。
「リコ、明日は俺も休みなんだ。どこか行きたい所はないか?」
「本当に? だったら、調味料の品揃えがいい食料品店に行きたいです!」
「調味料? そんなことでいいのか」
「はい! この近くのお店には無いものを探したいんです」
「わかった。じゃあ、王宮を挟んだ向こう側の通りに行ってみるか」
「わあ、ありがとうございます」
◇◇◇◇
この王都は高い城壁に囲われていて、王宮はその真ん中に位置している。王宮の隣にあるのが王立騎士団。そこを中心に大体東西南北で区画を分けられているらしい。
ベルノルトさんの家があるのは、王宮の正面である南側。いつもは家の近所で買い物をしているから、王宮の向こう側に行くのは初めて。
少し距離があるからと、ベルノルトさんが騎士団から馬を連れて戻ってきた。
「リコ、さあ乗ってくれ」
ベルノルトさんに支えてもらいながら馬の背に乗った。今日は王都内なのでスカートで横乗りだ。でもこれ、ちょっと怖い。ベルノルトさんの服をキュッと掴むと、察してくれたのか私の腰に片腕を回してくれた。これで安心。上を見上げてニカッと笑うと、ベルノルトさんはまた『ふぐぅ』という変な唸り声を上げた。
どうしたのかな。耳が真っ赤なんだけど。
馬は車道? というか、馬車が通る道をパッカパッカと歩いて行った。馬車が余裕ですれ違える程の広い道だ。王都の道は石畳できちんと整備されているので、雨の日でも泥が跳ねる心配はない。道の両端には歩道もあって、その歩道沿いには建物が並んでいる。
王宮はいつ見ても圧巻。白っぽい壁に青い屋根の尖塔がいくつか見える。ファンタジーの世界のお城みたい。その向こう側にあるのは教会かな? 存在感のある鐘楼がそびえ立っている。
「あれは教会ですか?」
「ああ、王都で一番大きな中央大聖堂だ。王侯貴族はあそこで結婚式をあげるんだ」
「わあ、素敵ですね」
「リコもあんな所で結婚式をしたい?」
「そうですね、女の子なら憧れるんじゃないですかね」
まあ、結婚なんて私には縁がないけれど。そんな自嘲的なことを考えていると、初めて来る通りに出た。
「リコ、この通りに色んな店が集まっているんだ。降りて歩こうか」
「はい!」
ベルノルトさんは馬から降りると、私を抱えて降ろしてくれた。馬は近くに預ける所があるらしい。
「見たい店があったら言ってくれ」
「はい、わかりました」
人通りの多い道を歩き始めると、ベルノルトさんの手がソワソワしている。握ったり開いたりこちらを振り返ったり落ち着かない。どうしたのかな、私が迷子になると心配しているのかな? 心配をかけるくらいなら手を繋いだ方がいい。でもそれじゃ子供みたいだから、腕を持つのならいいかな?
「ベルノルトさん、腕を持ってもいいですか?」
「え? あ、どうぞ」
ベルノルトさんが腕を曲げて差し出してくれたので、肘の辺りにちょこんと添えた。これでよし。ベルノルトさんのソワソワも落ち着いたみたい。
「リコは何を探しているんだ?」
「ウスターソースです」
「うすたーそーす?」
あれ、やっぱりないのかな。地球では、元々イギリスの物だったよね。ここの料理も洋風だから、もしかしたら似た物があるかなーと思ったのよ。揚げ物にはやっぱりソースが欲しくなる。
最初に見つけた食料品店に入り、調味料の棚を物色。ケチャップとかマヨネーズはあるのよね。醤油はまずないだろうから、せめてソースが欲しかったんだけど……
「リコ、うすたーそーすとはどんなやつだ?」
「ん〜、黒っぽい液体で、少し酸味があってスパイスの味がします」
「黒っぽいとなると、これはどうだ? 酸味とスパイスの味だぞ」
「それは……えっと、ゾーセ?」
「ああ、読めたか。ゾーセはあまり一般的じゃないが、たまに見かけるな」
「そうなんですね。見た目はウスターソースっぽいし、買ってみてもいいですか?」
「ああ、なんでも好きな物を買うといい」
またそんな甘やかすようなことを。だけど、調味料ならベルノルトさんのお腹にも入るし、買わせてもらってもいいかな。他にもトマトピューレやトマトの缶詰、スパゲティの乾麺も買った。
「服も見ようか。そろそろ夏物も買っといた方がいいだろう」
