11 りんごの花祭り(1)
あの初出勤の日から二回ほど、食堂で働いた。りんごの花祭りの日は、いつもお店をお休みにするんだって。
「この日は毎年旦那とお祭りデートだよ。リコちゃんも隊長さんと行くんだろ?」
「はい、昼間は警備の仕事が入っているので、夜に連れて行ってくれるそうです」
「そりゃあ楽しみだね。りんごの花祭りのジンクスは知ってるかい?」
「ジンクスですか? いいえ、この国に来てまだ日が浅いので……」
「そうか、じゃあ教えてあげるよ。りんご並木を恋人と歩いて、頭にりんごの花びらが舞い降りたら、そのふたりはずっと幸せに暮らせるんだって」
「わ〜ロマンチックですね! もしかして、グレタおばさん達も?」
「ああ、若い時分にね。おかげで今でも仲良く暮らせているよ」
「いいな〜羨ましいです」
グレタおばさんとヨハンおじさんも、本当に仲良しなんだよね。おじさんのおばさんを見る目が優しくて、ほっこりするの。年を取っても仲良しな夫婦って憧れるなー。
「あんただって、隊長さんと幸せになればいいじゃないか」
「えっ!? なんでベルノルトさんの名前が出てくるんですか!」
「いい男じゃないか。強くて優しくて、騎士隊長なんて地位もあるし」
「で、でも、私なんて異世界からの迷い人ですよ?」
「あら、市民権を取ったならもうこの国の住人だよ。恋人を作ったって、結婚だって自由じゃないか」
「けけけけ、結婚!?」
そんなこと、考えたこともなかった。突然日本から飛ばされてきて、この国に慣れるので精一杯だったから。私にも、誰かと結婚するかもしれない未来があったなんて――
「だけどベルノルトさんは、騎士の仕事だから私の面倒を見てくれているだけですよ。そんなんじゃありませんから……」
あれ? 自分で言って少し切なくなっちゃった。そうだよ、仕事だって最初からわかってたじゃない。なんでちょっと寂しいんだろう。
「う〜ん、そんなはずはないんだけどねぇ」
グレタおばさんは首を傾げて、少し困ったような顔をした。
◇◇◇◇
今日はりんごの花まつりの日。ベルノルトさんは朝早くから騎士団に出勤するみたい。
「リコ、仕事が終わったらすぐに帰ってくるから。出かける準備をしておいてくれ」
「はい、待ってますね。気を付けて、いってらっしゃい」
「ああ、行ってくるよ」
洗濯物を干した後、裏庭のフェンスに腕を掛け、下にある遊歩道を眺めた。りんごの花は七分咲きくらいかな。ちょうど見頃を迎えている。
お店を出す人達も、テントを建てたり荷物を運んだりして開店準備をしている。なんのお店が出るのかな。やっぱり肉? この国の人って肉が好きだもんね。今日は夕食も作らなくていいって言われたし、屋台グルメを食べ歩きだね。楽しみだな〜。
「あっ、リコさんだ〜」
物思いに耽っていると、下の遊歩道から声が聞こえてきた。声の方向を見ると、騎士の制服姿のゴツい一団がいた。その中のひとりが手を振りながら庭の下まで駆け寄ってくる。
「ラルフさん! おはようございます。もう警備ですか?」
「おはようリコさん。そうなんすよ、祭りの前から見回りっす」
「かわいい子だな、どっかで見たような」
「ほら、隊長の――」「ああ、迷い人の――」「あの時の子か――」
他の若い騎士さんも集まってきて、口々に私の話をしだした。
「あの、その節は助けていただきありがとうございました」
私はペコリとお辞儀をし、この国に飛ばされてきた時のお礼を言った。
「いやいや、大変だったな」
「無事で良かったよ」
騎士さん達も、優しく答えてくれた。
「お前ら、リコさんに手を出すと大変な事になるぞ」
「わかってるよ、隊長が――」「ああ、隊長がヤバイ――」「そんな命知らずな――」
ん? ちょっと声が小さくて聞こえないけれど、ベルノルトさんがどうしたのかな?
