落ちこぼれ魔術師ですが、呪われた騎士団長様に治療(キス)をすることになりました。【アンソロコミック&コミカライズ単話版発売中!】
触れ合う唇からあたたかなものが流れ出る感覚。
すぐそこにとんでもなく美しい顔があり、アクアマリンのような瞳に真っ直ぐ見つめられていることはあえて意識から外して、ホリーはその感覚に集中していた。
甘い口付けに早まる胸の鼓動も、熱くなる体も、全て魔力のせいだ。魔力のせいだと思い込んだ。
きっちり十秒間のキスを計三回。とても事務的であり、そこに恋情などあるわけがない。
「今日もありがとう、ホリー嬢。だいぶ楽になったよ。そろそろ剣が握れそうだ」
「……そうですか。良かったです」
向けられた朗らかな満面の笑みに心臓を握りつぶされたようになって、一瞬だけ声が詰まる。
しかしホリーは動揺を見せず、さっと踵を返した。
(落ちこぼれ魔術師の私に与えられた初めての使命なのです。しっかり果たさなければ)
彼女が、本来なら顔を合わせることすらなかっただろう美貌の青年と頻繁に口付けるようになった経緯。
それはしばらく前まで遡る。
魔力欠乏症という病気がある。
魔力、すなわち生きるための力が少なくなり、行動と寿命に支障をきたす恐ろしい病気だ。魔力が減少すれば減少するほど一歩も動けないようになって、やがて死ぬ。
国の平和を脅かす竜を単身で討伐し、闘いの中でその身に呪いを浴びた騎士団長エミリアンもまた、その病に侵された一人だった。
本来なら時と共に自然回復する魔力が全く戻らずにただ減るばかり。逞しい筋肉だけではなく、鍛え上げた魔力によって国内最強の力を得ていた彼の力は急速に衰え、やがてベッドに伏せるように。
このままではいけないと、王命で魔力欠乏症の治療が行われることが決まったという。
効果的な治療法は魔力量の多い者から、欠乏症の患者へと魔力を受け渡すこと。
肝心の受け渡し方法はというと――互いの唇と唇を重ね合わせる、口付けである。
騎士団長エミリアンは、令嬢から平民の娘に至るまで、女性という女性の憧れの的だ。
だから余計な問題が起こらないように口付け相手は公には秘されることになった。
男同士でも良かったが、さすがにエミリアンが嫌がるだろうという配慮の元、秘密裏に選ばれたのは一人の乙女。
それがホリー。攻撃魔法はおろか、役立つような生活魔法もろくに使えないと蔑まれる、落ちこぼれ魔術師だった。
魔術師は本来、魔法を使うことで大小さまざまな依頼をこなし、人を助ける仕事だ。
魔術師団に属していながらホリーが功績を上げたことは一度もなかったが。
「え、私なんかがいいんですか……?」
毎日の朝、昼、晩に十秒ずつの口付けを交わし、魔力譲渡を行う。
この依頼の説明を受けた時はあまりに信じられなさすぎて魔術師団の直属の上司に二度三度と確認してしまった。
確かにホリーは魔力が多いけれど、本当にただそれだけ。大量の魔力を持っていながら、それを魔法に変換する器官が上手く機能していないとかで魔法を行使できないのだ。
本来であれば魔術師にはそれなりの報酬と地位が与えられるが、落ちこぼれの中の落ちこぼれであるホリーにはその報酬を正しく受け取れたためしがない。魔力を持て余しているとうっかり暴発させる危険があるため魔術師団に入れられているだけだから、仕方ないのだが。
魔術師になる際に出家したものの、元が弱小男爵家の娘というのもあるのだろう。他の魔術師たちのおもちゃ、それ以上の価値は存在しない毎日だった。
「この案件は長期間携わる必要がある上、決して外部に漏らしてはいけない秘匿事項だ。それらを考慮した結果、お前が最適と判断したのだ」
(……つまりは他に用途がない私は用済みとなれば消し去るのが容易いからというわけですね。なるほど、他の魔術師に頼みづらいわけです)
もしもホリーが情報漏洩しようとたり、あるいはエミリアンへの魔力譲渡が上手くできなかった場合、首と胴体がさよならするに違いない。
けれどこれは魔術師として与えられた初めての使命。頷かないわけにはいかなかった。
かくしてホリーはエミリアンと引き合わせられることになったわけである。
彼女が向かった先、簡素な一室に身を横たえる青年は、今にも折れてしまいそうなほど弱々しく見えた。