「あの、自分のお給料が出たら――」
「いや、俺が買う。給料はまた別の時に取っておくといい」
「いつも甘えてしまって申し訳ないですから」
「俺はリコに甘えて欲しいんだ」
そんな勘違いするようなことをなぜ言うの……? いやだめよ、私なんてただの居候。ちゃんと弁えないと。
「そんなこと言わないで……」
「リコ?」
「私なんかに無駄遣いしちゃ駄目ですよー」
甘やかされたら、自立ができなくなってしまうじゃない。私は頑張って笑顔を作った。
「ベルノルトさんは将来の家族のために、大事なお金は貯めておかなくちゃ。それより、夕食の材料を買って帰りましょう?」
「家族……それって」
ベルノルトさんの頬がうっすら赤くなっている。ベルノルトさんの将来の奥さんや子供が羨ましいな。こんなにただの迷い人にまで優しくて、頼り甲斐があるんだもの。きっと家族を大事にするよね。
「あの家で家族が増えたら幸せだろうな」
「ベルノルトさん、いいお父さんになりそうですね」
「お、お父さん!?」
私がいつまでも居候していては、良い人が見つかっても変な誤解をされてしまうかもしれない。早くお金を貯めて自立しなくては……ベルノルトさんが家族と幸せそうに寄り添う姿を想像して、少し胸がチクリとした。
◇◇◇◇
「リコさん、相談って?」
イリスさんが休みの日は、よくお茶をしている。今日も街のカフェでコーヒーを飲みながら相談に乗ってもらうつもり。
「イリスさん、どこかこの辺りで借りられる部屋はないかな?」
「えっ、なんで部屋なんか探しているの?」
「まだお金は貯まっていないんだけど、家賃の相場とか知っていた方が目標を立てられるし」
「ずっと隊長の家にいればいいじゃないの」
「それは駄目! ベルノルトさんだっていつかは結婚して家族を持たれるでしょう? 私がいては邪魔になるから……」
「隊長がリコさんを邪魔だと思うわけがないじゃない! 隊長から何か言われたの?」
「ううん、何も。だけど、私に色々と買ってくれようとするの。きっと将来のために貯めていたでしょうに、これ以上私なんかに使わせてはいけないと思って。一緒にいたら私もズルズルと甘えてしまうから」
「あんのヘタレめ、まだ言っていないのか」
イリスさんが下を向いてブツブツと呟いている。
「イリスさん?」
「いや、こっちの話。部屋を探すのはいつでも手伝うけど、隊長とよく話してからにしようよ。きっとリコさんが出ていったら隊長が困ると――」
「今までだって一人暮らしをしていたんだもの、そんなに困らないと思うよ」
「そうじゃなくて、ん〜」
イリスさんが頭を抱えてしまった。なんかいつも困らせているな。
「ベルノルトさんも、あの家で家族と暮らしたいみたいだから。いつか私は出ていかないといけないの」
「リコさんは、自分が家族になりたいとは思わないの?」
「私が? だって未だに子供だと思われているのに、きっとそれはないと思う」
「まだ子供扱いしてるのか」
「この前も街で、手を繋がないと私が迷子になるんじゃないかとソワソワしてたの。腕を持ったら安心したみたいだけれど」
「それはちょっと違うような……リコさん、自己評価低すぎない? そんなにかわいいのに」
「ええっ? だって本当にモテたことがないんだもの。学生時代も告白されたのに、たった一か月で『思ってたのと違う』って振られたんだよ」
「どこのどいつだ! 叩っ斬ってやる!」
「ふふっ、日本だから無理だよ」
イリスさん面白いな。もう何年も前の話だから平気なのに。
「グレタおばさんにも、店に通える場所に空き部屋がないか聞いてみようかな。顔が広そうだし」
「リコさん、本当にその必要がないかもしれないから、ちょっと待って。ね?」
「ふふっ、まだお金が貯まっていないから引っ越しは無理よ。聞いてみるだけ」
「絶対よ! 私も付き合うから勝手に部屋を決めちゃ駄目よ? ほ、ほら、治安の悪い所もあるから」
「はーい、騎士様のアドバイスには従います」
その後も、イリスさんから元彼以外に付き合った人はいないのかとか、デートに誘う男は周りにいなかったのとか根掘り葉掘り聞かれた。だけど、本当に話すことが無くてなんか申し訳ないです。