「ベルノルトさんが何か……?」
「いえいえ、なんでもないっす。今日は夜に祭りへ行くんすよね?」
「はい、そうなんです」
「楽しんでね〜」
ラルフさんはそう言うと、他の騎士さん達と手を振りながら去っていった。
よし、夕方まで時間もあるし掃除でもしようかな。私は階段下の物置へ、掃除機を取りに行った。
◇◇◇◇
「リコ、ここに居たのか」
「ベルノルトさん、おかえりなさい」
日が落ちて暗くなり始めた頃、ベルノルトさんは裏庭の階段を上って帰ってきた。私も裏庭のイスに腰掛けて庭のりんごの花を眺めていたところだ。ベルノルトさんが手を差し出し立たせてくれる。
「このまま行こうかと思うんだが、いいか?」
「はい、大丈夫です」
むしろそのままがいいです。だって、騎士隊長の制服って格好いいんだもの。イリスさんやラルフさん達一般の騎士服は、詰め襟の上着がお尻の辺りまでの長さだけど、隊長副隊長は膝丈なんだよね。背が高くて逞しいベルノルトさんにとっても似合っている。
「鍵を掛けてくるよ」
そう言うと、一度テラス窓から中へ入り、鍵を掛けて玄関から裏庭の方へ回ってきてくれた。
「ここから下りればもう祭り会場だからな。階段が暗いから転けないよう気を付けて」
そう言うと、私の手を取って下りだした。また子供扱いかー。最近よく『危ないから』とか『迷子になるから』って、ナチュラルに手を繋いでくるんだもん。
大人の女性として見られていないんだな……ここ数日、ベルノルトさんの事を考えると胸がチクリとする。どうしたのかな、私。
「あ、クマの隊長さんだー!」
「本当だ! なんでこんなところにいるの?」
「クマ隊長、魔物を倒しに行かないの?」
階段を下りきると、子供達がワラワラと集まってきた。ふふっ、子供に懐かれるっていうのは本当だったのね。
「今日は祭りの警備だ。お前達もあまり遅くなると家族が心配するぞ」
「「「はーい!」」」
子供達は元気いっぱいに走り去っていった。
「ベルノルトさんは、クマの隊長って呼ばれているんですか?」
「ああ、見た目もクマっぽいが、名前がな」
「名前?」
「ベルノルトという名は、『クマのように勇敢』って意味なんだ」
「ああ、なるほど! みんながクマクマ言ってるのってそういう意味だったのね」
「リコは? 名前にどういう意味があるんだ?」
「莉子の『莉』は、茉莉花っていう白くて小さな花の名前から取ったそうです。『子』は日本では女の子の名前に付ける事が多いんですよ」
「そうか、花の名前か。リコにピッタリだな。かわいい」
「ありがとう、ございます」
かわいいだなんて、照れるわ。
「せっかくだから、少し花を見て歩くか」
「はい! きれいにライトアップされてるんですね」
「ああ、祭りは今日だけだが一週間ほどは毎日ライトアップされている」
「素敵ですね」
ライトアップされたりんごの花は、昼間に見たのとはまた違った雰囲気になっている。白く照らされたりんごの花が、川面に映って幻想的な光景だ。昔、家族で夜桜を見に行ったことを思い出した。みんな、元気かな……
「リコ? どうした?」
「えっと、家族の事を思い出しちゃって。日本でも夜に桜をライトアップするんですよ。なんだか故郷の風景と似ているなぁって」
「そうか、寂しいか?」
「そうですね。最初は凄く寂しかったですけど、もう慣れました」
へへっと笑うと、ベルノルトさんが私の頭をきゅっと抱きしめて、
「俺がついているからな」
と、言ってくれた。そうだね、私はひとりぼっちじゃない。
「ありがとうございます」
「あーー! 隊長が女の子とイチャついてる!」
「何やってんですか!」
思わずベルノルトさんから離れると、向こう側から騎士さんがふたり駆け寄ってきた。朝の人達とはまた違うみたい。
「おまえら……」
「あ、すみません。邪魔しちゃいましたか?」
ベルノルトさんはグギギと音がしそうなほど、歯を噛み締めている。いや、別にイチャついてないから。
「あの、そんなんじゃないので大丈夫ですよ」
「グルル」
「うわっ、激おこ」
「おまえら、真面目に仕事しろ!」
「「失礼しました!」」
ビシッと騎士の礼をして、若い騎士さん達はどこかへ消えていった。さすがは騎士さん、逃げ足も早い。
「リコ、なんかごめん」
「いいえ、面白い人達ですね」
ハァ……とベルノルトさんがため息をつき、私達はまた手を繋いで歩き出した。