騎士団長をやっていたとは思えない細身さに驚いたが、おそらくは寝たきり生活で筋力が落ちてしまったのだろう。
少々の挨拶を交わしたあと、二人は早速その場でキスさせられた。
事前にはただの顔合わせだと聞かされていたが、それはホリーを安心させるための嘘だったらしい。要らな過ぎる気遣いか嫌がらせか。多分後者だろう。
「初対面の女性にこのようなことを強いるのは非常に申し訳ないのだが……」
「申し訳ないなんて思う必要、ありませんよ」
本当に申し訳なさそうな顔をされたのでそう言ったものの、本当はすごくすごく恥ずかしかった。
だって初キッスだ。その相手は、あまりの眩さに目が焼け焦げそうになるほどの美形。こんな美形と口付けたのだという事実に赤面してしまって誤魔化すのが大変だった。
それでもきっちり十秒間のキスを計三回こなせた。ごっそりと体力を奪われて足腰が立たなくなったので、魔力譲渡も初歩段階としては上手くできたとホリーは思う。
(問題があるとすれば一つ。それは、やたらと甘やかに思える口付け。……エミリアン様は一体どういうおつもりなのでしょう)
それは回数を増すごとにますますそう感じるようになった。
もっと作業的であってくれたらいい。こんなにも美しい人なのだから女の扱いには慣れているのだろうが、愛人でも何でもない相手なのだから。
なのにエミリアンは、過剰なくらいに優しくて、本当に困る。
「ありがとう、ホリー嬢」
挙げ句の果てにはそんなことを言いながら、こちらを労うかのように頭をぽんぽん、と撫でられる。
セクハラだ、と訴える気にならないのは顔がいいからだろうか。きっとそうだ。絶対に。
(だって、優しく扱われることに喜んで、うっかり恋をしてしまっただなんていうことがあっていいわけがありませんもの)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そんなこんなで数ヶ月。エミリアンはどんどん快方に向かっていった。
まずはベッドに長時間腰掛けられるようになり、次は立ち上がり、室内なら歩けるという状態に。それに至るまでかなりの魔力を譲渡してふらふらになったりもしたが、ホリーとしては嬉しい限りだ。
歩けるようになってからは早かった。
衰えた筋肉をほぐし、または反対に過剰に痛めつけるようなストレッチや筋トレを繰り返して、どんどん逞しくなる彼。その姿に見惚れそうになった回数は数え切れない。
そして――ある日唐突に告げられたのだ。
「そろそろ剣が握れそうだ」と。
ホリーの魔力のおかげで魔力欠乏症が治ってきたと、彼は嬉しそうに語った。ホリーがどんな気持ちでそれを聞いていたかも知らないで。
実はホリーとエミリアンの契約には、期間が定められている。
『剣を握り、騎士として再び立てるようになった暁には、期間満了とみなす』。つまり、近くに訪れる終わりを宣告されたに等しい。
口付けながら、こんな時間が永遠に続けばいいのにと考えていた。
ホリーが役に立てるのは多分これが最後だ。それに、契約が終了してしまえば二度とエミリアンとは会えなくなるだろう。
だから嫌だった。なのに、どうしようもなく終わりは訪れる。
「せめて……」
せめて、思い出がほしい。
どんなに惨めな思いをしてもいいから、確かに自分はここにいたのだと、彼の記憶の片隅に刻み込みたい。
そうすればこの胸の痛みが、少しは和らいでくれるかも知れない。
誰かに聞かれたら笑われること間違いなしの、傲慢極まりない願いだった。
そう思ってしまう時点で想いを認めてしまったも同然なのだし、落ちこぼれ魔術師には当たり前に不相応だ。
だが、そんなことは承知の上である。最悪、余計なことをしたからと殺処分されてもいい。
ホリーは心を決めた。
「おめでとうございます、エミリアン様」
数日後、全快したエミリアンのために設けられた場にて。
騎士の鎧に身を纏い、腰に剣をぶら下げる彼に、ホリーは嘘偽りない祝いの言葉を贈った。
ベッドの上で弱々しく横たわっていたのと同一人物とは思えない立派な立ち姿を見て、感涙してしまいそうだ。
魔術師団の上司や、エミリアンの部下たちが立ち会っているので、涙は流さないけれど。
「魔力欠乏症は完全に治ったようだ。きみがいなければ今頃、死んでいただろう。ありがとう」
感謝はすんなりと受け入れることができた。
正直嬉しかったし、踏ん切りなら今からしっかりつけるからだ。
「こちらこそ、エミリアン様には優しく労っていただけて、いつも嬉しかったです。ですからそのほんのお礼として、私からの祝いの品を受け取ってはいただけないでしょうか」
「祝いの品?」
「こちらです」
背後に隠し持っていたものを、エミリアンへと突き出す。
それは、ブーケに包まれた花束。同じ花の種類でありながら、一輪一輪の色や香りが異なる、特製品だった。
生活魔法の一種にある花を生み出す魔法で作ったもの――ではない。そんな芸当ができれば落ちこぼれなんて言われるはずもない。
溢れる魔力をほんの少し、店で買ってきた花に込めただけだ。本当は花びら一枚ごとに色を変えるつもりでいたのに、魔力の出力を操れずにこうなった。
でも、色とりどりで綺麗だと思っている。
「これは――」
「お祝いの品です。ドライフラワーにでもしてください」
そうしたら、きっと永く残ってくれる。
この国で花束を贈るということの意味は、決してお祝いなんかじゃない。もっとロマンティックな場面にこそ持ち込むべきものだ。
(それでもお祝いの品と言ったらお祝いの品なのです)
そう自分に言い聞かせて、胸を張った。
「困ったな」と苦笑されるか。
「こんなものを渡してきて、何のつもりだ」と呆れられるか。
何でもいい。優しいエミリアンは花束を手元に残してくれるに違いないから。それがわかっていて手渡すホリーは、自分でもずるいと思う。
ずるいホリーは、自分より頭一つ分高いエミリアンの顔を見上げた。
見上げて――息を呑む。
彼がとても幸せそうに、笑っていたからだ。
「ありがとう、ホリー嬢。最高の祝いの品だよ。……これはそういう意味だと思って受け取っても良いだろうか」
「そういう意味?」
「つまり、こういうことだ」
エミリアンが、ホリーの肩を抱き寄せる。
急接近する顔面。気づいた時にはもう唇が触れ合っていた。
朝昼晩の一日三回で十秒間と定められてもいなければ魔力譲渡もしない、ごく普通の口付けだった。
「ホリー嬢が同じ気持ちでいてくれて嬉しい。わたしも、きみのあたたかさにずっと癒され、力づけられるうち、どうしようもなく好きになっていたんだ」
(――なんてこと)
甘い声で囁かれて、耳がどうにかなりそうだ。
落ちこぼれ魔術師の自分なんかとエミリアンが釣り合うわけがない、とか、大勢に見られている、などと理性が叫ぶけれど、一瞬でどうでも良くなってしまう。
ふわふわとした心地で、ホリーは尋ねた。
「本当ですか?」
「ああ」
「これは、夢ではないのですね?」
「夢ではない。ちゃんと、本当のことだ」
ぽんぽんと撫でられる頭の感触。それがいつも通りだから、おそらく本当に現実である。
想いに踏ん切りをつけられればそれでいいと思っていたのに――殺処分されないどころか、まさか受け入れられるなんて。嬉しいどころの話ではない。
「騎士として、誓いを立てよう。この花束に込められた想いの分、いや、それ以上の愛を捧げると」
愛おしげにアクアマリンの瞳を細めて、エミリアンは宣言した。
あまりに突然のことだからか、あまりにクサイ台詞だったからか、周囲は唖然として一言も発さない。
多分とんでもなく恥ずかしい誓いを立てられたのだと思う。それでも構わなかった。
「こんな私でいいのなら、末長くよろしくお願いします」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから色々――弱小男爵家の出身の者が騎士団長の妻になるなどあってはならない、と貴族社会から糾弾されたり、エミリアンに想いを寄せていたご令嬢から暗殺されかけたり――、驚くほど色々あったが、主にエミリアンに守られてなんとか乗り切れた。
いつも優しく見えていた彼の本気は凄まじかった。大体斬り捨てて片付けるので、その度に圧倒的な強さに驚愕するなどしたが……それはさておき。
落ちこぼれ魔術師と呼ばれていたホリー。
彼女は誓いの通りに愛されて、幸せな生涯を送ったという。
お読みいただきありがとうございました。
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